その男、一隻眼につき。1
「…楽しかったか?」
「すっごい楽しかった!みんなすっごい可愛くて、かっこよくて面白くて!もう楽しすぎて楽しすぎて!!」
「そうか、それは良かったな…。感想が言い終わったなら俺の上から退け、セーラー服着たまま大股を開くんじゃない」
黒い猫っ毛のセミロングを煩わしそうにかきあげながら、灰は溜息をついた。玄関でセーラー服女子に馬乗りになられて、洗ったばかりのワイシャツがくしゃくしゃだ。誰かに見られて勘違いされたらどうする。
そんな素っ気無い(推定)三十路男の反応に、少女はプーッと頬を膨らませた。
「何それ何それ!他に感想ないわけ!」
「なんだ、人間の形を取った妖の楽しい偽女子高生ライフを聞いて何を言えというんだ。それともこの状態に何か感想を求めてるのか。残念ながら妖相手に発情する趣味は持ち合わせていないぞ」
「誰がそんなこと求めた!」
パーマをかけた黒のポニーテールを揺らして、少女は怒鳴った。可愛らしい外見の少女は、人間ではなかった。
この国は八つの地域に分ける事が出来る。そしてその各々の地方を陰で統べ、守護している家々を守護八家〈しゅごはっけ〉と呼ぶ。この八家は表面的には自らの地域に住まう人間、そして秘密裏には人間との調和を図る妖等を守護する。人間と妖の無益な争いを避け、共存していく事を掲げるのがこの八家である。彼等は妖を従者とし、身勝手に人間、妖を襲うものを討伐する。それが彼等の裏の仕事である。
その内中国地方を統べ、守護しているのが黒須家だ。灰はその宵家の現当主であり、その女子高生、の形を模している少女は彼の従者である妖だった。
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「深岐、いいから退け…」
「灰ちゃんほんっとうにテンション低ーーい!!」
そう言いつつも深岐は夏服のスカートを軽くふわりと浮かせ、よいしょと灰の上から降りた。
黒須家の当主である灰とその従者である深岐は、とある住宅街の一軒家に暮らしていた。どこぞの当主達は本邸にしっかりどっしり構えているらしいが、それでは家の中におさまるだけで、全然戦うことが出来ない。強くなる機会が得られない。奪われた「目」を奪い返すためにも、「彼」を倒すためにも、灰は俗世で分家の守護者達の様に働いていた。
深岐は何も言わない灰の顔面をジーッと睨み、はぁ、と溜息をつく。
「灰ちゃんさーその右目、出しっぱってどうよ?」
「…」
これがこんなに五月蝿いと知っていたら、八つ当たり出来る人間の1人や2人くらい連れてきたものを。
すると、心配そうに灰の足元に纏わりついていたものが鳴いた。
「ちぃ…」
連れて来たのは、子供のときに初めて従者にしたイタチ型のこの妖。人語を解すことは出来ても、話すことは出来ない。というか、幼馴染とも言うべきこれに八つ当たりなど出来ない。
「聞いてるの灰ちゃん!」
「人の目のことは放っておけ。わざわざ隠すものでもないだろう」
灰はゆっくり身体を起こし、小さな妖を優しく撫でる。
「あのねー灰ちゃんのぽっかり開いた眼孔を見て、ご近所さんが何て言ってるか知ってる!?」
「リアルゾンビ」
「知ってんのかい!」
漫才師のように突っ込む深岐を差し置いて、灰は襟を正して廊下を突き進み、居間に歩を進めた。その後ろを小妖がぽてぽてと付いていく。
「あだ名が何であろうと俺は人間だ。セーラー服に身を包んで喜んでいるどっかの変態と一緒にするな」
「うわ!その言い方無い!性別は女の子なんだからね!セーラー服着る権利はあるんだからね!変な性癖みたいに言わないでよね!」
反抗しながらも深岐は灰と一緒に居間に入り、ソファにどっしり胡坐をかき、更にプーッと頬を膨らませた。それを見て灰は嫌そうに眉をひそめた。
「だからスカートを吐いて股を開くな。性別がメスだと主張するならな」
「お・ん・な・の・こっ!!!」
お前ミズチだろう…と心の中で返したが、これ以上やりあっても高いテンションで返されて終わらないだろうと悟った灰は、溜息を吐きながらキッチンに向かった。
「あ、あたしコーヒーブラック!」
女の子はそんな渋いもの堂々と頼まん。