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エマール撤退戦(2)

 カリウスたちはガルムたち獣人部隊をティーゲルの背に乗せ、エマールの街からの唯一の脱出経路である鉄橋に向かった。


 しかし、そんな彼らに追いすがるように道を進む帝国の戦車の姿があった。


 短砲身の75mm砲を搭載した帝国の中戦車「ベグライター」だ。


 帝国語で「仲間」というその名が示す通り、歩兵と並走して支援するのが主任務の中戦車として設計された戦場のワークホースだ。


 だが、歩兵支援を担当するといっても、その砲の貫通力はベリエがもつ標準型戦車を破壊できるだけの力があった。


 ベグライターの砲塔側面には112と書かれている。

 戦車の中ではティーゲルの姿を見た帝国戦車兵がざわついていた。


「見たか? あんなの識別表にないぞ。新型だな。かなりデカイ」


「あの主砲、75ミリにしちゃ太いな。90ミリかな……」


 黒い上下つなぎの作業服のような軍服に身を包んだクルーがささやきあう。

 誰もがティーゲルの姿に動揺を隠せていなかった。


「ハンス、コントロールに無線回してくれ。俺、無線よくわかんない」


「はいはい」


「何で機械弱いのに戦車に乗ろうとしたんです?」


「いいところに気がついたねフェルディ君、行軍訓練がないからに決まってるだろ」


「ひっでーなぁもう……」


 戦車長のクルツは、無線機の周波数を変えて、小隊から司令部につなげるよう指示した。司令部のチャンネルは混線した声が入り乱れていた。


『時計塔周辺に狙撃兵がいる。戦車を回してくれ――』『前方に障害物。釘付けにされてる! 至急除去を要請!』


(どこもかしこも大騒ぎだな。俺達は本当に民兵を相手にしているのか?)


 朝飯の時間には、守る者の居ない街を進むだけの楽な戦いと言い合っていた。

 しかし、実際に始まってみると、楽どころか正規軍と戦っているのと大差ない。


 落書きだらけにした教科書に「真に防衛の基盤をなすものは、侵略を憎みこれに抵抗する国民の強い意志である」なんてお題目が書いてあったが、なるほど。


 実際に体験すると、そう書きたくなる気持ちもわかるというものだ。


「コントロール。こちら黒12(ワン・ツー)。『コード・レッド』。エリア3で敵の新型重戦車に接触。主砲おそらく90ミリ。対戦車中隊の前進を要請する」


 ハンスの緊急事態を知らせる「コード・レッド」を聞いて無線がしんとなった。誰もが無線の向こうで息を潜めて彼らと司令部のやり取りが終わるのを待った。


『※キックアウト(他の奴らはでていけ)、キックアウト、黒12、もう一度送れ』


 ※無線の特性上、多くの人が同時に話すことができない。緊急の要件を優先解決するために、重要度の低い会話をしている部隊は静かにして、という意味。


「黒12、エリア3、目標アイアン(エマール鉄橋)付近で新型戦車に遭遇。種別重戦車。単独では手に余る。砲兵支援を要請する。以上」


『黒12、コントロール。ネガティブ。黒12、砲兵支援不可。アイアン倒壊の危険あり』


「黒12、了解。工兵支援は? 送れ」


『黒12、コントロール。P12の支援中隊から抽出。P12、エリア6取り消し。直ちにアイアン移動。繰り返す、P12、アイアンへ向かえ。どうか?』


「P12、コントロール。アイアン、了解。」


「黒12、了解した。以上、終わり。」


 戦車長が手際良く交信の終了を宣言すると、また怒鳴り合いが再開した。

 どこもかしこも大忙しのようだ。


 無線手がダイヤルを小隊の周波数に戻すと、車内は一気に静かになった。

 話し相手は、もう自分たちだけだ。


「……戦闘工兵ですか。自分たちだけでやるよりはマシですね」


「近づけさせればこちらの勝ちだ。なんとかするさ」


「クルツ軍曹、あれやってもいいですか?」


「いいぞ、フェルディ」


 戦車がハンドルを切り、ドリフト気味に建物の角にぴったりとくっつけた。慣性がききやすいベグライターの特性を完全に理解しているからこそできる芸当だ。


 ドライバーはエンジンの回転を絞り、音を殺して建物の影を利用して僅かに砲塔の頭だけを出した。その運転の精緻さは、自身が駆る車両の大きさを体感覚として完全に理解していると知れた。


「ヒュゥ! さすがですね」

「まかせろよ」

「さて……まずはレディの気を引かないとな」




 ティーゲルの車長席から周囲を警戒していたアデーレが厳しい表情になる。

 ヘッドセットを押さえた彼女は、足元の兄のシートを蹴って状況を伝えた。


「兄さん、一台後ろに付かれた。敵戦車です」


「後ろって……車長席から見える?」


「すぐに隠れたのでちょっと……。メリナさんは見ました?」


「見たよ。何もできないけど」


 メリナは「どうせ何もできませんから」と、不貞腐れたように口をとがらせる。

 車長席で背後を伺っていたアデーレは兄に方向転換を指示した。


「兄さん、旋回して鉄橋に対してはバックで侵入してください。いくらティーゲル号でも、背後から撃たれると危険です」


「わかった! よっこいしょっと……」


 基本設計が古いティーゲル号は、クラッチブレーキ式の操縦系統をしていた。そのため、その場で旋回する超信地旋回はできなかった。


 ティーゲルの操縦席に座ったカリウスの太ももの横にハの字に傾いた2本のレバーがある。カリウスはそのうちの片方、右側のレバーを引いて、足元のクラッチを切った。こうすることで車体右側のキャタピラには動力が伝わらなくなり、左側のキャタピラの力で自然と右に曲がるのだ。


 が、問題はこのクラッチとレバーが凄まじく重いことだった。


 ブレーキのかかる2段目までレバーを引いてクラッチを切ると、ブレーキバンドが履帯のドラムに強く当たってその側の履帯を完全に停止させる。だが、この2段目に入れるには、体重をかける勢いでクラッチペダルを踏み抜かないといけなかった。


 クラッチが切れてからブレーキが効くまで、少しの時間差がある。ティーゲルは一旦減速してから、ゆっくりと車体幅の半分ほどの旋回半径で回った。


 回りきったのを確認して、カリウスはいったんバックギアを入れるためにティーゲルを止める。大重量、大馬力の戦車はキャタピラの生えた卵だ。ギアを変更するだけでも、慎重な操作が要求された。


「……遅いね」


 カリウスがポツリと呟いた。


「すみません兄さん。流体変速機ならこの倍は出るんですが」


「ごめん、アデーレを責めてるわけじゃないよ。ちょっと心配なだけさ」


「でもさ、敵の戦車隠れちゃったし、何もしてこないんじゃない?」


 メリナは楽観的だったが、アデーレは逆の考えをしているようだった。張り詰めた面持ちでペリスコープから前方、側面と、忙しなくティーゲル号の周囲に異変がないか監視を強めていた。


「いえ、増援を待ってるだけでしょう。この橋を押さえる必要があるのは帝国も同じですから」


「じゃ、じゃあ、大砲なしで戦えってこと?」


「橋に入ればこちらの勝ちです。戦って渡り切る必要はありません」


「え、なんで?」


「ティーゲル号はこの大きさだからね。鉄橋の上で破壊したら、残骸をどかすまで時間がかかる。すぐに姿を隠すほどの賢明な戦車指揮官なら、僕らを行かせるさ」


「なるほどね……」


「あ、そうだ!」


 何かを思いついたのか、カリウスは突然ハッチを開けて振り返った。

 彼は砲塔の間から見えるガルムを見つけると手首だけで細かく手をふった。


「火炎瓶を分けてもらえないですか! それの中身、エーテルですよね?」


「そりゃ構わんが、何に使うんだ?」


「もしもの時の備えにしようかと。この戦車、弾がないんで」


「はぁ?! 弾がないって……だ、大丈夫なんだろうな……」


 目を丸くするガルムから火炎瓶を受け取り、カリウスは戦車の中に引っ込んだ。


「メリナさん。ダミーカートリッジをこっちに一つください」


「まさかこれに火炎瓶を詰めるつもり?」


「瓶の中身を使います。戦車の砲弾にもエーテルって使われてるじゃないですか」


「暴発して自爆なんてしないわよね……?」


「実弾は試してないですけど、主砲の閉鎖機は本物とほとんど変わらないんできっと大丈夫ですよ」


「え、大砲までニセモノなの?!」


「いや、うーん……ちょっと説明が難しいんですけど、大丈夫ですよ」


「不安しかないんだけど?!!!」


 カリウスはダミーカートリッジの先端をポンと取ると、火炎瓶に詰められていたエーテル燃料を流し入れ、ついでに身につけていた弾薬盒の弾丸、つまりエーテルが充填されている旧式銃M1886の余っていた弾丸をすべて入れた。


(よし。一発限りになるけど、これでなんとか……)


 最後に火炎瓶のオイルクロスを入れてカートリッジの先端を戻した。そうして出来上がった、ちゃぽちゃぽと液体の揺れる音を立てるダミーカートリッジは、カリウスに訝しげな視線を向けるメリナに手渡された。


「もう! どうなっても知らないからね!」


 紅潮したメリナは砲尾のレールにダミーカートリッジを乗せ、拳を使って底部を押し、弾(?)を薬室に送り込んだ。ガコンと音を立てて薬室が閉鎖され、装填済みを示すランプが砲手席の近くで瞬いた。


 ティーゲル号は橋に向かって後進を続ける。


 そのあまりの遅さに戦車の背に乗っている獣人たちも苛立ちが募っているようだった。落ち着きのない様子で尻尾で戦車の屋根を叩いている。


 永遠と思えるほどじれったい時間。

 その時だった。


 ――発砲音。

 直後に地面で何かが炸裂して、尾を引く数条の煙が広がった。


「煙幕!! 敵が動きました!!」


「メリナさん! ガルムさんたちに援護を頼んでください!」


「わかった!!」


 メリナはハッチを開けて振り返り、砲塔の背後にいたガルムたちに声を上げた。


「みんな、歩兵が寄ってくる! 援護して!」


「よし来た! 手分けして左右を警戒しろ! 前後も見逃すな!」


 メリナは小さく舌打ちした。


 戦車の背後に乗った獣人たちは、倒した帝国兵から奪った雑多な銃器を取り出して構えていた。ライフル、短機関銃(サブマシンガン)、ピストルと、本当にバラバラだった。


 それにアイアンペルトの構造は白兵戦を想定しており、銃床を肩につけるようにはできていない。そのため、射撃の正確性についてはあまり期待できそうになかった。


(ガルム、本当に大丈夫かなぁ……)


 胸の前で手をぎゅっと握りしめ、メリナはハッチを閉めた。

 彼女がガルムに支援を要請している間、アデーレは敵戦車の姿を探していた。


 しかし、なかなかその姿は見当たらない。

 撃った瞬間に後進し、姿を隠したのだろうか。


(一体どこに……あれは!)


 彼女は石畳を剥がされた土の道にキャタピラの痕跡を発見した。

 バリケードを作るために石畳が剥がされていなかったら見失っていただろう。


「メリナさん、2時方向、建物影に敵戦車! 土にキャタピラの跡があります! 主砲をそちらに向けて牽制してください!」


「わかった!」


 メリナがフットペダルを踏み込み、手元の高昇ハンドルを回して照準を急いでいると、ちょうど横道から帝国歩兵の姿が現れるところが見えた。


「――!」


「いたぞ、尻尾付きだ! 仲間の仇を逃がすな!」


 煙幕の中から短機関銃をもった帝国兵が現れて、ティーゲル号の背に乗ったガルムたちに向かって発砲する。突撃ヘルメットに防護バイザーを二重に着けて、胴体のプレートも上からもう一枚追加で着込むという徹底した重装甲。


 おそらく死兵として挺身したのだろう。その目的は――背後で手榴弾を構えている仲間の為に狙いを自身に引き付けるためだと知れた。


「チッ! 撃ち返せ!」


 ガルムが帝国兵から奪ったサブマシンガンを横薙ぎに撃った。


 狙いは増加装甲を着込んだ死兵の後ろだったが、肩付けしてない腰だめ撃ち、それも揺れる車上という悪条件が重なって、思ったところに弾が行かない。


 掃射した弾丸は狙いを大きく逸れて、帝国兵の後ろの煙幕に吸い込まれた。

 煙の向こうで石を叩き、建物のガラス窓を割った音がした。


「クソ!! 持っていけ!!」


 短気を起こしたガルムは背中の大鉈をぶん投げた。ブン、と空気を切った鉈が手榴弾を掲げていた帝国兵の肩口から胸までを切り裂いた。


 だが、その後ろにいたもうひとりの戦闘工兵がティーゲルに駆け寄り、薄い煙を吐いた梱包爆薬のバックを戦車の上に投げ込んだ。


「不味い!」


「隊長、お先に!!」


「あ、おい!!」


 獣人のひとりが梱包爆薬をひったくり、雄叫びを上げて帝国兵に突っ込んだ。


「ウォォォォォォォ!!!!」


「うおおおおおおお!!!」


 爆薬を抱いて吠える獣人に、死兵となった帝国兵が喉が切れんばかりの声を上げて逆さにした短機関銃で殴りかかる。そこに理性も勇気も何もなかった。ただ互いに底しれない憎しみと狂気をぶつけあっているだけだった。


 刹那、ティーゲルの真横で爆音とともに衝撃波が広がって辺りを飲み込んだ。


「クソッタレェェェ!!」


 降り注ぐ肉片と鉄くずの間の空にガルムの咆哮が吸い込まれていく。

 爆圧が煙幕のベールを広げ、通りを薄く覆い隠した。




 ティーゲルの主砲が見据える建物の裏では、クルツが戦車から降りて建物の中から戦闘工兵の戦いの一部始終を見ていた。彼は双眼鏡をおろすと、カーテンの閉じた窓の縁に白くなるまで握り込んだ拳を叩きつけた。


「ああもう! 尻尾付きに投げ込んでどうする! キャタピラを狙うんだよ!」


「軍曹、もう撃ちましょう。俺たちなら覚悟はできてます」


「ちっ、知らんぞ……」


 舌打ちしたクルツは、カーテンを揺らしながら踵を返して窓から離れた。そしてハンスと建物から出ると、表に止まっていた112号車に居残っていたフェルディに向かって叫んだ。


「対戦車戦闘用意!」


「ほいきた!」


 クルツは転輪に足をかけて軽々と車体に乗り上がると、砲塔の車長用ハッチから戦車に乗り込んだ。するとシートから振り返ったクルーの視線が彼に集中した。


「軍曹、やつの背中に乗ってる獣人だけでも撃てません?」


「なんとか仇を取ってやりたいけどなぁ……。榴弾を撃つと工兵の邪魔になる。弾種徹甲、被帽付徹甲弾(APC)装填!」


「了解!」


「みんな、ハッチは開けてていいぞ。どうせ防げん」


 ハンスの手によって、先端を黒く塗られた徹甲弾が75ミリ砲の砲尾に送り込まれる。砲尾の横にあるハンドルを起こして閉鎖すると、薄い金属が擦れる音と共に砲が命を吹き込まれたかのようにその身を起こした。


「ハンス、キャタピラを狙え。そこならベグライターの主砲でも抜けるはずだ」


「はい軍曹。距離600。2シュトリヒあげます」


「フェルディ、微速前進だ。……停止、ファイア!」


 建物から顔を出したベグライターから閃光が走り、そのあとを白煙が追いかける。

 弾はキャタピラの上、ティーゲルの傾斜した正面装甲で弾けて火花を飛ばした。


 撃たれたにもかかわらず、新型戦車は悠々と後進を続けている。

 初弾は命中したが、ハッチの上からの目視で確認できる被害はなかった。


「当たりましたが狙いは外しました。すみません」


「いや、初弾にしちゃ上出来だ。やっぱり正面は弾かれるか」


「あいつ、撃ちませんね?」


「砲が壊れてるか、さっきの爆発で負傷したか?」


「どうします、軍曹?」


「…………うーん」



 ベグライターの射撃を受けたティーゲルの車内は、至極落ち着いていた。

 飛んできた砲弾は正面装甲で弾かれている。

 エーテル機関、武装、電気、ともに健全。何の問題も無かった。


 ベグライターが装備する75mmKwk36の貫通力は60から40ミリ。前面装甲が100ミリ、40度の傾斜で150ミリ相当のティーゲルが相手では抜けっこない。


 しかし――


「このまま撃たれ放題だと不味いですね。キャタピラを切られると逃げ切れません」


 アデーレは敏感に敵戦車の狙い、そして危機を察知していた。

 妹の判断に兄もシートを振り返って頷く。


「肉薄してるとはいえ、あの短砲身の初弾を当ててくるなんて、いい腕だね」


「敵を褒めてどうすんのよ!」


 メリナの頬がぷくっと膨らんで、まるで今すぐ爆発する風船みたいになった。

 彼女が膝を折って運転席を覗くと、カリウスの表情が硬い。

 まるで何かを思い詰めたような表情に思わずのけぞってしまった。


「な、なによ。怒ったの……? ごめんって」


「いや、そうじゃなくて……。アデーレ、使っていいかな?」


「兄さん……でもそれは――」


「大丈夫。ここにいる皆は信用できるよ。命を共にしてるんだ」


「わかりました。停車してください。対戦車戦闘用意」


 ティーゲルを停車させたカリウスは、ハンドルを握ったまま、深く息を吐いた。


 妹の言葉が車内の空気を重く引き締めた。対戦車戦闘用意――

 それは彼が家族の秘密に手を伸ばすことを意味していた。


 両親が設計したティーゲル号の真の力。

 本来の意図は、単なる重戦車としてではなく、別にあった。


「え、弾がないんじゃ……いや、今は込めてるけど、これを使うの?!」


「メリナさん、ここは兄さんの言う通りにしてあげてください」


「もう……わかったわよ!」


「エーテル機関の出力を砲に回します」


 アクセルを固定すると、エーテル機関の低く唸る音が、車体全体を震わせる。


 アデーレは車長席のコンソールに視線を落とし、カバーを上げて何かのスイッチを押した。彼女のか細い指先に力がこもって白くなる。すると、機関の奥深くで何かが目覚めたかのように、青みがかった光が漏れ始めた。


 ティーゲルの背中にいたガルムたちも異変に気がついた。

 足元が青白く光って何かが起き始めている。

 耳を伏せ、何かに良くないことに備えるように、その背中を丸めるものまでいた。


「お、おい……何がはじまるんだ?」


「旦那、こいつぁいってぇ……」


 エーテル――この世界の力の根源が、戦車の中に血管のように張り巡らされた導管を通って、主砲へと流れ込む。


「兄さん、本当にいいの? 一度でも使えば、もう隠し通せなくなるかも」


「構わないよ。もしそうなったとしても、その時はその時さ」


 ヘッドセット越しに聞こえるアデーレの声は微かに震えていた。だが顔をあげて見れば、追いすがるベグライターの影がペリスコープに映り込んでいる。


 カリウスは息を呑むメリナの後ろにまわる。

 そして彼女の柔らかな手にゴツゴツとした白い手を重ねて握りしめた。


 エーテル燃料を詰め込んだ即席の弾丸が、薬室内で静かに待機している。

 だが、今から発動するのは、そんな即席の工夫など遥かに超えた力なのでは。

 そんな予感がメリナの脳裏に浮かんだ。


「メリナさん。照準を敵戦車に合わせてください。大体でいいです」


「う、うん、わかったわ……」


 彼女は主砲側面のハンドルを回し、照準を敵の潜む建物影に合わせる。ティーゲルの主砲が、ゆっくりと回転し、標的を捉える。


 その時、メリナは頭の後ろでカリウスが何事かを呟く声が聞こえた。


「……九つの頂、九つの鎖にて繋がれし獣よ、我が罪、我が天命を喰らい、全ての光成す者にその力示せ――」


「まさか、貴方……」


「――発射!」


 車内の空気が変わった。エーテルの流れが加速し、砲身の内部で仄暗い闇が渦を巻き始めた。黒く、粘つくような影が、砲口から微かに覗く。


 それは、ただの闇ではない。古代から連なる、禁断の力の片鱗。

 二人の両親が目指し、そして隠した、ティーゲル号に託された真の意味。


 刹那――メリナが引き金を引いた瞬間、主砲から閃光が迸った。


 いや、それはただの光ではない。


 曲がりくねった、生き物のような軌道を描く青白い光の鞭。街路を這い、建物に絡みつき、戦車や兵士たちを狙うかのように鎌首をもたげて躍り出た。


 エーテルの炎がレンガの表面をガラス質に変え、熱で膨張した窓ガラスが割れる。


 空気を焼け焦がす雷鳴に似た音とともに光は分岐し、数条の触手に分かたれる。

 それは古代の魔獣、ヒドラを思わせる姿を現した。


 周囲の石畳を不気味に照らし出した光の触手は、まず煙幕の向こうに潜む帝国兵たちを貫いた。白く磨かれた鋼の鎧が溶けるように崩れ、悲鳴が一瞬で途切れる。


 その一撃は、ティーゲルに追いすがる112号車にも容赦なく襲いかかった。

 建物に隠れたベグライターの影を狙い、触手が建物の壁を突き破る。


 光の触手が車体に絡みつき、青みがかった暗いグレーの装甲を溶かし始めた。

 内部の弾薬にエーテルの熱が着火し、火花が散りだす。


「軍曹!!!」


「……あ、全員脱出! 今すぐ!!」


 クルツの叫びがベグライターの車内に響き渡った。


 帝国の戦車は規定で全乗員分の脱出ハッチが備わっている。戦車長用、操縦手用、砲手用。それぞれが開いたままだったハッチから身を乗り出し、車外に飛び降りた。


 ハンスが転がるように地面に落ち、フェルディが煙を吐く車体から転げ落ちた。

 クルツ自身も、あわてて車長ハッチから身を投げ出した。


 石畳に着地した瞬間、背後で爆音が轟く。

 112号車は爆発、炎上した。青い炎が車体を包み、装甲が溶け落ちる。


 主砲が外れ、履帯がほどけ、黒煙が空に昇る。追撃は不可能――

 いや、それどころか、戦車は弾け、ただの鉄クズと化していた。


 クルーたちは地面に這いつくばり、息を荒げながら顔を上げる。

 誰もが無傷だったが、心は凍え、芯から震えていた。


 エーテルの香りが、風に運ばれてクルツの鼻をくすぐる。

 青い燐光が、炎上する戦車の周りを漂い、残骸を幻想的に彩っていた。


 クルツは立ち上がり、悠々と鉄橋の上を進むティーゲルの巨体を呆然と見送った。

 あの新型戦車は、ただの機械ではなかった。


 それはとても古い、誰もが忘れた時代の存在を思い返させた。


 大地からあふれるエーテルを操り、天地万象を意のままに具現化し、この世界のあり方すら変えてしまったという存在。それは――



「…………魔王。」




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