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残された巨象

 カリウスはアデーレを連れて、街の中心部を必死に駆け抜けていた。


 帝国軍の侵攻による戦火が広がる中、道端には無残な光景が広がっていた。巻き添えを食らった子供や女性たちの遺体が、粗末に積み上げられていた。


 血の鉄錆の匂いだけでなく、なにか別の――髪の毛と脂の焼ける臭いだ。走って息を継ぐたびに、喉の奥がむっと詰まるような感覚が広がる。


 ぬるっとした脂の残り香が、舌の上でゆっくりと広がっていく。

 その正体は――これ以上吸うまいと、カリウスは無意識に息を浅くしていた。


 アデーレは顔を青ざめさせ、目を背けながらカリウスの腕にすがりついた。

 彼女の細い指が、震えながら彼の袖を握りしめる。


「各自、残弾チェック!  死体から使える武器を集めろ。埋葬は後回しだ!」


「ですが、こいつは俺の友達なんです!」


「放っておけ、どうせこの街全体が墓地になるんだからな」


 民警隊の獣人たちが、荒々しい声で叫び合う。彼らの言葉には、一種の開き直り――死を覚悟したような諦観が滲んでいた。


 鋼鉄の毛皮を着込んだ彼らは、これから始まる帝国の攻撃に抗うために、中世の騎士が使うような剣や槍といった原始的な武器を研ぎ澄ましていた。


 カリウスはそんな不穏な声を耳にしながら、アデーレの手を強く引き、街の中心部を離れた。一刻も早く、この地獄のような場所から彼女を遠ざけたかった。


 心の中で、彼は祈るように思った。


(アデーレを守ろう。それだけが今の僕の使命だ)


 街の外れに出ると、中心街での戦いが嘘のように、牧歌的な風景が広がっていた。穏やかな丘陵地帯に、白い塀で囲まれた瀟洒な邸宅が佇んでいる。母屋と納屋が並び、庭には今も花々が咲き乱れていた。あれはアデーレの実家であり、カリウスが養子として引き取られた、スタインドルフ将軍の家だ。


「アデーレ、疎開の準備は進んでる? 荷造りのほうは?」


「ほとんど終わってます。あとは父さんたちの――」


「残念だけど、()()は置いていこう」


「うん、だよね……」


 かつての栄光を思わせる石造りの門が、静かに彼らを迎え入れた。

 敷地に足を踏みいれ、門扉に手をかける。


 母屋に行くと、扉の前で使用人のミアが二人を出迎えた。


「おかえりなさいませ、カリウスお坊ちゃん。あぁ……無事で良かった。何度も街の方で爆発が聞こえて、ミアは心配で、心配で……」


「大丈夫ですよ。僕もアデーレも怪我ひとつありません。ミアさんこそ――」


 彼女は生まれつきの心臓病を抱え、顔色が悪く、息も荒い。ミアは荷造りを手伝おうとよろよろと近づいてきたが、カリウスは優しく彼女を座らせた。


「ミアさんは家の中で休んでいてください。荷造りは僕がやりますから」


「すみません、お坊ちゃんに何かあったらと。あぁ、よかった……」


「そのお坊ちゃんっていうのはやめてください。僕はもう二十歳なんですから」


 カリウスは玄関の扉を開きっぱなしにして、急いで荷物をまとめ始めた。

 衣類、貴重品――帝国軍が迫る中、逃亡のための最小限のものを。


 しかし、台所の棚をひとつ開いたカリウスは、その中を見て唸るような声をあげた。上も、下も、右も左も開けてみるが、唸り声は途切れない。


(不味いな。思ったよりも食料品がない。エマールから近くの街まで歩いて何日だ? ミアさんの休憩を考えると、早くても2日。イワシの缶詰が2つしか無いぞ)


 足元の収納を開けても、中にはいっているのはいつのものとも知れぬ果実酒やジャムばかりだ。これで2日間凌ぐというのは、なかなかのチャレンジだ。


 カリウスはともかく、ミアの体力が厳しいだろう。


「アデーレ、兄ちゃんは買い出しに――」そう言って振り返り、テーブルから顔を出したカリウスは見知った人物と目があった。メリナだ。


 メリナは懐に厚紙製のカートンボックスを抱えている。

 ベリエの国章が印字されたそれには「B型携帯食」と書かれていた。


「あれ、メリナさん、いったいどうしたんです?」


「メリナさん!」


「どうせ無駄になるなら、少しでも役立てられる人に渡す方がいいと思って」


「無駄って……それ、軍の食料……」


「そうですよ! 兵隊さんじゃない私たちが、もらっちゃいけないですよ!」


「いいのよ。倉庫に残しといたって、どうせ取られるだけなんだし!」


 そう言って彼女は、携帯食の入った箱を叩きつけるようにテーブルにおいた。


「それより、さっきはありがとう。貴方が装甲車を破壊してくれなかったら、民警隊にはもっと死人が出てたと思う。スパイ扱いして……ごめん!」


「いえ、そんな……」


 メリナは先の戦闘でカリウスをスパイ扱いした非礼を詫びるために、軍の食料を持参していたのだ。


 だが、アデーレはメリナの言葉の意味を察し、暗い表情を浮かべた。


 「倉庫に残しても取られるだけ」という彼女の言葉は、これ以上エマールは持ちこたえられない、ベリエの敗北を予感させるものだったからだ。


「あらあら、可愛いお嬢さんだこと。ミアはお嬢様方が坊っちゃんを放っておくはずはないと常々思っておりましたのよ?」


「えぇ……? そういう関係じゃ……。むしろ最初は銃を突きつけられたんですから! まぁ、その後は危ないところを助けてもらったんですけど」


「えぇ。私とカリウスさんとは知り合ったばかりですから。こんな時じゃなかったら、お友達になれたかも知れませんが――」


 メリナはふと、居間の壁にかけられた一枚の古い写真に目を留めた。

 そこには、旧式の戦車を背景に、二人の男性が写っていた。


 一人はアデーレの父、スタインドルフ将軍。第一次大戦でベリエの独立を維持した英雄だ。既に故人だが、その威厳ある姿は今も家族の誇りだった。


「……? このもう一人の方は? ナイトメアの方ですよね」


「僕の父です。ゲオルク・カリウス。父は将軍の理論を実践するための戦車を設計した技師でした。でも、僕が10歳の頃、両親は交通事故で亡くなって……将軍が養子として僕を引き取ってくれたんです」


「ご、ごめんなさい! 立ち入ったことを聞いてしまって……」


「いえ、気にしないでください」


 カリウスは穏やかに笑った。緋色の髪と二対の角が、彼のナイトメアの血統を物語っていたが、その笑顔は優しく、人間味に満ちていた。


 壁の時計を見たメリナは、何かに気づいたように立ち上がった。


「見回りの時間だわ。行かないと」


「玄関まで送りますよ」


 カリウスが玄関まで送る途中、メリナはふと尋ねた。


「さっきの戦闘――どうやったか知らないけど間に合せであんな事するなんてさ。お父さんみたいに技師か技術者になったらいいんじゃない? 才能ありそうよ」


 カリウスは少し考え込み、答えた。


「いや、僕は歴史教師になろうと思ってるんです。そして、自分なりに探したいんです。なんていうか……」


「なんていうか?」


「正しくても、踏みにじられてしまう大事なものがある。それとは逆に、明らかに間違ってるとわかっていても、皆が求めるものがある。その差を少しでも縮められるものって、何なのかなって」


「相変わらず浮き世離れした御仁だこと。でも、うん。

 私にはよくわからないけど、それってなんか……大事なことのような気がする」


 二人の祖国は帝国に蹂躙されようとしている。

 正しいはずの「平和」は今まさに踏みにじられようとしていた。


 その一方で「敵を殺せ」「生き残るためには手段を選ぶな」という選択が、帝国はもとより、ベリエの人々にさえ求められていた。


 カリウスは、そんな状況の中で「このままではダメだ。でもどうすればいいのか?」という根源的な問いを、自分自身に投げかけていた。


「…………」


 二人が視線が重なったその瞬間、遠くからぽんぽんと可愛らしい花火のような音が響いた。空気が震え、玄関の窓ガラスが微かに振動する。


「二階へ!」


「うん!」


 二人は急いで二階に上がり、窓を開けた。街の中心に位置する、ベリエの象徴である時計塔が、爆音とともに崩れ落ちていた。


「なんてこと……!」


「メリナさん、見てください!」


 カリウスの指差す方向、遠くの丘から戦車を伴った帝国兵の群れが街を目指してなだれ込んでくる様子が見えた。戦車と歩兵が波となって街に迫っている。


「不味いわね。東からだけじゃなくて南からも浸透しようとしている。退路を遮断する気ね。見て、トラックよ!」


「……あのトラック、こっちにくる!」


 舗装も満足にされていない土の道を土煙をあげてトラックが迫ってくる。

 ボンネットには帝国の印章。裏からも街の包囲にかかるつもりだろうか。


「一階へ! ミアさんとアデーレを避難させなきゃ!」


「うん!」


 トラックはハンドルを切ってカリウスの家の向かいの隣家に停車した。すると後部の仕切り板が降り、幌の中からぞろぞろと、胸当てとヘルメットを身につけた帝国兵たちが降り立ってきた。


 兵士たちはドアを蹴破って中に入ると、すぐに両手に家具や食料を持って出てきた。紀元前から繰り返されてきたおなじみの光景――略奪だ。


 窓にひっついてそれを見ていたミアは「もうお隣さんから卵は届きそうにありませんね」と、冗談なのか本気なのか測りかねる呑気なことを言っていた。


 だが、それも長く続かなかった。

 帝国兵たちはカリウスたちの家を指さした。こちらに押し入ってくるつもりだ。


「ああいけませんよ坊っちゃん! 帝国兵がこっちにきます!」


「……納屋に行こう。父さんたちが残してくれたものが、助けてくれるはずだ」


「納屋? まさか、自動車でもあるの?」


「そんな感じですね。アデーレ、ミアさんを頼む! 僕は用意をしてくる」


「ミアさん、こっちに! 薬はちゃんと持ちました?」


「はいはい、持ってます。今行きますからね……」


 メリナを連れて納屋の扉の前に立ったカリウスは、鎖でがんじがらめになっていたかんぬきの錠前を外すと、メリナと二人がかりで扉を引いた。


「ちょっとこれ、何よ! 重すぎない?!」


「いつもこんなかんじなんで、頑張ってください!」


メリナは息を切らしながら、納屋の重厚な扉をカリウスと共に引き開けにかかった。しかし、ただの納屋の扉にしては妙に重々しい。


< ガコン……! >


 午後の陽光が一気に納屋の内部を照らし出した。埃っぽい空気が数条の陽の光に透かされて金色に輝き、納屋の空間全体が柔らかく浮かび上がる。


「ちょっと、これって……!」


 メリナの声が、驚愕に震えた。


 彼女は思わず一歩後ずさり、柔らかい金色の光の中に鎮座する巨大な影を見上げた。その瞳には驚きと、わずかな畏怖が混じっている。


 埃の粒子が舞う薄闇の中で、そこにいたのはただの機械ではなかった。

 戦車だった。しかも、ただの戦車ではない。


 大きい。いや、大きすぎる。

 メリナがこれまで見てきた戦車はせいぜい2人乗り。自動車の延長線上にある。

 だが眼の前にあるものはちがう。戦車というより、もはや家といったほうが良い。

 4人、いや、5人は優に乗れる。こんな巨大な物は見たことがなかった。


 砲塔に搭載された大砲もこれまで見たことがないほど大きい。


 戦車に乗っている大砲は、せいぜい30ミリから40ミリというのが彼女の常識だった。しかし眼の前の戦車の主砲はその倍近くある。去年、ベリエ王国のパレードで見た90ミリ野砲と同じものだろう。


 汗で濡れた前髪が額に張り付いているのに気づきもせず、彼女の視線は戦車に釘付けになっていた。これなら、きっと――そんな思いを抱いた彼女の背後で、誇りと決意を宿らせたカリウスの声が、静かに響いた。


「僕の父がスタインドルフ将軍のためにただ一両だけ製造した戦車。

 ――ティーゲル号です」








ここまでお読みいただきありがとうございます。


ですが……無理強いはできませんが

ぜひ、1部の最後までお読みいただけると幸いです。

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