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もはやこれまで

 ジークフリート隊は塹壕線へ向けて後退していた。


 ティーゲルの車内には、装薬が放ったエーテルの甘い香りが微かに漂う。

 戦闘の余熱をまだ残すかのように。


 アデーレは無線で各小隊の被害と弾薬の消耗を確認していた。

 無線機に耳を寄せながら、彼女は胸の奥のざらつきを振り払えずにいた。


 人的被害はほぼなし。

 第二小隊に負傷者が三名――それだけで済んだのは奇跡に近い。

 だが、勝利の手応えは薄かった。


 勝ったというのに、彼女の心は刃物のように張り詰めている。


 帝国軍がこんな簡単に止まるはずがない。

 静けさが逆に不気味だった。


 ティーゲルのハッチから頭を出して運転していたカリウスは、ハッチの縁に振り返って後ろのアデーレを見た。


 兄の視界の端に見える彼女は、それに気づくと首元のマイクに手を伸ばした。


「マムート重戦車3台に歩兵一個小隊の撃破は悪くない戦果だ」


「はい。ただ――遅滞戦闘としての目標は達成できませんでした」


「完全には、だろ? 失敗じゃない」


「……そうですね」


 今回の戦いは、遅滞(ちたい)戦闘。

 つまり足止め。


 アルデナの森の狭隘部(きょうあいぶ)

 チョークポイントを封鎖して、足止めするのが目的だった。


 最初こそガストンの発破によって通路ごとマムート重戦車を埋めることができたが、帝国の工兵隊によって、戦車もろとも岩は吹き飛ばされてしまった。


 国境までの通路は開いたまま。

 追撃がくるのも時間の問題だった。


「戦力を温存できたのは大きいですが……あまり多くの時間は稼げていません」


「アデーレとしては、今後の帝国軍の動きをどう読む?」


「帝国軍の主眼は、速攻です。

マムート3両を失ったとは言え、重戦車小隊をひとつ失った程度では――」


「止まらない?」


「はい。即座に追撃部隊を投入してくるでしょう。

恐らく、軽戦車や機動歩兵を先鋒に、残りの重戦車群を後続させる形で」


「だろうな。ティーゲル号がいくら強くても、たった1両しかない。

機動力で側面を取られれば、料理のしようはいくらでもある」


「アルデナの森を抜けた先、国境線までの平野部は彼らにとって理想的な地帯です。私たちの遅滞が効かなかった分、そこで巻き返しを狙うでしょう」


「もはやこれまで……か?」


「兄さんとマクシムスさん、アルマさんが頼りです」


「僕たちが?」


「えぇ。戦力としては規格外ですから。私、実はあんまり心配してないんです」


「……そうだな。彼らに相談してみよう」


 ハッチから一瞬身を乗り出し、カリウスは腕を振る。それに気づいたエルダーリッチは、法衣の裾をひるがえしてハッチと主砲の間に立った。


「何用でしょう。我が主?」


「マクシムス。お前の目から見て、遅滞戦闘の効果はどう評価できる?」


 眼窩の青い炎を細めたマクシムスは、考えるような素振りて骨の指を顎にやった。

 しばし沈黙したのち、低く響く声で答える。


「結論から申せば――二つに割れましょう」


 アデーレがわずかに眉を上げる。

 マクシムスは続けた。


「まず、損害。これは上の上。

重戦車三両を屠り、歩兵小隊を潰走させながら、こちらの損害は軽微。

凱旋式を要求してもよいほどの成果といえますな」


そこで一拍置き、青い炎が細く揺れた。


「しかし――遅滞の効果は下。

敵の進撃速度を決定的に削ぐには至らず、戦略的には不十分。

だが、取り返しのつかぬ失敗ではない」


骨の指が空を指し示す。


「遅滞戦闘とは、敵の勢いを削ぎ、味方の布陣を整えるための時間を買う戦い。

その本質は、敵に『思い通りには進めぬ』と悟らせることにあります。

今回、敵は重戦車三両を失った。

これは、彼らの指揮官に必ず警戒を植え付けましょう」


 アデーレが小さく息を呑む。


「つまり……兄さんと同じく、完全に失敗ではない、と?」


「いえ、成功です」


 マクシムスは胸に手を当て、古代の軍人らしい厳粛な所作で言った。


「敵は痛手を負い、こちらは戦力を温存した。

遅滞としての量は不足したが、質は十分に残っております。

次の戦場で、我らはまだ主導権を奪い返せる立場にある」


 青い炎が、確信を宿したように揺れた。


「ゆえに――これは敗北ではない。次で決めればよいのです」


「……ありがとう。それで、そろそろ《《あれ》》についても聞いていいか」


「あの戦場で(まみ)えし、蒼き炎をまとったナイトメアですな?」


「うん。僕と同じ、魔王の末裔と呼ばれるナイトメアがなぜ帝国軍にいて、

戦車の砲弾を跳ね返すほどの力を持っていたのか。

あの戦いに即座に乱入した君たちは、《《あれ》》を知っているんだろう?」


 マクシムスは、胸に当てていた手をゆっくりと下ろした。

 青い炎が、過去を思い返すように揺らめく。


「……《《あれ》》は、今から千年前。

ヨーロッパの諸侯が“聖戦”と称して集った、永遠の都ロムルスの戦いで初めて姿を現しました」


 アデーレが息を呑む。カリウスも思わず身を乗り出した。


「ロムルス……聖王が開いたという、聖都でもあったその場所で何が起きた?」


「えぇ。我が主。あの戦場で、我らは見たのです。

蒼き炎をまとい、天より降り立つかのような存在を」


 マクシムスの声は、いつになく低く、重かった。


「当時、諸侯はそれを神話になぞらえ『セラフィム』と呼びました。

神の軍勢が遣わした天使だと信じた者も多かった」


「……でも、神話のセラフィムとは違う、と?」


「左様。まったく異なります」


 マクシムスは断言した。

 骨の指が、まるで見えない何かを掴むように宙をなぞる。


「《《あれ》》は、造られたもの。

神の奇跡ではなく――造命の技術によって生み出された〝人工天使〟です」


 ティーゲルのエンジン音が、急に遠くなったように感じられた。


「造命……? そんな……」


 カリウスの喉がひきつる。

 マクシムスは静かに頷いた。


「我らが御主、魔王の血脈が〝呪い〟と呼ばれた時代。

その裏で、人の手で〝天使〟を造ろうとした者たちがいたのです。

彼らは魂の器を作り、戦場に投じた。

その最初の成功例こそ――《《あれ》》なのです」


 アデーレが震える声で問う。


「じゃあ……あの蒼い炎は……」


「いっつぃまえば、拘束具のようなものですな。魂を固定するための。

あれがある限り、あの存在は死を拒み続ける。

肉体が砕けようと、魂が燃え尽きるまで戦い続ける」


 カリウスの背筋に、冷たいものが走った。


「……そんな化け物が……帝国軍に?」


「そして――」


 マクシムスの青い炎が、ひどく細く揺れた。


「《《あれ》》は、あなた方、魔王の末裔と同じ系譜から生まれたものです」


「……同じ……?」


「えぇ。我が主。あなたの力の源と、《《あれ》》の魂の構造は――同じなのです」

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