断章 ベリエ首都 ゼレガルド
王城円卓会議室
夜。
王都ゼレガルドの王城は、どこか張り詰めた静寂に包まれていた。
厚い石壁に囲まれた円卓の間。
天井のシャンデリアは煌々と灯っているのに、光は冷たく、影ばかりが濃い。
ケルダン王は、白髪混じりの髪と深い皺を刻んだ顔で地図を睨んでいた。
五十代半ばの壮年。
かつて戦場に立った武人らしく、肩幅は広く、背筋は真っ直ぐ。
しかし、その瞳には怒りよりも、国を守れないかもしれない恐怖が滲んでいた。
王は、鈍く光る重い王冠を押さえながら、
地図を横断するように広がる赤い矢印を睨みつけていた。
南方から伸びる矢印は帝国の進路を示している。
尖った先端、その先がめざしているのは、連盟の国境だ。
王の隣に立ち、地図の上の模型を動かすのは半人半馬のセントール――
ベアトリス・ド・ラ・ロシュフォール大佐。
黒鹿毛の馬体は軍馬より一回り大きく、立つだけで壁のような存在感を放つ。栗色の髪を三つ編みにした上半身はしなやかで、琥珀色の瞳は力強い意志を感じさせた。
肩の前に掲げられた盾形の記章は、古い紋章が刻まれた金属製のもの。
千年続くフランク騎士の誇りが宿る伝統的なものだ。
近代的な軍服の上に中世の騎士の意匠が重なり、彼らの生き様が、今も確かに息づいていることを見るものに感じさせた。
彼女の隷下には、国境に控える 連盟の一個旅団 が待機している。
だが、その旅団は“援軍”ではなく、「状況次第で動く傍観者」にすぎなかった。
円卓の反対側には、ベリエの将官の一人――ローデリヒ将軍が座っている。
整った軍服には皺ひとつなく、髪は短く刈り込まれ、姿勢も完璧。
だが、その清潔さとは裏腹に、目の奥には濁った影が沈んでいた。
そして、彼らの前で薄い笑みを浮かべているのが、大西洋連盟の外交官――
アラン・ド・ヴァロワだった。
アランは、大根のように細長い体を濃紺の礼服に包み、銀に近い金髪を一本も乱さずに立っていた。
灰色の瞳はガラス玉のように感情の深みがなく、白手袋の指先まで計算された動きは、まるで人間の形をした冷徹な機構のようだった。
「――ですから陛下。連盟としても、援軍を送る意思はございます。ただし、条件がございます」
外交官は、まるで高級ワインの値段を告げるような口調で続けた。
「莫大なエーテル資源を抱えるベリエ南部州を、連盟の共同統治領とすること。
――そして、王家が連盟の協力に対し、誠意を明確に示すことです」
ケルダン王の白髪交じりの眉がぴくりと動いた。
「誠意……? 具体的には何を求める」
「簡単なことです。陛下が前線に立ち、兵を鼓舞し、その身をもってベリエの覚悟を示すのです。もし戦死なされば――それはそれで、連盟としては大変〝同情的〟な立場を取れますので」
会議室の空気が凍りついた。
と、同時にベアトリス大佐の蹄が、石床を鋭く叩いた。
「アラン殿。それは……王に死ねと言っているのと同じですぞ!」
「言葉が過ぎますよ大佐。我々はあくまで政治的現実を申し上げているだけです」
外交官は涼しい顔で続けた。
「帝国は強大です。ベリエ単独では、あと数日も持たないでしょう。連盟が動くには、相応の『見返り』が必要なのです」
ベアトリスは歯を食いしばった。
彼女の背後に控える一個旅団は、援軍ではない。
ベリエが出せるもの全てを引き出すために陳列された『商品』だ。
一族の誇りに値札を貼られ、ショーウィンドウに並べられているようなものだ。
屈辱が、胸の奥でじりじりと焼けつく。
彼女の蹄に力が入る――怒りではない。
誇りを売り物にされた恥辱に、身体が耐えかねていた。
そのとき、ローデリヒ将軍が静かに口を開いた。
「……陛下。連盟の提案は、決して悪いものではありません。南部州は、もともと帝国との係争地。連盟の共同統治となれば、むしろ安定する可能性も」
ケルダン王は将軍を睨んだ。
「ローデリヒ……貴様、まさか――」
将軍は目を伏せた。
「陛下。民あっての王。王家の犠牲が、国家を、民を救うのであれば……」
将軍は沈痛極まるといった風に言葉を吐く。
しかし、アランの口元がわずかに歪んだのをみて、ベアトリスは気づいた。
(なんと卑劣な。将軍はすでに連盟に取り込まれているか)
ローデリヒ将軍はすでに連盟側に立っている。
水面下での根回しは、とうに終わっていたのだ。
「大佐。南部の戦況はどうですか?」
「……危機的です。ジークフリート隊が敗れれば、帝国軍はそのまま連盟へ雪崩れ込みましょう。そうなれば、我々も救援の機会を失います。永遠に」
ベアトリス大佐がそう静かに告げた。
「陛下、基本に立ち返って考えましょう。ベリエと連盟が結んだのは独立保障。軍事同盟を結んでいるわけではありませんので」
独立保障と軍事同盟はその重みがまるで違う。
軍事同盟は「攻撃されたら必ず助ける」という軍事義務を負うものだ。
ベリエが攻められた時は、自動的に参戦する。
一方の独立保障は「あなたの国の独立を尊重しますよ」という政治的約束にすぎない。条約で定められていない限り、実際に攻撃されても、助ける義務はない。
独立を保証した国が侵略にさらされたとしても、軍事的な介入するかどうかはその時の政権、国民感情などの政治判断に大きく左右されてしまう。
つまり、外交官は『我々はあなたを守るとは言ったが、戦うとは一言も言っていない』と言っているのだ。
アランは王の前でわざとらしく肩をすくめる。
彼は実に見事に『連盟の精神』を体現していた。
「前線のジークフリート隊が、『奇跡的な勝利』でも挙げてくれれば話は別ですが……あの戦力差では、まず不可能でしょうな」
ケルダン王は拳を握りしめた。
「……ジークフリート隊が勝てば、どうなる」
「勝てば――連盟は『援軍を送る大義名分』を得ます。ベリエがまだ戦えると証明されれば、我々も動かざるを得ない」
そして、冷たく言い放った。
「しかし、敗れれば――」
コツコツと白手袋の指先が机を叩く。
まるで残りの刻限を刻むように。
「ベリエは地図から消えるでしょうな」
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