共同戦線
指揮所を出たアデーレとカリウスを、冷たい夜風が迎えた。
さっきまでの重苦しい空気が、まだ肌に張り付いている。
「兄さん。さっきの話の続きですが、アルマさんとマクシムスさんが歴史上の彼らと同一人物なら、やっぱり――」
「うん。かつては相当なことをしたらしい。マクシムスは言葉巧みに人々を誘惑してアンデッドに。アルマは契約で罪なき人々の魂を縛り付けて奴隷にしたとか……」
アデーレは息を呑んだ。
「……そんな恐ろしい人たちが、兄さんの味方に?」
「僕も怖いよ。だって――」
カリウスは言いかけて、ふと視線を前方に向けた。
陣地の外、塹壕の前。
集まったフリードリヒ隊の面々を前にして、アルマとマクシムス、二人のアンデットが横並びに座っていた。
彼らの背後には死霊たちがいた。青白い影が地面から生えるように並び、さらにその後ろには、デスナイト二体が無言で直立している。
ごくり、とカリウスがつばを飲み込んだ。
彼の細い喉が上下する。
(な、なんだ……? 何をしてるんだ……?)
恐る恐る近づくと――地獄のような光景が広がっていた。
アルマとマクシムスが、『アンデッド保険加入受付』と書かれた看板の前にちょこんと座っている。
看板には、妙にポップな可愛らしい字体でこう書かれていた。
『死は終わりではありません!!
アンデッドとしての第二の人生をお約束します♪
今なら先着10名様をお望みの上級アンデッドに♡』
しかも看板だけでなく、ちゃんと印刷されたパンフレットまで用意されていた。
パンフの表紙には、にこやかに笑って手を振るレイスのイラスト。
その下には、色のついた文字でこう書かれている。
『身体が無い? 大丈夫!
肉体は貴方を縛る枷でしかありません!
レイスになれば空も飛べる!
しかも食費ゼロ! いいゾ~コレ!』
アルマの死霊たちは、隊員たちの間を周り、パンフレットを配っている。
そしてデスナイトは、巨大な盾を机代わりに、白紙の申込書を積みあげていた。
マクシムスは集合のために通りかかった兵士に片っ端から声をかけている。
さっきの時と違い、その眼窩に灯った炎は山なりの形になっている。
営業スマイルのつもりだろうか。
「そこ行くお兄さん! 今なら『ゾンビ化』と『スケルトン化』が選べるぞい!
初心者にはスケルトンがオススメじゃな。メンテナンスが楽ゆえに」
アルマはアルマで、妙に優しい声で兵士に説明していた。
「大丈夫よ。不安は一時だけだから。レイスになった後のあなたのキャリアプラン、私が全部サポートしてあげるから♪」
が、甘い囁きを聞かされた兵士たちは、青ざめて後ずさりしていた。
「ひ、ひぃぃ……! い、いらないです……!」
「まあまあ、そう言わずに! そこのお主、死ぬ予定ある? ありますよね?」
「ないです!!」
(なにをしとるんだおまえらはぁぁぁぁぁ!!)
心の中で絶叫しながら、カリウスは頭を抱えた。
「兄さん……あれ、何してるんですか?」
「僕が聞きたいよ!!」
アルマがカリウスたちに気づき、手を振った。
「ご主人さまー! アンデッド保険の加入者、今のところゼロです!」
マクシムスも胸に手を当て、恭しく頭を下げる。
「ですがご安心ください、主上よ。引き続き死後のリクルート活動を行って、戦力の増強に務めますゆえ」
「やめんか!! まだ生きてる人間を勧誘するな!!」
◆◆◆
アルマはパンフレットをぱたぱたと扇ぎながら、首をかしげた。
「やっぱりレイスより、眷属を増やしたほうが良かったかしら? ほら、エンプーサみたいな翼のある下級吸血鬼なら、空を飛べて夜戦でも活躍するし」
「いやー、下級吸血鬼を増やすとなると餌代がのう。やはり気骨のあるスケルトンよ。あやつらは食費ゼロじゃ」
「そんなこと言って貴方、従者のくせに契約ひとつも取れてないじゃない」
「だーかーら! ワシは従者じゃないと言っとろうがっ!!」
二人の言い争いは、もはや漫才の域に達していた。
アルマの後ろに控える死霊たちは無表情のまま、なぜか拍手している。
「やめんかお前らぁぁぁ!!」
カリウスがぷりぷり怒りながら二人の間に割って入る。
しかしアルマとマクシムスは、どこ吹く風だ。
「主よ、落ち着いてください。我々はあくまでも、死後の楽しい人生計画を――」
「そんな計画いらん!!」
カリウスがぺしっとパンフレットを払うと、マクシムスが「あふん」と、情けない声を上げた。主従の叫びが塹壕に虚しく響いたその時だった。
アデーレは、一歩、前に出た。
彼女の細い脚が塹壕の砂を噛む。
その小さな足音が、なぜか塹壕全体の空気を変えた。
塹壕の空気が、息を止めたように静まり返る。
狼獣人たちが耳を立て、
人間の兵士たちが背筋を伸ばし、
ドワーフたちが工具を置き、
オークたちが武器を握り直す。
アンデッドたちでさえ、炎の揺らめく眼窩をアデーレへ向けた。
彼女は深く息を吸い、兵士たち一人ひとりの顔を見渡した。
「皆さん。まず……ひとつだけ、伝えなければならないことがあります」
ざわり、と空気が揺れた。
「兄のカリウスは――『魔王』と呼ばれる存在です」
兵士たちの喉が一斉に鳴った。
恐怖、動揺、混乱。
そのすべてが空気に混ざり、重く沈む。
アデーレは続けた。
「でも、兄は……何も変わっていません。不器用で、会話は雑で、デリカシーの欠片もなくって、本当に普段通りの兄です」
妹の想定外の言葉に、「えっ」とカリウスが小さく目を見開いた。
「そして、私と一緒に育った、優しい兄のままです。兄さんはバレない嘘をつけるほど器用じゃありませんし、誰かを傷つけるために力を使う人でもありません。兄は、ベリエを守るために――皆さんを守るために、この力を使います」
カリウスは胸に手を当て、静かにうなずいた。
「……なんか、ひどい言われようだけど……僕は、変わってないよ。アデーレを守りたい。この国を守りたい。それだけなんだ」
その声はしょんぼりと萎れていたが、確かだった。
兵士たちに笑いが広がり、強ばっていた表情が、少しずつ変わり始める。
「皆さんは……ギルベルトさんを見たはずです」
ざわり、と兵士たちの間に小さな波が走る。
「彼はとうの昔に死んでいました。でも、自らの意志で立ち上がったのです」
兵士たちの目が揺れる。
フロレンヌの墳墓で見た神秘的な光景は、誰の目にも焼き付いていた。
「ギルベルトさんは、操られた死体ではありません。誇りある騎士として、もう一度ベリエを守りたいと願ったからこそ、死の安楽を捨て、戻ってきたのです」
アデーレは胸に手を当てた。
「兄は死者を弄んだりはしません。死を拒んだ者たちが、自らの意志で立つ事を助けるだけです。皆さんが望まないなら、その遺体に触れることは、絶対にありません」
兵士たちの胸に、恐怖とは違う熱が灯り始める。
「兄の力は、皆さんの死を減らすためにあります。アンデッドが前に立つことで、生き残れる。誰かがあなたを待っている場所に帰れる。兄は、皆を家に帰すために、魔王と呼ばれる力を使うのです」
兵士たちの表情が変わる。
恐怖が、理解へ。
理解が、信頼へ。
「帝国は、私たちの家を焼き、私たちの家族を奪い、私たちの未来を踏みにじろうとしています」
もう声は震えていない。
「彼らは『闇』です。私たちの国を悪意で覆い尽くし、滅ぼそうとしている。私たちの命を奪おうとしている。私たちの誇りを踏みにじろうとしている」
兵士たちの胸に、熱いものが灯り始めた。
「でも――私たちは違う。私たちは『光』です。故郷を勇気で照らし、奪うためではなく、守るために剣を取る。それが、ベリエの兵士です」
兵士たちの呼吸が揃い始める。
「兄の力が『魔王』と呼ばれようと関係ありません。その力は、私たちのためにある。皆さんのためにある。この国を守るためにある!」
アデーレは胸に手を当てた。
「私は、兄を信じています。だから皆さんにも、信じてほしい。私たちは正しい側にいます。この国を守るために、ここに立っているのです!」
その瞬間、兵士たちの胸にわだかまりのように残っていた最後の恐怖が、ゆっくりと、しかし確実に溶けていった。
『魔王』という言葉が、『絶対の切り札』へと変わっていく。
傷つき、震えていた身体が、少しずつ力を取り戻していく。
胸の奥に、熱いものが湧き上がってくる。
(……そうだ。俺たちは、正しい側にいる)
(この人についていけば、大丈夫だ)
(もしかしたら、本当に家に帰れるかも知れない)
そんな確信が、兵士たちの心に広がっていった。
◆◆◆
その様子を、アルマとマクシムスは少し離れた場所から眺めていた。
アルマは、どこか懐かしむように微笑んだ。
「……人間っていいわね。すぐに心がひとつになる。ちょっと妬けちゃうかも」
「昔も、こんな光景を何度も見たのう」
マクシムスは腕を組み、炎の眼窩を細めた。
「士気とは、軍勢に流れる第二の血よ。武具は鍛えられようとも、心は折れる。
あれほどの言葉で心を束ねられる者は、千年前でも稀じゃった」
「そういえば、従者って死ぬほど演説下手だったわよね」
「従者ではなーい! 演説が下手だったのは認めるがの!」
「うんうん」
「そも、戦の極意は、謀を持って兵を動かすにあらず。兵の『心』を動かすことにある。ワシはそれが不得手ゆえ、将の将を務めるしかなかった」
アルマはくすりと笑った。
「ねぇマクシムス。あの子、きっと、とびきりの英雄になるわよ」
「うむ。英雄とは、剣を振るう者ではない。人の心に火を灯す者をそう呼ぶ。あの娘は……まさしくその器よ。」
「御主は『力』を持ち、あの娘は『心』を持つ。力と心が揃えば、訳ないわね」
死を拒んだ二人は、遠い昔、自分たちがそうした理由を思い出すように、静かに兵士たちの高揚を見守っていた。
◆◆◆
アデーレは最後に、力強く言い放った。
「これより、帝国軍の進撃を止めます! ジークフリート隊と魔王軍――
共に、ベリエを守りましょう!」
闇の帳にいくつもの声が上がる。
兵士たちの胸に灯ったのは、恐怖ではなく、確かな勇気だった。
カリウスはその背中を見つめ、小さく息をついた。
(おかしいなぁ、先に守るって言ったのは僕だったはずなんだけど。でも――)
悪くない。
闇の中で〝魔王〟と呼ばれたその時とはまるで違う感情。
自分はこれが好きだ。
これがもっと続けばいいのに。
カリウスはそう思った。
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