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魔王と共に

 カリウスとアデーレが陣地に足を踏み入れた瞬間、空気がひやりと冷えた。


 フロレンヌから避難してきた負傷者たちが、焚き火の明かりの中でうずくまっている。その視線が、2人に吸い寄せられるように集まった。


 アルマたちアンデッドたちは廃墟の中に留め置かれている。

 だが、カリウスを取り囲む死臭は隠しようがなかった。


 彼の放つ気配は、これから訪れるであろう避けられない死を想像させる。

 それが得も言われぬ恐怖となって、兵士たちの背筋を凍らせた。


 小隊の面々は、不安そうな面持ちでカリウスを見ている。


 あの豪胆を形にしたような『鬼鉄のクラッド』でさえ、口を開くことができない。ただじっと、肩に掛けた自動砲を抱くようにしていた。


 アデーレは、そんな視線を背に受けながら、指揮所へと歩みを進めた。


「兄さん、中央指揮所へ。伝えたいことがあります」


「わかった」


 コンクリートの壁に囲まれた指揮所は、外の冷気とは別の意味で冷たかった。


 マルクがその太い腕を組み、壁にもたれている。

 その横には、頬に大きなアザを作ったヴィクトールが座っていた。


 アデーレが入ってくると、ヴィクトールは一瞬だけ目を逸らした。


「……中隊長。あのことについての説明を」


 アデーレの声は静かだった。 

 怒りも、非難もない。ただ、事実の説明を求める声だ。


 何も答えない中隊長の代わりに、マルクが口を開いた。


「中隊長殿は……アデーレさんとカリウスさんを見捨てて撤退しようとしただす。

しかも、それを『英雄的な死』に仕立てあげようとしたんだす」


 ヴィクトールの肩が震えた。


「違う……違うんだ……! 俺は……俺は、部隊を守るために……!」


 その言葉を遮ったのは、カリウスだった。


 怒りはなかった。


 ただ、淡々と、以前ヴィクトールが自分に言った言葉を繰り返す。


「〝たとえそれが作り物の希望で、嘘に塗り固められた英雄でも、少しでも多くの命が残るなら……俺は、それをやる〟」


 ヴィクトールの顔から血の気が引いた。


「やめろ……やめてくれ……それを言うな……!」


 カリウスは続けた。


「〝ただ、見ていてくれ。この戦争には本当に『嘘』しかなかったのか〟」


 ヴィクトールは椅子の上で崩れ落ちるようにうなだれた。その姿は、軍人でも指揮官でもなく、ただ自分の言葉に押し潰された一人の男だった。


 カリウスは、床に顔を向けるヴィクトールを見下ろした。


「ヴィクトール中隊長。俺に指示を出せますか? 戦って、そして死ねと」


 ヴィクトールは答えられなかった。

 喉が震え、声が出ない。


「……やはり無理のようだ」


 カリウスは静かに告げた。


「ヴィクトール中隊長。どうやら貴方は深刻な体調不良にあるようだ。指揮能力に問題があると判断せざるをえない」


「……っ!」


「軍規、指揮権の継承に基づき、中隊の指揮は序列2位――すなわち、第一小隊隊長のアデーレが引き継ぐ」


 息を引き絞るアデーレ。彼女の胸がわずかに上下した。

 だが、表情は崩さなかった。


 カリウスは淡々と続ける。


「あなたには首都への報告と、後方との連絡業務を担当してもらう」


 それは処罰ではなかった。

 だが、ヴィクトールにとっては処刑よりも重い宣告だった。

 彼の中で、何かが静かに折れた。


 アデーレが一歩前に出た。


「……中隊長殿」


 彼女の声をかけられても、ヴィクトールは顔を上げられない。

 まるで母親の叱責を待ち受ける子供のようだ。


「私はあなたを恨みません。でも、あなたの命令では動けません」


 その言葉は、刃よりも鋭く、しかし涙よりも優しかった。


 ヴィクトールは顔を覆い、何も言えなかった。

 その沈黙の中で、アデーレはジークフリート隊の新たな指揮官となった。



◆◆◆



「マルクさん。指揮所の外に皆を集めてください。私たち中隊と、兄さんの身に何が起きているのかを説明しますから」


「了解だす!」


 マルクは弾丸のように外へ飛び出していった。


 彼が陣地を回る間、アデーレは兄に包み隠さず、すべての状況を手早く説明しようとした。彼女はメガネを外し、ふぅ、と息をついた。


「兄さん。さっきも見たと思いますが、兵たちが動揺しているんです」


「それは戦況が原因かい?」


「はい。私たちジークフリート隊は、実質2個小隊でベリエ南方より進出した帝国の一個軍団を相手する必要があります」


「滅茶苦茶じゃないか。一体何があったんだ?」


「本日早朝、ベリエの南部国境を帝国が越えました。彼らの目的は首都に集結した兵力を避け、機動戦を持って連盟の要塞地帯の後背をつくことです」


「理解したよ。連盟が援軍として参加する前にカタをつける気か」


「はい。帝国がこのまま連盟の後ろを取れば、ベリエはその価値を失い、消えます」


「……アデーレは魔王のことを知ってるよね」


 妹は一瞬だけ、兄に向けた眼差しを伏せた。


 なぜ兄はこんな時に、誰もが知っているおとぎ話のことを聞こうとするのか。


 彼女には兄の真意が分かっていた。

 荒唐無稽にしか思えない真実とともに。


「……はい。学校で習った……いえ、誰もが知っている内容です。魔王と、魔族の――兄さんたち、ナイトメアのこと」


「うん」


 アデーレは深く息を吸い、言葉を選ぶように続けた。


「数千年前、ヨーロッパを滅ぼしかけた『魔王』という存在がいました。そして、その魔王に従ったのが――角を持つ人々、ナイトメアと呼ばれる魔族」


「ナイトメアは、魔王の手先となってヨーロッパを蹂躙したと伝えられています。

そのせいで、彼らは今でも迫害されている。煤人と呼ばれ、エーテルを採掘する重労働に押し込められて――」


 アデーレの声には、怒りとも悲しみともつかない色が混ざっていた。


「彼らは国家を持てず、部族の文様を刻んだキルトで身を包み、自分たちの歴史を守るしかなかった……そんな人たちです」


 そこで彼女は黙した。その沈黙は、重く、深く、どこか痛々しかった。

 ひとつの大きな呼吸の後、アデーレは神話のその先を続ける。


「そして、魔王を倒したのが『聖王』です。どこからともなく現れて、天使い――セラフィムと呼ばれる人々を率いて、魔王を討ち、ヨーロッパを救ったとされています。純粋なエーテルを武器にして、光そのものを操るように戦った……と」


 聖王。


 その言葉が耳に入ると、カリウスの奥で、何かがざわりと揺れた。

 ――目の前に立ちはだかる影。

 ――誰かの叫び。

 ――光と闇がぶつかり合う音。


 カリウスは頭を押さえた。

 痛みではない。

 思い出しそうで思い出せない何かが、その奥で蠢いていた。


「……兄さん?」


「アデーレ。君が見た吸血鬼とリッチは、僕のことを『魔王』と言っていた」


「――ッ!」


 慄然とする彼女を前に、カリウスはゆっくりと目を閉じた。


「魔王は歴史上、二度現れている。最初は聖暦の始まり。そして千年後、1080年の〝永遠の都ロムルス〟奪還戦争で。魔王の出現がおよそ千年周期だと仮定すれば、1936年の現代に魔王が現れても不思議じゃない」


「聖地『永遠の都ロムルス』奪還の戦い……たしか当時の教皇が聖戦を呼びかけて、ヨーロッパの諸侯が大陸南部を侵略した戦争ですね」


「うん。記録によれば、かなり大規模な死霊術が使われたらしい。アルマとマクシムスが当事者なら、歴史とも符合する。」


「あのお二人はどういう方なんです?」


「アルマ・ウァルプルギスは『獣の魔女』にして始祖吸血鬼。マクシムスは第二共和制時代の独裁官、マクシムス・アフリカヌス。おそらく……どちらも本物だ。彼らは千年前の僕と臣従の誓いをしたらしい」


 アデーレは息を呑んだ。


「……そんな方々が何故、兄さんを?」


「わからない。彼らは僕のことを知っている。でも僕は――本当に覚えてないんだ」


「彼らのことを、今の兄さんはどう感じているんです?」


「……なんとも言えない。でも、怖いとは感じない。それに、むやみに人を傷つけるような邪悪な存在にも見えない」


「じゃあやっぱり、フロレンヌの人たちをアンデッドにしたのは――」


「うん。間違いなくあれは僕がやった。僕の力がエーテル災害を引き起こして……。むしろ彼らは、僕を助けてくれたんだ」


「……」


 カリウスは静かに自身の襟元に手をやった。

 まるで首にかかった縄を緩めるように。


 そして、ぽつりと呟いた。


「……アデーレ。もし僕が本当に『魔王』だったのなら――

その力を、どう使うべきだと思う?」


 アデーレの心臓がどきりと跳ねた。


 兄が〝魔王としての自分〟を、戦争のための部品として使うよう口にした。


 その瞬間、彼女の胸の奥で、少女の声が「やめて」と泣き叫んだ。

 だが、将軍の娘としての声が「やれ」とそれを押し潰した。


「……私は――」


 アデーレは、震える声を押し殺して答えた。


「ジークフリート隊の兵員不足は致命的なレベルです。

しかし、アンデッドが加わるなら正面戦闘力の不足を補えます。

問題は支援火力の不足ですが、こちらもティーゲルと兄さんの力で補える。

そうして十数時間持ちこたえれば、連盟は動く。」


「うん。」


「兄さんのその『力』は――」


 妹はその先を言い淀む。


 どうか、帰ってきてほしい。

 そう待ち望んで、本当に、いつものように、帰ってきてくれた兄。


 なのに、兄を生贄に差し出すようなことを、自らの口で言っている――


 その事実が、その冷たさが、アデーレの胸の奥に暗い影を落とした。


「……兄さんの『魔法』の力は、帝国の前進に呼応して阻止砲撃として使います。私たちが十数時間持ちこたえれば、連盟はこの戦いに〝参加してもよい〟と判断します。そのためには……兄さんの力が必要です」


 胸の奥で、小さな自分が静かに目を閉じた。


 彼女は兄を守りたいと望む、一人の少女を再び殺した。

 妹の口から出てくるのは、将軍の娘としての決断だった。


 カリウスはアデーレの揺らぎを感じ取り、胸の奥が痛むのを覚えた。


「うん。それでいいとおもう」


「………はい。」


「僕が本当に魔王なら、帝国との戦いに役立つはずだ。なんていったって、僕はヨーロッパ全域を手中にしていたんだから。帝国なんて半人前にすぎない」


(僕は、世界を支配して……そして、焼いた?)


 記憶は霧の中にいて、輪郭がはっきりしない。

 ただ、彼の胸の奥が「お前は知っているよ」と囁いてきた。


 アデーレは兄の手をそっと握った。


「兄さん。私は……兄さんが何者でも、兄さんを信じます。でも……兵たちには説明が必要です。兄さんが書物に書かれたような魔王の再来ではないと……私たちを守ってくれる、私の兄さんだと、証明しなければならないんです」


 カリウスは目を開けた。

 その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。


「……心配ないよ。アデーレ、僕は君のために戦う」


 その言葉は、魔王ではなく、

 いつもの兄の声だった。




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