二人の王
1996年、4月中旬。
ベリエ王国に進攻したゲルマニア帝国の動きに大きな変化があった。
連盟からの援軍を遮断する役目を担い、快進撃を続ける北方軍集団。
それが突然、動きを止めた。
新たに南方軍集団がベリエの南方、「アルデナの森」を突破。
守る者の居ないフロレンヌ地方を蹂躙し、西へ向かって前進を始めた。
「アルデナの森」は砂岩からなる小高い丘陵が続き、盆地には湿地が広がる。
森の木々が深く根を張るこの森は、大規模な軍事行動が不可能とされていた。
しかし、帝国は技術革新によりこの常識を更新した。
機械化歩兵――パワーアーマーを主軸とした部隊が森を突破。
南部に橋頭堡をつくる。
北側に注意を向けていたベリエは、その柔らかい下腹を破かれた。
南方軍集団は、そのままベリエを打通し、連盟の国境を目指す。
帝国軍の前線が国境に達すれば、連盟はベリエに援助を行う理由がなくなる。
ベリエの命運は完全に尽きるだろう。
王国に残されたのは、静かに滅びゆく時間だけだった。
◆◆◆
夕日が赤い光を大地に投げかける。
それは世界の端々までが燃えているような色彩を草原に与え、輝かせていた。
燃え落ちたフロレンヌを見下ろす丘に木の標識がいくつも並んでいる。
墓標だ。
ジークフリート隊の隊員は、帝国の襲撃で亡くなった人たちを葬っていた。
といっても、そのほとんどは空だ。
フロレンヌの街は重火器によって酷く破壊されて激しく燃え盛った。
人の体も例外ではない。
形を残した遺骸は、全くと言ってよいほど見当たらない。
そんな有り様だった。
どすん、とオークの隊員の手によって、また一本、白木の棒が丘に刺される。
丘の上に立てられた標木は、証だ。
私たちの人生の中に、確かに彼らが居た。
その記憶を埋めるかのように空っぽの穴が掘られ、土がかけられた。
突き刺された白木の棒は、それが逃げないように――
縫い留めるために力強く杭打たれるのだ。
フロレンヌの虐殺による被害の全容はまるで掴めなかった。
家族全員が焼け焦げた町の中に埋もれている家庭も少なくない。
だが、彼らにとっての戦争は終わった。
それは事実だ。
今あの時、全てを奪われたものは、まだ幸いだったのでは?
そんな予感が、墓の前に膝をつく人々の心に静かな影を落としていた。
「……ガルム、ちょっといい?」
「どうした?」
「アデーレちゃんに……なんて話しかければいいかな」
「…………そうよなぁ。俺も参ってる」
「だよね」
人狼は喉の奥で唸る。彼はこれまで、何度も死線を生き延びてきたが、今回ほど後味の悪いものは初めてだった。
メリナとガルムが丘の上から眼下の街――フロレンヌの廃墟を見下ろす。
そこには、暗い霧に包まれたフロレンヌの街があった。
「あの中がどうなってんのか、さっぱりだ」
「レオンたちが捜索隊を編成して、中を調べに行ったでしょ。結果はどうなの?」
「中に入ることすら出来なかったらしい。近づくことさえ危険だそうだ」
「…………やっぱり、ただの霧じゃないの?」
「あれに近づくと、エーテルを使ったライトはまるで役に立たなくなる。足元まで真っ暗になって、天地もわからなくなるらしい。二次遭難の可能性が高すぎて、とても生存者を探したり、遺体を回収したりなんてできなかったそうだ」
墓が空っぽな理由はもう一つあった。
フロレンヌを飲み込む闇に阻まれ、回収に行けなかったのだ。
ガルムの眼下で、黒い霧が音もなく渦を巻いている。
霧の下に何があるのか、あまりにも闇が深くて明瞭にならない。
生暖かい風に吹かれ、草がひそひそと身を寄せる。
あそこには、ただ闇があるだけのこと。
それの他には何の秘密もありはしないのに、とでもいうように。
「じゃあ……」
「あぁ。あれもエーテル災害の一種らしい」
人狼は、はぁ、と重い息を吐いて腰を折った。
いつも大きなガルムの身体が、今日はひどく小さく見える。
「山ほどのエーテル缶を持ってくるか、ティーゲルの主砲をぶっ放すか。どっちも難しいな。正規軍のケチがこんなところにエーテル缶を割り当ててくれるはずがないし、ティーゲルを使うにはカリウスが必要だ」
そう言ってガルムは、尖った耳の間の平たい頭を掻いた。
「……?」
メリナは空を見上げ、赤い空に白い点が浮いていることに気がついた。
「ねぇ、あれ」
彼女が声を上げると、一度は腰を降ろしたガルムが立ち上がり、目を細める。
「ペガサスだな。何でこんなところに……首都からの伝令か?」
人狼は首から下げた双眼鏡を縦にして覗く。
レンズに映るのは、翼の生えた白馬にまたがった女性。
その姿は、ベルトを通したシャツとワークパンツ、そしてハンチング帽。どう見ても戦場に似つかわしくない格好だ。
「ん、軍人じゃないぞ……平服だ。記者か?」
「そういえば……中隊長、陣地に記者が来るって言ってなかった?」
「間の悪いときに来たもんだな。同情するぜ」
◆◆◆
コンクリート製のトーチカの銃眼から赤い夕日が差し込む中、中央指揮所で会議が始まった。中央に立つのはジークフリート隊を率いる中隊長のヴィクトール。そして各小隊の隊長。すなわち、アデーレ、レオン、ドワーフのガストン、そしてオークのマルク。
中隊長に向かって、疑念のこもった鋭い8つの瞳が突き刺さる光景に、若い記者はメモを持ちながら苦い笑みを浮かべていた。
「えっと……映画の撮影と聞いてたんですけど、それどころじゃ無さそうですね?」
記者に頷くヴィクトール。
マルクに殴られた頬はあざになって腫れたままだ。
「君……記者のなんといったか?」
「アーシェです。」
「アーシェくん、君の書簡は読んだ。君は映画記者から戦場記者になった」
「えっ?!」
「君の書簡によればこうだ。本日早朝より、本地点から30リーグ東、アルデナの森で帝国軍が確認された。国境に橋頭堡を築き、西進中とのことだ」
ガストンが驚いた声を上げる。
「なぬっ! 北だけじゃなくて、南からも来たってことか!?」
「そうだ。そして恐らく、帝国にとってはこちらが本命だ」
マルクはヴィクトールの言葉を噛み砕くことが出来ず、首を傾げた。
「本命って、どういうことだす……?」
「ヴィクトール中隊長、私の考えを述べても?」
「……述べ給え、アデーレ少尉」
「帝国軍がベリエ北部を押さえたのは、戦力を首都に集結させて南を弱体化させるための陽動だったんです。本命はベリエの南から進出して、連盟の要塞線に背後から接触すること。それが彼らの目的だったんです」
「だども、そんなことしたら挟み撃ちになるだす……?」
「ベリエは首都から大兵力を抽出できません。もしそれで首都が陥落すれば、ベリエは消滅。その危機感だけで一発の銃弾も撃たずに釘付けにできます」
「…………。」
「他にも根拠があります。帝国の南方方面軍が連盟の国境に接した時――連盟は、我々ベリエに援軍を送る意味を失います」
「そうならないために援軍を送るわけだからな。手遅れになったら……」
「ぬぅ。ベリエを放ったらかしにして、自分たちの戦争を始めるってことか!」
「……はい。そのとおりです。」
はぁ、と誰ともなく溜息の音がでた。
「以上の理由から、帝国の主攻方向が南方にあると推測できます。これからの十数時間が、ベリエにとって、生か死かを決める時間になるでしょう」
「クソッ、いきなりクライマックスってことかよ!」
レオンが拳をテーブルに叩きつける。
苦みばしった顔で、ガストンが息を漏らした。
「早急に防衛体制を敷く必要があるな。今ある塹壕の拡張、機材の流用である程度はなんとかなるだろうが……武器と兵隊がまるで足らん」
「はい。ジークフリート隊は、編成こそ中隊ですが、数は2個小隊に満たない」
はっきりと、現実を確認するかのようにアデーレがいい切った。
ヴィクトールが憔悴しきった横顔を、トーチカの銃眼から見える赤い空に向けた。
「守るにしても、どうやって兵員を集めるか、それが問題だな……」
◆◆◆
夕日が沈みゆく空の下、フロレンヌの廃墟は闇の渦に飲み込まれようとしていた。黒い霧が音もなくうねり、焼け焦げた大地を覆い尽くす。
そこに、奇妙な二つの影が立っていた。
一つは、間もなく日没になろうというのに、優雅に日傘をさした少女。
時代がかった黒いドレスは、フリルとレースが複雑に絡み合い、まるで古城にかかっているアンティーク絵画から抜け出してきたような装いだ。
彼女の肌は白く、唇には妖しい微笑みが浮かんでいる。
もう一つの影は、長身のシルエット。
金糸によって複雑な文様が描かれた豪奢な装飾が施されたフード付きの法衣を纏っているが、何百年も前の遺物のようにボロボロで、所々が擦り切れ、埃にまみれている。フードの奥からは、白い頭蓋骨が覗き、眼窩に青白い炎が揺らめく。
エルダーリッチ――
または不死者の王と呼ばれる、最上位アンデッドだ。
「うぅむ。この気配、まさに魔王級であるな。いったい何事が起きたというのだ」
エルダーリッチは、目前の闇に骨ばった手をかざした。ばちり、と拒絶するかのように、青い雷光が彼の指先で跳ね、闇の表面を震わせる。
霧はまるで生き物のように反応した。
わずかに後退したかと思うと、再び濃密に迫ってくる。
「なんて濃密な闇。フフ……きっと私に相応しき英雄がいるに違いない」
少女はくすくすと笑みを浮かべ、日傘をくるりと回した。
すると、彼女の周りでうっすらと死霊の影が浮かんだ。しかし、少女を取り囲んだ幽明たる光は、彼女を守護せんとする温かみに満ちていた。
彼女の目は、好奇心と興奮で輝いている。
ふと、何かに気づいたような表情を浮かべ、隣の不死者の王を見上げる。
「大丈夫、この中の者がいかに強大であろうとも、従者としては貴方が先輩」
そう言って、少女は親指を立て、にこりと励ますような笑顔を向けた。
まるで、出来は悪いが人の良い部下を元気づけるかのように。
「ええい、ワシはお主の従者じゃない!」
エルダーリッチは怒りで眼窩の青い炎を激しく灯らせ、骨の指を握りしめた。
法衣の裾が、風もないのにザワザワとはためく。
だが、少女は全く意に介さず、視線をふと横に逸らした。
そこには、帝国のパワーアーマー兵の残骸が転がっていた。
装甲はひしゃげ、内部の機械がむき出しになり、黒焦げの残骸が散乱している。
「……あれはつまらない。私の従者はもっと美しく、力強くないと」
少女は視線を隣のリッチに戻し、日傘の下で楽しそうにフフ、と笑った。
エルダーリッチはため息をつき(息などないはずだが)、顎を鳴らす。
「ふん。こんな児戯、ワシの死霊術の前ではカスの中のカスじゃ。見ておれ、ワシの偉大なる魔力を呼び起こし、この闇を祓ってみせよう」
「へえ、じゃあやってみてよ先輩従者。私の新しい従者のために」
「だからワシは従者じゃ……! ええい、仕方ないのう。見ておれ!」
エルダーリッチは両手を広げ、呪文を唱え始めた。
青い炎が彼の周囲に渦を巻き、地面がわずかに震える。
だが、目前の闇の霧はびくともせず、逆に彼の魔力を跳ね返した。
ばちばちと雷光が連続し、エルダーリッチの法衣に小さな焦げ跡が残る。
「ぬおっ?! こ、こやつめ、ワシの魔力を逆に食らいおった……!」
「フフフ、失敗? やっぱり私の方が上手かも。ほら――」
少女は日傘を杖のように構え、黒いドレスの袖から暗い霧を呼び起こした。
小さな影が触手のように伸び、霧の足元に絡みつく。
が、触手は闇に弾かれて、地面の中で煙のように消えてしまった。
「あら、ダメみたい。……でも、こうも焦らされると楽しくなってきたわ」
「なーにが『楽しくなってきた』じゃ! 小娘、お主も出来とらんじゃないか!」
「小娘じゃなくて、永遠の美少女よ。次は合体呪文を試しましょう。貴方と私の闇の力で、究極の従者を生み出すの!」
「ふむ……下々の望みを聞くのも王たる者の務め。では――」
リッチが闇に向かって片手を突き出し、少女が唱和する。
「「夜闇の王、黄泉の冥主が共に命じる。幽冥の底に沈みし汝、慟哭の淵に喘ぐ魂よ、我ら打ち塡む楔によって汝の枷を解き、共に歩まん――」」
陣となって広がった暗い光が重層し、濃い闇の中に輝く楔が打ち込まれた。
楔は渦を巻く霧を切り裂き、丁度人一人が通れそうな隙間を作り出した。
「フッ、ざっとこんなもんじゃわい!」
「さぁ、行くわよ。我が従者!」
「だーかーらー! ワシは……お前の従者じゃなーい!!」
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