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再臨(1)

 炎に包まれるフロレンヌで、2つのシルエットが炎の中に立ち上がっていた。


 ひとつは白亜の塗装をされた鋼鉄の巨躯。

 もうひとつは、黒の塗装に赤い線が走る、指揮官塗装の巨躯。


 彼らはこの攻撃を指揮する立場にある者たちだった。

 血濡れの街路に白い鋼鉄の脚が沈む。


「今回は大当たりだな。おべっか使い共。たまにマトモな仕事をするから困る」


「ラインハルト閣下、しかし、これは……」


「やりすぎだと? 戦いにやりすぎということはない。」


 白亜の猟犬の鋭い鉤爪が、帝国の紋章が描かれた黒と赤の肩甲を軽く叩く。


「国を治める方法は、二つしかないのだ」


 猟犬をかたどった白いマスクの奥で、低い、抑揚のない声がする。


 フロレンヌの空を炙って彩る炎の揺らめきが、その無機質な仮面をまるで鮮血に染まったかのように真紅に染め上げていた。


「すべてを与えて愛でるか、或いは――全てを滅ぼすか、だ」


 ラインハルトの言葉が、炎に包まれたフロレンヌの空に溶けていった。

 それがまるでこの街に送る最期の遺言だとでも言うように。


 カリウスたちは、完全に村に取り残されていた。


 エマールの時とは違う。あの時は、少なくとも銃があり、戦う手段があった。


 だが今は、ただの撮影用の木銃と、血に染まった救急キットだけ。


 炎の壁が迫り、煙が肺を焼く。


 カリウスの視界はぼやけ、視点が定まっていない。息をつまらせる激しい痛みが何度も波のように襲ってきて、彼は短く気を失っていた。


「くそ……動け、足が……」


「カリウス、黙ってろ。 浅く息をしろ。傷に障るぞ」


 ガルムがカリウスを路地の影に引きずり込み、荒い息を吐いた。


 壁を失い、床だけになった家にカリウスを寝かせた彼は、転がっていたボロ同然の毛布をひったくり、カリウスをくるむ。


 火災の熱で炙られているというのに、彼の体温は危険なほど冷たくなっていた。


「アデーレ、メリナ。お前らはここから逃げろ」


「ちょっと!」


「ガルムさん、何を――」


「俺はカリウスを隠してくる。あとはできるだけお前らが逃げる時間を稼ぐ」


 その横顔には、戦場で幾度も仲間を見送ってきた者だけが持つ、静かな諦念と決意が宿っていた。


 ガルムの言葉にアデーレの顔が青ざめる。

 彼女の瞳は、今にも涙が溢れそうになっていた。


「そんな事できません! 貴方と兄さんを置いてなんて……!」


 メリナもカリウスの血に塗れた手をガルムの手に乗せ、声を震わせた。


「そうだよ、ガルム! みんなで一緒に……」


 だがガルムは首を振り、牙を剥いて説明した。

 声は低く、しかし容赦ない。


「カリウスの背骨が砕けてる。運べば出血が悪化して、死ぬぞ。俺が隠す場所を探す。幸運が味方すりゃ、後で……生きて会えるかも知れねえ」


 二人は言葉を失った。

 アデーレの唇が震え、メリナの目が曇る。


 できることは何も無い。

 その現実の残酷さが、胸を抉るように彼らに突き刺さっていた。



◆◆◆



 一方、ジークフリート隊の面々が残った陣地では、隊員たちがざわついていた。


 フロレンヌの方角から黒煙があがり、空を覆っている。

 何かが起きているのは間違いない。


 第二小隊の面々は帝国兵の鎧を着込んだまま、塹壕の縁に立って不安そうに立ち上る黒煙を眺めていた。


 その動きは僅かで、殆どのものが立ち尽くすか、その場に座り込んでいる。

 鹵獲品の甲冑が、まるで呪いの枷のように彼ら動きを封じているのだ。


 だが、ヴィクトールからベリエの戦闘服に着替えろという命令はない。

 レオンは双眼鏡のレンズで黒煙を見つめながら歯噛みしていた。


 指揮所では、ドワーフの第三小隊が、揃ってヴィクトールに詰め寄っていた。


 髭を震わせ、ハンマーを握りしめたガストンが吠える。


「中隊長! なぜ動かん! あそこはフロレンヌだぞ、味方の街だ!」


 オークの第四小隊も続く。

 巨躯の戦士たちが、逸る息を吐き、すでにできる限りの武装を整えていた。


 オークたちは亀の甲羅を思わせる甲冑に身を包み、手には自動砲を持っている。


 切り詰められた銃口の先には槍、斧が括り付けられ、その刃は、指揮所を薄暗く照らしていた照明の青白いエーテル光を鈍く反射していた。


「戦はまだか! こっちはいつでもいけるぞ!」


「武器は足らんができるだけのことはする。早く命令しろ」


 兵卒のオークに続き、クラッドが中隊長の下知を求める。


 クレーンの事故の時はいたって冷静であった鬼鉄のクラッドまでもが、血気に(はや)って指揮所に詰め寄っていた。


 ――だが、そんな彼らを前にして、ヴィクトールは冷徹に首を振る。

 

 疲れ果てた目蓋(まぶた)に隠された瞳には、どこか暗い光が宿っていた。


「駄目だ。ジークフリート隊は現時間より撤収を開始する!」


「あぁ?! 何をトチ狂ったことを言ってやがる!」


「そうだす! アデーレさんはベリエのために必要だって……!」


「スタインドルフ将軍の娘が、帝国の騙し討ちによって死ぬ。

 ――そのシナリオでも、兵士の士気は上げられる」


「――!」


 中隊長の声音には激情も迷いもなく、ただ“計算”だけがあった。

 マルクの中で何かが切れた。

 震える拳を握りしめて、それをヴィクトールに向かって突き出した。


 どかっ、指揮所の中に鈍い音が響く。


 ヴィクトールは制帽を落としてよろめき、へたりこむように地面に倒れた。


「あんたのことを、少しは信じようと思ったのに……!」


 マルクの声は震え、怒りと失望が混じり合っていた。


 ヴィクトールの頰に、赤い跡が残る。

 しかし、隊員たちの間には、重い沈黙が横たわっていた。



◆◆◆



 フロレンヌの街は静かに、しかし、確かに燃え尽きようとしていた。


 燃え落ちた家々の残骸で覆われた石畳の路地を、赤黒い炎が這うように舐めていく。かつては馬車の車輪が軋み、子供たちの笑い声が響いた細い路地を通るのは、灰の混じった熱い空気だけだ。


 炭化した骨組みだけになった家々の間を、鋼鉄の巨兵たちが、ゆっくりと左右を見回し、儀式めいた歩調で進む。


 彼らの黒光りする装甲板には、血と煤と焦げた肉片がこびりついている。

 フロレンヌの人々の血肉が、黒鉄の威容に新たな筆致を加えていた。


 ドーベルマンを思わせるヘルメットのバイザーが横並びに並ぶ。装甲の表面に炎の色が映り込んで踊る様子は、まるで彼ら自身が火を宿しているかのようだった。


 時折、ガトリングの銃口が左右に向けられ、短く吠える。


 短く、鋭く、しかし無駄のない連射。


 逃げ惑う最後の影が、途中で糸が切れた人形のように倒れる。


 街の中に悲鳴はもうほとんど上がらない。


 炎に喉を焼かれ、肺を焦がされ、最期のひと呼吸すら灼かれ奪われて炭となった者たちが、ただ口を大きく開けて、無音の絶叫を上げるばかりだ。


 痛いほどの沈黙。焦げる木材の香ばしい匂いと、甘さを帯びた肉の臭気が混じり合い、熱風に運ばれてゆく。


 炎に包まれた教会の尖塔が、ゆっくりと傾き、崩れて、落ちた。鐘楼の鐘が一度だけ、鈍く、長い音を響かせる。


 中世の昔から時を告げてきた鐘楼は、最期に街の終わりを知らせた。



◆◆◆



 アデーレたちは意識を失ったカリウスを支えて裏道に逃げ込んでいた。


「ったく、早く逃げろってのに」


「すみません。でも、もう少し……」


「ごめん、押すのを代わって、包帯取ってくる!」


 メリナとアデーレが代わる代わる止血を行う。

 血は止まったが、顔色は蒼白。唇も色を失って真っ青だ。


 脈を取っていたガルムは、舌打ちすると牙を剥いた。


(鼓動が弱まってるな……頼むぜおい!)


 ガルムが街に設置された救急箱から緊急用のエーテル治療薬とアドレナリン注射を使ったが、絶対的に血が足りない。


 カリウスの顔は蒼白く、脂汗が額を伝う。

 彼の乾いた唇が僅かに動き、囁きが漏れた。


「アデーレ……逃げろ。命令だ」


 カリウスの声は弱々しく、しかし決意に満ちていた。ガルムが頷き、カリウスを毛布に包んで廃墟の影に隠す。


 瓦礫を重ね、視界に入らないようにして、その下に、慎重に彼の体を押し込む。


 その時、カリウスが弱々しく胸元に手をやろうとした。


 何をしようとしているのか察したガルムは、彼の手を取って戻してやった。

 カリウスは最期にドッグタグをガルムに託そうとしていた。


「幸運が味方すりゃ、生き残れるかも知れねえ。望みは捨てるなよ」


 カリウスから返事はなかったが、軽く唇が動いた。人狼は、心配するなといって、冷たくなりかけた彼の身体を隠した。


「俺がお前らを連れて脱出する」


「でも……どうやって? トラックはとっくにスクラップに……」


「自分の足で街を出るしか無いな。あの猟犬共に見つからねぇことを祈って……なんて、博打にもならねぇや」


「……それでも、行きましょう」


 アデーレのメガネの奥の瞳には、強い意志が宿っている。ガルムは目を閉じて何かを言おうとしたが「あぁ。」と、ごく短い返事でもってそれに答えた。


 3人は西を目指し、街を走った。時おり、足元の黒い何かが視界に入るが、アデーレは必死にそれに焦点をあわせまいとした。


 肌を灼く熱風が通り抜ける路地の間を這うように進むアデーレだが、たびたび炎の壁が彼女の行く手を遮る。


「こちらは駄目です! 別の道を!」


「あぁ!」


 幸いにも、静けさを取り戻したフロレンヌの中では、機械の音が非常に目立つ。


 パワーアーマーの油圧やガトリングの回転音など、猟犬たちの駆動音を避け、焼け焦げた家々の中を通って先を目指す。


 その時だった。

 ブンッ! と、空気を震わせる音がした。


 空中に青い光が生まれて空間が割れると、その中から黒鉄の重装甲に身を包んだパワーアーマー兵が出てきた。一人、二人、三人。


 鋼の巨躯が二本の鋼鉄の脚で地面を踏みしめる。

 それの足元にあった炭化した瓦礫が粉々に踏み潰された。


 パワーアーマーは足元を確かめるように人々の名残を踏みにじると、巨腕に繋がった重厚な自動砲、その極端に長い銃身がゆっくりと持ち上げた。


 ――小さな、しかしはっきりとした黒い点が、アデーレの視界に向けられる。


「そんな……」


「どうやってベリエの前線をすり抜けてきたのかと思えば、そうやって来たわけか。クソッ……」


 エーテル機関の咆哮が響き、暗赤色のバイザーが三人を捉える。

 低い、唸るようなサーボの駆動音と共に、ゆっくりと武器が構えられる。


 猟犬の殺意が、亡失し、廃墟に立ち尽くす獲物を捉えた。


(……ごめんなさい。兄さん)



 ブォォォォォォオン……!



 それは、地の底から響き、遠く水平線の先までを揺るがすような音だった。


 ――だが、酷く場違いな。

 いや、場も違えば、時も違いすぎた。


『――今のは?』


『角笛……のように聞こえましたが』


『まさか。ヴァイキングがいた、中世の昔でもあるまいし』



 ブォォォォォォオン……!



『まただ。一体……』


『曹長、あれ――』


『な……』


 それはまるで、古い年代記の一頁が炎で現実に焼き付いたようだった。


 フロレンヌを見下ろす丘の稜線に並ぶ影。


 その数、30騎からなる騎兵。

 並び立つその姿は荘厳そのもの。


 彼らは緑がかった光にその身を包み、滑らかな板金からなる甲冑を纏っていた。

 鎖帷子の馬衣を羽織った馬にまたがっているその姿は、物語の挿絵のようだ。


 槍を掲げ、印のついた旗をなびかせているのは、幽霊騎士(ガイストリッター)たちだ。


 豪剣のギルベルトを先頭に、丘に立っているのは古の英雄たち――

 アデーレの祖先、バルバラ・スタインドルフに仕えた騎士たちだった。


 風が巻き起こり、霊馬が嘶く。

 馬の息づかいはなく、ただ静かで圧倒的な存在感が空気を支配する。


 彼らの姿はフロレンヌを焦がす炎の揺らめきに淡く輝いていた。


 先駆けに立つのは、豪剣のギルベルト。

 古の英雄の瞳は、しかと眼下のフロレンヌを睨み据えていた。


「者共、聞け。騎士の誓いによりて、我らが主の敵を我らが敵とする」


 長大な両手剣を抜き放ったギルベルトの声が、低く響く。


 鐙をともにする幽霊騎士たちは身じろぎ一つせず、彼の言葉を待つ。しかし、霊馬たちは昂りを抑え切れないかのように、その前足を鳴らしていた。


「眼前の敵は、おそらく、これまで戦ってきたどの相手よりも手強い。だが――」


 ギルベルトが剣を横に薙ぐと、騎士たちが槍の穂先を捧げる。


「誇り高きベリエの騎士が望み求めるものは――常に! より強く! より獰悪なる戦相手であるべきだ! そして、それを打ち倒すことが我らが誉となる!!!」


 騎行するギルベルトの剣と騎士たちの槍が触れ合い、打ち鳴らされ、鋼の音が丘を震わせた。それを合図に、騎士たちの瞳に揺るぎない戦意が灯った。


「臆するな! スタインドルフの騎士に相応しい堂々たる(いくさ)ぶりを見せよ!」


 叫びが終わるや否や、ギルベルトと騎士たちは拍車で馬の腹を叩き、駆け出した。


 フロレンヌは死にゆく。


 その死にゆく街に、最期の名誉のために死を拒んだ者たちが踏み込んでいった。

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