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開門

 ついに撮影機材、特殊効果、照明、そしてメリナの脚本がそろった。

 ジークフリート隊の面々は、プロパガンダ映画の撮影準備を始めることになった。


 第一小隊の面々、つまりカリウスとアデーレ達は本人役での出演だ。


 第二小隊の面々は帝国兵として出演する。帝国兵の衣装を着込み、準備をする。


 帝国が使うヘルメットは、後ろ首を守る尾が付いている。中世の兵士が使っていたサレットと呼ばれるタイプのヘルメットによく似ている。


 上半身を覆うのもこれまた中世の遺風を感じるゴシック様式の甲冑だ。可動部を単純なリベットから、近代的なジョイントやベアリング入りのスライドを採用していると言う違いはあれど、根本的な構造は変わっていない。


 これらの装甲はけっして虚仮威しではない。実際にベリエや他の国々が採用している中口径のライフル弾。7から8ミリの口径に対して、一定の効果がある。


 もっとも厚い部分で5mm。これは弾丸を逸らすのを十分期待できるレベルだ。


 問題はシンプルに重すぎることだが、装甲の内側にエーテル結晶を装備して、強度を保ったまま軽量化している。ただし、その効果を十分に発揮するには、定期的に結晶を交換する必要がある。つまり――


「これ、死ぬほど重いんだけど」


「ご愁傷さま。オレのはまだマシだな。麦袋を背負ってるくらいには軽いぞ」


 第2小隊に配られた鹵獲品は、まともに整備されてない。

 おそらく、ベリエ軍が手に入れてからずっと。


 そのせいで軽量化はほとんど効果を発揮しておらず、ガラクタ同然だった。

 全力疾走しての撮影はとても望めないだろう。


「うぉぉぉ……!」


「中隊長、とてもじゃないですが、これで走るのは無理ですよ。上だけで40キロはあります。装備も合わせたら、フル装備だと50いくんじゃないですか」


「あのー、できるだけ動かない感じにできませんか?」


 案の定、第二小隊の面々からは装備の重さに対する不満が噴出した。

 ヴィクトールは脚本を変更せざるを得なくなった。


「まいったな……絵面が地味になるが、突撃はやめて歩くだけにするか」


 さらに、帝国兵の衣装は鹵獲品を使えるが、武器はあまり数がない。


 本物の武器は前線で必要とされているためだ。

 撮影のために引っ張ってこれた数はベリエ軍が使う旧式武器。

 数もそう多くなかった。


 ほとんどは木を削ってライフルの形にして、上を黒く塗って銃身っぽく見せかけただけの木銃だ。近くはともかく、遠くから見れば本物に見える。


 着替え終わって整列する第二小隊は、何処からみても帝国の歩兵部隊だった。

 ただ、拷問のような重さから発せられる、低いうめき声を除けば。


「あとは撮影を周知させなくてはな。爆音や(とき)の声を聞いて、フロレンヌの人々を不安にさせてしまうといかん」


「なら俺たちが行きましょうか?」


「よし。」


 ヴィクトール中隊長の指示は、いつも通り簡潔で的確だった。


「第一小隊はトラックでフロレンヌへ向かえ。『演習』を行う旨を住民に周知させろ。脚本を読み込みながら移動だ。派手に騒がせると、かえって不安を煽るぞ」


「了解!」


 カリウスは敬礼を返すと、ガルム、メリナ、アデーレを従えてトラックの荷台に飛び乗った。エンジンが唸りを上げ、埃を巻き上げながらジークフリート隊の駐屯地を後にする。車内は撮影を前にして、まだ軽い空気に満ちていた。


「いやー、さっきの第二小隊の連中、まるで死刑囚みたいな顔してたな」


 ガルムが笑いながら言う。人狼の彼はその体格にしては体が柔らかい、狭い荷台でも背中を曲げ、余裕で座り込んでいた。


「あんな重い甲冑で走れって言われたら、誰だってそうなります。……兄さん、私たちはよかったですね、本人役ですから、このままの格好ですみます」


 アデーレが肩をすくめて応じる。


 メリナは脚本の束を膝に広げ、時折つぶやきながら赤ペンで線を引いている。


「このシーン、もっと帝国兵の残虐さを強調した方がいいかも。観客に『こいつらを倒さなきゃ』って思わせないと」


「メリナさん。さすがに今から詰めても遅いんじゃ……」


「何よ! 詰めはギリギリまでやらないと魂がこもらないのよ!」


 メリナの剣幕にカリウスは苦笑しながら窓の外を見た。


 フロレンヌの街並みが近づいてくる。

 穏やかな田舎町。


 煙突から立ち上る細い煙、子供たちの笑い声が遠く聞こえる。


 こんな平和な場所で、プロパガンダ映画の撮影を告知をするなんて。

 なんだか滑稽ですらあった。


 トラックが街の門前に停まる。

 カリウスたちの軍服を見ると、巡査は軽く手を振ってトラックを通してくれた。


「よーし、住民に声をかけて回るぞ。笑顔で、親しげに。『今日は演習だから、ちょっとうるさくなるかも』ってな」


 ガルムに頷いた四人はトラックを降り、街路を歩き始めた。


 パン屋の前で老婆に声をかけ、広場で子供たちに手を振る。


 皆、最初は驚いた顔をしたが、すぐに笑顔で頷いてくれた。


「あら、演習? かえって安心だわ!」

「演習って、帝国に備えるってことよね。がんばって!」


 そんな言葉に、カリウスたちは胸を張った。


 まだ、すべては「演習」の範囲内だった。


 まだ、誰も本物の戦争の匂いを知らなかった。


 ――そして。突然だった。


 街の南側の向こうから、青白い輝きが爆ぜた。


 音もなく地面が震え、空気が裂けるようなつむじ風が街を駆け抜けた。


「なっ……!?」


 カリウスが振り向いた瞬間、砂塵の彼方、灰色の煙塵を蹴り上げながら、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる影があった。


 一歩ごとに地面が微かに震える。金属と油圧の軋む低い唸りが、風向きが変わるたびに耳を叩く。


 まるで巨大な獣が鉄の鎧を纏って這い寄ってくるような、生き物とも機械ともつかない不気味な歩調。


 そのシルエットは人間の輪郭を遥かに超えていた。

 オークと同じか、それ以上。


 鋼の巨躯。


 肩から胸にかけて異様に分厚く張り出した装甲板は、まるで古代の城壁を切り出したかのように無骨で、鈍く黒光りしている。


 怪物の背中には巨大なバックパックが覆いかぶさるようにしている。背中越しに僅かに覗く放熱板が、エーテルの青い輝きを吠え盛るように断続的に放っている。


 両腕は通常の人間の倍近い太さで、先端には指というよりは鉤爪に近い多関節の機械義手があり、エーテルの青白い光を鈍く反射していた。


 そして何より目を奪うのは、頭部。

 ヘルメットというより、もはや顔そのものと一体化した鉄仮面だった。


 前面は猟犬を思わせる突き出したシルエットが無機質な板で構成されている。そこに抉り込まれたように開いた二つの眼窩のような暗赤色のバイザーが、まるで底の見えない血溜まりのように不気味に輝いていた。


 口元にあたる部分には、歯を剥き出しにした獣の顎を模した無数の鋸歯状の通気スリットが並び、呼吸するたびに低く唸るような空気の吐息が漏れていた。


 距離が縮まるにつれ、その巨体が放つ圧力がその場の空気そのものを押し潰してくるようだった。


 重火器——肩に固定された自動擲弾発射機と、右腕に接続された巨大な多銃身(ガトリング)の回転式機関銃が、歩くたびにわずかに揺れながらこちらを向いている。


 砲口はまだ火を噴いていない。


 それでも、その黒い穴がこちらを「見ている」だけで、背筋が凍りつく。


 一歩。

 また一歩。


 金属の靴底が地面を砕く音が、まるで死神の秒読みのように規則正しく響いてくる。逃げなければ。なのに足が、まるで地面に縫い付けられたように動かない。


 その存在は、ただそこに「いる」だけで、周囲のあらゆる希望を吸い尽くし、絶望だけを残していく怪物だった。


 遠くで、排気音が一瞬だけ大きく唸った。


 そして、暗赤色のバイザーが、ゆっくりと——こちらを、真正面から捉えた。



「――敵襲!!」



 誰かの絶叫が、乾いた空気を引き裂いた瞬間、世界は一瞬で赤に染まった。


 爆発の閃光が視界を焼き、耳をつんざく轟音が胸を抉る。


 カリウスたちは反射的に身を低くし、周囲を見回した。


 心臓の鼓動が早まり、こめかみが痛くなるほどに頭の血管が拍動する。

 息が詰まるような焦燥が全身を駆け巡った。


 逃げて、隠れろ――

 頭の中で命令が渦巻くのに、体は凍りついたかのように動かない。


 火の手が上がる。


 木造の家々が、まるで映画の早送りのように一瞬で燃え上がった。


 古い梁が爆ぜる音、屋根が崩れ落ちる轟音。

 炎の舌が空を舐め、黒煙が渦を巻いて上昇する。


 悲鳴が四方から響き始めた。男の咆哮、女の絶叫、子供の泣き声――

 それらが混じり合い、街全体を地獄の合唱に変える。


 地に伏せたカリウスは歯を食いしばった。

 汗が額を伝い、視界をぼやけさせる。


 この街は、フロレンヌは、ただの民家と商店が並ぶだけの平和な場所だった。

 なのに、今や戦場――いや、虐殺場となっていた。


 突如として姿を表した帝国兵たちは、まるでゼンマイ仕掛けの玩具の兵隊のように歩調を合わせ、整然と前進する。


 油圧で支えられた脚は規則正しく地面を踏みしめ、心なき足音が戦慄を誘う。


 彼らが取るのは、先端を緩く尖らせた、くさび形の単純なフォーメーション――


 横隊の一部となった帝国兵は、無駄な動き一つなく、効率的に街路を制圧していく。まるで演習場で繰り返されたシナリオを再現するかのように、冷徹に。


 帝国兵のなかに、身を隠して動くものは居ない。

 隠す必要がないことを知っているからだ。


 横一列に並び、効率的に、まるで畑に水をまくように銃弾を振りまく。


 ガトリングの銃口が回転し、火を吐く。

 途切れ途切れの弾幕が街路を薙ぎ払い、逃げ惑う市民を次々となぎ倒していく。

 高速回転する銃身から吐き出されるのは、12mm弾。


 このクラスの弾頭は、通常の小銃弾の倍以上の質量と速度を持つ。

 衝撃波だけで周囲の組織を壊死させるほどだ。


 人間の体に直撃すれば、肉体を文字通り粉砕する。

 皮膚を裂き、筋肉を抉り、骨を砕く。


 それが鉄の巨人が掲げる腕から猛烈に吐き出される。


 逃げ遅れた男が一発食らった――肩に命中し、腕が肘から吹き飛んだ。


 だが、飛び散った血は意外なほど少ない。

 男は絶叫しながら地面に転がる。

 もう一発が腹部に――内臓が飛び出し、腸が地面にこぼれ落ちる。


 倒れた男に向かって、半秒トリガーを引き絞った横斜が直撃した。


 瞬間、血と肉片が霧のように飛び散り、体が内側から爆発したかのように跡形もなくなった。粉々になったひと塊の肉が、血のスープの上に浮かぶ。


「う、うわあああっ!」


 カリウスの前で拳銃を構えていた巡査が撃たれ、血を噴きながら倒れた。


 胸に三発連続で命中――胴体が粉砕され、胸ががばりと開くように破裂した。


 彼は息を吐く間もなく、泡状の血を口から溢れさせて絶命した。


 カリウスに恐怖と吐き気が込み上げてくる。

 焦燥が頂点に達し、足が勝手に動き出す。


(――走れ、早く、早く!)


 アデーレが悲鳴を上げ、メリナが脚本を落とす。


 紙束が地面に散らばり、炎に舐められる。


 ガルムが咆哮を上げ、ライフルを構えた。


 カリウスには、目の前の光景が、どこか遠いものに感じられる。

 

 火炎放射器の炎が彼らの上で緩やかな弧を描き、さっきまでカリウスたちと話をしていた街の人たちを飲み込んだ。肉が焦げる臭いが広がる。


 粘つく炎が体に絡みつく。肉が焦げる臭いが広がる。


 あの時と同じ、エマールで嗅いだものと同じ臭い――

 甘く、吐き気をもよおす、戦場の匂い。


 子どもたちが家に逃げ込み、扉をしめようとする。小さなその手がドアと閉めようとしたその時、大蛇のようにうねる炎が隙間めがけて飛び込んだ。


 叫び声が途切れ、炎が爆ぜる音にとって変わる。


 炎の熱波がカリウスたちにまで届き、彼らの肌を灼いた。


「やめろぉぉぉ!!」


 誰かが叫ぶ。だが、その声もすぐに銃声にかき消された。


 虐殺だった。抵抗する者などいない。市民も、兵士も、ただ逃げ惑うだけ。


 だが、帝国兵はその背を容赦なく追い撃ち、焼き、踏み潰した。


 重装甲のブーツが、倒れた体を踏みつけ、骨の砕ける音が響く。

 戦術的に、街路を封鎖し、逃げ場を塞いでいく。


 カリウスは歯を食いしばり、アデーレの手を掴んで走った。

 だが、指が汗で滑り、指が離れそうになる。


(早く、早く、ここから逃げるんだ!)


「アデーレ、こっちだ! 路地に――」


 背後で爆音がして、衝撃、そして熱がカリウスの腹を抉った。


 激痛。視界が赤く染まる。


「えっ……!」


 カリウスが膝をつきそうになるのを、ガルムが支えた。

 しかし、彼の足は脱力し、ガルムに引きずられるようにうつ伏せになった。


「おい!!!」


「 兄さん!」


 アデーレが涙声で叫ぶ。その声は震え、涙が頰を伝っている。


 カリウスはぐいっと引っ張られる力を感じた。

 彼の襟の後ろ、ハンガーリングをつかんで誰かが引っ張っている。


 次第に白くなるカリウスの視界に狼の口――ガルムの顔が入ってくる。

 目を細めた彼は、うろたえているメリナの腰を指さした。


 野戦用救急キットだ。


「よこせ!」


 短く叫んで、ガルムは彼女の腰からキットをひったくる。

 包帯と脱脂綿を傷口に詰める。

 瞬く間に白く清潔な綿が真っ赤に染まる。


「どうしよう、血が止まらない」


 うろたえるメリナの手をガルムが取った。


「こうするんだよ!」


 彼女の手を取り、メリナの手の指を傷口に押し込んだ。

 直接圧迫――戦場医療の基本だ。

 銃創などの深い傷からの出血を抑えるための、即席の手段。


「――!!!!」


 激痛に背中をそらすカリウス。だが下半身は、足は全く動かない。

 それが意味することは――


(背骨が砕けてやがる。これじゃあ……)


 ガルムは牙を剥いて何かを決断した。


 カリウスは血を吐きながら、燃える街を見上げる。

 青い空が炎に焦がされ、黒煙が蝸牛のように渦を巻いて登っていく。


 まだ終わらない。

 始まるのは今からだ。


 メリナが落とした脚本の最後の1ページが炎に弄ばれ、舐め取られる。


 幻想の中から飛び出してきたのは――本物の戦争だった。

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