微風
草地をまっすぐ横切る土の道。
その道の上を、軽快なエンジン音をさせながらツバメが進んでいる。
密になったカモガヤとイラクサが繁茂する草地は、その高さが腰の高さまである。ツバメは深い轍を作りながら、草に左右を挟まれて進んでいる。
自動車の足取りは行きの道程に比べるといささか鈍重になっている。
二人の人間に加えて、積み込まれた荷物の重さのせいだ。
アデーレはハンドルを握りながら、左手の時計を確認する。
時計を確認する。時間は7時前。
起床が4時。中央指揮所で機関をチェックしたのが5時から6時。
朝の食卓を用意している工房に突撃し、資材を持ち帰ったのが7時。
アデーレはこれから行う作業を思い出し、頭の中で時間を逆算する。
(エーテル機関から動力を取れるようにするのに2時間。そこから規格を揃えて、照明装置の変圧器を他の機器にも使えるようにして――)
「上手く行けば、5時の撮影までに、2時間ほどの予備時間が取れそうですね」
「それ、休憩時間入ってるかい?」
「兄さん、逆に聞きますけど、入れると思います?」
「……やっぱりなぁ」
「正直ギリギリです。普通に考えて、数日分の仕事ですから」
二人が拠点に到着すると、案の定すぐにヴィクトール中隊長に捕まった。
中隊長は駐車場で待ち構えて、仁王立ちに立っている。
白髪交じりのモミアゲから横に飛び出ている耳は真っ赤だ。この数時間の間に風邪を引いたのでなければ、カンカンに怒っている以外に説明のしようがない。
「アデーレ、ここは僕が説明するから――」
カリウスは、中隊長に向かって歩みを進めようとするアデーレの手をとって、押し留めた。しかし、振り返った彼女は、兄に向かって首を横に振った。
「いえ、兄さんより私が説明したほうが良いでしょう。年下ですし、少尉の教育も終わっていない私が勝手にやったことにしたほうがいいです」
「えぇ? でも……」
「私は劇の主役でスタインドルフの娘なんです。中隊長が本気で罰したいとおもっても、そうそう出来ないはず」
「わかった。でもこういうことは、これっきりにしよう。約束してくれるね」
彼女はカリウスの手を一度強く握り、そして手放した。
その時のアデーレの横顔は、どこか、心の奥が痛んだようにも見えた。
「……はい」
アデーレはカリウスの前に出て、中隊長に向かって敬礼した。
その眼差しは微塵にも後ろめたさや罪悪感というものが伝わってこない。さも命令されたと言わんばかりのものだった。
「アデーレ少尉、資材調達より只今戻りました。何でしょう!」
「何でしょうもクソもあるか! 中隊長車を盗むとは、何を考えている!」
「ハッ! どんな手段を使ってでも間に合わせるためです!」
開き直りとも言える一言に、ヴィクトールのこめかみに青筋が立つ。数度、何かを考えるように視線を落とした彼は、唸るような低い声でアデーレに反駁した。
「……軍規を破っていいとは言っていない。常識と軍規の範囲内でどんな手段でも使え。以上、解散!」
「ハッ!!」
その場を離れようとすると、ヴィクトールの怒号がカリウスの背中を掴んだ。
「……はぁ。カリウス!!」
「あっ、はい!?」
「妹の手綱はちゃんと握っておけ。いいな?」
「……は、はい」
「兄さん、急いで指揮所に資材と工具を持っていきましょう。早く作業しないと間に合いません。」
ヴィクトールの苛立った視線を背中に受けながら、カリウスとアデーレの二人は小隊員の手を借りて、自動車に積み込んだ資材を指揮所に持ち込んでいく。
アリのように列をなす隊員の手によって、パイプなどの大きな配管資材から、ナットやネジなどの細かい機械のパーツが指揮所に運び込まれていった。
「よし、ようやく始められるな。よし、仕事だ!」
「「おう!!」」
ガストンのその言葉が鏑矢になって、第一小隊と第三小隊の面々は動き出した。
帰って早々、これほど素早く動けたのは、理由がある。
指揮所に残ったガストンが、エーテル機関修理のスケジュールを再構成して、改めて小隊員に仕事の割り振りをしてくれたからだ。
ガストンの計画と指示のもと、小隊は作業に取り掛かった。
鋼板や導管をブロートーチを使って必要な長さに切る者。
それを作業現場に運ぶ者。
運ばれた資材を使って実際に配管を組み立てる者。
――といった具合に、分担しながら手早く進めていった。
「足りない資材は後でトラックで届けてもらえば、ま、なんとかなるだろう。」
「ガストンさん、ありがとうございます。――?」
そのとき、カリウスの視界にふと引っかかるものがあった。
指揮所の片隅、積み上げられた資材の影で、メリナが一人、膝の上に広げたノートに何かを書き込んでいる。それも、猛烈な勢いで。
カリウスは指揮所の中を振り返って見る。ガルムは重たそうなパイプの束を運んでいる。仕事の割当が間に合っていないというわけではなさそうだ。
(ガルムさんはもう働いてる。メリナさん……もしかして、本気でサボってる?)
そう思った瞬間、すぐ横から低い声が割り込んできた。
「いや、違うぞ。あいつ、脚本の詰めとセリフ回しをやってるんだ」
「えっ、メリナさんが脚本を?!」
「おう。何かこの手のことに詳しそうだったからな」
工具を肩に担いだままのガストンが、苦笑まじりに教えてくれた。
カリウスは思わず眉を寄せたが、メリナの脚本に興味も湧いてくる。
(どんな大それた脚本なんだ……?)
足音を忍ばせて近づくと、メリナはようやく気付いたらしく、顔を上げた。
そして、深くため息をつく。
「……はぁ」
「なんですか、その反応」
カリウスが呆れたように言うと、メリナは栗色のポニーテールを触ってノートを軽く閉じ、こちらを横目で見ながら肩を竦めた。
「……貴方ならどういうセリフが思い浮かぶ? って聞こうと思ったんだけど、会話が雑で、デリカシーのデの字もない、アデーレのお兄さんには無理だろうなって」
「すっごい失礼な言い方」
「だって本当のことじゃん」
「……僕、そんなにデリカシー無いんですか?」
「そういうとこが、ね。それより見て! これ!」
メリナは小さく笑って、再びノートを開いた。そこには細かな字でびっしりと書き込まれたセリフと、矢印だらけの構成を書いたメモがあった。
「決めセリフはもうあったんだけど、細かいセリフがなくって……あ、でも! セリフがなくても粗筋はわかるから、読むね!」
「う、うん。うん……?」
困惑するカリウスをよそに、彼女は少し照れくさそうに、しかし、どこか誇らしげに脚本の粗筋を読み始めた。
「前の大戦の英雄、ベリエ王国のスタインドルフ将軍の娘・アデーレが、優しい兄のカリウスと、平和に暮らしてたの。でもそこに卑劣な帝国が宣戦布告してきて……兄妹は望まぬ戦いに巻き込まれる。でもアデーレは将軍の娘だから、気丈に振る舞って、兵士たちの心を掴んでいくのよ」
メリナの声が、だんだん熱を帯びてくる。
「そしてある戦いで、貴族出身の帝国将校・ハンクを捕虜にするの。アデーレの真心が、ハンクの戦いで傷ついた心を少しずつ溶かしていく。仄かな、ほんとに仄かな恋心が生まれて……」
彼女は目を細め、上ずった声で夢見るように続けた。
「帝国が、抵抗する力のない小さな村を襲う。そこでハンクが飛び出して、かつての友と剣を交えるの。友がハンクに叫ぶのよ。『帝国の魂を売ったか!』って。でも彼はこう返すの」
メリナは声を低くして、目を鋭くする。
そして、まるでその場にいるかのように台詞を朗読した。
「『魂は売ってない。パンはもらったがな』……そして、こう続けるの。『帝国を愛する心を持つからこそ、貴様らの非道が許せんのだ』って!」
言い終えた瞬間、きゃーと言って、メリナは胸を押さえて目を輝かせた。
「ねえ、すごいでしょ!? ギュスターヴ様の脚本、ほんとに胸が熱くなるの! どんな素晴らしい人格の持ち主なんだろう、ギュスターヴ様って……!」
彼女は両手を頬に当て、うっとりと天井を見上げる。
完全に夢見心地だ。
一方、カリウスは――
「……はぁ」
深いため息を一つ。
彼の青白い顔が、なんとも言えない微妙な色に染まっていた。
(ギュスターヴの顔を思い出すだけで、胃がキリキリするのに……)
カリウスの脳裏に、勲章をじゃらつかせ、尊大な態度で言いたいことを喚き散らしていたギュスターヴの姿がよみがえる。
(……この脚本、本当にあの人が書いたの?)
「きっと、誰にも心優しい人なんだろうなぁ……」
メリナは握った拳を胸の前に持っていって、キラキラと目を輝かせている。
ギュスターヴの真実は、謎のままにしておいたほうが良さそうだ。
(……まぁ、楽しそうなら、いっか)
ちらっとガストンに視線を送ると、彼も微妙な表情になっていた。
「本当のところは、黙っておきましょうか」
「それがよかろう」
「しかし、いいんですかね」
「脚本か? お前さんがやるか?」
「いえ。無理だと思います」
「だろ? いくら考えても自分の手が届く範囲以上のアイデアなんて浮かばん。そういうときは、いっそ他人に任せちまったほうがいいってもんよ」
「うーん、そういうものですか」
「そういうもんだ」
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本日の投下はここまで。明日は一気に第一部の終了まで投下します。




