不才のギルベルト
カリウスたちの出発は夜になった。なだらかな丘の間を、ライトの光を引き絞った数台のトラックと、それに続く一台の戦車からなる車列が進む。
しかしトラックの背後の制動灯がたびたび光り、なかなか前に進まない。真っ暗な中を進むものだから、度々位置を確認しないといけないのだ。
位置を確認するのはティーゲルの仕事だ。
ティーゲル号には距離計とジャイロスコープを利用した自動航法装置がついている。なので、真っ暗闇でも一応計器に頼って※航法ができる。
※航法:自律的に、迷うことなく、望む場所へたどり着く能力のこと。航法ができるというのは、計器やコンパスを使って迷わず進めるという意味。
「……暇ね」
ティーゲル号の砲塔に腰掛けたメリナは、誰ともなくぽつりとつぶやく。何気ない彼女のぼやきは、同じく車上にいたガルムにも届いた。
「兵隊は待つのが仕事だ。それに前の連中に比べたら、俺らなんて楽なもんだ」
「そうだけどさぁ」
戦車の上で腰を回したメリナは、ティーゲルの前方を行くトラックをみた。貨物自動車のエンジンがうなり、車体はガタガタと音を立てて左右に揺れている。
トラックの荷台の中央は荷物に占領されていて、その左右に別の小隊の隊員がぎっしり詰め込まれて立っていた。
誰一人として腰を下ろすことは出来ないまま、すでに数時間経っている。
灯火の類は最低限。ライトは下を向いてごく短く距離しか照らしていないため、たびたび道路のへこみや轍を見つけ損なって、どしんどしんと揺らされていた。
「ひどい揺れ。ついた頃には、骨の一本でも折られているかも」
「そうなったらきっと喜ぶだろうな。腹を撃たれて家に帰されるよりはいい」
車列はフロレンヌへ向かう細い田舎道を、さまように進んでいた。夜の闇は深く、時折低い丘の影がライトの届く範囲を狭めていく。
やがて道は古い石畳の脇道へと分かれ、苔むした石壁に囲まれた小さな広場のような場所に出た。
「よし、予定通りここで30分休憩だ。エンジンを切って待機するよ」
「兄さん。エーテル機関やキャタピラの様子はどうです?」
「良好だよ。ここまで特に違和感はなかったかな」
戦車とトラックが一斉に停止し、ようやく辺りに静寂が戻った。兵士たちは固まった体をほぐすように、荷台から降りては伸びをする。
整備要員が小さなランタンを灯し、トラックの周りの地面に置いた。灯りは弱く、しかしそれだけで闇に浮かび上がるものがあった。
古びた石造りの墳墓だ。
中近世の貴族の墓所を思わせる格式張った様式。
低いアーチ型の入り口、その奥に横たわる石棺が見えた。
「…………」
「あ、ちょっと! カリウス!」
カリウスはメリナが呼び止めるのも聞かず、墳墓に駆け寄った。
胴体の前を斜めに横切るサスペンダーの中央にランタンを下げ、その灯りで墓所を眺める。まるで、何かに呼ばれたように。
棺の上には横臥像――おそらく埋葬された人物の姿を写したものが静かに横たわり、手を胸の上で組んでいる。
石の表面は風雨に削られ、かつての精緻な彫りはところどころ欠けているが、それでも往時の気品が残っていた。
棺の側面にはレリーフが施されている。フードを深く被った弔問客たちが、花を携えて列をなしている様子だ。
浅浮き彫りは、石とは思えないほど生き生きとした表情が表現されていた。悲しみに歪む口元、伏せられた目、深い悲しみを思わせる頭を垂れる仕草。花弁の一つ一つにいたるまで丁寧に彫り込まれ、彼らの目元からは今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
この石棺に込められているのは、技術だけではない。
死者に対しての強い惜別の念が込められていた。
「これは……素晴らしい。15世紀中ごろのものかな?」
「カリウスさーん。もしもし?」
緋色の髪の間から覗く二対の角の輪郭をランタンで浮かび上がらせながら、興奮に頬の染まった横顔を、仰向けになった彫像が乗る石棺に向けた。
「ベリエより大分南、ブルゴーニュの影響が強い様式だね。これは典型的なスタイルの横臥像だ。棺側面の会葬者――弔問者たちのレリーフが特に独創的だ。普通はもっと形式ばって無個性なのに、ここでは一人ひとりの表情が違う。まるで当時の葬列を見ているみたいだ」
「すっごい早口ね。これってそんなに凄いモノなの?」
「もちろんだよ。この素晴らしさがわからないかなぁ!」
彼は興奮気味にメリナに説明をまくしたて始めた。すると隣に立つ彼の義理の妹、アデーレがそっと影のように寄り添って彼をなだめた。
「兄さん、そんなに興奮しなくても……」
「だって騎士だよ!? それに15世紀中頃といえば、歩兵の台頭で騎士が軍事的な価値を失い始めていた頃。騎士道の終りを予感させる、美しき黄昏の時代だよ!? この頃の騎士たちは、丁度あんな感じの……ああいや、それよりもっと重要なことが――」
「重要なこと……ですか?」
こくりと首を傾げるアデーレに向かって、カリウスは棺の上の彫像を指差しながらものすごい早口で言葉を続けた。
「重く長い鎖帷子の上を流れる陣中羽織の文様。そしてその悲しみを隠しきれていない顔を包んでいる鉄兜の上を飾っている兜飾りとマントリングの裾のデザイン。これらから推測されることは、この騎士は間違いなくスタインドルフ家に関係する人物だということ!」
「えっ、この方が……?」
「そう。おそらく彼は『サー・ギルベルト』。しかし今はただ、亡き主君に使えることも叶わず、時の流れを見送るためだけに……」
「やれやれ……。うちの小隊長はこれだからな」
何事かと近づいてきたガルムが「処置なし」といった様子で両手を上げる。
呆れた彼は胸から巻煙草を取り出すと、墓石でマッチを擦った。
その瞬間だった。強い夜風が吹いてガルムの手元のマッチを吹き消す。
ランタンの炎が激しく風に揺られ、黒土の上の影が長く伸びる。
そして――闇の向こうから、音が聞こえた。
重く、湿った地面に沈み込むような馬の蹄の音。
ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。トラックの、戦車の周りに散らばって小休止をしていたジークフリート隊の全員が凍りついた。
石畳の道の先、墳墓の正面に、ぼんやりとした光の列が現れた。
兜を被り、長いマントを翻した騎士たち。
鎖帷子の擦れる音、馬の息遣い、金属の鎧が微かに光を反射している。
しかし、緑がかって光る彼らの姿は透き通っており、足元には影がない。
馬が地面を踏む音すら不自然に遠い。
「……嘘」
メリナが放心した様子で呟く。
興味なさげだった彼女の声に、初めて明らかな動揺が混じっていた。
ガルムは即座に身構えると、尖った耳をピンと立て、牙を剥き出しにする。
「……不味いな。こいつは、ただの幻なんかじゃない。ガイストリッターだ」
「ガイ……何?」
「亡霊騎士。要するに未練を残して亡霊となった騎士たちのことです。良いものも悪いものもいるんですが……」
「ガイストリッターは、戦場に未練を残した者がなる。だから古戦場では珍しくない。戦争が長く続いた土地ほど、こういう連中が増えるんだ」
(僕たちの世界は、歴史の営みそのものが魔法と結びついている。だから、過去の痛みがこうした形になって遺ることがあるのか……)
「オレはこれまでに5回戦ったことがあるが、良いやつは1人だけだったな。丸パンみたいな鎧を着た、陽気で愉快なやつだったが……大抵は殺しにかかってくる」
カリウスたちは息を呑む。しかし彼らの存在から目が離せなかった。
幽霊騎士たちは、墳墓の前で静かに列を組むと、墳墓の前に並び立ちはだかった。
「……」
戦闘に立っていた一騎が兜を脱ぐ。
その幽霊騎士の顔が露わになった瞬間、アデーレは息を呑んだ。
それは、まるで古い肖像画から抜け出してきたような厳しい輪郭の男だった。
長い髪が肩に落ち、目は深い悲しみと決意を湛えている。
だが、アデーレをまっすぐに見つめると、その視線は、まるで遠く懐かしい記憶の中にしか無い誰かを思い出すように、優しく温かいものに変わった。
『我が主よ……この不才なるギルベルトを――何なりとお罰しください』
(不才なるギルベルト。やっぱりこの人は……!)
カリウスは誰よりも先に、今置かれている状況を理解した。
「アデーレ、詳しい説明は後でする。君が彼に首打ちの儀式をするんだ。あ、剣がないか……でも、やり方はある。僕が教えるからそのままやるんだ」
「は、はい!」
(恐らくこの幽霊騎士……アデーレを過去のスタインドルフ家の女当主――彼の主君だったバルバラ・スタインドルフに重ねている。ここは伝承どおり行こう)
カリウスは低くささやき、アデーレの耳元に口を寄せた。金髪のショートボブを乗せた彼女の小さな肩はずっと震えていたが、義兄の言葉に頷いた。
メリナとガルムは周囲を警戒しつつ、もしもに備えて兵士たちを散開させていた。
アデーレは背筋を伸ばすと、幽霊騎士に向き直った。
すると、騎士はゆっくりと膝を折り、彼女に向かって頭を垂れた。
騎士の姿は透け、その向こうの景色が見えている。しかし、その姿は空虚にも関わらず、見る者の心を震わせる何か圧倒的な存在感を放っていた。
「では、罰として――私の言う言葉を繰り返しなさい。ギルベルト卿」
アデーレがそう言うと、跪いた騎士の体が短く震えた。
彼女は深呼吸をし、騎士のもとに一歩、また一歩近づいた。
小さく、細い彼女の手のひらが剣と見立てられ、騎士の右肩に触れる。
次に左肩。
そして頭頂に。
「立ち上がれ、騎士よ。」
アデーレの言葉を受けて騎士が立ち上がる。
彼の姿が、少し実体を帯びたように見えた。
そして、カリウスはアデーレにもう一度ささやいた。
自分の言葉を繰り返すように、と。
アデーレはそれを聞き、騎士に繰り返させる形で導いた。
ここに私は、その口と手をもって、忠誠と奉仕を誓う
我、ギルベルト。我が主君たるスタインドルフとその血統に対し
忠実なる臣下としてこの身を永遠に捧げる。
主君の敵を我が敵とし、主君の友を我が友とすることを誓う。
主君の領地と名誉を守るため、
永遠に、剣と命を捧げることを捧げる。
王がその黄金の玉座を去り、
死が私を連れ去ったとしても、
天と地が新たに創造されるその日まで、我が忠誠は絶えず。
騎士はアデーレの言葉を寸分違えず追いかけた。
誓いが終わると、騎士の隊列がゆっくりと溶けるように消え始める。
光は消え、元あったような静けさが墳墓に戻った。
「……ふぅ。やり過ごせた、のか?」
「おそらくは。」
「生きた心地がしなかったぜ」
ガルムは首もとを拭う。
まるで「まだ首は繋がっているか?」と、確認するかのようだった。
「ふわぁぁぁぁぁ……」
騎士を前にしていたアデーレは、緊張の糸がほどけたのか、腰が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。
「アデーレちゃん、だ、大丈夫!?」
「立てるかい、アデーレ」
「は、はい、なんとか……」
「ったく、とんだ休憩になったもんだな」
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十数分後。小休止も終わり、ジークフリート隊は移動を再開した。
トラックで揺られている隊員は、まだ夢の中にいるような顔をしている。ヴィクトールだけは決定的瞬間を撮りそこねたと、地団駄を踏んでいたが。
カリウスも戦車に戻り、ハンドルを握り直した。
彼はアデーレとの約束通り、幽霊騎士――ギルベルトの身の上を語ることにした。
「さっき遭遇した幽霊騎士の『不才のギルベルト』ですが、当時は剣豪として有名で、豪剣のギルベルトと呼ばれていた人なんですよ」
「道理で。オレが今まで見てきたのと、全然格が違ったぞ」
「ふーん。それがなんで『不才』なんていう悪口がついちゃったの?」
「アデーレの祖先、8代前のバルバラ・スタインドルフの時代。今は連盟になってるフランクとの戦争で、ギルベルトはスタインドルフ家が守る城塞に援軍として向かっていたんです。けれど――」
「けれど?」
「フランクの別働隊がフロレンヌを襲撃。そこでギルベルトは先にフロレンヌの救出を行ったんです。しかし、戦いの被害で進軍速度の落ちたギルベルトの部隊は援軍に間に合わなかった。彼が到着した頃には、すでに戦いは終わっていました。彼の援軍抜きで、バルバラ・スタインドルフが城塞を守り通したんです」
「なるほど。それで剣豪から『不才のギルベルト』になっちまったと」
「失意のギルベルトはその帰路、負傷がもとでフロレンヌで亡くなりました。しかしフロレンヌの住民は彼のことを忘れず、あの墳墓を作ったんだと思います」
「フロレンヌの人たちはギルベルトがしたことを忘れてなかったんだね」
「援軍に遅れたことが理由で彼はスタインドルフ家の臣下たちに弾劾され、当代の、つまりバルバラの手によって騎士称号を剥奪されたそうですが、勝手に復帰させて良かったのか……難しいところですね」
「いえ、兄さん。それは違うと思います」
「?」
「フロレンヌの人たちだけで、あんなに立派な墳墓はつくれません。それに兄さんも言ってたじゃないですか」
「えっと……?」
「ほら、『この彫像はスタインドルフゆかりの者』だって。彼が本当に追放されたなら、あの彫像にスタインドルフの紋章を使うことを許すはずがありません」
「あっ!」
ハンドルを握っていたカリウスが短い驚き声を上げた。
考えてみれば、確かにアデーレの言う通りだ。
墳墓を作った前後で騎士称号を剥奪されたならば、兜についたクレストや、サーコートの彫刻は、壊すなり、削り取ってしまうはずだ。
それをしていなかったということは……。
「そうか……彼はすでに許されていたのか」
「――はい。」
ふと見ると、ティーゲル号の前を進むトラックの横に土塀が見えだした。
それは車列が進む街道から離れて建っている民家の土塀だった。時計の針が2時を回った頃、ようやくカリウスたちの車列はフロレンヌに入ったのだ。
本日の投下は4話くらいになりそうです。よろしくね!




