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無念に死した前世と同じく美男にコロッと騙されました

作者: 弍口 いく

「君を愛することはない」

 結婚式が恙なく終わった初夜、寝室に現れた新郎のハリウェルが言い放った。


「えっ?」

 耳を疑いキョトンとした新婦のシャローナは、この国ランズベリー国王に嫁いできたばかりのボアイエ帝国の第三皇女。ミルクティー色の髪にアンバーの瞳、笑顔が似合う可愛らしい十八歳になったばかりの少女だ。


「俺には愛する女性がいる、君は政略結婚の相手に過ぎない」

 シャローナには到底信じられない言葉だった。

「どういうことなの? 愛していると言ったのは嘘だったの?」

「だいたい、君みたいなお子ちゃまは趣味じゃないんだ、俺はもっとお色気たっぶりの美女が好みなんだよ」


「そんな……」

 婚約中はあれほど愛を囁かれたのに、お芝居だったなんて……シャローナは愕然とした。


 ハリウェルとの出会いは、彼がボアイエ帝国を訪れた時だった。


 シャローナの母国ボアイエ帝国は大陸の西半分を統治する大国だ。魔石鉱山をいくつも持ち、優れた魔道具が全国に行き渡っていて生活水準が高く、国民の生活も豊かな国だ。一方のランズベリー国王は東の端にある小国で、魔石が採れず輸入に頼っており、魔道具の開発も遅れていた。王太子ハリウェルは、ボアイエ帝国からの魔石輸入交渉と、魔道具のノウハウを学ぶために来ていた。


 金髪碧眼で甘いマスク、物腰やわらかなハリウェルにシャローナは一目惚れした。ハリウェルの方も優しく、好意を示してくれた。

 運命の出会いだ! と舞い上がったシャローナは、三ヵ月の滞在期間、お茶会に招待したり、夜会のエスコートをお願いしたりと、短い期間ながら仲を深めた。


 そして、皇帝である父にハリウェルとの婚約をおねだりした。

 末娘で甘やかされ、兄や姉たちにも可愛がられて何不自由なく育ったシャローナは、世間知らずで純真なお姫様だった。初めての恋に浮かれて冷静な判断が出来ないのではないかと周囲の人たちは心配したが、シャローナは押し切ってハリウェルとの婚約を取り付けた。


 そして、半年の婚約期間を経て、馬車で一ヵ月もかかる遠い国へ嫁入りしたのだった。それなのに……。


「ボアイエ皇帝と繋がりを強固にするため、君が必要だっただけだ。俺の誘いに簡単に引っかかってくれてうまくいったよ」


 ハニートラップに嵌ったのだとその時に気付いた。

 怒りが沸々とこみ上げる。


 結婚式に参列したボアイエ帝国王太子の兄一行は、すでに転移魔法で母国に帰還した。馬車だと一か月かかる道のりも、優秀な魔法使いによる転移魔法を使えば一瞬で移動できる。

 魔石を多く輩出するボアイエ帝国には多くの魔法使いが存在した。特に王族は強い魔力を持つ者が多かった、兄の王太子も優秀な魔法使いだ。しかしシャローナは王族でありながら魔力を持たずに生まれた。魔法が使えないシャローナが逃げ帰る手立てはない。それに、父親に無理を言って嫁いできたのだ、今更、どの面下げて帰れると言うのだ。


「魔力を持たない君は、母国から離れればただの何も出来ない小娘、逃げ帰ろうなんて思うなよ、今日のところはその柔らかいベッドで眠ることを許してやろう。明日からは北の塔へ移すからな」


「北の塔? まさか、幽閉するつもりなの?」

「なぁに、心配はいらない、お前の代わりはちゃんと用意してあるから」


 ハリウェルが流した視線の先には、ボンキュッボンの妖艶な美女が立っていた。

「俺の愛するルラヴィは姿を変える魔法が使えるんだ」

「不本意だけど、公の場に出るときはこの姿になるしかないわね」


 ルラヴィはこの国には珍しい魔法使いだった。その力で姿を変えた。

 シャローナそっくりの姿、そしてシャローナの顔で意地悪な笑みを浮かべた。


「赤の他人は騙せても、私についてきた侍女たちは簡単に騙されないわ」

 シャローナは精一杯の虚勢を張ったが、

「だろうね、だから処理したよ」

「処理って……」


 そう言えば、結婚式が終わってから、着替えも湯浴みも、シャローナが母国から連れて来た侍女ではなかった。まだ勝手がわからないからなのかなぁと、あまり気にしていなかったが。


「まさか、殺したの?」

 全身が凍り付いた。

「お前もそうなりたくなければ、おとなしく従うんだな」


 二人は高らかに笑いながらシャローナを置いて部屋を出た。


 歯噛みしながら見送るしかない。

 シャローナは絶望の淵に立たされた。


 夢に見た愛する人との甘い新婚生活は消え去り、幽閉される悲惨な未来しかない。その先は?


 そう考えた時、突然、喉のあたりに激痛が走った。

 そして、ある光景が脳裏に浮かんだ。


 毒を盛られて血を吐く女性。

 それは前世の自分の姿……。



   *   *   *



 エレナ・ヴェレスト、それが前世の名前だった。

 シャローナの前世は、ここランズベリー国王のヴェレスト公爵家の長女で、赤い髪に翡翠の瞳の上品で美しい令嬢だった。


 ヴェレスト公爵領は、魔石を採掘できる鉱山があるオティス伯爵領と王都との間に位置していた。王都まで魔石を輸送する最短ルートを確保するためヴェレスト公爵領を通る街道を作りたかったのはオティス伯爵だけでなく、王家も同じだった。


 しかし、ヴェレスト公爵は領民の生活を第一と考えて、ただ通り道になるだけの街道建設に難色を示していた。ランズベリー国王で筆頭公爵家として国一番の領地と経済力を持つヴェレスト家には、王家と言えども無理強いは出来ない。


 そこでオティス伯爵令息のシャルルにエレナを誘惑させる。

 見目麗しいシャルルにエレナはすぐ恋に落ちた。

 今世と同じだった。


 ハニートラップにかかったエレナはシャルルとの結婚を望み、オティス伯爵家へ嫁ぐ。その繋がりを持って、街道建設の交渉が進んだ。


 しかし、夫のシャルルには愛人がいた。


「君を愛することはない」

 初夜で街道建設のための政略だったと宣言される。


「王命だったから仕方なくお前を誘惑して結婚までこぎつけたが、俺には愛する人がいるんだ」

「王命?」

「ヴェレスト公爵家との縁を結んで、王都までの街道建設を円滑に進めるようにとのことだった。お前は俺の美しさに惚れこんでコロッと騙されたから、簡単にことが運んだよ」


「私を愛しているとおっしゃったのは嘘だったのですね」

「悪いがお前のような地味な女は趣味じゃない、でも、まあ、オティス伯爵家のために働いてくれるのなら、たまには相手をしてやろう」


 政略結婚だとしても王命で調った結婚、正妻は自分なのだから、尽くしていればいつかは報われるかも知れないとエレナは淡い期待を持った。こんなに酷いことを言われても初めての恋を諦めきれない、エレナはシャルルを愛していた。そして次期伯爵夫人としての執務に励んだ。蔑ろにされていても、実家に帰れば両親に心配をかけるのでエレナは耐えた。


 そして二年後、

「もうお前は用無しだ」

 街道が完成した時、エレナはシャルルに毒を盛られた。


「そんな、こ、この二年…尽くしたのに」

 焼けつくような喉の痛みに耐えながら、エレナは声を絞り出し。

「勝手にやったことだろ」

 シャルルと愛人は蔑んだ目を向ける。

「お前は今夜、急病で死ぬんだ」


 散々尽くしてきたことは無駄だった。愛されようとしたのは間違いだった。自分はなんてバカだったのだろう。恥を忍んで実家に帰れば良かった。意地を張らずに真実を打ち明ければよかった。でも、もう遅い。


 自分の人生はなんだったのだろう?


 こんな惨めな死に方をしなければならないのか? 私がなにをした? ただ、恋をする相手を間違えただけ。


 全身から湧き上がる憎悪が手におえなくなり、エレナは魔力暴走を起こした。


 これほどの魔力を秘めていたことをエレナ自身も知らなかった。


 エレナの怨恨は魔炎となり、目の前のシャルルと愛人を一瞬で灰燼にした。そして駆け付けたオティス伯爵夫妻、エレナを蔑ろにしていた使用人たちを巻き添えに邸を劫火に包んだ。


 炎の勢いはとどまらず、風もないのにオティス伯爵領全域に広がった。住民は逃げ惑い、逃げ遅れた人々もろとも伯爵領を焼き尽くし、ランズベリー王国唯一、魔石が採れる鉱山まで飲み込んだ。


 炎は鉱山の深部まで魔石もろとも焼き尽くし、死の山に変えた。

 唯一の鉱山を失い、ランズベリー国王は自国で魔石の採掘が出来なくなった。残ったのはもう役に立たない街道だけだった。



   *   *   *



 シャローナは床に跪き、全身、汗ビッショリで喉を押さえたまま固まっていた。まだ毒を盛られた時の感触が残っている。

(これは、前世の記憶だわ)


 愛されようとした努力は報われることなく踏みにじられた。あげく、用無しと毒殺された前世の自分の姿がリアルに甦った。


(私は前世と同じ過ちを犯してしまったのね、美しい容姿に心を奪われて、その人の本性を見誤った)


 前世は自分が頑張れば周囲も認めてくれるし夫の気持ちも変わるかも知れないと、辛くても努力を重ねてきた。しかし結局は徒労に終わり、深く傷つき絶望した。


(エレナは強い魔力を持っていたから、魔力暴走を起こしてオティス領を焼き払ってしまった。意図せずだけど多くの人々を巻き込んで犠牲にした、その罰を受けているのかしら?)


 広大な大地を焦土に変えるほどの魔力を放出して使い切った。だから転生した自分には魔力が残っていないのだろうか?

 シャローナは頭を抱えてうずくまった。


(元はと言えば、善良なエレナを騙した奴らが悪いんじゃない!)


「大丈夫ですか姫様」

 その時、肩を抱かれると同時に、耳元で囁かれた。


「ウエ」

 顔を上げ、思わず叫びかけたところを、ウエンディに手で口をふさがれた。

 静かに! と目で合図されてシャローナは大きく頷いた。

 ウエンディは母国から随行した侍女だ。そして強い魔力を持つ魔法使いでもある。


「生きていたの、良かった」

 シャローナは彼女の首に抱きつきながら耳元で囁いた。


「油断しました、まさか毒入り茶だったなんて。私は魔力で解毒してなんとか助かりましたけど、他の者は残念ながら……」

「ゴメンなさい、私のせいでこんなことに」


「そのお顔だと、状況は把握されているのですね」

 シャローナは涙ながらに頷いた。


「とにかく、早くここから脱出しましょう」

 床に魔法陣が現れた。


 二人は魔法陣の真ん中で姿を消した。



   *   *   *



 転移して出てきたのは森の中だった。

「申し訳ありません、今の私の魔力ではこれが精一杯で、ボアイエまでは無理でした」


 致死量の毒を無効化するのに相当な魔力を消耗したウエンディの顔色は土色だった。他の侍女たちもそれなりに魔力持ちだったのに全員死亡したと言うことは、強力な毒だったのだろう。

 その上で、ウエンディは飛べるところまで転移したのだ。

 木にもたれて座り込み、立つことすらできない状態、魔力欠乏症に陥っている。


「そんなことより、あなたの身体の方が心配だわ、枯渇するまで魔力を使い切るなんて無茶して」

「あなたを護るのが私の使命だったのに、不甲斐ないです」


「私がバカだったのよ、あんな男に騙されて」

 愛されていると盛大な勘違いをして、いいや、コロッと騙されて、こんなとことまでやって来た自分はなんて愚かなんだろう。世間知らずだったとシャローナは思い知ったが後の祭。


「最初から騙すつもりだったのよ、私を塔に押し込めて、私の替え玉を用意していたわ」

「替え玉?」

「ハリウェルの愛人、魔法で私に化けれるの」


「なんて愚かな、ボアイエ帝国は魔法先進国です、すぐに見破られますよ」

「自信満々だったし、上手くいくと思っているんじゃない、そうでなきゃ結婚式が終わった途端、花嫁を塔に幽閉しようなんてしないわよ。騙された私もバカだけど、彼も同じくらいバカなのよ、私はまだ全然気付いていなかったのに、正直にバラすなんて」


「知らないままのほうが良かったのですか?」

「嫌だけど、少なくともこんなに傷つかなかったわ。初夜も過ごせないほど疎まれていたなんてね、私ってそんなに魅力ないのかしら」


「そんなことありませんよ、姫様はお美しい、気立ても良く愛されるべき女性ですよ」

「でしょー!! 自分で言うのもなんだけど、人様から嫌われるような性格じゃないと思うのよ、最初は騙すつもりだったとしても、私と接していて情とか移らなかったのかしら? それがショックだわ」


「まあ、相性もありますからね、単に好みじゃなかったんでしょ、ほら、最初から生理的に受け付けない相手っているじゃないですか」

「なんかすごく酷いことを言われたような気がするけど」


「とにかく姫様の男を見る目がなかったんですよ、陛下やお兄様方は心配されてましたけどね」

「疑ってたの?」


「おそらく、でも、こんなに早く行動するとは思っていなかったでしょうね。結婚までは見事な演技で完全に周囲を騙し通したんですから、もう少し続けて、姫様が勘付いたところで、毒殺するとか、他の方法もあったでしょうに」

「それも嫌だけど」

「まさか、王太子殿下が戻られてすぐだなんて考えられません。とにかく追手が来る前になんとかこの国を出ましょう」


「ここはどのあたりなのかしら?」

「西に飛んだのは間違いないはずです、少し休めば、もう少し転移魔法で飛べますから、一気に国外へ出ましょう」


 しかし、ゆっくり休める森ではないことをウエンディは知らなかった。ボアイエ皇帝では魔石を使って結界を張っているので、人間の活動範囲に魔獣が出没することはない。しかし、魔石が採れないこの国は違った。


 案の定、嗅覚鋭い魔獣が人間の臭いを嗅ぎつけた。

 気がついた時には囲まれていた。五、六頭はいる。


「しまった!」

 普通の状態なら気付いていただろうが、今のウエンディは魔力欠乏状態で立ち上がることすらできない。当然、この数の魔獣を退ける力はない。


 シャローナは護身用の短剣を構えたが、そんなものは役に立たないとわかっていた。

 でも、塔に幽閉されて朽ち果てるより、ここで魔獣に殺される方が一瞬で終わる。それもいいかも知れないと、滲みよる魔獣を見て腹をくくった。


 魔獣が牙を剥いて飛び掛かる。


 ああ、短い人生だったな。

 シャローナは目を閉じた。



   *   *   *



 森の中に閃光が走った。


 邸へ帰る途中だったリーンハルトの一行が騎乗していた馬たちが、木々の隙間から漏れた強烈な光の筋に驚いて嘶いた。もちろん、乗っていた彼らも。

「なんだ! 今の光は」


 リーンハルトは手綱を引いて方向転換し、光が見えたほうに馬を走らせた。


 リーンハルトは若きヴェレスト公爵、赤毛で翡翠のような碧の瞳の美丈夫だ。領地には度々魔獣が出没するので、駆除するために剣の腕を磨き鍛えている身体は逞しく雄々しかった。


 リーンハルトが光の発生源と思われる場所に到着すると、そこには二人の年若い女性と、その周囲に、焼け焦げた魔獣の死体が転がっていた。


「これは……」

 なにが起きたのかわからず目を見張るリーンハルト。


 シャローナも同様、ただ呆然としていた。

 ウエンディが、

「加護が発動したのですね」

「加護?」

「その腕輪です」

 シャローナは父からもらった腕輪を見た。

「そうだったんだ」


 リーンハルトは怪しい二人を警戒しながら馬から下りた。

「なにがあったんだ?」


 ウエンディはヨロヨロと立ち上がり臨戦態勢、魔獣より厄介な相手だと剣を構えた。

「ハリウェルの手の者か!」


 敵意を向けるウエンディに対抗して、リーンハルトの従者たちは揃って剣を抜いたが、リーンハルトはそれを制した。

「俺は王太子とは無関係だ、お前たちは追われているのか?」


「お前呼ばわりしていい方ではない!」

 憤慨したウエンディは、次の瞬間、力尽きて倒れてしまう。

「ウエンディ!」

 気を失った彼女を支えられずに、シャローナは無様に下敷きになった。


「助けて~」

 意識のない人間はことのほか重い、シャローナはリーンハルトに縋る目を向けた。

 間抜けな光景にリーンハルトは呆れながら、ウエンディを抱き上げた。すかさず従者が彼女を受け取る。


「彼女、魔力欠乏症になっているのよ、ゆっくり休ませなきゃ命に係わるの」

「魔力を持っているのか? あの光は魔法だったのか、それで魔獣を退けたのか」

「いえ、魔獣をやっつけたのはコレ」

 腕輪を見せた。


「魔力の加護を込めたお守りを父から頂いていたの、発動するまで気付かなかったんだけどね」

「君の父上は凄い魔力をお持ちなんだな」

「まあね」


「とりあえず俺の邸へ」

「えっとぉ」

 ついて行っていいものかシャローナは迷ったが、

「その娘を休ませなきゃならないのだろ? 心配するな、ここは王宮から遠く離れた西方だ」


 西ということは、ウエンディの転移魔法は正確にボアイエを目指していた。あと少しでこの国から出られたのだとシャローナは思ったが、

「あれは……」


 西と思われる方向に山の影が見えた。

「あれはオティス鉱山、死の山だけどな、あれを越えれば隣国だ」


 オティス鉱山、エレナの記憶の中に出てきた場所だ。

「ここはオティス領内なの?」

「いいや、ここはヴェレスト領だ、俺はリーンハルト・ヴェレスト、ここの領主だ」



   *   *   *



 ヴェレスト公爵邸はエレナが住んでいた時のままだった。古くなっているが、修繕はされていない。しかし、掃除は行き届いていて綺麗だった。

 懐かしさを感じたのは前世の記憶、しかし、当時のような活気は感じられない。


「なにをやらかして王太子に追われているかは知らないが、安心しろ、我が家は反王族派だから」

「それ言っちゃっていいいの?」

「お前も追われていると言うことは、訳アリなのだろ? 他国の間者か?」


 シャローナは答えずに質問返しした。

「あなたは公爵なの? 令息じゃなくて」

「ああ、父は二年前、魔獣に殺されたから十八で継いだ」


 赤毛と翡翠の瞳はヴェレスト家の血筋を現わしている。おそらく彼は家を継いだエレナの弟の孫だろう。

「ごめんなさい、不躾なことを聞いて……お祖父様も亡くなられたの?」

「ああ、家族はみんな魔獣の犠牲になった」


 魔石の不足は生活の大きな影響を与えたようだ、エレナの実家は危機的状況に陥っている。

「いや、それより、お前たちは」

「あの山はなぜ死の山と? かつては魔石が採れたと聞いているけど」

 質問を変えるシャローナにリーンハルトは怒りもせず、身元を明かしたくないのだろうと察して、追及するのをあきらめることにした。


「五十年前、オティス領全域が猛火に包まれたんだ。人の手によって鎮火させられる炎ではなかったらしいから、おそらく誰か強い魔力を持っていた者が、なんらかの理由で魔力暴走したんだろうと推測された。しかし、出火元のオティス邸にいた全員が死んでしまったから何が起きたのかわからないままだ。俺の大叔母に当たるエレナ様が嫁いでいたが、彼女も犠牲になったようだ」


 原因はエレナの魔力暴走だが、エレナが膨大な魔力を秘めていたことを家族も知らなかったようだ。シャローナは全員殺してしまったのかと改めてショックを受けた。毒が回って意識が朦朧としていたため、魔力暴走も意図して起こしたものではない、エレナ自身もこれほどの魔力を持っていたことを知らなかったし、これほどの怒りを溜めていたことにも気付いていなかった。


「一ヵ月に渡って燃え続けたオティス鉱山が死んで、魔石が採掘できなくなった時、王家は嘆くばかりでなんの手も打たなかった。魔石不足で魔獣は増える一方なのに対策を講じなかったから、多くの犠牲が出た領主たちからの信用を王家は失っているんだ」


「間者かも知れない私にそんなこと喋っていいの?」

「なぜだろうな、お前とは初めて会った気がしないんだ、魅了の魔法でも使えるのか?」

「まさか」


「それに、こんな話は秘密でも何でもないからな。先日、ボアイエ帝国から皇女を迎えたことで、やっと魔石の輸入量が増える目途がついたみたいだ。これを機に国家を立て直してくれればいいんだけど」


「うーん、立て直しどころか、この国は亡びるわよ」



   *   *   *



 その頃、ランズベリー王宮では、突然、転移魔法で現れたボアイエ帝国の騎士団に占拠されて、混乱をきたしていた。


 シャローナの腕輪に込められた加護が発動したことにより、シャローナの命に係わる事態が発生したと判断され、直ちに派遣されたのだ。指揮を執るのは軍事面を任されている第二王子のジュリアス。彼もまた末っ子のシャローナを愛してやまないシスコンの兄だった。


「シャローナ! どこだ! 無事か!」

 叫びながら王宮を闊歩する。


 そこへ計画通り、シャローナの姿に化けたルラヴィが現れ、

「何事ですお兄様、私はここに」

 ジュリアスに駆け寄るが、ジュリアスは彼女を一瞥すると、容赦なく剣を振った。三人の兄を持つシャローナは、ただお兄様とは呼ばない、二番目に兄はジュリ兄様だ。それに愛してやまない妹を見間違えるはずもない。


 悲鳴を上げる間もなく、ルラヴィの首から上が胴体から離れた。

 床に落ち、ハリウェル王太子の足元に転がる。

「ひっ!」


 悲しみより恐怖で縮み上がるハリウェルに、ジュリアスはルラヴィの血が付着した切っ先を向けた。

「これはどういうことだ?」

 転がった顔はルラヴィに戻っている。


「ぼ、僕も騙されていたんです、まさか偽物だなんて……」

 言い訳しようとするが、次の瞬間、ハリウェルの頭部も床に落ちた。


「愚か者が、そんな嘘が通用すると思ったのか」


 駆け付けた国王夫妻は息子と愛人の生首を見てよろめいた。そして息子が大切な初夜になにをやらかしたのかを察した。お飾りの王太子妃にするのは承知していたが、もう少し我慢できなかったのか! しばらくは優しく接して懐柔できなかったのか、愚か者! と心の中で叫んだがもう遅い。


「シャローナ皇女はどこだ! 早くお連れしろ!」

 従者に叫んだが、

「それが、皇女様は王宮から逃げ出されました」

「なんだと! なにがあったんだ!」


「それはこちらが聞きたい、が、ちと早まったな、二人からはもう聞けない。まあ、シャローナの居所は腕輪が示してくれるから、そちらへ向かうとするか、お前たちの処分はそれからだ」



   *   *   *



 翌朝、シャローナは馬の背に跨り、使われていない街道を常足で進んでいた。五十年前、オティス鉱山から採れた魔石を王都へ輸送するために作られた街道だ。


 リーンハルトが横に並んでいる。

 そこへ後ろから騎士が駆けつけて報告した。


「王都が制圧されたようだ。君が言ったとおりだな」

 報告を聞いたリーンハルトはシャローナに伝えた。

「まあ、思ったより早かったわね」

「転移魔法でいきなり王宮に騎士団が現れたそうだ。圧倒的な強さで、抵抗する間もなかったようだ」

「でしょうね、ボアイエ皇帝の騎士団は最強よ」


「ボアイエ帝国の皇女だったなんて」

 昨夜は口を割らなかったシャローナだが、今朝になりウエンディが少し回復したのを確認してから正体を明かした。リーンハルトは薄々気づいてはいたものの、朝食をガツガツ食べる少女が大国の皇女だとは信じられなかった。


 その後、シャローナの頼みで旧オティス領に向かっている。

 シャローナは自分がここまで来たのには何か意味があると感じて、どうしても救援が来る前に、オティス領へ行ってみたかったのだ。


「酷いのよ、初夜を迎える時になって『君を愛することはない、俺には愛する女性がいる、君は政略結婚の相手に過ぎない』なんてぬかしやがるの」

 シャローナは笑い話のように昨夜の出来事をぼやいた。


「バカなのか?」

「バカよ、結婚式を挙げたからもう大丈夫だと高を括ったのね。まあ、あんな男に騙された私もバカだけど」


「それで逃げて来たのか」

「だって、明日には塔に幽閉すると言われたのよ」

「バカなのか? そんな宣言するなんて、今夜中に逃げろと言っているようなもんじゃないか」

「私が逃げられないと油断していたのね、まあ、一人じゃ無理だったけど、ウエンディが救い出してくれたの」


 ウエンディは二人の後方に控えている。一晩ぐっすり眠ったので、すっかりとまではいかないが回復している。


「毒を飲まされた身体で、私を転移魔法でこんなところまで飛ばしてくれたのよ、ボアイエ帝国から救援が来たならもう安心だわ」

「ここへ来るのか?」

「ええ、これに父の魔力が込められているのなら、居場所は特定できるはずだから、きっと、父はこうなることを予測していたのね」


 当時のシャローナは初めての恋に舞い上がっていて聞く耳など持っていなかった。ハリウェルを一ミリも疑っていなかった。愛されていると信じているシャローナに誰が何を言っても無駄だった。


 シャローナ自身が自分の浅慮に気付くしかない、世間知らずの皇女に少しは痛い目を見て勉強させようと、危険を承知で送り出したのだ。そんな父の思いを今更知ることになった。


「この国は亡くなる、飛び地だけどボワイエ帝国の一部になるでしょう、でも心配しないで、逆らわなければ国民の生活は今より豊かになるはずよ」

「今の王家よりマシってことか」

「マシどころか、十倍優れているわよ、どれだけの国土を統治していると思っているの」

 シャローナは自分のことのように胸を張った。





 程なく到着した旧オティス領は見渡す限り焼け野原だった。建物の跡さえ残っていない、全て灰燼と化して、鉱山だけが奥に聳えていた。


 その寒々しい風景はエレナの絶望を現わしているようで、シャローナは鳥肌が立った。


 馬から降りたシャローナは街道脇の焦土に足を踏み入れた。


 その時、足元からなにかが上がってくる感覚を覚えた。それは今まで自分な中には少しも無かった魔力の流れのように思えた。

(エレナの魔力の残滓?)


 エレナの激しい怒気、恨み、絶望、そして悲しみがまだこの地に暴走した魔力の欠片と一緒に残っている。


(エレナを虐げたオティス家は滅んだし、そうなるように仕向けた王家も滅ぶ、そろそろ怒りを鎮めてもいいんじゃないかしら)


 そして、ふと気付いて屈みこんだ。


「これは」

 ぺんぺん草が一株生えている。

「ここ五十年、雑草すら生えない焦土だったのに」

 リーンハルトも屈んで、目を丸くしながらそれを見た。


「蘇ろうとしているのね」

 シャローナはスクッと立ち上がり、拳を握った。

「決めたわ! 私、この地を貰う」

「貰うって?」


「どうせ母国へ帰っても、騙されたあげく捨てられた傷物、笑い者になるだけだわ。それなら、この捨てられた地を貰って、再生させることに尽力する」

 シャローナは広が焦土を見渡した。


「なぜこんな土地を? 君は、以前ここへ来たことがあるのか?」

「いいえ、初めてよ」

 前世は住んでいたけど、と言う言葉を飲み込んだ。

「それにしては、なんか懐かしそうに見ているから」


 事実懐かしいのだ、それはシャローナではなくエレナの記憶なのだが、彼女の記憶はもうシャローナの一部になっていた。

 そう思うと、目の前にいるリーンハルトにも懐かしさを感じる。あの頃の弟によく似ている。『ああ、ジョシュアに会いたかった』そう思うのはエレナの記憶。


 かつては緑豊かだったこの地を焦土に変えたのは前世の自分だ。その罪を償うチャンスを与えられたような気がしていた。意図せずとはいえ多くの人の命を奪ったことには違いない。


「そうね、なぜかしら懐かしく感じるの、私はこの地を蘇らせるためにこの国に導かれた気がするわ」

「いやいや、嫁入りしてきたんだろ、騙されてだけど」

 リーンハルトは思わず突っ込む。


「それも運命だったのよ」

 そうやって自分はこの地に導かれたのだ、そう思うことにした。


 シャローナがエレナの生まれ変わりだとリーンハルトに打ち明けるのは、もう少し先の話になる。



   *   *   *



 ハリウェルとルラヴィがジュリアスに斬り捨てられたと聞いても、シャローナはなにも感じなかった。ハリウェルへの恋心はとっくに消えており、騙されたからと憎む気持ちもなかった、もうどうでもいい存在だった。


 ただ、ハリウェルとの出会いがなければこの国へ来ることもなかったし、前世の自分を思い出すこともなかった。その点は感謝している。


 ジュリアス率いる一個小隊程度の騎士団で、ランズベリー国王は呆気なく掌握された。そもそも王家のためにボアイエ皇帝と戦おうなんて上位貴族はいなかったからだ。


 ランズベリー国王はボアイエ皇帝の一部となり消滅した。


 王家に不信感を持ち距離を置いていた貴族は、それまで通り自領を治める権利を与えられた。

 王家と親密にして王都で甘い汁を吸っていた腐敗した貴族は断罪され、身分と領地を剥奪された。それらの領地は、旧ランズベリー国王を統治するために派遣されたボアイエ皇帝の甥にあたるリチャードが治めることになった。


 シャローナは迎えに来たジュリアスに連れられて、いったん母国へ帰ったものの、また我儘なおねだりをして旧オティス領を再生するために戻った。





 そして十年後。

 焦土だったオティス領に田畑が蘇った。その地を離れていた元オティス領民の子孫たちが、先祖の土地に帰って来た。しかし、もうオティス領ではなくヴェレスト公爵領に併合されていた。


 それはシャローナがリーンハルト・ヴェレストと結婚したからだった。


 前世のエレナの記憶からするとリーンハルトは弟の孫、容姿も似ているし身内のような感覚が拭えなかった。だからなかなか恋愛感情は生まれなかった。しかし、時間をかけて口説かれて、リーンハルトの押しの強さに徐々に気持ちが変化していったのだ。


 初夜に『君を愛することはない』なんて言われることもなく結ばれて、その後、子宝にも恵まれて、シャローナは幸せな日々を送った。


   おしまい


 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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