資本主義のゾンビ
「お前の小説、変わっちまったな」
唐突に言われて、ストローを噛んだまま固まった。
「何が?」
親友はいぶかしげに眉を寄せる。
「昔はもっと、自由で皮肉で、刃物みたいに尖ってた。
今は、丸い。万人受けしそうだけど、お前らしさは薄い」
胸の奥に、図星を刺されたような痛みが走る。
「……わかってるよ。他人の評価と金に、ちょっと目が眩んじまったんだ」
親友は笑って、僕の背中をぽんと叩いた。
「なんだ、自覚はあんのかよ」
「そりゃあるさ。本当は、思いついた言葉をそのままぶん投げるみたいに書きたい。
でもそれじゃ何も手に入らない。だから“受け”に寄せてる。生きるために金が必要なんだよ」
「お前さ、資本主義の鎖に囚われてるぞ」
急に難しい単語を出すから、飲んでいたアイスティーが変なところに入った。
「どういうこと?」
親友は、いつもの“架空の眼鏡”をくいっと上げる癖をつけてから、得意げに語った。
店の奥でエスプレッソマシンがうなる。
その音にまぎれて、親友の声だけがやけに滑らかだった。
「資本主義ってさ……。たとえば、好きで描いた落書きを急に“採点”されるみたいなもんだよ。
点数がついた瞬間、遊びじゃなくなって、売れなくちゃ無意味な価値観に縛られる。すると途端につまらなくなる」
胸のあたりが、じわりと重くなる。
「……確かに。前に好きだったバンドもさ、メジャー行ったら、急に攻めた歌詞やめちゃって、つまらなくなった」
「そういうこと。“売れる”ってのは表向きは幸せに見えるけど、表現者にとっては檻だ」
言葉が途切れた瞬間、二人のあいだにだけ小さな静けさが落ちた。
アイスティーの氷が、遅れてコトンと鳴る。
「……俺さ」
と、急に声が小さくなった。
何度も言いかけて、言葉を飲み込んだあと、
「……バンド辞めようと思ったこと、何度もあるんだ」
親友は指先で紙ナプキンをちぎっていた。
ちいさな白い欠片がテーブルに散る。
「でも、自分のやり方を手放したら終わりなんだよ」
その言葉で、机の奥底に眠っている昔のファイルを思い出した。
印刷もしていない、眠ったままのデータたち。子供の頃に書いた、稚拙で乱暴だけど、自分でも笑うほど自由だった原稿たち。
乱暴な言葉ばかり並んでいるのに、あれだけは確かに生きていた。
あの頃は、文章を書くだけで胸が跳ねて、時間を忘れていた。
「……間違ってたかもな」
僕はストローを一度指で転がした。氷が沈んで、薄くなった甘さが舌に触れる。
妙にそれが、今の自分みたいだと思った。
「でもさ。好きなことだけやって、生きられるわけないだろ?」
言うそばから、自分でもその言葉が“どこかの受け売り”に聞こえた。
親友はため息まじりに笑う。
「その考え自体が、資本主義に洗脳されてると思うぞ。
お前、本当に”最低限の仕事じゃ生きられない”って証拠あんのか?
それにさ……売れた世界のどこに幸福がある?」
胸の奥に、また鋭い光が刺さった。
窓の外では、曇り空の切れ目から光がにじんでいた。
それが、さっきまで気づかなかっただけなのか、今ようやく射してきたのかは分からない。
「ははっ……そうだな。他人と比べると惨めになることもあるけど──」
言葉を続けながら、自分が誰と争っているのか急に分からなくなった。
苦笑していると、親友は肩に軽く拳を当ててきた。
怒っているわけじゃなく、むしろ“気づけよ”という合図みたいに。
僕はその拳を無視して、素直に続けた。
「つまりさ。“周囲に認められたい”とか“売れて金持ちになりたい”って欲望自体が……資本主義の奴隷ってことか。
他人を意識しないで、自由に書いて、勝手に読まれて、売れたほうが……いや、むしろ売れない方が幸福なのかもしれない」
そこでふっと息をつく。
僕はアイスティーを撫でるように回した。
氷がひとつ、沈んだ。
何をどう言えばいいのか分からなくて、ストローの影だけが揺れた。
「好きで書いたものが、誰かに自然と届く。その偶然が一番うれしい。
評価を取りに行った瞬間、なんか自分じゃないものになっちまうんだよな」
親友はにやりと笑って、サンドイッチを皿に置き、僕を指した。
「だろ?お前は“好きにやってる時の文章”が一番強いんだよ。昔のお前の小説な、読んだあと喉がヒリッと痛くなる感じがあったんだよ」
親友がそんなことを言うから、胸の奥が少し温かくなった。
「でも、売れたいよ……」
「……俺もだよ」
その一言のあと、珍しく視線をテーブルに落とした。
「けど、自分を置き去りにしたら、その瞬間から全部ずれる」
親友の笑いは、どこか自分を励ましているようにも見えた。
親友の肩を叩いた瞬間、
胸のどこかで、くすぶっていた小さな火がぱちりと音を立てた気がした。
僕と親友は視線を合わせ、架空の眼鏡を指で持ち上げながら言った。
「他人に目が眩んだ瞬間に、」
「人は、生きてるフリのゾンビになる」
「そんな奴らは撃ち倒せ!バンバンッ!」
二人で声高らかに笑った。
──帰り際、喫茶店の角の席に目が吸い寄せられた。
隅に置かれた古いランプが、ふっと揺れた。
その灯りが胸の奥の火と重なって、指がうずいた。
久しぶりに、何かを書きたくなった。
その気配だけで、胸の底で、眠っていた光が薄く呼吸し始めた。




