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死ねない君のセブンティーン ──人工の命と、ありふれた放課後。  作者: 黒月一


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6/6

6,苦悩

 犬居彩芽の朝は早い。

 まず午前六時ちょうどに起床。その後、洗顔をしたあと、自身の弁当と朝食の準備。

 朝食を食べ終わったあとは制服に着替え、ごく簡単なメイクを顔と髪ともに一〇分で済ませ、持ち物の確認をする。

 七時二〇分に自宅を出て、徒歩三〇分で学校へ向かう。


 朝は基本的に仲の良い友人と会話を弾ませ、授業では優等生らしく勉学に励む。

 昼の休憩時間では、友人とともに弁当を食べ、委員長の仕事が入ったときには手早くそれを済ませる。

 午後からも、周囲が眠気で死にかけている中、凛とした様子で授業に真面目な態度で取り組む。

 放課後は自分の所属している文芸部で、仲間とともに楽しく活動をし、一八時半に下校。


 家へ帰ったあとは、着替えを済ませ、すぐに夕食の準備を済ませる。

 夕食後はお風呂へ入り、その後にスキンケア。

 次の日の授業の予習を済ませ、二十二時に就寝。


 特にこれといって特徴的なことはない、勤勉な高校生の日常である。

 一度この生活について友人に話してみると「えっ怖……」という反応が返ってきたが、おそらく普通だ。

 彼女はそう思っている。


 多少は真面目すぎる面もあるが、かといって特段おかしいというわけでもない。

 その点で見れば、彼女は普通だ。

 


 普通でありたい。

 常日頃から、そう考えていた。



「──ねぇ委員長。お話いい?」


 ある日の放課後、クラスメイトである青山百合葉から話しかけられた。

 思い当たる節はある。

 おそらく昨日、彼女と仲が良い男子の時間を奪ってしまったのが原因だろう。


「……いいわよ。昨日のこと?」


「うん。話したいことがあるからさ。校舎裏に来て。事務室倉庫の近くね」


 事務室倉庫がどこにあるかを思い出して、彩芽はある程度どんな話がされるのかを予想した。

 聞かれたくないことか、はたまた暴力的なことか。


 事務室倉庫は学校の隣に面している山のほうにあった。

 倉庫には体育祭で使われる団旗や、組み立て式のテントが置いてあるのみで、行事がなければほとんど使われることはない場所だった。


 倉庫に面している校舎には、事務室に続く、小さな小窓がついてるドアしかない。

 事務室に続いているとはいえ、その事務室に向かうまでの道にはトイレや、小道具や書類をしまう倉庫もあり、事務室倉庫からは少し離れている。

 

 ──つまり。


 人が全く来ない場所なのだ。

 大声を上げたって気づかれることはまずないだろう。


「わかったわ。今から?」


「うん。後から私も行くから」


「そう。じゃ、また後でね」


 彩芽がそう言うと、百合葉は別のクラスメイトのもとへと走っていった。

 彼女と仲が良い男子。春阪マヒル。普段から何を考えているか分からないクラスメイト。

 彩芽は彼を見ていると、まるで彼が人間ではないような、そんな気がしてしまう。

 人間でないのはこちらの方なのに。


 青山百合葉から指定された事務室倉庫付近は、周りを木々が囲んでおり、山がある方は背の高い柵が道を阻んでいた。

 彩芽が立っているこの場所も、校舎の陰に隠れるようにして、全体的に涼し気な落ち着いた雰囲気を漂わせていた。

 用事がなければ、ここに人が来ることは決して無いだろう。


「来てくれたんだ」


 そんな声が背後からして、彩芽は振り返る。

 百合葉が立っていた。 


「約束は守る主義なのよ」


「へぇ、さすが忠犬って感じ?」


 言われて、彩芽は警戒した。

 自分が人狼だということが知られている。


「感心しないわね。盗み聞きかしら」


「何のことかなぁ。私、今ご機嫌斜めなんだ」


 そんなことは見れば分かる。

 彼女の背中からはカマキリの腕が二本生えており、口元はひび割れていた。

 まだ抑えている方なのだろう。でなければ、すでに自分は捕食されていただろうから。


「あなた、耳は良いのかしら」


「わかんない。でも、耳をすませば隣の教室のひそひそ話ぐらいは聞こえたよ」


 やはり昨日の会話を聞かれていたらしい。

 今この場でその話をするということは、昨日の話の内容が気に食わなかったのだろう。

 彼女の目は一切笑っていない。


「そう……。なら一応聞くけれど、あなた、春阪くんのことが……」


 ヒュンッ。

 顔面の横を、何かが通り過ぎた。

 振り返ると、少し離れた場所に生えている木に、ハサミが突き刺さっているのが見えた。


「八つ当たりする人を好きになる人はいないと思うわ」


「私は人じゃない」


「見た目は人よ」


「中身は化け物だよ。死ぬこともできない、異形の姿は気持ち悪い、人も食べる。結局、私はマヒルくんに好かれてもらえない化け物なんだよ」


 冷静な声でそう言った百合葉の姿が変化した。


 カマキリの腕は四本へと増え、元の腕は細く伸び、指先は鋭い黒爪へと変じていた。

 背中を覆う甲殻は濡れた鏡面のような艶を帯びて深い黒に染まり、強制的に引き伸ばされた肉体は、皮膚が裂け、その隙間からは細く引き締まった筋繊維の束がこちらを覗いている。


 口元はミルワームを思わせる無機質な口器へと変貌していたが、そのすぐ上にはまだ青山百合葉の美麗な容姿が残っている。

 異形の中に残る人間性が、皮一枚で繋ぎ止められているかのようだった。


 脚はバッタの後肢を思わせる四本へと変わり、その巨躯を支えているというのに、それはどこか軽々しく、魅力的な靭やかさを持っている。


 さらに背後に伸びた巨大なトカゲの尾は、体の付属品というには重量を持ちすぎており、あれの薙ぎを一身に受け止めてしまえば、ひとたまりもないだろう。


 彼女に残された人間らしさは、鼻から上の端正な顔立ちと、制服の布地がかろうじて残る上半身の一部だけだ。


「この姿を見て、あの人は好いてくれると思う?」


「……」


 口器を震わせ、百合葉はそう問う。

 彩芽はその姿を見て、何も言うことができなかった。

 目の前にいるのは、自分のような異形とは一線を画す、クリーチャーなのだ。


「……もういいわ。人間の姿に戻って」


「答えになってない」


 百合葉が一歩、彩芽に近づいた。

 瞬時に彩芽も人狼へと姿を変えた。


 突起した鼻、鋭い牙、黒い体毛の生えた全身に、四肢は爪を生やした脚へと代わり、禍々しさを帯びた唸りを上げる。

 見た目こそ狼そのものだが、元の姿の倍ほどの大きさを有しているその見た目は、やはり異形といえるものだった。


「……いいなぁ。私の蟲と爬虫類とは違って、委員長はシンプルなわんちゃんだもん」


「そうね。確かに私はあなたと違って、恵まれた姿を持っているわ」


 彩芽がそう言うと、百合葉の首元の鱗が逆立ったのが見えた。

 まさしく逆鱗に触れる言動だろう。


「でも、あなたは優しい心を持ってるじゃない。じゃなきゃ、今頃私はミンチになっていたはずよ」


「今からお望み通りにミンチにしてあげてもいいんだよ?」


 百合葉がそう言って、尻尾の先を彩芽の方へ向ける。


「ねぇ青山さん」


「なに? 委員長」


「あなたは特別なのよ」


「……どこが?」


「私は狼の力しか持っていないわ。あなたの不死性も、複数の生物の特性も持ってない。戦闘能力も、あなたと比べれば遥かに劣る」

「それでっ!? 私は普通の女の子でいたいんだけどっ!」


 百合葉が叫ぶと、地響きが起こった。

 地を震わすほどの悲痛な叫び。

 彩芽はその叫びを聞くと同時に、筋肉が瞬時に収縮してしまって、思うように体が動かせなくなった。


「こんな力、ほしくなかった。人も食べたくないし、化け物にもなりたくない。死んだらそのまま死んだままがよかった。普通の恋をして、普通に生きていたかった。特別? 知らないよ。私にとって、これは呪いなんだよ」


 彩芽が自分の発した言葉が彼女の琴線に触れるものだと気づいた頃には、百合葉はすでに目の前に立っていて、こちらを見下ろしていた。

 四足歩行ながらも全高一七〇センチ以上はある彩芽の図体を遥かに上回る巨体。


 勝てない。

 本能がそう判断した。


「そういえば私、異形は食べたことがなかったな。今あなたを食べたら、私は死ねるようになるのかな」


 百合葉がそう発した瞬間、口器が大きく開いて、闇が広がった。

 動けない。全身の筋肉という筋肉が硬直してしまって、目の前の恐怖に立ちすくむしかなくなっているのだ。


「や、やめ……」

「──百合葉ちゃんっ!」


 声がした。


「あーぁ」


 気づけば、目の前にいる化け物は可憐な少女の姿になっていた。

 少女の背後には春阪マヒルが額に汗を浮かべた様子で立っている。

 おそらく、なんらかの方法で百合葉が異形になったことを知り、死に物狂いですっ飛んできたのだろう。

 彼に助けられたらしい。


「その狼は……」


「委員長だよ。あの人も異形みたい」


 さきほどよりも柔らかい声。

 おそらく、微笑んでいるのだろう。

 自分に背中を向けている少女の表情を、彩芽は憶測でしか判断できない。


「……喧嘩?」


「まぁ、そんなところかな。ごめんね、委員長」


 百合葉が振り返って、頭を下げてきた。

 その表情はどこか申し訳なさそうで、さきほどまでの態度が嘘のようなかしこまり方。

 そこに嘘くささはなく、もしこれが嘘であるなら、彼女はとんでもない役者だろう。


「え、えぇ……こちらこそ、あなたの気持ちを考えずに発言してしまったわ……ごめんなさい」


 彩芽は狼の姿から人間の姿へと戻り、百合葉と同じように頭を下げた。

 二人が頭を下げた様子を見てマヒルは安心したのか、彼は百合葉に声をかけた。


「水下さん来てるよ」


「げー。また怒られるのヤだなぁ」


「仕方ないでしょ。異形の姿になっちゃったんだから」


「そぉだけどさぁ……あ、怒られたときは癒やしてくれる?」


「……俺のバイト代が飛ばない程度にね」


 そう言って二人は彩芽など最初からいなかったように会話をしながら、そのままその場から離れていった。

 死の恐怖をついさっきまで感じていた彩芽の体には、いまだに震えが残っており、うまく力を込めることができない。


「……ぁ」


 ポケットに入れていたスマホに通知がきていた。


『異形化しました!? 大丈夫ですか!?』


 監視役からの連絡。

 おそらく、異形になった際に通知があちらへ行ったのだろう。

 体に埋め込まれたチップが異形化を検知したことで、自動的に位置情報と異形になってからの経過時間が送られたのだ。


「私もお叱りコースね」


 彩芽はそう呟くと、その場で屈み込んだ。

 はぁ、と息をつく。


「やっぱり、恋っていいわね」


 心臓の高鳴りが聞こえる。

 死の恐怖とは別に、彩芽は複雑な恋心を目の当たりにしたことで、体が硬直していたのだ。


「彩芽さーん!!」


 きた。


「遅いわよ。もう事も済んだわ」


 彩芽がそう言って出迎えたのは、スーツを纏った若い女だった。

 桐谷明夏。特課のメンバーの一人であり、つい二年前に彩芽の監視役になった人間である。

 明るくお転婆な性格で、黒髪のポニーテールが特徴的であり、容姿もある程度整っている。

 ある意味、彩芽とは真逆の人間である。


「ありゃ!? 人食べちゃったんですか!?」


 明夏は周りを見渡して、彩芽の周りに人間がいないことに気が付き、そう言った。

 異形化するということを、彼女は人間を捕食するためだと考えているのだ。


「まさか。ちょっとクラスメイトと喧嘩しただけよ」


「喧嘩って……大丈夫ですか!?」


「あら、心配してくれるの?」


「いえ相手の方です」


「噛み殺すわよ」


 彩芽は明夏にそんなことを言いながらも、表情をほころばせていた。

 緊張が解けたのか、全身の震えも収まっている。


「あ、尻尾出てますよ。めっちゃ振ってますね」


 明夏がそう指摘して、彩芽はようやく異形化が解けきっていないことに気がついた。

 狼の耳も頭部に生えたままだ。

 ぴょこ、と片方の耳を畳んで、明夏の方を見る。


「あー。そうね。……今の私はご機嫌斜めなの」


「えっでも、尻尾見るとめっちゃ嬉しそっ──」


 明夏の口を人差し指で塞いで、彩芽は自身の顔を彼女の顔の目の前まで近付けた。

 尻尾が大きく揺れているのを感じながら、明夏の下半身に手を伸ばし、少ししたり顔で彩芽は口を開く。


「だから、今日は明夏に癒してもらおうかしら」


 決まった。

 彩芽はそう確信した。


「いいですよっ!! 何して遊びます!?」


「…………映画でも見るわよ」


「いいですね!!」


 このド鈍感監視員が。

 彩芽は心の中で舌打ちをした。

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