4,いつもの少女
朝、目が冷めて時計を見る。
一〇時三九分。
土曜の朝にしては、いつもより遅めの起床時刻だった。
「っんー!!」
背伸びをして、凝り固まった筋肉をほぐす。
ふと、私は昨日あった出来事を思い出して、自分の体に鼻を近づけた。
「臭く、ないよね……」
大丈夫。ちゃんとお風呂で血の匂いは落としたし、いつもより強めにゴシゴシと体を洗った。
臭く……ないはず。
ひとまず私は自分をそう納得させてべッドから降り、リビングへ向かった。
研究所のすぐ近くにある私の家は、私一人で住むには充分すぎるほど広い。
多分、リビングだけでテニスができるだろう。しないけど。
水下さんいわく、私が半異形の姿でも生活ができるような家になっているらしい。
だからか、廊下の横幅はまっすぐ寝転んでも壁との間に大きく隙間ができるほどに広いし、玄関は豪邸によくある両開きのドア付きとなっている。
「冷蔵庫までが遠いんだよねぇ」
私はそんな独り言を呟きながら、冷蔵庫から牛乳を取り出し、戸棚からシリアルを取った。
人間の食事を摂る必要はないのだけど、お腹は空くので、空腹を紛らわせるための食事だ。
「いただきます」
私はそう言って、皿に注いだ牛乳にシリアルを浸し、口の中へいれる。
水下さんが来てくれる日は、いつも彼が何かしらの料理を作ってくれるのだけど、彼がいない日はついシリアルで済ませがちだ。
別の食べ物に変えるにしても、新しい食事を探す手間も時間ももったいない。
というより、めんどくさい。
そもそも、空腹を満たすための食事なので、栄養やらなんやらに気を使う必要はないのだ。
ピコン。
私がそんな変なことを考えながら食事を摂っていると、スマホに通知が入ってきた。
『体の調子は大丈夫?』
マヒルくんからだ。
「……今日やばいかも」
私は高揚している気持ちが文に表れないように気を付けながら、スマホのキーボードに指をすべらせる。
『うん! 大丈夫だよー! そっちは大丈夫だった!?』
……いや、少し表れているかもしれないが、これぐらいだったら許容範囲だろう。
いつもの私の口調そっくりだ。
『うん。軽い脳震盪だったよ。すぐに治るって』
その文を見て、私は少しほっとした。
もしあの時私が油断していなかったら、マヒルくんは怪我をすることはなかったのに。
あの時の怪我が、もし大事に至っていたらどうしよう。
昨日はそんなことばかりを考えて、つい夜遅くまで起きてしまっていた。
『一応、しばらく安静にしなきゃだね』
『うん。だからドロップキックとかはしないでね』
私はその文を見て、水下さんにドロップキックを食らわせたことを思い出した。
今度からはマヒルくんのいないところで水下さんをシバこう。
『そんなことしないよ!?』
『冗談だよ。あっ、ビンタもなし』
そんなことしないよ、と打とうとして、昨日彼をぶったことを思い出した。
少し申し訳ないとは思うけれど、あれはマヒルくんが悪いと思う。
『太るなんて言うから……』
『あれはごめん』
そんなメッセージとともに、両手を合わせた絵文字が送られてくる。
あっちも一応、申し訳なさを感じているらしい。
『あっでも、 やっぱりビンタは良くなかったかも! ごめんね』
『大丈夫だよ。気にしてないし』
気にしてない、か。
良かった。
私はいつの間にか出ていたトカゲの尻尾をばたばたさせながら、次の返事をどうするかを考える。
多分、このまま適当な答え方をしていたら会話が終わってしまう。
別にそれでもいいけど、できればまだ会話を続けていたい。
「えーっと、えっと……」
『私の今日の朝ごはんはなんでしょう』
──私は何を言っているんだろう。
『パフェ』
「違うよぉ!?」
私は思わずそう叫んだ。
朝ごはんにパフェを選ぶって、マヒルくんは私のことをどんな風に思っているんだろうか。
『重たいよ!!』
『クレープ三つ食いするから、朝にパフェ食べててもおかしくないなって』
確かに、確かにそうだけど。
そう考えると私、結構食べる方なのでは……。
『決めた……ダイエットします』
『いきなりだね』
『これ以上重いって思われたくないもん』
『俺は思ってないよ。水下さんは思ってるだろうけど』
『つぎ水下が私のこと重いって言ったら、そのときは私の代わりに殴って』
『善処します』
水下さんは悪い人ではないことは知っている。
私が暴走したときには死に物狂いで向かってきてくれるし、私の健康も気遣ってくれる。
私にとっては、お母さんのような存在だ。
……この場合はお父さんかな。
ただ……私のことを重いって言ってくるのは流石に許しがたい。
いくら私が化け物だからって、言って良いことと悪いことはあるのだ。
一応これでも乙女なんだから。
『マヒルくんって、水下さんのことどう思ってるの』
『気前の良いおじさん』
『おじさんて。あの人二〇半ばだよ?』
『見た目おじさんじゃん』
『疲れが溜まってるんだよ……』
もっとも、その疲れの原因はほとんど私なのだが。
最近は様々なことが重なっているせいか、私の体が不安定になっている。
私の体の調整から観察、監視を行う役目を担っている水下さんからすれば、とんだ迷惑だろう。
「今度菓子折りでも持っていくかぁ」
私はそんなことを呟きながら、残りのシリアルをすべて口の中へかきこみ、残った牛乳を飲み込む。
口の中にシリアルと牛乳の風味が残って、少し気持ちが悪かった。
私はそのまま皿を持って立ち上がり、皿に水を貯めた後に洗面所へ向かう。
「……あれ」
顔を洗おうと鏡の目の前に立つと、私は自分の顔に異変が起こっていることに気がついた。
「嘘っ……そんな……」
私は顔を触って確かめる。
滑らかな曲線を指で沿わせていると、頬の上で少し違和感を感じた。
「ニキビ……できてる……」
なんで!?
思わずそう叫んで、口を抑える。
それと同時に、こんな言葉が漏れた。
「なんで……でもないなぁ……」
異形に化けるとき、ホルモンバランスがかなり崩れる。
それ以外にも、最近はろくに睡眠をとってなかったし、あまりよろしくない食事もしちゃったし……。
それに、ストレスも最近は多かった気がする。
ある意味、顔にニキビができるのは妥当なのかもしれない。
「このままじゃマヒルくんに顔向けできない……」
私はできるだけニキビに触れないようにしながら洗顔を済ませ、保湿をする。
下手に潰すと酷くなるようだし、できるだけ刺激をしないようにしよう。
『しっかりと休ませないとね』
マヒルくんからのメッセージを見て、少しどきりとする。
水下さんへの言葉なんだろうけど、少しだけ、ほんの少しだけ私に向けられた言葉のように感じて、ちょっとだけどきりとした。
『そうだね』
そう返したメッセージにスタンプがついてしまったことに名残惜しさを感じながら、私はソファに寝転がる。
「はぁ……」
溜息。
こんなに幸せで、いいのだろうか。
異形の私が、こんなに満たされていて、いいのだろうか。
そう思った。
私はマヒルくんのことが好きだ。たまらなく。
そんなことを考えても、私の心の中ではストッパーのような思いが巣食っている。
人を喰わなければいけない私が、恋をしてもいいのだろうか。
そんな思いが私を縛り付けて、動けないようにしているのだ。
マヒルくんの気持ちが私に向いていないことは知っている。
彼にとって私はただの親しいクラスメイトで、監視対象の化け物だ。
そこに恋慕のような特別な感情はない……はず。
だからこそ、私はここまで気楽な恋ができているとも言えるだろう。
片思いである以上、私と彼が結ばれることはない。
これほど安心できる恋はない。結ばれない恋であれ、彼が不幸になることはないのだから。
こんなに楽な恋ができて、私は幸せだ。
幸せだから、私は私が嫌い。
人でも昆虫でも爬虫類でもなく、死ぬこともできない化け物として造られた私は、将来的には何かに利用される運命にあるのだろう。
それが軍事的なものであれ、医療的なものであれ、結局はマヒルくんと離れ離れになる。
最終的に、今の幸せを思い出しながら、私は利用され続けるのだ。
それは一種の地獄かもしれないし、あるいは救いの場でもあるのかもしれない。
人を喰らうという悪行。喰らわずとも死ぬことはない。
悪いことをしていながら、幸せを享受し続けている私が罰を受けないなんてことはあってはならないのだから。
「はぁー」
だけれど。
できることなら。
私は……利用もされたくないし、マヒルくんともずっと一緒にいたい。
彼と付き合いたいし、彼に私を一人の女の子だと思わせたい。
そして、できることなら、私は彼に──
「殺されたいなぁ」




