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1,プロローグと夜雨と異形と

 夜の国道沿いは、雨で濡れたアスファルトが街頭を鈍く映していた

 その水面を、ひときわ鮮烈な赤が走る。


 ──血だ。


 立ち止まった春坂マヒルは、言葉を失った。

 ガードレールの向こう、自分と同じ高校の制服を着た少女が倒れている。腹部には鋭利な刃物が突き立ったままだ。

 その顔は死人のように青白く、唇は小さく開かれている。


「……君、大丈夫……?」


 近寄ると、彼女の瞳がゆっくりと開いた。

 黒目がちの瞳が、マヒルをまっすぐ捉える。

 そして、掠れた声で言った。


「もう、放っておいて……」


 次の瞬間、少女は息を引き取った。


 ──刃物が音もなく床に落ちる。

 腹の裂け目が、まるで時間を巻き戻すように塞がっていく。

 血の跡が消え、冷たかった体躯には体温が蘇った。


 少女は目を開け、濡れたアスファルトの上で微笑む。


「……やっぱり、死ねなかった」






 ──夜。

 雨の予報はなかったはずなのに、空は黒雲に覆われ、細い雨が静かに降り始めていた。


 マヒルはバイト帰りの道を歩いていた。

 傘を持たずに来たことを後悔しながらも、すでに全身が濡れきっており、急いで帰っても特に意味がないと諦めがちになっていた。


 帰ったらシャワーを浴びよう。

 靴をドライヤーで乾かさなければ。

 そんなことを思いながら、マヒルは足に引っ付く靴下に独特の気色悪さを感じながら、足を速める。


 その時、路地裏から妙な物音がした。

 金属が擦れるような、そして……なにか重いものが地面に何回も叩きつけられるような音。


 ──スマホのバイブレーションが起動する。 


「……まさか」


 思わず狭い路地へ駆け込む。

 ゴミ箱を誤って蹴り飛ばしながらも、片付ける暇もなく路地裏を走る。

 目の前に、大きな影が見えた。


「百合葉ちゃんっ!!」


 そこにはマヒルのクラスメイトである青山百合葉の姿と、フードを深く被っている男の姿があった。

 男は壁によりかかって座り込んでおり、力なく脱力していた。

 その右手には奇妙な文様が刻まれた短剣が握られている。


「……来るなっ」


 男がそう言った。

 それは明らかにマヒルに向けられた言葉であり、その言葉でマヒルはここで何が起こったかを瞬時に理解することができた。


「ストップ! 百合葉ちゃんッ!!」


 叫ぶ。

 叫ばなければいけない。

 そういう決まりなのだ。


 いや、厳密には、叫ぶことが決まりではない。

 止めようとした意思を見せることが決まりなのだ。


「口減らし、しなきゃね」


 ユリハが告ぐ。

 彼女の身体に異変が生じた。


 背中は皮膚が裂け、甲虫のような漆黒の外角が隆起した。

 白い制服はすっかりはち切れ、その隙間から現れたカマキリのような鋭い節付きの腕が四本。

 本来の手とその指は細長く伸び、爪は光を吸い込むような闇に変色した。

 首筋から頬にかけて、鱗のような硬質の紋様が浮かび上がり、瞳が蒼く染まる。

 口角はちぎれ、人間のものではない、ミルワームの口器のような口が顕わとなった。


 ──美しさと気持ち悪さと異形が同居している、月夜の化物。


「あ、あぁ、ぁっっ」


 男の声は情けなかった。

 マヒルは叫ぶのを止め、起こるであろう惨劇を待つ。

 自分の仕事は果たしたのだから、あとは特課がくるのを待つだけだ。

 男に対する同情はない。


「や、やめッ!!」


 短剣を振り回した男の右腕が飛ぶ。


「────ッ゙ッ゙ッ゙!!」


 声にならない叫び。

 ユリハが、男の体を持ち上げた。

 男の身体の方の腕の断面から大量の血が滴り落ち、それが雨粒とともに異形の甲殻を滑った。


 ドチャッっ。ドチャッっ。


 男の肉体が、液体を含んだ音を出しながらそこかしこへ叩きつけられている。

 骨は折れ、肉は潰れ、小さな部品は取れる。

 血飛沫が四方へ飛び散り、鉄と水に濡れたアスファルトの臭いに、かすかに排泄物の臭いが混じった。

 べちゃりと、血液がマヒルの頬についた。


「アーーッン」


 グチャ、モチャ。

 そんな音を出しながら、異形は男だった者の肉体を貪り喰う。


 ──このままじゃ、危ないかな。


 マヒルはそう思うと同時に、少し後ずさった。

 特課が来るのが想像以上に遅い。いつもだったらもう来ているはずなのに。

 そう思ったと同時に、マヒルの嫌な予感は的中した。


「……んぅ? まだ、いるんだっぁ……?」


 ユリハがマヒルの方を向いた。

 本格的に不味い。このままじゃ、ユリハの胃の中だ。

 マヒルは本能でそう理解すると、すぐさま彼女に背後を向けて逃げ出した。


「百合葉ちゃん待って!! 俺だよ俺!! マヒルっ!!」


 ユリハはその言葉を聞かない。その名前を無視する。


「監視役のマヒルッ!! わかる!?」


 分かるわけがない。

 彼女に理性はないのだから。


「口減ラシっ、シナクチャ」


 下顎が、ミルワームの口が、近づいてくる。

 少しでも減速したらマヒルは彼女の口の中へ入り込んでしまうことだろう。

 血と脂の凄まじい臭いがマヒルの背後にひっつく。


「クッソっ!」


 マヒルは路地を抜けて急な方向転換をした。

 それなりの速度を出していたユリハは、その巨体も相まってすぐに減速することや曲がることはできない。

 勢いを殺せなかったユリハは、そのままシャッターで閉じられた店に突っ込んだ。


「アァァァアア!!!」


 断末魔にも似た金切り声でユリハは叫ぶ。

 その甲高さと、あまりの声量にマヒルは耳を塞いだ。


 そのすぐ後に、大きな破裂音が聞こえた。

 耳を塞いでなお聞こえる、爆音。

 雨の音ではかき消せないだろう。こんな夜中に鳴ってはいけないような音。


「キァァァァ嗚呼嗚呼!!!!!」


 金切り音が更に大きくなって、マヒルの背後で巨体が倒れる音がした。


「…………はぁ、遅いですよ」


 マヒルは何が起こったのかを瞬時に理解して、後ろを振り返った。

 ユリハが血を流して倒れている横で、ショットガンを持ったスーツの男が立っている。


「まさか路地裏にいるとは思わなかったんだよ。もうちょっと開けた場所で喧嘩しろ」


「喧嘩じゃないですから。……男の人が喰われました。多分、襲おうとでもしたんじゃないですか?」


「物好きがいたもんだ」


 スーツの男はそう言うと、スリングのついたショットガンを背中に回して、懐から出した注射器をユズハに突き刺した。


「……っと。ッたく、お陰で今日は忙しくなりそうだよ」


「よかったですね。給料泥棒にならなくて」


「これでもいつもはデータ入力なんかの仕事をしてるんだよ」


 男はそのように悪態をつきながら、徐々に人間の姿を取り戻していくユズハを眺めていた。

 眺める、というよりは、また暴れ出さないかを監視しているだけだが。


「暴走を止めてこその特課でしょ?」


「……ガキ。お前いつからそんな生意気になった」


「百合葉ちゃんの監視役になってから」


「……この変異体は厄介だな」


「でしょ」


「うるせぇ」


 男はそう言うと、完全に人間の姿に戻った百合葉を肩に担いだ。


「おもっ……」

「殺されますよ」

「三回はぶたれた」

「反省しないですね……」


 小気味いいテンポで会話をしながら、男は近くに止めてあった黒塗りのセダンの後部座席に百合葉を乗せた。

 バタンッとドアが閉じる。


「じゃっ、気ぃ付けて帰れよ」


「うん。英樹(ひでき)さんも頑張って」


「下の名前で呼ぶな」


 そう言って水下英樹は運転席に座ると、すぐさま夜の街の方へと消えていった。


 女子高生を乗せた中年の車が夜の街へ消える、というのはいささか問題があるように思えるけど、乗せている女子高生がアレだし、特に問題はないだろうな。


 そんなことを考えて、マヒルは再び帰路へつく。

 顔についた血が雨で流れていくことを願いながら。


 もちろん、風邪を引いた。

たまに更新していきます

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