1話
たった2文字の言葉が言えない。そんな経験、あなたはあるだろうか?
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生徒会長である神田晃は夏休み明けの全校集会で体育館のステージ上に登壇していた。
「続きまして、生徒会長からの挨拶です」
先生に紹介されると、晃は大きく息を吸った。カッと目を見開く。
「明日行われる休み明けのテストがヤバい! そんな人はいっぱいいるだろう。でも心配すんな。大丈夫、なんとかなるって! ドントウォーリー! 俺と一緒に追試を頑張ろう!」
マイクを使わずに張り上げた大きな声は、全生徒を一瞬で休みボケから叩き起こした。
「お前もヤバいんかい!」
誰かが飛ばした野次に体育館は笑いに包まれた。
晃は今年の4月から生徒会長に就任した高校2年生だ。面倒見がよくどんな人にも熱く、優しく接するこの男は、誰からも好かれる生徒会長だった。
どんな時にも引っ張ってもらえそうな理想のリーダー的存在に恋心を抱く女子も少なくはない。
しかし、晃は女子の期待に反して恋愛は大の苦手だった。異性として相手を意識してしまうと、緊張して急にしどろもどろになってしまう。
大勢に対しては言葉がスラスラ出てくるのだが、たった1人の女の子となると言葉が全く出てこなくなるのだ。
相手が自分に期待していることを感じとり、理想と離れた姿を見たくないだろうと、今まで何人もの告白を断ってきた。
そんな晃だったが、この夏、遂に春が来ていたのであった。
ーーー
全校集会が終わり、各々教室に戻る中、2人の女子生徒が話をしていた。
「今日も生徒会長さんは熱かったね〜」
「ちょっと熱血すぎると思うけど」
「そこがいいんだよ。頭はあれかもしれないけど、高身長で顔はカッコいいし色々相談に乗ってくれるらしいしファンがすごく多いって聞くよ」
「彼女とかいないのかね?」
「そういや、この夏にできたらしい」
「へぇ〜、何でそんなこと知ってるのよ?」
「夏休み中に告ってフラれた部活の先輩から聞いた。しかも、1年生の誰からしいよ!」
「私たちと同学年か〜。でも、1年生に生徒会長さんと釣り合うような人いたっけ?」
「う〜ん、それが謎なんだよね〜」
「生徒会長さんと並んでも引けを取らない人ってどんな人だろう?」
「オシャレで明るくて活発でめちゃ可愛いんだろうね」
「それで生徒会長さんってめっちゃ熱くて情熱的でしょ? 愛を囁かれてそのまま押し倒されちゃったりして」
「「キャー」」
2人の勝手な恋愛妄想は、授業の始まりを知らせるチャイムが鳴るまで続いた。
ーーー
「なぁ、ちょっと休憩しないか?」
「まだ30分しか経ってませんよ」
疲れ果てた男の口調とは裏腹に、おっとりとした口調で女の子が答える。
制服姿の女の子は邪魔にならないように長い黒髪を後ろで1つに束ね、メガネ越しに男を見ていた。
晃とその彼女である凛子は晃の自宅で、向かい合って明日の試験の勉強をしていた。と言っても、実際に勉強をしているのは晃だけだった。
凛子は1年生だと言うのに、すでに2年生で学ぶ範囲を自力で学び終えている。本人曰く、やることがなかったから勉強していたらしい。
試験では常にトップの成績で、先生からは一目置かれているのだが、同学年の間では目立たず自分の席でいつも1人で本を読んでいる地味な女の子だった。
凛子自身、目立つことが大の苦手だった。だからこそ、ひけらかすことなくひっそりと高校生活を過ごそうと決めていたのだが、運命の人と出会い自分の気持ちを抑えきれなくなってしまった。
人前では緊張して話せない凛子が、たった1人の大好きな男の前では積極的に話すことができたのである。
そんな正反対の凛子に、晃が恥を忍んで勉強を教えてもらっていた。
「でもさぁ、ちょっと疲れたって言うか……。休憩は大事だと思うんだよなぁ」
今朝の全校集会で話したような覇気はなく、しどろもどろに思いついた言い訳を話した。
「先輩が明日の試験ヤバいって言うから教えてるんじゃないですか〜」
攻めているような口調ではなく、終始にこやかな表情で話している。
何かを思いついたように凛子の表情がいじわるな笑みに変わった。
「じゃあ、先輩が私のことを見ながら好きって言ってくれたら休憩していいですよ」
期待の眼差しで晃を見る。
晃はみるみる顔が赤くなり、自分の彼女の顔を見れずに下を向いた。
「人前ではあんなに堂々としてるのに、何で好きって言えないんですか?」
いつの間にか隣に近寄っている彼女のいい香りが晃の脳をさらに刺激した。
「逆に、どうしてサラッとそういうことが言えるんだ?」
体が硬直して動くことができず、下を向いたまま質問を質問で返す。2人の体がさらに近くなる。
「だって、私は目立つことが苦手な普通の子です。先輩みたいに人前であんなに堂々と話すことは怖くてできません。でも、大好きなたった1人にだけは堂々と本音を言いたいじゃないですか」
耳元で囁かれた言葉にドキッと心臓が跳ね上がった。凛子が頬を赤く染めながら、晃の膝の上に向かい合って座る。
「いいですよ私。先輩となら……」
筋肉質な体に柔らかい感触が伝わった。
お互いに心臓の音が聞こえてきそうなほど近い。晃の胸の中では爆音が鳴り響いていた。
ここまで言われたら、男として彼女の要望に応えたい。いや、応えなければいけないだろう。心の中で自分を鼓舞する。
「俺もす……す……」
そこで、言葉が途切れた。
長い沈黙が流れる。
凛子は長すぎる抱擁を不思議に思い顔だけを動かすと、真っ赤な顔をした晃は気を失っていた。
慌てて肩をタップする。強引に離れようとするが力が強すぎて微動だにしない。
「先輩、大丈夫ですか!?」
強引に離れようとしたせいか変な体勢になり呼吸が苦しくなってきた。そこに力強い締め付けが加わる。
「先輩、ちょ、ギブです。ヤバいです」
先ほどより力強く肩を叩くと、意識が戻った晃が慌てて離れた。平謝りする晃に凛子は満面の笑みで答える。
「私の方こそすみません。ゆっくりでいいですよ。私は先輩のことがずっとずっと大好きですから。先輩が言えるようになるまで、いつまでも待ち続けます」