ネット小説補完機関「ブルースターズ」、始動
当文書は、『小説家になろう』サイトを盛り上げようと思った一ユーザの所信表明みたいなものです。何かを思ったら、まずは行動。クールヘッドとウォームハートを持って読んでください。
以下の文章は、ネット小説補完機関“ブルースターズ”の発足、ならびに当機関の活動内容等を公表するマニフェストである。
・当機関発足の経緯と理念
「あれ?作品を投稿したのに誰からも評価されていない。感想も書かれていない・・・。」
こうした思いを『小説家になろう』のユーザ、すなわち作者の皆さんなら誰しも一度は抱いたことがあるだろう。その一人でもある私は、この事態を重く受け止めた。
仮初にも小説を書く身分としては、作品に目を通された読者の皆さまの素直な“気持ち”を知りたいものである。読んで頂いた人達の気持ちがわからないうちは、書き手にはモヤモヤした感情が残ってしまう。・・・・・何かが足りないのだ。
つまり、ネット小説とは「書いて投稿し、読まれる」だけでは未完の状態ではなかろうか。それゆえ、作品の真の完成に向けて自分たちで何かできないかと思案した。
これが当機関を発足させた動機であり、原動力でもある。
しかしながら、ただ単に「読者の気持ちを知りたいので作品を評価して、感想を書いて!」と頼むだけでは他力本願にすぎず、身勝手な振る舞いになりかねない。評価や感想がほしいのならば、最初にそう思った本人が動くべきだろう。その動き方は例えば、活動報告やツイッターを使った宣伝をする、小説のあらすじを工夫するなど色々と方法はある。
当機関においては、既存のシステムを有効利用することで、面倒でなく、かつ独りよがりにならない補完活動の実施を目指す。自身の小説を多くの人に読ませることだけが目的ではない。「人を動かす」ことに注力するのではなく「自ら動いて人を動かす」ことを理念とする。期待するのは、「書くこと」と「読むこと」の奥深くに潜む感情を媒介する働きである。それを実現できるのが、当サイトにおける「評価システム」であり「感想を書く」などといったシステムだ。ブルースターズは、それらを最大限に活用するつもりである。
・現状分析と課題
現状を分析しよう。私が現在のところ利用させて頂いているのは、主に短編小説の分野である。ここでは毎日多くの作品が投稿されているが、そのほとんどは評価ポイントゼロ、感想も書かれないままトップページから消えていく。そうした作品の大半は、おそらくそのまま未完の状態で居続けるだろう。ここで、このまま問題を放置していては、補完の必要があると思われる作品がますます増えるだろうとの予測が成り立つ。同時に、問題が派生することで今後も様々な弊害が出てくるのではないかとの懸念が強まった。
以下に、補完されないことで生じると思われる弊害を箇条書きした。
①作品が多くの人に読まれにくくなる。
②実際はアクセス数が多く人気のある作品であっても、つまらないのでは?と錯覚する。
③読者の反応がわからないため、創作意欲が減退する。表現力などが固定化する。
④評価すること、されることを避ける。
⑤評価や感想などが一部の作品に偏る。
⑥目につくトップページを確保するために作品を乱発する。
以上に挙げた問題は、私が気にしているだけの、ほんの一例にすぎない。また、勝手な推測で書いただけでアンケートなどはやっていないから、はっきりいって実態はどうかわからない。ただし、予測できるからには現実問題として十分あり得るのではないか。
特に、⑤や⑥の問題は意図的に操作できるので、人気取りのためなどに悪用される可能性もある。もっとも、全てのユーザや作品がそうだといいたいわけではない。圧倒的多数の人々は、そんなことなど微塵も考えていないはずだ。
(・・・そうでなければ、何よりも自分自身にフェアじゃない。
少なくとも、ブルースターズの考える問題の根源は、個々のアンフェアな思惑にはない。
問題の本質は「気持ちをなかなかうまく表現できないところ」にあるのではないか。
・・・これは、小説家が常に向き合わねばならない宿命である。
書くことに求めるものがある人ならば、逃げたくても、逃げられない。)
しかしながら、一部のユーザによる不正な行為などによって、サイト全体のクオリティや信用が低下してしまうと、そのマイナスの影響は計り知れない。評価や感想を得たいという、自らの理想を追い求める結果、全体に悪影響を及ぼしてしまう恐れがある。
(これでは、各々の「表現力不全」にも拍車を掛けることになる。)
課題は、サイトを利用する当事者として、この問題にどう対処するかである。
これも色々と手段はあるのだが、ブルースターズはごく単純な方法で手を打つ。
それは、「作品を読んで評価をつけるか、感想を書く」ことである。何も面倒なことはない。レビューやお気に入り登録をするのでも良い。とにかく、誰かの作品に目を通したならば何らかのアクションを起こす。たとえつまらなく感じても、途中で読みたくなくなってもそれはそれで立派な評価や感想である。その思いを形にして表現すればいいのだ。
無感動の仮面を被って何もしないのは、自らに嘘をつくことである。
言うなれば、その仮面を剥ぐことに当機関の“永遠の課題”が存在する。
・活動内容および取り決め
其の壱 1ログインにつき、投稿された作品を一つ以上評価する。または感想を書く。
作者の多くは自身が投稿した作品に対する読者の意見や感想を知りたがっている。
実際に、ユーザの自己紹介文等にそれらを期待する文字が並ぶのはその証拠といえる。
しかし、現実はシビアである。既述の通り、ほとんどの作品は評価すらされず感想も寄せられていない。その理由は一概に言い切れないが、システムが機能不全になっているのは看過できない事実である。
そこで、ブルースターズはこの状況を打破すべく上記の契約を結ぶことにした。その証書が当文書であり、これを読んでくださっている皆様が証人となりうる。
活動内容自体は無理のないものに設定している。しかし「手抜きをしてもいい」という、いいわけではない。作品を読んで自分自身に問いかけるプロセスを軽んじては、偽証しか生まれないからだ。自分にできることを考えて、それを極めてこそ本当の感動が生まれる。
その形がどうであれ、感動すること(心が動かされること)は、補完活動の一形態だ。
また、人様の作品を読んで評価する以上、最低限のマナーは守るようにしたい。感想を書くうえで敬語表現にすることはもちろん、評価することを純粋に考える。
評価の場における、自作の宣伝や怪しい団体への勧誘などは当然のことながら厳禁である。
さらに、できるかぎり総合評価がゼロの作品を評価していく。
これは「評価されていない作品だから評価しない」という、自身の経験に基づいている。誰かが評価した作品は、そこに基準が出来ているために評価しやすい。また、お気に入りユーザの作品や好きなジャンルの作品は過去の作品と対比できるから評価しやすいし、感想も書きやすい。すなわち、心を結ぶ何かしらの接点があれば、評価はしやすくなる。
一方、全く評価されていないものは情報量が少ない。そのため、最初に評価しづらくなるどころか、そもそも読まれなくなる可能性が高い。
この連鎖が続くと“ゼロ評価スパイラル”に填り、上記に挙げたような望ましくない結果をもたらすことになる。大きな負の流れに歯止めを掛けるには、ミニマックス原理的手法で地道に対応していくのが適当であると思うのだ。
もっとも、ゼロ評価作品を評価することが努力目標であることは言うまでもない。読み手にもそれぞれ好き嫌いがあるからだ。重要なのは、評価にもそれが反映されることである。それゆえに、老若男女様々な考えを持っている人々が評価に参加することによって客観的な評価を完成させる必要があるのだ。そして、少人数ではできることも限られるから、なるべく多くの人々が参加する必要がある。24時間、全世界の人が閲覧できるネット小説では、それを比較的簡単にできるはず、である。
(単なるサイト運営者側への注文になってしまうのだが、総合評価数やアクセス数のランキングを週替わりや日替わりにして公表して頂けないだろうか。また、短編部門や連載部門、ジャンル別などに細かく区分けしたランキングもできれば創設して頂きたい。)
※投稿日時現在、注文のランキングシステムが存在しているのならば無視して頂いて構わない。私の無知さ加減を露呈しているだけだからである。
また、当サイトへの不満や批判を述べたものではない。
ただの一ユーザとして当サイトを盛り上げたいと思うゆえの、願望に過ぎない。
読み手は膨大に投稿されている作品の中から読みたい作品へ辿りつくのに、種々の情報を頼りにする。評価数やアクセス数によって計られる人気度も、その重要素の一つだろう。
情報が不完全となり、うまく機能していないのならば作者と読者の気持ちも不完全となる。補完の必要性は、間違いなくそこにも存在する。
其の弐 前向きな感想を書く。
感想を書く時に問題となるのが「どう書くべきか」ということ。本当は感じたままを書けばいいのかもしれないが、それはできないだろうし、作者に失礼になることもある。
言葉のチョイスを誤るとトラブルの原因にもなる。誹謗中傷などもってのほかだ。
これらは補完の議論を妨害し、かつ補完の的を異方向に向けさせるから注意が必要である。
感想を書く作業は、簡単そうに見えて実はなかなか難しい。
はっきりいってしまえば面倒、かもしれない。しかし、それゆえに感想数が少ないのならば少し残念な気もする。作品を読んで感想を考えることは、作品を書くときにも考える力として役立つからである。
私自身が感想を書く時に気をつけているのは、“前向きな”ものにすることである。
前向きに書くヒントとしては「熟読のうえ、熟考も要する」ということである。
参考になるかはわからないが、感想を書くことを敬遠されている方は実践してみてほしい。
前向きとはつまるところ、エールの意味を込めている。言いかえれば、激励である。
良いところも悪いところもすべて、さらなる高みを目指すための材料ということである。
是非、そう受け取ってほしい。
それでも「感想を書くのが面倒である」という方は、まず作品を評価することから始めてみてはいかがだろうか。それもできないという人は、とりあえず色々な作品を読んでみるといいかもしれない。比較する対象があると、評価は格段にしやすくなるからである。
其の参 執筆活動と補完活動の両立。
冒頭にも述べたが、ネット小説とは「書いて投稿し、読まれる」だけでは「未完の状態」であるとの認識が当機関の原動力である。文章化しているが、心に宿る不文律である。
これは、「書いて投稿するだけ」または「読むだけ」では完成に至らないとの意味もある。
やはり、両方を行えるうえで補完活動もできる人を当機関は必要としている。
バランス能力に長けた人々の活動が競合することによって、均衡は自然に作られるはずだ。
なぜなら、読むことだけに特化しているユーザは少ないだろうし、そのユーザが必ずしも評価をしたり、感想を書いてくれたりするとは限らないからである。それに、感想を書くのにもそれなりの腕がいる。その数が少なくては、客観的な評価を得るのは困難である。
また、書くことだけに特化しているユーザだらけになってしまっては、ゼロ評価作品が溢れ返ることだろう。これだけは、間違いなくいえる。
それゆえに、執筆活動と補完活動の両方を行える人物が必要とされるわけである。
(・・・・・ちなみに、私見の現状では後者に近いような気がする。)
要するに、ここで言いたいのは・・・
両極どちらに偏りすぎても不均衡な状態を招く結果になるということである。
不均衡な状態が長引けば、全体の状況を悪化させるリスクが高い。
少なくとも、誰かが動かなければ、状況を打開できない閉塞感は強まる一方である。
しかしながら、当機関の活動には大いに反論の余地があることは止むを得ない。
Q1「書くだけ」、「読むだけ」で何が悪いのか?・・・何も悪いことはない。
Q2放っておけばいいのではないか?・・・その通りである。それでもいい。
Q3補完活動によって不均衡状態を是正できるのか?・・・その確証はない。
おそらく・・・
ブルースターズの考え方に共感して頂けないユーザはたくさんいらっしゃることだろう。そんな方々は、是非とも自身の信念を貫いて、それぞれの思う活動を頑張って頂きたい。
その調整役として、当機関が活動していければそれでよいのである。
本当の問題は、不文律に共感された人々の方にあるのかもしれない。
・・・共感なら、誰でもできるからである。
共感して、認知した事態を是正するために実行を伴うまでが一番腰が重いのだ。
・・・その重石となっているのは、無感動の仮面である。
共感からできる活動は無理のないもので、無理なく継続可能である。
・・・それ以上でもそれ以下でもない。良くいえば気軽、悪くいえば強制力に欠ける。
当文書を読んで、少しでも「補完活動に取り組んでみたい」と思われた方は今すぐにでも動き始めていただいて構わない。誰かの許可など必要ない。いつやめても、誰も咎めない。
・・・“機関”と仰仰しい言葉を使ってはいるが、実体は無いからである。
ただし、あなたが行った活動自体はしっかりとマイページに記録される。
・・・そう、全ての責任は自己に存在する。責任を自覚するのも、補完の一つである。
・「ブルースター」
当機関を何気なく「ブルースターズ」と呼んでいたが、これにもちゃんと意味はある。
其の零 信じあう心
ブルースターとは、南米原産の植物である。
星形の青い花を咲かせることから、そう呼ばれるようになった。
なぜ花の名をネット小説補完機関の名称として選んだのか。
それは、ブルースターの花言葉が「信じあう心」だからである。
・・・では、何を信じあうのか。
私の解釈は、「気持ちが繋がっていること」を信じあう心である。
補完活動を実施するのは、その目に見えない“繋がり”を具現化させるためである。
「気持ちの繋がり」と一口にいっても、これまた様々な形があるが、つながることを信じなくては繋がるものも繋がらない。
私は、補完活動の実施によって当サイトが盛り上がり、さらに活気づくことを“信じて”いる。元気になれば、きっと良い作品も書ける。気持ちよく読める。そう、思っている。
“ブルースターズ”と複数形になっているのは、同志が必ず存在するであろうと“信じて”いるからである。熱意を秘めている者は多い。そう、思っている。
すなわち、信じあう心が「気持ちの繋がり」の担保になっているのである。
当サイトから、新たな小説家のスターが生まれる可能性もある。
『小説家になろう』というぐらいだから、
ユーザは小説家の卵、“青きスターたち”でもあるのではないか・・・。
信念を持って、それを実現するための活動を続けていれば結果は自然と付いてくる。
ネット小説の補完は、ブルースターズの活躍に託された。
拙いものを最後まで読んで頂きありがとうございます。最後のお願いですが、共感された方々は、何らかのアクションを起こしましょう。挑戦なくして変化は生まれませんから・・・。