裏切り
「ヒース、ヒースってば」
俺を呼ぶのは、アンナの声みたいだけど、ここはどこだろう。
「よかった、起きた」
俺は固い地面の上に横になっていたらしい。アンナがすがりつくように、俺のとなりにいる。ここはどこだろう。魔術でつくられたらしい例の照明が部屋の中央にある。まだ古城の中にいるようだ。
「わたしのルカによくも怪我をさせたな」
上から男が覗き込む。俺は驚いて後ずさりした。
「ジョシュアさん、まだあまり動かないほうがいいですよ」
男はアンナからジョシュアと呼ばれていた。見ると、フレイに切られた右肩に包帯が巻かれている。
「アンナさんは将来は医者になるのかい?」
「いえ、看護師になる予定です」
ぎこちなさそうに右手を少し動かしながら、ジョシュアとアンナは話をしている。
「アンナ、無事だったのか!」
俺はアンナにそう言って、手をつかんだが。アンナはなぜか顔を赤くしてそっぽをむいてしまった。でも、怪我がなくてよかったわね、と言われた。
「ルカが怪我をしたので、君の血を使って回復させようと思っていたんだが。アンナさんがわたしの怪我を手当するという条件で助けてやった。彼女に感謝するんだな」
そうか、そういう理由で、俺はこのジョシュアって男に拉致されたわけか。
「エミリアさんは?フレイは?」
俺は起き上がって、アンナに聞いた。アンナはうなずいた。
「エミリアさんは、オルカさんという学者の条件をのんで、いま別の場所で協力してる」
「あの男は、あの場所に放置してきた。ここには時空移動の魔術を使わないとこれない」
と、ジョシュアはそっけなく言った。
俺は、あたまを整理しつつ話していった。
「まず俺たちは、村にヴァンパイアが頻発することを調査するために、古城の中を探索してきたわけだ。それについて何か知らないか?」
ジョシュアは眉をしかめて、そしていいづらそうに、こう言った。
「心当たりはあるのだが、言うわけにはいかない。だが、徐々に解消していくだろう」
なんだそれ。俺は少し口調を荒くして言った。
「心当たりがあるなら言えよ、毎日毎日、被害が出ているんだ、なんで黙っているんだ」
ジョシュアはいら立ちを隠さなかった。俺のむなぐらをつかむと、こう言い返してきた。
「アンナさんとの約束があるから生かしているが、立場をわきまえて物事を言え」
言いながら、そのイライラは自分にも向かっていったようだ。自分を落ち着かせようと近くに座ると、こう切り出した。
「オルカに協力すれば、ヴァンパイアを人間に戻す薬がつくれるらしい。君たちの隊長さんが協力したのも、その薬を服用して人間に戻るためだ。わたしのルカにも投与する」
え?ヴァンパイアを人間に戻すって。
「死んだ人間が生き返るっていうのか?」
ジョシュアは本当に疲れたように、勢いをなくしてこう答えた。
「死んだというなら、腐って消えてなくなって欲しかった。諦めがつくように」
言いながら、壁によりかかって、小さな寝息をたてはじめた。俺が攻撃するとか考えないのだろうか。死ねるなら死にたいとでも言いたそうな苦痛に満ちた寝入りばなの言葉に、俺は驚いて黙っていた。
アンナが俺の傍に座って、話しかけてきた。
「オルカという人の話によると、ヴァンパイアって死体に移る感染症なんだって。だけどエミリアさんはなぜか生きている間に感染してしまった。そして不老不死になっている」
俺は、アンナをぼんやり見て、答えた。
「それが、今回のヴァンパイアが増えた理由と何か関係あるのかよ」
「わからない」
アンナは、それでも看護師志望なのだ。
「感染症なら、故意に広めることがもしかしたらできるのかなって」
故意にヴァンパイアを増やすってことか。でもどうしてそんなことを。俺は口にださなかったが、アンナは俺の質問がわかっているかのように続けた。
「そして、感染症なら治るのかなって」
「いやいや、だけど、死体が治ったって死体じゃないか」
ここまで言って、俺は気が付いた。
「エミリアさんは、死体じゃない状態から感染したから?」
「そう、もしかしたら薬ができたら治るのかも」
俺はなぜか憂鬱だった。その話が本当でも、すでに死体だったであろうルカというヴァンパイアはきっと治らない。ジョシュアがルカのことを考えてオルカに協力をしても、彼女はきっと戻ってこない。
いや、俺がそんなことまで考えなくてもいいことだ。
「これ、言ってもいいのかわからないけど、エミリアさんは、オルカにこう言われて実験に協力することにしたの『フレイ君と一緒にこれからも生活したくはないのですか?』って」
アンナは複雑な表情だった。ジョシュアは短い眠りから覚めたのか、もともと眠っていなかったのか、目を開けると続きを言った。
「『このままでは、フレイ君はあなたを置いて年を取る。さみしくはないのですか』と」
さみしいに決まっている。エミリアさんは300歳を超えているらしいけど、その間に何人もの人と出会っては失っているはずだ。もし本当に人間に戻れるなら、フレイとは家族のように一緒に年をとっていけるかもしれない。
そのとき、オルカとその部下が歩いてやってきた。ジョシュアは立ち上がると、オルカのほうへ歩いて行き、実験はどうなったのかと質問をした。俺は暗がりからオルカを見て、思わず声をあげた。
「気をつけろっ!そいつは…」
オルカの目の前に立っていたジョシュアは腹部を抱えて倒れ込んでうずくまる。オルカの手には血まみれのナイフが握られている。
「アンナ、気をつけろ、奴はもうヴァンパイアだ!」
俺が叫んだが、アンナは果敢にジョシュアのもとへ走った。暗がりで傷の具合を確認する。ジョシュアはアンナを押しのけよろめきながら立ち上がると、激しい怒りを込めて叫んだ。
「裏切ったなオルカ!ルカを人間に戻す薬はどうなるんだ!」
「ありますよ、薬なら。とっくに出来ていたんです。しかし一度ヴァンパイアになって失った理性はもどらない。あなたのルカに使ったところでただの死体に戻るだけです。もったいない」
「おのれっ!」
ジョシュアは手を地面にかざして、魔法陣を出そうとしたのだろう。しかしよろめいて倒れ込んだ。
「ジョシュアさん、動いちゃダメ!」
アンナがジョシュアに覆いかぶさって、彼の動きを止める。オルカは楽しそうに笑いながら、それを眺めつつ言った。
「その怪我では、高度な集中力を使う魔法陣を自在に出すのは難しいでしょうね。お得意のルカも動かせるかどうか。それでもあなたにはまだ生きていてもらわないと困ります。魔法陣のすべての効果が切れたら、この城に閉じ込められてしまいますからね」
ジョシュアは、かすれる声で喘ぐように言う。
「…リアさ…エミリアさんは理性を失っていない。彼女を…元に」
「言ったでしょう、高価な薬なのです、もったいない。彼女は選ばれた人間なのです。理性を失わずにヴァンパイアになるということは、不老不死を手に入れることなのです。どうして元にもどすなんて考える?」
オルカはそう言って、部下をつれて歩き去った。
俺は、オルカがいなくなったのを確認するとすぐに、アンナのもとへ駆けつけた。
「大丈夫かアンナ?」
「カンテラを持ってきて!ジョシュアさんの傷を見ないと!」
俺はカンテラを持って、再びアンナのところへ行った。
ジョシュアの傷は、深いものの、致命傷をさけて刺されたのだとわかった。オルカが言っていた、ジョシュアが生きていないと城に閉じ込められてしまうからだろう。
俺は状況を整理しようとつとめた。
「とりあえず全員集まろう、そしてこの城から出て体制を立て直すんだ。夜明けまでに、村に戻れるかどうか…」
ジョシュアが首を振る。
「フレイという奴との合流は不可能だ。わたしは怪我が治るまで新しい魔法陣をつくれそうにない。高度な集中力が必要だからだ。そして、新しく魔法陣を作らないとフレイのいる所にはアクセスできない場所に閉じ込めた」
「そんな、それじゃ…」
アンナは包帯を巻き終え、ジョシュアに肩を貸しながら立ち上がった。俺も急いでジョシュアを支える。
「魔法陣をくぐる瞬間、わたしにはわかるようになっている。オルカはおそらく、最上階に向かっている。俺たちもその方向に行くしかない。地下の出口に戻る魔法陣は消してしまった。最上階に外に出れる方陣を組んである」
ジョシュアの言葉を理解した俺は、
「なら、エミリアさんを探そう。どこかの魔法陣をくぐっているのか?」
と訊いた。ジョシュアは首を振る。
「どこもくぐっていない。おそらく近くにいるはずだ」