『お前女だったのか』RTA
「よっ」
「……よう」
陽気な挨拶に、冴えない返事。そのまま「何だよ冴えないのは顔だけにしとけよなー」「うるせー」と軽口を叩き合い「で、どしたん?」「なんか、すっぽかされたっぽくてさ」とスムーズに会話が続く。偶然耳に入った、自分より年下であろう中学生くらいの男女の会話。
少年は、今日の駅前のイベントをいっしょに回ろうと、誰かと約束をしていたのだろう。その相手は、気安い感じの目の前の彼女ではなかった。地方都市の夜を彩るイルミネーションを横目に、そんなことを思う。
「それなのにずっと待ってんの? 暇人~!」
「うっせバーカ。もう帰るとこだったっつーの」
そのとき、少女のまとう空気が変わった、気がした。
「だったらさ……ウチと回らない?」
おや。
「えっ、やっ……いいのかよ」
「じゃなきゃ言わないよ」
「でもお前だって、女は女で回ったりとか」
「ひとりで来てるよ」
「……」
「だから……どう、かな」
少年は静かに、しかし確りと頷く。その後は言葉少なく、きっといつもならこんなんじゃないのだろうと思わせる微笑ましいギクシャク感を出しつつ、少年少女らは連れだって歩いていった。
ううむ、がっつり聞いて、がっつり見てしまった。いつもは男友達のような距離感にいる女の子が、その先に踏み出した青春の一ページを。
いいなあ。
私だって本当は、あんな風に……。
青春を見送った後、ちらりと隣に立つ人物を盗み見る。彼はまだ、スマホとにらめっこしていた。
「あの、どうです?」
待ちかねて、つい急かすようにしてしまう。
「ダメ、だね。全然反応ない。既読もつかないし」
彼もまた、このイベントの夜に駅前で待ち合わせをしていた一人。そして、待ち人来たらずの一人。彼がスマホを仕舞ったタイミングを見計らって、すっと冷たい空気を吸い込み、声に出した。
「なら、私といっしょに回りませんか?」
「えっ」
さっきの少年と同じ反応で笑いそうになる。
「待ち合わせしている方から連絡があるまででいいですから」
彼は逡巡しているようだったが、すぐに「わかった」と言ってくれた。待ちぼうけに付き合った私に気を遣ってくれているのだろう。やさしい。
「ところで、どなたと待ち合わせてたんです?」
「ああ、昔の友達なんだけどさ。えっと俺、田舎に転校したことがあるって話したっけ?」
どうだったかな。でも、たとえ話していなくても知っている。
「小学生の頃、というお話でしたね」
「そうそう。その時の、あっちでの友達」
「……仲が良いんですねー。そんな昔の友達と」
「別にんなことないよ。普通にLINEしてるだけで、こっちに来てから一度も会ってないし」
その全然会ってない相手とLINEが続くっていうのは、そういうことなんだと思うんだけどなあ。
「どんな人なんですか?」
「ん、いや、別に大したヤツじゃ」
「その割にスマホにかじりついてましたけど」
「……横暴なやつでさ。こっちがすぐ反応しなかったら、後で何か文句言われそうだと思ったから。文句だけならいいけど絶対何か上乗せしてくるからさ。食いもん奢れとか。そういうやつなんだよ。でも、もういいわ。もう知らん。今回ばっかりは向こうが悪い。何か送ってきても既読スルーしてやる。いや、既読すらつけんわ」
散々な言い草だなあ。いつも私には温厚そのもので接してくれるキミにそこまで言わせる、その相手の顔が見てみたいよ。
まあ。
私なんだけどさ。
***
――改めて自己紹介をお願いします。
色井琴音です。そこの男の待ち合わせ相手であり、すなわち田舎のやんちゃな友達であり、現在の清楚系美少女クラスメイトでもあります。
――自分で言いますか。
うるさいですよ。
――おっと。何でそんなめんどくさいことに?
話すとちょっと長くなるんですが……。
小学校に転校してきて、再び転校していった彼にまた会いたいという気持ちはずっとあって。中学に上がって自分専用のスマホを手に入れてからは彼とLINEでやりとりするようになって。そして「ここより雪の少ない場所で一人暮らしをしてえ……」って欲はもともとあったので、ならば高校進学を機にいっそのこと、と。一念発起して彼を追いかけてきました。
――彼には言ってたんですか?
言ってたらこんなことにはなってませんよ?
――失礼。それでは、ナイショにして驚かせようとした、と。
はい。名付けて『お前女だったのか』大作戦。
――男だと思われてたんですか。
でしょうねー。短髪で、スカートなんか履いたことなくて、一人称も「おれ」だったから。あ、これ方言なんですよ。おばあちゃんっ子だったから自然に使ってました。
他の友達からも「トネ、トネ」って呼ばれてたから、私のこと利根って苗字の男子だと思ってたんじゃないかな。あ、トネザキとかトネガワとかのあだ名だって思ってたかもしれない。
――そこはあまり掘らなくていいので、続きを。
で、まあ、あの頃に比べて、だいぶ変わったって自覚はありましたし。髪も伸ばしたし、化粧もそれなりに覚えたし。なので、ドッキリをしかけてやろうかと。だからまずは、初対面の清楚でかわいいクラスメイトとしてお近づきになって。
――なって?
そのまま正体を明かせないまま、ずるずると、ここまで。
――何やってんすか。
こ、これから取り戻しますよ。今日こそは絶対に正体を明かす、それまで帰らない。そのつもりで来ましたから。長きに渡る壮大な作戦になりましたが、これでいよいよドッキリ大成功!ですよ。
さすがにずっと隠し通せることでもないし、よくよく考えたら、言ったから何がどうなるってことでもないから、パッパッとね。パッパッと。
なあに、覚悟さえ決めれば正体バレなんて簡単、簡単。まあ見てなさいっての。
***
「あの、」
そう口にするため、冷たい空気を口に含む。胸の隙間に、寂しさがじわりと入り込んだような、そんな感覚。昔は前置きなんていらなかった。体操着袋をランドセルにぶつけて、それを「話したい」の合図にしていた。
声をかけておきながら、何も言わない私をじっと見つめる彼。いけない、いけない。気を取り直して言葉を続ける。
「どうだったんですか、あっちにいた頃は」
これは記憶を揺さぶるためのジャブだ。正体をバラすにしたって段取りというものがある。いきなり無から『実は私は……』な話が生えてきて何が面白いというのか。こういうのはその話題が臨界点に達したときにバラすのが一番決まるのだ。
「どう、って」
あれ、反応が鈍いな。
「何か、話したい思い出話なんかないかなって」
「あんまりないな、そういうのは」
あれー?
計画では、ここで立て板に水の如く楽しかった思い出を語り出すはずなんだけど。主に私との。主に、私との。何でだ。まさか楽しくなかったとでも言うのか。「そんなこと言うのはこの口か!」と雪玉を食わせてやったり、「それ以上言うな!」と体操袋をフルスイングして雪原に人型の跡を残させてやったろうが! 何やってんだ昔の私ッ!
「あっちの地名とか、そういうの出されてもわからないからつまらないと思うし」
あ、そうか。気を遣ってくれていたのか。今の私は、こっちで知り合った同級生だから。何だ、良かった。やっぱりやさしい。田舎にいた頃、こんなにやさしくされた覚えなんてないぞ。こっちもやさしくした覚えはないけど。
「まあここよりは雪が多かったかな」
私もそう思う。観光資源にできるほど雪が積もらないから、こうしてイルミネーションで盛り上げようとしてるんじゃないかなと名推理してみたりして。
「……寒いか?」
彼は、コートのポケットに入れっぱなしになっている私の手を見てそう言った。ポケットから手を引っこ抜き、ぐーぱーしてみせながら、ニコっと微笑む。
「ちょっとは温まってますよ。触ってみます?」
ここで「ははっ。懐で温めておきました!」と木下藤吉郎ごっこをしなかった自分を褒めたい。彼はめちゃくちゃに照れているが、こっちもおそらく体温が上がっているでゲス。
***
――バラすんじゃなかったんですか。
うるさいですよ。
――うるさくねえよ。
うるさいっつってんだろ!
だってしょうがないじゃん、いきなり出鼻を挫かれたんだから。あのままスムーズに「キミの語ったその楽しい思い出を共に過ごしたのは……実はこの色井琴音だったのだ!」と正体を明かしてハッピーエンドだったんですよ。
――それも唐突過ぎませんか? 証拠もないのに。
証拠ならありますよ。コートのポケットの中に入れてあります。すぐ出番になると思ってたから、ポケットに手を突っ込んでスタンバイしてたんですよ。
こう、「実はこの色井琴音だったのだ!」のタイミングでさっと取り出して「げえっ!そ、そのキーホルダーは確かにトネと買ったもの!」って記憶の歯車がカッチリ合わさってハッピーエンドですよ。
――さっきからいちいちハッピーエンドの台詞じゃないんだよなあ。
うるさいですよ。
――彼、覚えてるのかなあ。
覚えてますよ。ていうか、言わせてもらえば、顔を見ただけで気付かない方がおかしいんですって。ちょっと髪を長くしただけなのに。ちょっと化粧しただけなのに。ちょっと、いや、だいぶかわいくなっただけなのに。
――ドッキリを仕掛ける側の人間が言うことですか。
それは、ごもっともで……。
いやでも、おわかりいただけたように、私には必殺の証拠があります。いつでも正体をバラすことができるので、勝ったも同然の余裕を持って臨んでいるわけなのですよ。
なので方針を変えました。正体について、私からはギリッギリまで言いません。あくまで、彼の方から気付くように誘導していきます。
――そんなうまくいくかなあ。
まあ見てなさいっての。
***
彼が田舎に転校してきたのは、ざっくり言って家庭の事情だったと親伝手に聞いている。本人の口からは「オレの性格と口が悪すぎた」と聞いている。「環境が変わればそれが少しはマシになるとでも考えたんだろう」とも。小賢しく、よく喋る悪童だった。
自己申告のとおり、出会ったばかりの彼はだいぶ荒れていた。ついさっき私のことを「横暴だ」などと証言していたが、そもそもそうでなければ納まりがつかなかったのだ。彼を言い負かすことは誰にもできなかったから、この世の真理で解決するしかなかった。
だから、高校生になって再会したとき驚かされたのは、実は私もだったりする。昔に比べてちょっと、いやかなり、雰囲気も口調も柔らかくなっていたから。
「いつも穏やかですけど、昔からそうだったんですか?」
なお、質問者である私は「そんなわけねーじゃん」という正解をすでに知っている。「そうだよ」なんてウソをつこうものなら即座にダウトしてやるからな。心の中で。
「そうでもないよ」
あなたは正直ですね。正直者には私の正体を教えてあげます。後でね。
「そうでもないんですか」
「……促してるやつ?」
その通りだが、やはり言い難そうにしている。高校デビューということなら、昔の自分を出したくないのはわからないでもない。ここはひとつ、私の方がちょっと昔を出していくことにしよう。
「どんなんなんです?」
「まず口が悪い」
「そうは思いませんけど。ちょっとやってみてくれません?」
「雑なコントかよ」
おっ、それは確かに言いそう。貶しのワードが入っているところ、実に口が悪い。
「ていうか、一方的に口が悪かったら俺がただのバカじゃん。こういうのは、相手との言い合いでないと」
まったくもってその通りだ。
「もしくは、ツッコミを入れるとか」
来た。誘導ポイントだ。
かつての私は、彼が度を越した暴言を吐いた場合、鉄拳制裁をもって手打ちとするコミュニケーションを確立していた。ここで昔と同じ衝撃をガツンと与えて「こ、この痛みは……!」で記憶を揺り起こす。王道イベントだ。オラァ覚悟しいや!
ぺちんっ。
「……控え目だね」
「ええと、やっぱり、あまり強く叩くのは気が引けて」
まあ。
言うほど「雑なコントかよ」は暴言ではないし。
いや、できなかったのだ。昔のように、雪の中にめり込むほど強く引っぱたくことが。それはたぶん、ここには雪がないからとか、私が弱くなったとかいう問題ではない。
ふと、思う。
正体を明かして、昔の距離感に戻ってしまえば、彼のこんなところはもう見られないのかもしれない。
言葉を選ぶために一瞬目を伏せるときにわかる、意外と長い睫毛とか。たっぷり間を開けてから「言うぞ」という雰囲気と共に聞こえる、微かな吐息とか。
出会い直してから、新たに築いた関係が「なかったこと」になってしまう。私はそれを「惜しい」と思うようになっていた。
***
実際、どう思います?
――そっちが聞いてくんのかい。
再会してからの私は私で、それなりにがんばったんですよ。だから、穏やかな彼と、お淑やかな私との、新しい関係にもそれなりの価値を見出せないとおかしいっていうか、割に合わないっていうか。
見た目だけで驚かせて即ネタバラしするつもりだったのに、清楚でかわいいキャラをずっと演じる羽目になったし。
――よく続きましたね。
なんていうか、嫌じゃなかったから。彼に女の子扱いしてもらえるのは。
その度に思うんです。こんなことは今だけだって。
私たちはもともと、憎まれ口を叩いてはドつきドつかれの気の置けない仲でした。間に気が置いてあったらハンマーでガツガツ叩いて壊す間柄でした。そういうはちゃめちゃな感じでやっていたから、今の、あの頃とは違う自分を大事にしたいなら、振り返りたくないのは、それはそうだとしか言えないですね。
――考えすぎでは? あなたとLINEもしていたんだし。
逆に言うと、LINEしかしてなかった。
会いたいと言われたことはなかった。私から言うこともなかったけど。
……そう、ずっとLINEしてたから、そっちでバラすこともできた。だけどできなくて、彼が新しく知り合ったクラスメイト『色井琴音』のことを聞き出して、ベッドの上でじたばたしていた。
高校の入学式のあの日、LINEに入った『めっちゃかわいいコに会った』というメッセージを反芻して。
そんなこと、私には言ってくれないと思っていたから。
だから、正体なんかバラさないで、このまま……。
――落ち着いて聞いてください。
え?
――これからの人生を共に歩もうというなら、いつかどこかで、必ずバレます。
あなたが言ったことですよ。
思い出したくもない過去は誰にだってあります。
それでも、なかったことにはできないんです。
できるのは、認めた上で、水に流すこと。
そして、これからどんな自分で生きていきたいのか、話し合うことですよ。
そっか……。
――うるさいですか?
ふふっ、うるさいですね。そして耳が痛い。
そうですね。彼が、昔の私にされたことが嫌で、だから振り返りたくないと思っているなら、それを謝らないといけない。
いや、それもちょっと違うな。
彼が別に何とも思っていなくても、私は謝りたい。そして、あの頃みたいにはもうできないよって、伝えないと。いったん水に流すために。
――大丈夫ですか?
大丈夫! 移籍しただけで謹慎がチャラになった野球選手もいたし。
――最悪の例え話すんなや。
そうと決まれば、いよいよ出番ってことかあ。
この、昔いっしょに買った思い出のキーホルダーの……あれ。
――どうかしましたか。
あれ……。
***
ない。
ずっとポケットに入れていたはずなのに、なくなっている。どこかで、何かの弾みで、零れ落ちてしまったのか。
私の様子がおかしいことに気づいた彼に問い質され、それでも私は、何を失くしたのかも彼に伝えられない。それなのに。
「来た道を戻ろう」
そう言ってくれた彼は、這いつくばるようにして探している。何だ何だと人々も道を開けてくれている。
「もういい……もういいです」
私はもう下を向いていなかった。周囲を囲む電飾の光が色を変えゆくグラデーションを眺めていた。
こんなことまでして取り戻さないといけないものではない。だいたい私はさっきまで、水に流すつもりでいたのだ。あの頃の私たちの関係は、そんなにいいものではなかった。
まだ探し続ける彼に、ぽつりと呟く。
「待ち合わせの相手、もう来ないかもしれませんね」
もしかしたら、LINEも退会するかもしれない。
このままひっそりと、過去の私を葬ろう。
「それは困るな」
いつの間にか立ち上がっていた彼が言う。
「俺はあいつに会わないといけない。言いたいことがあるから」
「……何ですか、それは」
「どう言ったらいいか、いろいろ考えてたんだけどさ。俺は口が悪いひねくれ者だし、あいつバカだから、昔のまんまじゃ何も伝わらないんだよな」
彼の手には、私のキーホルダー。何か人気のキャラクターがご当地コラボと称して頭にさくらんぼ被ってるやつ。見つけたんだ。
「そうしているうちに、『かわいい』って言ったら喜んでもらえるのがわかったから、考えを改めた。結局、伝えるならストレートに言うしかないんだろうなって」
そして彼自身の、「さくらんぼは二個で一つだろ」と揃いで買ったキーホルダーを重ね合わせ、私に差し出しながら言った。
「好きだ、って」
***
――お名前をお願いします。
別幕秀吏です。色井琴音とは、転校先の田舎の小学校で出会い、今はこうして、ちょっと変な感じの関係になってます。
――彼女の正体については、いつから?
割と、最初から……つーか、名前がそのまんま同じだったし。苗字が変わってるとかいうギミックもないし。そりゃあ、結びつきますよ。
――ごもっとも。そのことを指摘したりは?
なかったですね。まさか隠し通すことを選ぶとは思わなかったので……わざわざ言ってやるタイミングはもう逸したっていうか……。
でも、思うんです。
ここまで拗れた原因であっても、あのときかけた言葉が「かわいい」で良かったって。「お前女だったのか」なんて心にもない言葉でケンカを売ってたら、たぶんトネとは昔のまんまの、男みたいな友達にしか、そこまでにしかなれなかったと思う。
――あ、別にトネを男だと勘違いしてなかったんですね。
はい。えっ、つーか、何ですかその質問。
――昔のトネより、今の色井琴音さんの方が良いと思いますか?
正直、本人も今の自分が好きなんだろうなって気はしています。だから俺のワガママなんだけど、告白の言葉はトネに言いたかったし、トネとして聞いてほしかった。
シンプルな「好きだ」ってダサいじゃないですか。今までずっと遠回りして、観念して絞り出した言葉だとわかってくれて、誤解なく受け取ってくれるのは、それまでの積み重ねがある相手だけだから。
――ありがとうございました。
***
今、なんて言った?
好き? は?
言いたかったことが? は?
それを田舎の友達に? え、つまり私を?
じゃ、じゃあ、それじゃあ、秀吏は……!
「男が好きだったってコト!?」
後日、駅前イベントで将棋倒しが起きかけたことは小さなニュースになった。何事かを固唾を飲んで見守っていた人々が、一斉に、ずっこけるように倒れ始めたらしい。
その中心には一組のカップルがいて、男はひっくり返り、女は何が起きたのかわからずにきょとんとしていたのだとか。
まあ。
私なんだけどさ。