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好きとか、愛してるの言葉について

好きとか、愛してるの言葉について

持論を述べます。


今回はあくまで個人的な意見なので

あ〜そんなこと思う人も世の中にはいるのね〜

ぐらいにどうか流してください。


好きという言葉には代替えがきくけど

愛してるという言葉には代替えがきかない

と、そう思っています。


たとえばラーメンが好きだったとして

今夜はラーメンが食べたくて 

でも、お店に行ったらたまたまお休みで

でも、お腹がすいているから 

うどんも好きだったら、オムライスも好きだったら、

他の好きなものを食べるでしょう。


きっと食べちゃうでしょう。


でも、もしカレーライスを愛していたなら

愛してしまっていたなら

どんなにお腹がすいていても 

他のものは食べないで我慢するんでしょう


だってカレーライスを愛しているから

愛してしまったのだから


もっとも、愛には郷土愛や仕事や趣味、

その相棒のモノとかに対しての

いろいろな愛の種類がありますよね。


それでも一番連想してしまうのは

やっぱり恋愛における愛でしょうか。


愛してるには生涯で唯一の、といった

そんな言葉の響きを感じてしまいます。

狭量なとらわれかもしれませんが……。


わたしの好きな金子みすゞさんの詩に

さよならしましょ

という詩があります。


さんばしは船に

船はさんばしに


夕日は空に


さよならをしようという詩です。

たぶん一日の終わりに、今日の自分に

さよならを言おうという詩なのかなと思います。


もう一人、わたしの好きな作家さんで

レイモンドチャンドラーの「長いお別れ」という

作品があります。その中に


さよならを言うのはわずかのあいだ死ぬことだ


という言葉が出てきます。


もし今日の自分にさよならを

夜明けと共に迎えるのだとしたなら


そのときわたしは

生まれ変わるのでしょうか


そのときはもう

昨日の自分ではなく

今日の自分に


もし愛してるの言葉が

生涯唯一のものだとして

一度しか言えないものなのだとしたら


わたしは何度でも

生まれ変わりたいと思います。


何度でも


さよならを言いたいと思います。



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