【2-2 はじめてのたたかい】
「では出発しましょう。目的地にはまっすぐ歩いても半日ほどかかるんです。休憩も挟みますからもう少しプラスです」
「到着は早くても夕方頃かな」
腰に下げれるほどの荷物しかなくて良かった。休憩をとるとはいえ、半日も歩き通すのは、大学進学から運動ときっかり縁の切れた俺には厳しそうだ。かといって、おぶってもらうわけにも、引きずってもらうわけにもいくまい。
「暗くなると危ないんだよな?」
「基本魔物は夜行性だからね。人は歩かないのが吉だな」
「ご安心ください。暗くなってきたら私の魔法で何とかしますから!」
「魔法かぁ、どんな術なんだ?」
剣と魔法の世界に来てから、自分の仕事の延長の魔法しか見ていない。少し胸を躍らせながらシュシュに問うと、彼女はふふんと得意気に笑った。
「ふふふ、ではご覧に入れましょう! フラッーシュ!!」
「おお! 光った!」
パァァッ──! シュシュが手を天にかざす。一瞬白コマを挟んでT光だ。光源が変わるので多用は厳禁かもしれないが、変に風や水が出るより作画は楽である。それとは別に、人の手から光が生まれる光景は単純に感動する。
「もっと明るくも出来ますよ! ランタンの代用以外に目眩しにも使えるんです」
「便利だな!」
「救世主さん大袈裟だなぁ。それ結構使える奴がごろごろいる魔法だぜ?」
この世界ではスタンダートなのだろう。レオはシュシュの手の内の光に特に驚きもせずに平然としていた。
シュシュが手を下ろすと光もスゥッと消えてしまう。
「レオは使えないじゃないですか」
「オレは別に魔法なんかに頼らなくてもいいもんね。夜目も効くし」
「俺は夜目も効かないしこういう実用的な魔法が使いたい」
「変なところでしょげんなよ」
紛うことなき本心だったが、レオには眉根を寄せられてしまった。期待されるよりはいいのでこのまま情けないキャラでいこうと思う。
村を出てしばらくすると、俺の後ろを歩いていたレオが隣に移動してきた。物語のジャンルがファンタジーとはいえ、彼の赤髪は村でもよく目立った。昨日の食堂にいた客の中にも、ここまで現実離れした派手な原色の髪色は居なかったはずだ。メインキャラクター故なのだろうか。
レオは人好きのする笑顔を浮かべながら軽やかにステップを踏んで、前を向いたままの俺と視線を合わせた。作画枚数の多い動きは避けるように後で伝えないと。
「アランさん、アランさん」
「さん付けしなくていいよ。俺のが弱いんだし」
あれ、そしたら俺、この世界の全員からタメ口きかれるんじゃないか? この異世界での一般人の平均の強さがわからないが、そんな気がする。
「じゃ、アラン。最近シュシュに嫌われるようなことした?」
「えっ、俺なんかしたのか? 俺と旅に出るの嫌とかかな。年頃だし。あっちからしたら突然降ってきたおじさんだし」
俺が反射的に潜めた声になった一方で、レオに声量を落とす配慮はなかった。しかし先導するシュシュには聞こえていないようだ。染めたわけでもない綺麗な淡い色の髪は、振り返ることなく歩みに合わせて規則的に揺れている。
さてはさっきの耳打ちの内容はこれだろうか。別に特別険悪なやりとりをした覚えはないが、シュシュが俺を嫌っているならどうしようもない。なにせ人間性が面倒だとか話がつまらないとか、嫌われる理由ならたくさん抱えている。
とはいえ、嫌われていると知ると悲しくもなる。明らかに気落ちした俺を知ってか知らずか相変わらず赤い青年はヘラヘラしている。
「オレとサシでの旅でも気にしてないし、ないない。で、アランはどうやって歪み倒すの?」
「絵を描いて倒す」
「ほー。殴るんじゃねぇんだ。そりゃオレたちには無理だわ」
レオはお喋りで人懐っこいようで、身の上を暴かれると一回死んだ話や前世の話を強請られた。シュシュにも話したエピソードだが、擦ればバンクといって映像の使い回しが出来るので、全く同じ流れで同じ話をしておく。
しばらくレオのお喋りに付き合っていると、道案内を兼ねて先頭を歩いていたシュシュが振り返った。
アーバン村からはかなり距離を稼いだ。もう道は舗装されておらず、人が踏みならした土肌の見える道を辿っている。景色にも随分人工物が少ない。俺が田舎育ちだからかもしれないが、自然物は形が不定形で描きやすくていい。実際歩いてみると脚は疲れるけど。
「今のところ魔物も見かけませんし順調ですね。この調子なら迂回の必要もありませんし、暗くなる前に隣の街に到着しますから野宿はしません。安心してください」
「うん、安心した」
「じゃあ宿だ。オレ久しぶりなんだよね〜」
昨日は厚意でサビィの宿に泊まらせてもらったので俺は連続で宿屋だ。家具は椅子とベッドだけのシンプルな部屋だったが、静かで落ち着けるいい宿だった。旅行をする暇もなく、会社に泊まり机で仮眠をとるばかりだった俺としては、宿から宿を渡り歩くなんて贅沢が過ぎる。
「どんな街なんだ?」
「地方都市オープニアです。観光名所としても名高い大きな街ですよ。そしてなんと今まで歪みが現れてないんです!」
話に聞くオープニアは人が慎ましく暮らしているアーバンより確実に作画が大変そうだ。村ですらアップアップしていたのだから、このままだと確実に人の顔が崩れるだろう。歪みが起きないなんて俄には信じ難い。
「それはシュシュがあまり行っていないとかいう……」
「いえ、オープニアはしょっちゅうですよ私」
「近くで物流が1番安定してるからね。物と人が集まるから便利な街だぜ? アランも気にいると思うよ」
「そっか、楽しみだ」
前の世界では、稀な休日に息抜きとして出かける大きな街が好きだった。歪みが現れないというなら余計なことを気にせずに、お言葉に甘えて楽しんだ方がいい。
ファンタジー世界なんて滅多に来られるものでもない。異世界転生もののアニメを描くのが嫌いなだけで、本当はハイファンタジーの創作物は好きな方だ。短い人生を生ききったご褒美だと思ってセカンドライフを楽しもう。
そうやって、現状を珍しくポジティブに受け止めたときだった。
「レオ」
「わかってる」
2人が短く言葉と視線を交わし合って、ピリリとした空気に変わる。レオが重心を低く落とした前傾姿勢をとり、シュシュはパッと腰から下げた双剣を抜いた。
俺は2人が見つめている方向に全神経を集中させて、ようやく木々のざわめきの中に小さな足音が複数紛れていることに気づいた。だんだんと聞き取りやすくなってきたそれは、確実に人間のものではない。
事前に聞いていた魔物とやらのご登場だ。昼間動いてるのは野犬と大差ないとシュシュは言っていたが、こっちは未知の生物と初対面。身構えもする。
「アラン様はここを動かないでください! 私が倒してきます!」
「シュシュ!?」
レオが肩をぐるぐる回しながら後を追うか迷った俺の前に躍り出る。流石に背に庇われているのだとわかった。反射的に一歩動いていた足を恥じて引っ込める。俺はこの場で明確にお荷物なのだ。
「平気だよ。あの子バカ強いから。それよりこっちにもこぼれたのがくるぜ。大人しく後ろにいろよ?」
道中のお喋りと全く同じ調子で「シュシュは複数相手だとよく逃すんだよな」と呆れたようにレオが笑う。
そしてそのまま担いでいたバックパックをこちらへよこした。軽くて小さな荷物だ。入っているのはせいぜい財布と水、着替え程度ではないだろうか。
今、身軽になった彼は手ぶらである。出発前に魔法も使えないと言っていた。シュシュのような立派な武器が、何もない。
「お前、どうやって戦うんだ!?」
「まあ見てろよ」
焦る俺を見て、心底楽しそうに声を上げて笑い出したレオの姿が、ライオンに似た大きな獣へと変わっていく。
けれども、そのたてがみは血のように赤く、額には真っ直ぐな角が生え、瞳も燃えさかる炎のように爛々と輝いている。未知の生物、魔物だ。俺の2倍は大きい。
冷や汗が流れる。四足で飛ぶように走るレオは、俺の方へ向かってきた野犬ほどの大きさの手足が6本ある魔物を、額の角で突き飛ばすと、その鋭い牙と爪で容易く捻じ伏せた。
ぐにゃあ、とレオの身体が歪む。
「レオ、ダメだ! 人に戻ってくれ!」
レオは聞く耳を持たず、次いでこちらへやってきた取りこぼしを仕留めに動く。明らかにコストの高い生物と生物の対峙に、作画がこれでもかと崩壊している。
しかし、いくら叫んでもレオは獣の姿のままだ。割って入っていけない弱さが恨めしい。
もう第2第3の俺を増やしたくない。いや、脳卒中で急死した時点で俺こそが第2第3どころではない使い捨ての駒に過ぎないが、それでもアニメに殺されるアニメーターを増やしたくない。
「歪みです! アラン様に従ってください!」
歪みを察知してシュシュが遠くから戻ってくる。逃げなかった魔物は全て片付けたようだ。
シュシュの説得も虚しく、レオは大きな咆哮を上げて他の魔物に飛びかかっていく。まずい。四足動物の走りに戦闘なんて作画コストが重すぎる。もう既に毛先は丸まり、尻尾は不自然に立ち上がってしまっている。ゆるい。
「お願いレオ! 止まって!」
「シュシュ、頼みがあるんだ!」
「何でしょうか!?」
要するにアクションの作画コストを軽くすればいいんだ。離れたシュシュに伝えるべく、俺は大きく息を吸う。
「あの光の魔法で、辺りを出来るだけ強く照らしてくれないか! 可能なら、レオがアイツに飛びかかる瞬間に!」
「わかりました。やってみますっ! ──フラッシュっ!」
カッ──。
光に照らされ何も見えなくなる。目眩しだ。
光が収束すると、そこには霧になって消えていく魔物と、そこに爪を立てる獣がいた。歪みはすっかり鳴りを潜め、鋭い爪はギラギラと輝き、風に赤い毛を靡かせている。
シュシュはレオに近寄って、体毛に覆われた逞しい背中を嗜めるようにパシパシと叩き出した。
「どうしてアラン様の指示に従ってくれなかったんですか! 歪みが起こっていたのに」
「わかっちゃいるけど魔物をほっとくわけにいかないでしょ。アランの身を守るのが優先って言ったのはシュシュの方だぜ?」
「頼む……喧嘩の前に人の姿に戻ってくれ……」
その姿でも言葉も通じるし人語で話せるのか……。でかいライオンもどきがパクパク口を動かして少女と言い合っている光景は、流石に脳がバグりそうだ。
「ん? ああ、この姿は歪みが起きやすいってことか。厄介だな、オレの戦闘スタイルほぼコレなのに」
「私みたいに剣にしたらいいんでしょうか?」
「素人が急に剣とか使えるわけないでしょ」
「戦わないのが一番なんだけどな」
「それこそ無理だね。襲ってくるやつ全部から逃げんのかよ?」
うーん、逃げたい。だが現実的ではないので、提案は出来ない。シュシュの旅の目的の一つの食材集めは恐らく戦闘ありきなのだ。もっとこう、罠とか使えないだろうか。
「レオ、もう少し特徴が抑えめな姿に変身出来たりしないのか?」
「アンタ何か勘違いしてないか? 人から変身する魔法じゃなくて、オレはこっちが元の姿なんだぜ?」
「ああ、そういう……」
狼男みたいに人外に覚醒する変身キャラだったのか。普通に戦うとシュシュを食いかねない主人公属性に近いタイプだし、そういうバランスの取り方は前例がある。
そう思うと今朝の夜目が効く発言も納得だ。人間サイドに友好的な魔物自体はこの世界じゃ珍しいのかもしれないが、俺の世界ではそう珍しくもない。アニメーション作品では。
「ありゃ、あんまり驚かねーな。聞いてた通りの変人だわ」
「元いた異世界の都合上、アラン様は私達の世界の特定の事情にはお詳しいんです。驚きポイントがかなりズレてます」
「どんな世界から来たんだよ……」
死んで異世界に転生する作品が流行して溢れかえってる世界だ。言葉にしてみるとディストピアが過ぎるな。
「全く違う姿への変身が無理なら、せめて、こう、小さい姿になるとか」
「いいけど、戦闘力下がんない?」
「ものは試しだ。そうだな……出来るだけかわいらしい感じで頼む」
「かわいいってなんだよ!」
「丸っこくて柔らかい、線が少ないフォルムだ」
線は少なければ少ないほどいい。単純に線を引く手間が省けるし、動かしやすい。誰でも描ける国民的キャラクターはなるべくしてのし上がってきたわけだ。
「レオがさっき歪みに巻き込まれたとき、たてがみも牙も丸くなっていました。もしかして丸い方が歪みが起きにくいってことですか?」
「言い切るのも良くないけど、よりデフォルメ……簡略化された方が歪みは起きにくいんだ」
「うへぇ、やだなぁ。絶対格好悪くなるだろ」
「愛らしくて洗練されたデザインということで何とか」
「物は言いようですね……」
「ほい、こんなもんでどうよ」
果たしてお調子者のこの魔族は、初めこそ拗ねていたのだが、ポムポム可愛らしい音と煙を出して変身する度、徐々に乗り気になってきた。協力的なのはありがたいことだ。
「わあ。ひょろっとしましたね」
「もっと小さく、抱き抱えられるくらいがいい。対比が面倒だからシュシュの頭2つ分くらいのサイズがベスト。できればもう少し耳を丸くして、目も大きく」
「注文多いな。ぬいぐるみじゃないんだぞ」
「そう! ぬいぐるみの感じで頼む!」
「えっ」
「私見てみたいです! レオお願いします!」
「わ、わかったよ……こう?」
「かわいい!」
「完璧だ!!」
対比が完璧なマスコット、きっかり3頭身でシュシュの頭2つ分サイズ。特徴は残していてしょぼくもないし、まあまあかわいい。
レオ本人はデフォルメされた苦い顔で丸い肉球を見つめている。爪も今は目立たず丸い。
「威厳が消え失せちまっただろこれ」
「あと一つ注文が」
「まだあんのかよ……」
「二足歩行出来ないか……?」
「えぇ……こんなんでも獣態だぞ。無理だろ構造的に」
「ほら、猫も立つし」
「レオなら出来ます。頑張ってください!」
猫や犬は踵を使えば立てると聞く。見たところネコ科のライオンに似てるし、レオも立てるんじゃないだろうか。シュシュの根性論に触発されたのか、レオは前脚を浮かせてどうにか立ち上がろうと踏ん張った。
「ギリ立てるけどプルプルして歩くのは無理!」
「んー、普段はシュシュに抱えてて貰おう」
アニメのマスコットキャラクターはよく緊張感のない顔で浮いたり飛んだりしてるが、そうやって浮遊したり肩に乗ったりするのは彼らが楽をする為ではない。アニメーターが楽をする為である。
レオが歩けないなら無理に歩いてもらう必要はない。四足よりは断然二足だが、歩くか歩かないかなら寧ろ歩かない方が助かる。シュシュの胸元の装飾も隠せて一石二鳥だ。
「私は構いませんが、レオはアラン様の護衛として呼んだので、アラン様が抱っこした方がいいかと」
「ダメだ。絵面がキツい」
「歪みが起きますか?」
「起きないけど歪むんだ。色々なものが」
少年と相棒のモンスターみたいな路線は俺の育ち過ぎた年齢で塞がれている。死ぬにしては早いが、主人公としては遅い。どっちつかずで困る。
「オレもう人に変わっていい?」
「人の姿より省略できていいと思ったけどこのまま旅をするのはやっぱり難しいか」
「シュシュに抱えられてるオレが一番キツいんだよ」
中身は魔物とはいえ、彼とて年頃の青年なのだ。俺がキツいのと同様に配慮して然るべきだ。俺が頷くと、たちまち愛らしい生きたぬいぐるみは赤髪の青年へと姿を変えた。
「あの姿で戦えそうですか?」
「爪だけ戻せばさっきみたいな弱い奴なら倒せるぜ。気は進まないけど」
「それでいこう。コミカルな戦闘のが崩壊しない」
「専門家が言うので諦めてください」
「はぁ……アンタが死にかけるようだったら躊躇なく戻るからな」
「やっぱり私が目にも止まらぬスピードで倒すしかないですね。1匹ずつ来てくれればいいのに……」
もしかしなくても俺は作画面でも足を引っ張っているのでは。ともあれレオは世界観を強化するための人外要素を兼ねるマスコット枠だったということだ。作画的にはマシである。