【1-4 解呪の兆し】
食堂は依然として阿鼻叫喚だった。変わり果てた両親の顔に小さな女の子が泣いている。流石に口は浮いていないし、指の数も戻ったようだったが、十数名の顔の崩れは回復していない。
窓を見つめたまま途方に暮れる婦人が、ため息でガラスを曇らせている。
「シュシュ、一か八かってところだし、俺のことはあまり」
「皆様、嘆かないでください! こちらのアラン様が歪みの呪いを解いてくださいます!」
「大々的に触れ回らずに内緒に……してほしかった……」
「す、すみません! 言っちゃいました……!」
20人近くの40の瞳が全て俺に向いている。胡散臭いと疑る視線はいい。何の話だと興味関心を向けられるのもいい。だけど鵜呑みにした縋るような目がダメだ。期待を向けられると動悸がして倒れそうになる。
「アラン様、自信を持ってください。貴方はフレーム様のお墨付きなんですから」
「だけど、あれは数合わせで……」
「フレーム様だって!」
「フレーム様が祈りを聞いてくださったんだ!」
「救世主様万歳!」
20対全てが俺に希望を託すものに変わっていく。これは不味いな。カランと鉛筆が音を立てて転がって、その後世界は暗転した。黒2コマ。
「──様!」
真っ暗はいい。放送事故だと思われないよう、ここに字だけ浮かべてタイムシート一枚、6秒稼ごう。
6秒数えて目を開けると、高い天井だけが広がっている。よし、背景美術さんに任せよう。そう思ったところでシュシュが覗き込んでくる。
「アラン様!」
「わっ!」
「ひゃっ! おはようございます」
どうやら背景オンリーとはいかなかった。ようだ。ベッドの横のテーブルに水差しとコップ、それから汚れた木の枝と黄ばんだテーブルナプキンが置いてある。
魔法が解けて戻ってしまったのかと思ったが、木の枝に俺が触れるとたちまち鉛筆へと姿を変えた。まだ継続中らしい。しかし手を離すと枝に戻る。修正用紙も同じだった。
「俺、どうしたんだ?」
「突然気を失われたんです。やっぱり代償がある術のようですね」
「あの、お客さんは?」
「歪みが残っている方以外帰っていただきました。アラン様が大人数は歪みが起こりやすくて危険だと仰っていましたし」
「ああ、うん」
主人公のシュシュがここにいるから平気だと思うが、映るたび20人以上の作画が求められるのは酷だ。モブのお客さんの立ち位置を矛盾がないように合わせるのだって手間なのだ。下手するとRマークの案件である。
俺が倒れてからは30分も経っていないというので、何時間も待たせているのではないと知り、少し胸を撫で下ろした。と、同時に俺を待っている人達が居ると意識すると気が重くなる。
「まだこの世界に来たばかりですし、調子が優れないようでしたら後日にしますか?」
「私、皆様に説明をしに戻ります」と立ち上がったシュシュの手首を、反射的に掴んで引き止めてしまった。シュシュはちょっとだけ驚いた表情で俺に向き直る。
「シュシュ。あのさ、俺、本当に大したことないやつなんだ。全然救世主なんかじゃない。この世界にだって渋々来たくらいで」
「アラン様?」
出会ってからずっと俺のことを様付けで呼ぶシュシュのことをガッカリさせたくなくて言い出せなかった。異世界転生なんてしてくる人物は本当なら優れた才能を持つ無二の人のはず。それこそ、主人公なのだから無垢な期待を向けられるのも当然だ。
だけど俺は違う。転生したらいきなりスーパーマンに変身できるのかもしれないと淡く期待もした。でも俺は違った。
無条件で凄い人間だと思い込んでいる本当の主人公のシュシュに、ちゃんと真実を、所詮人手を補う助っ人でしかない俺のことを話さなくてはいけない。
「シュシュはプロフェッショナルって言ってくれたけど、俺はまだひよっこで、グロスの作監だって人が足りないから数合わせで任されてたようなもんだ。経験も浅いし全ッ然上手くない」
同じくらいの歳の子はみんな手が早くて仕事も捌けてもれなく俺より稼いでて、ただでさえ俺は業界入りも遅かったのにどんどん置いていかれてる気がした。仕事の量を調整しようとしたけど、制作さんに泣きつかれたら断りきれなくて、仕事はどんどん山になっていった。
断れない性格が死因の一つだと思っていたからこそフレームには啖呵を切ったが、結局厄介事を引き受けてしまったので、死んでも人間の性質は変わらないものなのかもしれない。
「期待されるの苦手なんだ。前の世界でも俺のやる気出すために、期待されてるって皆が煽ててくれた。でもその度に変に力が入って、もっと頑張らなくちゃいけないって思い込んで重圧に潰されそうになる。こんなダメなやつなんだ、俺って」
力の抜き方が上手くわからない。褒められるのは丁寧さやキャラクターのニュアンスだった。だから手が遅くてもそこを疎かにしたら俺の価値がないと思った。
適当でいいと言われても夜遅くまで残って精一杯クオリティを上げる。「クオリティアップは呪いの言葉だ。クオリティの犠牲になるな」そう俺に言い残して、尊敬していた先輩は業界を辞めてしまった。
「ごめんなさい。私、勝手に舞い上がって、アラン様の気持ちを無視していました」
「謝ることないよ。俺だって作画崩壊で悲しんでいる人を助けたいんだ。でも自信がない」
失望されたのか、はたまた情けないと思われたのか、シュシュは神妙な面持ちのままだ。
そういえば、俺は彼女に発注されたわけだが、救世主がお役御免の場合、返品やクーリングオフは可能なのだろうか。なんにせよ、次は彼女の期待に応えられるだけの救世主が届くことを祈るだけだ。
「アラン様。あの中に、サビィっていう私の友達がいるんです。彼女はここの常連で近くで宿屋を営んでいて、本当に気のいい人なんです」
「シュシュ?」
「サビィはアラン様の魔法が上手くいかなくても絶対に怒ったり責めたりしません。だから会ってくださいませんか?」
シュシュは俺を諦めていなかった。俺自身はもう諦めてしまっているのに、彼女はまだ俺に大切な友達を託そうとしている。明るくて前向きな主役に相応しい性格だ。
「……あまり、期待はしないように伝えてくれないか?」
「わかりました! それでは呼んできますね」
シュシュがスカートをはためかせながら慌ただしく去っていく。第一印象はお淑やかだったのだが、先程聞いた夢や物語の方向性からして実態はお転婆な少女なのだろう。
見渡すと花が飾ってあったり、女性物のコートがかかっていたり、一見可愛らしい少女の部屋だ。しかしクローゼットは半開きだし、カーテンの紐は絡まっているし、鏡は一筋ヒビが入っているし、部屋の主が不器用であることが隠しきれていない。
「ん? シュシュの部屋?」
俺が寝ていたベッドも……?
勢いよく半身にかかった毛布から這い出したはいいものの、部屋をうろうろするのも躊躇われて床に正座する。身体から甘い香りがしていたらどうしよう。ドキドキしながら肩口を嗅いでも匂いはしなかった。ここはホッとしておいた方がいい。
10代の女の子のベッドに入ってしまった。成人している男が。アニメではあるあるなラッキーパプニングにカウントされるかもしれないが、現実に起きるとただただカルマ値が上がった気がする。
「アラン様ー! お連れしました!」
不可抗力を武器にして罪悪感と戦っていると、シュシュがドアを勢いよく開けて入ってきた。
「どうして床に座ってるのですか?」
「禅……」
「ぜん?」
「瞑想していた……」
「大丈夫です。必ず上手くいきますよ、アラン様!」
さっきの話と瞑想は別件なのだが、説明すると墓穴を掘るだけなのでそのまま想像にお任せしておく。
シュシュの後に続いて部屋に入ってきたサビィは見覚えがある。先程ため息を吐いていた窓辺の婦人だった。シュシュとは年齢が離れているが、新作の料理の味見をよく頼む関係で仲がいいのだそうだ。
「お若い方なのね。前回フレーム様がお呼びになった勇者様は壮年の方だったから驚いたわ。シュシュと変わらないじゃない」
「いえ、もう25です。シュシュっていくつなんだ?」
「16歳です」
口調がしっかりしていたからもう2つは上だと思っていた。現代なら女子高校生だ。けれども、こういう題材の主人公となるとこの辺りの歳なのは妥当かもしれない。
先程ベッドに入ってしまった罪悪感が益々大きくなってきた。俺が10代だったら喜んでいたと思うが、その辺りは空虚な社会人生活と一度死んだのとで達観してしまった。
「私からしたら一緒だわぁ」
「10年近く離れてたら流石に世代違うと思いますよ」
「おばちゃんの前でそういうこと言ったら、めっ、よ?」
一体いくつなんですかと口にしたら、めっ、されたので僅かに痛みの残る額を摩った。会話からして30より上だとはわかるが、近頃の人の歳なんて見た目からは全然想像がつかない。まして異世界人なんてわかるわけがない。
「アランくん、元より美人にしてね」
「善処します」
さあようやく本題だ。
書き込みの少ないモブキャラの範疇ではあるがスラっとした流し目に高い鼻と写真のサビィは整った顔をしている。今はまつげの左右の数が違うし特徴的な目尻のほくろもない。口も線が震えて歪んでいる。
整えるくらいは俺にも出来そうだが、さて、どうやって直したらいいだろう。修正用紙を顔の上に押し当てて上から描く……のは流石に不正解だろう。現実的じゃない。正面からスケッチするのも妙だ。
困り果てて手癖で紙をパラパラとめくっていると、修正用紙の下に一枚白い紙が増えている。レイアウト用紙だ。会社名も作品名も書いてないが、3つのタップ穴とフレームはある。そこにサビィの顔がある。
レモンの紙を重ねると、下の線が薄く透ける。2枚の紙を固定するためのタップがないので、邪道も邪道だがズレないように角を折った。目と眉のバランスを整えて、睫毛をなぞって少し伸ばし、輪郭の震えを直し、スッと口を描き入れる。一応前髪にも手を入れた。
「出来た」
ほくろを最後に描き足し、余白に「宜しくお願い致します」と癖で書き入れる。すると、紙とサビィの顔がパッと光に包まれた。思わぬ近距離のT光攻撃に反射的に閉じてしまった目をゆっくり開けると、俺が描いた通りの顔がサビィに張り付いていた。
「サビィ! 顔が!」
シュシュは破顔してテーブルの引き出しから手鏡を引っ張り出し、顔をペタペタと触っているサビィに駈け寄って手渡した。
「私の顔だわ! うふ、ちょっと目がぱっちりしてる」
サビィはマジマジと見つめて、それから日除けの薄い手袋をした細い中指でそっと目尻をなぞる。
「え!? すみません! すぐやり直します」
そうして溢れたサビィの感想にぎくりと身が強張った。Rマーク、リテイクだ。消えてしまった修正用紙をもう一度生み出すため、クオリティアップを唱えようと使えそうな布を探し、おたおた視線を彷徨わせる。
しかし、狼狽える俺をよそにサビィは上機嫌に笑い出した。
「違うの違うの! こっちのが美人で気に入ったのよ。ありがとう、アランくん。とっても素敵な魔法ね」
「はい! アラン様の創成魔法は素晴らしいです!」
年相応にぴょんぴょん飛び上がって喜ぶシュシュに軽い挨拶をした後、サビィはふわりとスカートを持ち上げ、俺に向かって仰々しくお辞儀をして、くるりと優雅に部屋を出て行った。
サビィの姿がすっかり見えなくなると遅れてきた情感が俺のもとを訪れた。温泉が湧き出たみたいにじわりと胸が温かいものでいっぱいになる。
「アラン様? やっぱり無理をしてたんですね!?」
「いや、違うんだ。今まで、直接、ありがたがられること、なかったから」
拭っても拭っても胸の温かな泉が、目から溢れてきて止まらない。泣き作画は面倒だから止めなくちゃいけないのに。
どうしても収まらないので仕方なしに腕で覆って顔を隠した。人前で泣くなんて情けない。肩の震えは止まらないが、せめてもの抵抗に唇を噛んで嗚咽を押し殺した。
「泣いてる暇なんてないですよ。歪みに呪われた人はまだまだ沢山いるんですから!」
「……そうだな。黄ばんだナプキンいっぱいいるな」
「うちの食堂のテーブルナプキンは、き、黄ばんでません!」
シュシュに怒られてしまったが、後で試したところ、黄ばんだのしか修正用紙に変わらなかった。黄ばんだお絞りでも代用できるようだったが、比較的新しい白いものは動画用紙にしか変わらなかったので上手く透けなくて使えない。ライトテーブルがあればまた違うのだが、創成魔法でなんとか出来るのだろうか。
「アラン様、お疲れ様でした」
「少なかったのに時間かかってごめん」
「人の顔の治療なんですからかかって当たり前ですよ。アラン様はもう少し自信を持ってください」
「うん。頑張るよ」
歪みの影響があったのはサビィを除いて12人。用意できる紙に限りがあるため3人ずつ修正した。人に見つめられて描くのは酷く緊張したが、その緊張が上手く作用したのか、俺にしてはそこそこ綺麗に修正が乗ったと思う。歪みが治って皆喜んでお礼を言ってくれたけど、褒められ慣れてないせいでどう返していいかわからなかった。
異世界転生なんて、大っ嫌いだ。でもこの世界でこうして人を助けるのは、不思議と悪い気はしなかった。
《1話完》
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