【1-2 クレジット アラン・スミシマ】
結論から申し上げると、何の説明もされていないが、あの美女の説明の通りだった。
目の前には古風な噴水がある。小さい頃に母親に連れられてよく遊んだ大きな公園がちょうどこんな雰囲気だった気がする。
「カップ麺のなさそうな世界に転生してしまった……」
それどころかラーメンも存在しなさそうだ。主食の変更は止む無しだろう。
どこか懐かしい噴水こそあれ、見渡す限り古めかしいヨーロッパ風の──と言ったって実際に欧州を訪れたことはないのだが──異世界転生タイトルの写真参考資料で散々見慣れた景色だ。いきなり森じゃないだけマシなのだろうか。
ほとんどされてない説明の通り肉体はあるようで、見下ろすと胴体も足も立派に生えている。さて、これで逃げ出せるわけだ。
「ここで死んだらどうなるんだ? またどこかに発注されるのかな」
人として命があったって、身寄りもなければ食い扶持もない。元から薄給の底辺アニメーターだが、社会に従属して貧乏暮らしが出来ていただけ今より安定していたわけだ。異世界転生なんてやっぱりロクでもない。
どうしたものかと首を捻っていると、カツカツと石畳とヒールがぶつかる音がする。そういえば歩きや走りを描くのは面倒で嫌いだったな。
「貴方様ですね。世界を救う者は」
「えっ、と……どちら様ですか?」
鈴を転がすような声に仰々しい肩書きで呼ばれ、そちらを見遣ると洋風な背景によく馴染む甘茶の髪に金の瞳の可愛らしい女の子が立っている。先程の凛とした妙齢の金髪美女とは違って、優しそうな柔らかい表情だ。
「ふふ、敬語はくすぐったいのでおやめください」
「自分も敬語じゃないですか」
「年上の方から使われるのは慣れませんので」
「そう、なのか」
そういう価値観の世界なら従った方がいい。郷に入っては郷に従え、目をつけられると良いことがないのは前世からの教訓である。しかし、彼女の畏まった敬語はこそばゆい。
「私はシュシュ。この度、貴方を発注した者です。受領書はございますか?」
シュシュと名乗った少女はぺこりと可憐に一礼すると、空に向かってやや張り上げた声をかけた。
すると「確かに」と、あの真っ白空間の主の声がして、ひらりひらりと一枚の紙が舞い降りてくる。
「あっ」
紙は胸の前で受け皿を作ったシュシュの手のひらへと吸い込まれ、見事に収まった。それを当たり前に受け止めて、驚きもしないシュシュに、本当に剣も魔法もある世界なのかもしれないと胃の辺りがもやつく。
「上位空間へはああやって届くんですよ」
「へえ」
どうやら死後のあの場所は上位空間と呼ばれる所のようだ。空が死後の世界と当然のように繋がっているのもどうかと思う。そういえば異世界って我々の世界の化学とかちゃんと機能してるんだろうか。
シュシュは背中の真ん中まで伸びた髪をふわっと翻し、低いヒールを鳴らして街へと進みだした。
「それではアラン様。私の家へご案内します」
「アラン……? それは俺のことか?」
「はい。受領書にアラン・スミシマと記載がありました」
「……なるほど。不吉な名前だな」
スケジュールが消えそうな、クオリティ方面で事故が起きそうな、しかし責任を何処かへ飛ばしてくれそうな。ある意味これも魔法みたいなものかもしれない。……呪いの方かもしれないが。
複雑な俺の胸の内も知らないシュシュは、フリルの沢山付いた長いスカートをはためかせながら、煉瓦の民家の角をゆったりと曲がる。
「アラン様はどの程度ご説明を受けていらっしゃるのですか?」
「いや世界を救えと飛ばされただけで、スケジュール、じゃなくて、時間がなかったみたいで……ほとんど何も……」
しどろもどろに応えると、シュシュは俺を安心させるようにうんうんと頷いて、どこから説明したものかと顎に手を当てる。
簡単に、単刀直入でいい、と伝えると、シュシュはまた何度も頷いて説明を始めた。
「今、この世界は危機に瀕しているんです」
「危機?」
「はい。奇病、怪異、呪い、各地で様々な報告が後を断ちません。その原因は歪みと呼ばれる魔物なのです」
「その魔物を俺に倒せと?」
「そうですね。なんでも何かお力を持っていらっしゃるとか」
「持ってる、のかな……。創成魔法とかなんとか言われたけど」
世界を救う為に転生させられたのだから、役に立ってもらわないと困るが、その魔法すら詳細を知らないのだ。目をキラキラと輝かせる彼女には本当に申し訳がない。着いたばかりの世界だが、非常に居心地が悪い。
「創成魔法! 素敵な響きですね!」
「でも詳しくは教えてもらってないんだ。あの上位空間の女の人、もしかして空に呼び掛ければ話せる?」
「あっ、えっと、あのお方は上位存在のフレーム様です。残念ですが、お忙しいので上位空間とは取引の時にしかやりとりはできません」
「やっぱりビジネスか……」
シュシュによると、上位空間は数多の世界に干渉することができる空間で、上位存在はその各々の世界の維持をしているのだとか。神様に近いが、よりビジネスの匂いがする。運営会社的な感じなのだろうか。俗っぽい。
「そしてフレーム様は我々の世界を担当しておいでなのです。この世界は一度魔王と呼ばれる強大な支配者に滅ぼされかけまして、その際にもフレーム様が現れ、我々の祈りを聞き入れてくださいました」
「はあ。俺の世界はそういう物騒な破滅と無縁だったから上位存在なんて見かけなかったのかな」
神話の神様がもしかしてそれに値するのかもしれないが、胡散臭い伝承は耳にしても見かけた覚えはない。映画みたいに各国の大統領と秘密裏に繋がっていない限りは実在したように思えない。
「では、やっぱりアラン様も別の世界からいらっしゃったのですね」
「も?」
「はい。以前、魔王から世界を救った者も別世界からいらっしゃいました。その方は上位存在をご存知のようでしたが」
「じゃあ地球出身じゃないんだな」
「ええと、確か42銀河系の方でした」
「うーん、その人が全知全能なだけかも」
その勇者様なら魔王じゃなくて、今回の歪みとかいう魔物も倒せるんじゃないだろうか。
ふと目を落とせば、見慣れない洒落たデザインのエンジニアブーツがあくせくしている。アラン・スミシマはこの靴が似合う立派な男で、魔物なんてなんのその。優秀な選ばれし救世主である。そんな可能性もなくはない。転生前が底辺アニメーターの俺というだけで、頭脳はともかく身体能力は別人並に優れているのかも。
「あ、ここを曲がると私の家です。しがない食堂なのですが、当面はうちで過ごしてください」
「ありがとう、シュシュ。行く宛がないからすごく助かるよ」
いいや、ただの穀潰しだね。慣れない靴で少し歩いただけなのに、息も弾んでいるし、なんだか脚に疲労が溜まっている。女の子のヒモと比べるなら、流石に小銭を稼げる底辺の方が立派だったよな?
そんなみっともないため息は、樽を三つ並べた先の曲がり角から聞こえてきた甲高い悲鳴でかき消されることになる。