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【1-1 異世界転生なんて大っ嫌いだ】

 ──異世界転生なんて大っ嫌いだ!!!


 時刻はテッペンを優に超えて、最終電車はたった今、虚しく過ぎ去っていった。今日も今日とて溜まり溜まった仕事とお泊まりだ。そんな生活が3ヶ月くらい続いている。週1で休めればいい方で、日曜日にも家で作業をしていることが多い。

 しんと静まり返ったアニメ会社の一角で、俺の吐いた溜息がこだました。今日も締め切りに追われている。訂正、締め切りは一週間ほど前に過ぎている。謝り倒して延ばしてもらった締め切りだけは守らなくては。親指と中指にタコのできた右手が、焦燥感に駆られて段々と感覚を失くしていく。


 いわゆる下請けのアニメ会社で働く俺のところに舞い込むのは、最近流行っているのか異世界転生ものの作品ばかり。読む暇もないが、大本の原作は大人気小説らしい。

 例えば原文が「敵の大群が攻めてきて逃げ惑う民集」という簡潔な一文でも、俺たちアニメーターは何十人と画面の中で走り回らせなければならず、面倒極まりない。

 こっちの作品なんか魔物がパーティーを組んでいる。手慣れぬ異形のオンパレードに加えて、跳ねるスライム、駆けるケンタウロス、飛び回るドラゴン。いずれも細かな装備品つき。設定との睨めっこに眩暈がする。異世界転生ものは割りに合わない。戦うし。

 おまけに会社はスケジュールのない作品ばかりを拾ってくる。大体告げられるのは一週間後。そして締め切りとは奇しくも重なるものだ。


 もう限界だ。

 どうせお金もスケジュールのある元請けと比べられて作画崩壊とネットで叩かれるのに、真面目に仕事なんてやってられるか! いくら枚数を描いてたくさん動かしたところで1カットあたりの値段は同じ! いくら上手く描いたって2000円! いくら時間をかけたって流れるのは数秒! いくら褒められたって時給500円!!

 やりきれなくて立ち上がった途端に景色が歪んだ。

 ──ああ、作画崩壊みたいだな。




 目が覚めると俺は真っ白な空間に突っ立っていた。なんて作画が楽そうな空間なんだ。背景を描かなくていいじゃないか。


「おはよう」


 壁との距離も立ち位置の割り出しとも無縁の何もない真っ白な空間から、突然、ふわりとエスニックな装いの金髪美女がフェードイン、もとい姿を現す。どうやらこの白い空間は、濃い霧に包まれて出来ているようだった。

 日本人の顔立ちじゃないが、かと言ってどこかの国や地域の特徴に該当しているようにも思えない、非現実的な美しさだ。それなのに、はっきりと流暢な日本語を話している。ますますアニメじみている。


「目が覚めたか」

「まさか。まだ夢の中じゃないですか」

「捉え方によってはそれも正しい。お前は死んだのだからな」

「え?」


 俺は慌てて身体を確かめた。しかし視線を落としても真っ白い空間が広がるばかりだ。霧だろうか。いや、おかしい。美女の姿は見えているのだから、俺の身体も見えていなくては。触れようと手を伸ばすも、そもそも触れる手がない。「俺」がどこにもいない。そうか、これが死か。不思議な感覚だ。


「脳卒中だ。今伝えたところで手遅れだが、睡眠は取るべきだったな」

「ああ……」


 そういえば仮眠ばかりでまともに寝ていなかった。やっとあの締め切り地獄から解放されるのか。悲しいという感情より先に込み上げた安心感で胸が満たされていく。ギリギリで押し付けられた締め切りも、金の工面に不安ばかりの先の生活も、もう一切関係ない。心配しなくていいんだ。


「ところで」

「なんでしょう」

「私の使いとして生まれ変わり、ある世界を救って欲しいのだ」

「え、それって……」


 嫌な予感がする。サッと青ざめる俺に女は真剣な顔で頷く。


「転生、というやつだ」

「嫌だ! 異世界転生なんて、大嫌いだ!」


 わっと叫んで、無い足で必死に逃げ出そうとする俺に対し、女はわずかに焦りを見せて引き留めにかかる。


「まあ待て、そんなに悪いものではない。転生先では新たな肉体が授けられる。今まで通り人としての生活が出来るぞ。それも剣も魔法もある豊かな世界でだ」

「だから嫌なんだ!」

「待て、聞け。お前の案件は既に受領済みなんだ。納品しないと私の沽券に関わる」

「そっちの都合じゃないか! 嫌だよやっと地獄が終わったのに!」

「待て待て。何か不都合があるなら多少は融通してやる。何が問題なんだ」


 現実離れした美しい女の、まるで母親が駄々っ子を宥めるような見事な狼狽っぷりに、危うくパニックになりかけていた俺も少し冷静さを取り戻す。一つ深呼吸をする。足が無くては逃げられない。どうしてか会話は出来るし、頭も痛むけど。


「俺の仕事知ってますか?」

「アニメーション会社の業務委託だろう。調書には原画、作画監督、とある」


 よくご存知で。この真っ白けなファンタジー空間で現実的な単語が出てくると混乱しそうだ。散々俺を悩ませた法律の抜け穴の真っ黒けな労働も、単語で並べてみるとなんてことはない。


「グロスで単価の、と付け足しておいてください」


 グロスとは、薄給の労働が超薄給へと変わる魔法の言葉だ。メラからメラゾーマだ。作画監督は原画に修正を入れるため、アニメファンには原画の上位職と思われがちだが、その単価は原画よりとっても安いのである。

 手が遅い俺はいくらか作画監督を任されるようになってから、増える責任に反比例して減っていく飯の量に悩まされていた。


「わかった、付け足しておこう。これで転生してくれるな?」

「じゃあ結構です」


 とにかくもう疲れたし働きたくない。そもそも何でこんな腕力も体力もない死人を理の異なる世界に派遣するんだ。不慮の事故ではない以上、こうして生きるのに失敗したから死にたてほやほやなんじゃないか。


「なんだ。元の世界に未練でもあったのか?」

「ありますよ。そりゃあいい歳して親孝行の一つもしてないし、まだこれから金のかかるちっさい妹だっていたんですよ」

「その辺りは不幸に見舞われないよう保証しよう。親子割引がきく。これで親兄弟は生涯安心だ」


 こんなこの世とあの世の狭間に、親子割だなんて携帯会社のCMみたいなシステムがあるとは思っていなかった。意表を突かれて何も言えないでいると、女は沈黙を否定と受け取ったようで、不機嫌を隠さず眉を吊り上げる。


「お前が拒むならお前の血族に代わってもらう他ない。今からお前を生き返らせてやる。父母兄弟、代わりを選べ」

「──わかりましたよわかりました! 引き受けます。不本意ですが!」

「わかった。では先程の親子割引を設定しておく」

「はぁ……」


 なんだかんだ最後は脅すんじゃないか。さっきからどうもこの女もビジネスだ。ビジネスには情がない。あるのは損と得だけだ。だから嫌いなんだ。でもこれであの地獄の仕事に追われる日々からは解放されたんだ。出来ることなら安らかに死にたかったけれど。


「異世界転生によくあるらしき特殊能力とか授けてくれないんですか。身体能力や魔力量がずば抜けていたり」


 仕事上、作画の参考に原作のコミカライズ版、つまりは漫画を読んだことがある。漫画じゃ一コマで終わるシーンを、アニメでは何カットもかけて表現する。それを恨めしいと思ったことも、まあ、ある。

 それはともかく、そんな異世界転生漫画の冒頭では、特殊能力が授けられるというのは、もはや定番を通り越してお決まりなのである。女は片眉をヒクリと上げて考える素振りを見せると、ややあって頷いた。


「む。図々しいな。まあいい。特殊能力はすでに宿っている。お前の努力を反映した特殊な創成魔法だ」

「創成魔法?」


 名称からすると何かを作り出す能力だろう。無から有を生み出せるようなものだろうか。それとも物体を作り替えるのだろうか。詳しく聞き出そうと口を開くと同時に、視線の先の女はバッと空を仰いだ。


「まずい。発注時間だ。それではくれぐれもよろしく」


 そう、言い終わるか終わらないかといったあたりで、肉体を捨て去った俺の手元にたった一つ残されていた意識は、呆気なくホワイトアウトしていった。さよなら、Aパート。

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