鶴の恩返し その四
日曜の元気なご挨拶。
パロディ昔話第八十六弾。
今回は『鶴の恩返し』夏バージョンでお送りいたします。
冬の話である『鶴の恩返し』を真夏にやるとどうなるのか。
どうぞお楽しみください。
昔々、あるところに炭焼きの若者がおりました。
ある時山に入ると、近年稀に見る猛暑にやられて、弱っている鶴を見つけました。
「おぉ、これは可哀想に。どれ、今助けてやるからな」
心優しい男は鶴に水を与え、あおいで風を当ててやりました。
元気を取り戻した鶴は感謝を伝えるかのように頭を下げると、空高く飛び上がっていきました。
「元気でなぁ。こまめに水を飲むんだぞぉ」
その晩の事です。
男の炭焼き小屋の戸を叩く音がしました。
「ん? 誰じゃ?」
「旅の者ですが道に迷ってしまい、一晩宿をお借りできないでしょうか?」
「おぉ、それはお困りじゃろう。何もないあばら家じゃが、夜露くらいはしのげるで、遠慮なく上がってくれ」
「ありがたく存じます」
扉が開き、若く美しい娘が入って来ました。
男はあるものの範囲で精一杯もてなしました。
特に井戸から汲んだ冷たい水は、夜になっても暑さの残る身体には一番のご馳走だったようで、娘はこくこくと喉を鳴らして水を飲みました。
翌朝、娘は男に丁寧に礼を言いました。
「大変お世話になりました。ご恩返しをしたいと思うのですが、機織り機をお借りできますでしょうか?」
「礼なんて気にせんでえぇんじゃが……」
「いえ、それでは私の気が済みませぬ」
「そうか、そこまで言ってくれるならお言葉に甘えるべ。奥の部屋にあるだ。好きに使ってくれ」
「ありがとうございます。ただ私が出てくるまでは決して戸を開けず、中を覗いたりしないでくださいませ」
「わかった」
娘はそう言って奥の部屋に篭ると、とんからりとんからりと機織りを始めました。
しばらくして汗だくの娘が出てきた時、その手には見事な反物がありました。
「どうぞこれを町で売ってお金に替えて」
「その前に水じゃ! 水を飲め!」
「あ、ありがとうございます……!」
男が水瓶から汲んだ水を勢いよく飲み干すと、娘は一息つきました。
「あの、改めて、どうぞこれを町で売ってお金に替えてください」
「あぁ、ありがとう!」
娘の言う通りに町に反物を持っていくと、その美しさは多くの人の目に留まり、とても高く売る事ができました。
「今帰った! お前さんのお陰でほれ! こんなに食べ物やら酒やらを買う事ができた!」
「それはようございました」
「今夜は宴じゃ! 存分に食べて飲んでくれ!」
「ありがとうございます」
二人は反物を売ったお金で買ってきたご馳走を楽しみました。
すると娘はまた頭を下げました。
「お前様へのお礼だと言うのに、また私にも豪華な食事を振る舞ってくださってありがとうございます」
「いやいや! こんなご馳走、一人で食べても味気ないもんじゃ! 一緒に食べてくれてありがとう!」
「……ありがとうございます。つきましては厚かましいお願いですが、もう一晩泊めてはいただけないでしょうか? お礼にもう一反織らせていただきたいのです」
「反物だのお礼だのと考えず、好きなだけ居てくれて構わんぞ」
「……! あ、ありがとうございます……」
こうして娘は男の元で暮らし、時折反物を織っては男に渡しました。
そのお陰で男の生活はとても豊かになりましたが、一つどうしても気になる事がありました。
(あの娘は織物をする際に、窓も戸も閉め切ってやっておる……。この暑さの中、身体を壊さんと良いが……)
男の心配は数日後、現実になりました。
最高気温が体温にも達しようかという日に、娘は奥の部屋で機織りをしようとします。
「きょ、今日はやめておいた方が……」
「いえ、大丈夫です。頑張ります」
「ではせめて戸と窓を開けて……」
「それだけはできません。絶対」
「そ、そうか……」
娘は男の制止を振り切り、織物を始めてしまいました。
とんからり。とんからり。
男は娘の身が心配でなりません。
とんからり。とんからり。
しかし約束があるので、覗いて様子を伺う事もできません。
(早く終わってくれ……!)
冷たい水を溜めた水瓶の横で、男はそう祈るしかありませんでした。
「!」
やがて機織りの音が止まり、部屋を移動する音が聞こえました。
柄杓で水を汲んで待つ男の前に、
「あ、暑い……、もう、無理……」
反物を羽根にかけてふらふら歩く鶴が姿を現しました。
男は驚きましたが、何より明らかな熱中症の症状に、急ぎ水を飲ませ、汗を拭き、頭に濡らした手拭いを乗せ、あおいで風を送ります。
介抱の甲斐あって、鶴の目が焦点を取り戻しました。
「……あれ、私……。あ、そうか、暑すぎて頭がぼうっとして……」
「大丈夫か! 良かった、気が付いて……!」
「お前様……。済みませぬ、またご迷惑をおかけして……」
「何、無事であったならそれで良い……!」
と、そこで、鶴は自分の身体の違和感に気が付きます。
「あ! わ、私、変化しないまま……!」
真っ青になった鶴は、絶望の色を露わにしました。
「お前様にこの姿を見られたからには、全てお話いたします……。私は以前熱中症で弱っていたところを助けていただいた鶴でございます……」
「そうじゃったか……」
「御恩返しをと人の姿に化けてこちらに参りましたが、正体を知られたからには、もうこちらには居られませぬ……」
「まっ待ってくれ!」
「これまでの暮らし、とてもとても幸せでした……」
鶴は家を出ようと身を起こそうとしますが、まだ熱中症の影響があり、思うように身体を動かせません。
「……無理をせんと休んでくれ……」
「……申し訳、ありません」
「……それにこの手当、これにも恩返しをしてもらえるんじゃろうか……?」
「え、あ、そ、そうですね……。でも、あれ、そうすると、正体が知られたのに一緒にいる事に……? でも覗かれてはいないから良い、のでしょうか……?」
混乱する鶴に、男は優しく声をかけます。
「恩返しをしてくれると言うなら、頼む。もっとこの家に居てもらえんか?」
「えっ……?」
「機織りはせんでもえぇ。一緒に居てくれる事が礼と思ってくれ」
「……お前様……!」
元より男との別れを辛く思っていた鶴には、断る理由がありません。
こうして鶴は男と一緒に暮らす事になりました。
「よーし! 窓に葦簀は立てかけたぞー!」
「外から見えませぬか?」
「あぁ! 勿論じゃ!」
男は鶴が三度熱中症にならないよう、奥の間の風通しを良くしつつ、人目に触れないよう工夫をする事にしました。
「しかし、もう反物など織らんでも、家に居てさえくれればえぇのに……」
「いいえ、お前様の為に何かしたくてたまらないのです。だから許してください」
「……わかった」
男が笑顔で頷くのを見た娘は鶴の姿に戻り、奥の間へ入りました。
「決して覗かないでくださいね」
「勿論じゃ」
笑いながらそう言い合うと、鶴は戸を閉めずに機織りを始めました。
とんからり。とんからり。
遮るもののなくなった機織りの音は、家中を幸せな響きで満たすのでした。
読了ありがとうございます。
猛暑が生んだ二人の絆。
そう思えばこの酷暑も許せる……、許せない?
次回は夏らしく『番町皿屋敷』で書こうと思います。
……江戸時代の話だから、昔話には違いない……(震え声)。
次回もよろしくお願いいたします。