君恋し
美術館の池に浮かぶ蓮の花を見ると、僕はいつも遠き日の君のことを思い出す。
「倉敷の大原美術館にモネの睡蓮があるんだって。一緒に見に行ってみない?」
君がそんなことを言いだしたのは、僕等が高三の夏休みのことだった。
静かな美術館を訪れて、ついでに倉敷川のほとりの美観地区をゆったりと散策する。
そんなつもりで駅に着いた僕たちの前に広がった景色は、思ってもみないことに大勢の人でごった返した、駅前通りの喧騒だった。
「あら、今日はお祭りだったのね」
車が通行止めになった通りには、巨大なお面をかぶった「素隠居」と呼ばれるジジババがいて、大きくてボロボロのうちわを抱えて、歓声を上げる観光客たちをあおぎまくっていた。
「よーそれなぁー、やっとこしょ」
祭りの歌とは思えないぐらいのんびりした男たちの掛け声と、ダラダラと続く千代楽と呼ばれている神輿の群れが、大通りを渡って商店街の中へ消えていく。
どうやら商店街の外れの小山に倉敷神社があるらしい。
「ついて行ってみましょうよ」
サラサラした横髪をさりげなく耳の後ろにかけて、君は僕を見上げていたずらっぽく微笑んだ。
キューンと息苦しいほどに胸の奥が痛くなったのは、僕が君に溺れ死にそうな病に罹っていたからかもしれない。
『青春の鼓動』
僕が秋の南高祭のために書き上げた詩だ。
涙の川をいくつ超えたら 明日の自分になれるのか
踏みしめる大地の上に いつの日か堂々と立てる 我を見つけられるのか
青春の光と闇の中で
よぎる迷いを自信に変えて
何かを求め 限界まで手を伸ばした先には
つかめるものがあってほしい
夢の欠片が残っていてほしい
湧き上がる原始の鼓動を 身体中に強く響かせて
燃えよ 空高く
飛べ 南に向かって
遥か彼方の空に 叫ぶんだ
足を止めることなく リズムを刻め
そうここに刻んでいけ
君の精一杯の 青春の鼓動を
南高祭の準備をするために、クラスでは毎日、遅くまで作業が続いていた。
暗くなった田んぼ道を、君と自転車を並べて帰るのが僕の楽しみだった。
後ろから僕たちの間に差し込んできた自動車のビームライトの光を避けるように、僕は君の自転車の後ろに回り込もうとした。
しかし次の瞬間、僕の目に映ったのは、愛しい君の後姿ではなかった。
逆さに舞っている世界
僕の遥か下に見える君の驚いた顔
自動車の急ブレーキの軋んだ音の光跡と、何かが壊れていく耳を覆いたくなるような響き
「ほら、イチゴ味も美味しいでしょ。あなたのは食わず嫌いなのよ」
舌を真っ赤にしてかき氷をほおばりながら、僕を諭す君
試験の前に「ヤバいヤバい」と言いながら、不安そうな顔をする君
友達と話していた時に僕が通りがかったことで、照れくさそうな表情をする君
目を合わせて、真剣な声で交際を申し込んできた君
あの夏祭りの日、将来を誓ったね。
蓮の花が浮かんでいる池の畔だった。
今でも遠き日の君の面影が、僕の心を創っているんだ。
君が恋しいよ
…………