勇者パーティは全員が回復職。しかも私以外が幼女。
「聖女イリア、汝に勇者の称号を授ける」
「有難きお言葉」
私、イリア・フォーデルクは神父様から頂いた神の御言葉を噛み締め、最大限の礼を示す。
時は騒乱。魔人が住まう国に「魔王」が復活したとの宣告が為された。魔王が現れると戦争が起きる。これは歴史が証明してきたことだった。
私の住む皇国は神のお告げに従って「勇者」を一人選出する。人類側の各大国から一人ずつ、計四人で結成されたパーティで魔王のもとに向かうのだ。
その目的は言わずもがな魔王の討伐。先行隊として精鋭戦力の勇者を派遣し、最小限の犠牲で魔王を仕留められれば僥倖、仕留められなければそのまま戦争に発展という形だ。
言うなれば、勇者とは捨て駒である。
私は、そんな勇者に選ばれてしまった。しかし、主神の言葉は絶対だ。背くことなど私の信仰心が許さない。
勇者の証である星杖を授かり、長い儀式は終わりを迎える。
私が顔を上げると、神父様は私に告げた。
「聖女イリア。闘うことだけが戦争ではありませんよ」
私はその意味を汲み切れぬまま、勇者パーティの出発地である王都に旅立った。
◆
「初めまして、エズディア王国から来た【ヒーラー】のエルンです」
「私はルート帝国出身のヒルメ。ジョブは【白魔導士】よ」
「東国……リンネ。【僧侶】、よろしく……」
他国の勇者との顔合わせの日。私はそのメンツを見て唖然としていた。
白と水色を基調とした修道服に身を包んだ金髪の少女、エルン。
白地に銀の刺繍を施したローブを纏った赤髪の少女、ヒルメ。
そして、白と金を織り合わせた法衣を着る黒髪の少女、リンネ。
皆が皆、年端も行かぬ童女であった。今年で齢十九になる私より一回り小さい彼女たちは一様に私のことを見上げている。
私は生まれて初めて神を恨んだ。この罪なき無垢な少女たちに勇者という過酷な運命を背負わせるのか、と。
暫し茫然としていた私は、ある種の使命をもって奮起した。勇者と告げられたあの日から今日まで流されるままになっていた私が、この時初めて勇者としての自覚を強く持ったのだ。
「私はイリア・フォーデルク。【聖女】として、貴女たちのことを全力で守ります」
旅の間、誰一人として欠けてはならない。この地を再び踏みしめるとき全員が笑っていられるように、最年長の私がこの子たちを庇護するのだ。
魔王の元へ向かう道中は長く、歩いて行くとなれば三月はくだらない。水と食料は道中で立ち寄る村で確保できるとして、問題は魔物との戦闘である。
「ハァっ!」
気合いを込めた掛け声とともに星杖を振り下ろす。ぐにゅん、と変形したスライム状の魔物は圧に耐えきれず、そのまま押し潰れた。
「よしっ!」
「素敵です、イリアさん!」
「かっこいい」
後方に控えていたヒルメ、エルン、リンネから称賛の声が届く。私が振り返ると、彼女たちは嬉しそうに走り寄ってきた。
「大丈夫? ケガはない?」
「それはこっちのセリフよ、イリア」
「そうですよ。前線で戦っているイリアさんこそ一番に心配するべきです」
「一応、回復する……」
リンネから回復魔法をかけられ、全快だった私の身体が薄緑色に光り輝く。続けてヒルメとエルンからも回復魔法を貰い、私は金色やら白色やらに発光する。
このパーティの大きな問題。それは、メンバーの三人が十歳に満たない少女であること。そして、パーティメンバー全員が回復職であるということ。
この勇者パーティには攻撃役がいない。
【ヒーラー】、【白魔導士】、【僧侶】、【聖女】。
誰一人、攻撃魔法を使えない。そして前衛も張れない。
ヒルメは魔法学校に入学したばかりで、エルンとリンネはようやく見習いとして修業を始めた身分らしい。大変な時期に勇者として招集されてしまったことへ同情を覚えると同時に、そんな彼女たちを選抜した主神の思し召しが理解できなかった。
とりあえず私が攻撃役と盾役を担当し、幼女三人衆には後ろから回復をして貰うという作戦を執ることにした私たちだったが、正直うまくいっているとは言い難い。
「スライム一匹に時間を掛けすぎてるよね……」
このペースでは魔王討伐など夢のまた夢だ。旅の途中で何かしらの成長を遂げることを期待するしかないだろう。
その日の行軍は日が暮れたところで終了した。魔除けの香を焚いて、簡易テントの中で睡眠をとる。人生初の野宿は幼女三人の体温で寝苦しかった。
◆
王都を経ってから一月。私たちは勇者の加護のおかげか目覚ましい進化を遂げていた。
「ハアァッ!」
振り下ろされた星杖がゴブリンの頭蓋を叩く。しかし、決定打には至らず、ゴブリンからカウンターの殴打を貰ってしまう。
脇腹に貰った攻撃は会心の一撃。骨が折れる嫌な音が響き渡る────が
「こんのッ!」
私は怯むことなく鈍器を振るう。グギリ、と嫌な感触が手に伝わった後、ゴブリンはその場に伏した。
私が油断することなく星杖を上段に構えると、残党のゴブリンは怯えたように逃げ出していった。
戦闘が終わったことを知らせるため後ろを振り向くと、幼女たちが岩陰から飛び出して私に抱き着いてくる。
「ありがとう、皆のおかげで無事に倒せたよ」
腰のあたりに顔を擦り付ける少女たちの頭を撫でる。私が殴られた痕はすっかり消えていた。
自動回復。この旅で得た最も大きな収穫だ。
彼女たちから魔力を少しずつもらうことで自然治癒を促す魔法。それを三重にかけられた私は常時虹色に輝くようになり、骨折どころか致命傷すらも一秒足らずで治ってしまうようになった。
相手取る魔物はゾンビアタックを仕掛けてくる私に怯え、この辺りでは向かうところ敵なしだ。極端に知能が低い魔物でない限り襲ってくることは無くなった。魔物の間で情報のやり取りでもしているのだろう。
「イリアさんさっき殴られてましたよね!?」
「ボキッて! すごい音してたけど!」
「痛そう……治す」
エルン、ヒルメ、リンネから回復魔法が飛んでくる。あの、もう体力は満タンなんですけど……。
心配性の少女たちに過剰な治療を施されて私の身体はホワイトアウト寸前にまで眩く輝く。神にでもなった気分だ。
そんな状態で道中の村を訪れるわけだから、それはもう目立つ。
「あぁ、女神さまじゃ……ありがたやありがたや」
「今代の勇者様は何と尊い方なのでしょう。どうぞお収めください」
老爺からは拝まれ、村娘からは果物を頂く。望んでいた勇者像とは異なるが、人々の安寧に繋がるのならば悪いことではないのだろう。
その日の夜は久しぶりの宿だった。暫く野宿を繰り返していたため精神的にも疲労が溜まっている。部屋割りをどうしようかと三人の幼女勇者に尋ねると、口を揃えて「イリアと一緒の部屋がいい」と言ってくれた。すっかり懐かれてしまったなぁ、と頬を綻ばせながら大部屋を借りて四人で寝ることにする。
食事を終えて湯浴みをすれば、あとは泥のような眠気がやってくる。何やら幼女様方は元気な様子だが、年長の私は一刻も早く眠りにつきたい。大きな欠伸をかましながら「おやすみ」と挨拶をして一足先に布団に沈んだ。
イリアからやや離れた場所で、三人の勇者は顔を寄せ合う。
「寝たわ」
「寝ましたね」
「寝た」
頷き合い、話題の人物を見遣る。魔力供給が絶たれた今は発光することなく、慎ましやかな胸を上下させる少女。滑らかな銀髪が額にこぼれ落ち、その表情は穏やかなものだった。
「それじゃ、始めるわよ。第十二回乙女会議」
ヒルメの掛け声で始まった鼎談は、その日の報告を行うための会議だった────第三回までは。
「今日もイリアはカッコよかったわね。私たちに危険が迫りそうになったら真っ先に飛んで来て守ってくれたもの」
「魔物をひと睨みしただけで追い返してましたもんね!」
「好き」
三人はそれぞれ蕩けたように想いを馳せる。
結成当時は「イリアの助けになるように自分たちで情報を共有し合う会」だったが、最近は専ら「イリアを誉めそやす会」になっていた。
談義に耽る本人たちはその事に気づかず、話題の熱は温度を増していく。
「ゴブリンから攻撃を受けた時の表情見ました?! 『効かねえなァ』っていう不敵な笑み! あんなの女の子なら誰でもキュンとしちゃいますよね!」
「わかる」
「それも私たちの魔法技術が上達してるおかげね。これからも精進していきましょ」
時折まともな会話を挟みつつも、イリアの株は爆上がりしていく。
当のイリアは露知らず、口の端から幸せそうによだれを垂らしていた。
きゃいきゃいと黄色い声ではしゃぐ彼女たちだったが、リンネの一言で流れが変わった。
「私……イリアのこと好き」
「私たちも好きよ」
「違う……ラブの方。恋してる」
「「────っ!」」
突如、放りこまれた爆弾にエルンとヒルメは呆然とした。
ヒルメは口をパクパクとさせ、エルンは真っ赤な顔で口を抑えている。
「イリア見てるとドキドキ止まらない。これは絶対に恋」
「わっ、私だって!!」
「ヒルメ!?」
リンネの暴露に感化されたヒルメが立ち上がり、エルンが何かを悟ったように悲鳴をあげる。
「私もイリアのことが好きだし! もちろんラヴの方でね!」
「そ、そんな……」
耳まで真っ赤に染めたヒルメの宣言にエルンは絶望の表情を浮かべた。
「エルン、アンタはどうなのよ」
「私は……」
燃えるような赤髪の少女が金髪の少女に詰め寄る。エルンは恥ずかしそうに頬を桃色に染め、たどたどしく口を開いた。
「私もイリアさんのことはお慕い申し上げております。でも、教会の教えで恋愛は禁止されているんです……叶わぬ恋なんです」
「そんなの、関係ない」
「そうよ、恋する気持ちを誰に押さえつけられるのよ」
「リンネ、ヒルメ……」
三人は固く手を取り合う。
恐ろしいことに、これは齢十に満たない少女たちの会話であった。
そして話題の中心人物はふやけた顔をして夢の中。
「どんな結末になっても恨みっこナシだからね」
「のぞむところ」
「負けませんから!」
「すぴー、すぴー」
イリアの預かり知らぬところで、また一つ懸念事項が増えていた。
翌日は早朝に村を出て、整備されていない街道を進む。道中で進路を塞ぐ魔物は殴り倒すか、虹色の燐光を纏った睨みで威嚇して逃がす。
問題のない行軍であったが、私はふと気がついた。
「何か今日はいつもより回復量が多いような?」
「そんなことないわよ! はい『エクストラヒールプラス』!」
「私も! 『天使の恵み』!」
「……! 『豊穣全治』」
三人の勇者からかけられたのは全回復の魔法だ。自動回復で既に体力は上限だったのに、更に重ねがけされても効力を発揮しない。
皆がやる気なのはいい事だけど、魔力は温存してもらいたい。その旨を伝えると三者三様にしゅん、と項垂れてしまった。
慰めるために頭を撫でたり膝枕をしたりと、その日は緊張感のない旅路となった。
◇
旅を始めて二月が経過した。私は人間を辞めていた。
エルン、リンネ、ヒルメから自動回復の魔法を受けている間、土を踏めば草木が生い茂り、泥沼に手を突っ込めば清らかな泉になる。手を振り仰げば暗雲が消え去り、太陽が姿を見せた。
魔物たちはそんな私を見て超常の存在だと認めたのか、一切襲いかかってこなくなった。
「平和なのはいい事だけど暇だね。これなら道中で魔物も襲ってこないし、馬車が使えるかも」
「え、えー。ゆっくり行きましょうよイリアさん」
「そうよ。何なら一度王都に戻って出直してもいいくらいだわー」
「焦りは禁物ー」
「どうしたの皆?」
旅路は安定したものになっていたが、その行軍は遅々として進んでいない。何故ならば、私以外の勇者が駄々をこね始めたからだ。
予定よりも早く進んでいるため、あと二週間もすれば魔王の元に辿り着けるだろうが、彼女たちは旅の終わりを嫌がった。
……だが、気持ちはわかる。相手は魔族最強と名高い生粋の王。まともに戦えば無事でいられるか分からない。私は三人の回復を信頼しているが、万が一彼女たちを守りきれなかったら悔やんでも悔やみきれない。
「そうだね……次の村が魔族領に最も近い場所だから、最後の中継地点になる。そこで満足いくまで力をつけよう」
私の提案にパッと顔を輝かせた少女たちは一斉に抱きついてくる。まったくもう、可愛いんだから。
私の判断は間違っていないはずだ。この時の私はそう考えていた。
宿の大部屋には四人の少女の姿。一人は乱れのない寝息を立てて幸せな顔をしている。イリアである。
そして、恋する乙女三人衆は焦っていた。
「どうする、もう時間が無いわよ」
「イリアさんにアピールを始めてから一月が経ちますけど……」
「まったく手応えなし」
「鈍感すぎよ……」
幼女たちはガックリと肩を落とす。
手料理を作ったり、一緒にお風呂に入ったり、独自魔法(回復効果)を披露したりするものの、その尽くが「凄いね」、「偉いね」、「頑張ったね」の褒め言葉で完結してしまうのだ。
イリアにとってはどこまでも「守るべき少女たち」であり、恋人どころか友人にすら関係が発展していない。良くて妹だろう。
幼女勇者三人衆もまた、イリアに褒められることでアピールなど忘れて有頂天になってしまうのだから世話ない。
「なんとか一緒にいられる時間を引き伸ばしたけど、このままだと魔王を倒してハイ解散なんて全然ありえるわよ」
「この機を逃したら一生結婚できない可能性があるんです……魂賭けますよ」
「エルン、目が怖い」
ぐぬぬ、と唸る少女たち。
もはや形振り構っていられなかった。
「誰がイリアと結ばれるかなんて考えている余裕はないわ」
「協力しましょう」
「合点」
「良妻賢母も色気も回復魔法もイリアには通じなかったわ」
「……と、なると」
「私たちだけで、魔物倒す?」
リンネの提案にヒルメとエルンが頷いた。ここは一つ、魔物を狩ってイリアにもキュンとしてもらおうじゃないかという考えである。
その日の夜は戦術の組み立てを行って会議は終了した。決起は明日の正午、イリアの目を盗んで村の外に出たところからだ。
私がその違和に気がついたのは村の人たちに挨拶回りをしていた時だった。村で取れたというフルーツバスケットを受け取った時、いつもなら真っ先に中身を確認するリンネがいない。
いつの間にか私の身体から自動回復の燐光が消えていた。
嫌な予感を覚えた私は急ぎ足で宿に戻る。エルンの姿も、ヒルメの姿もそこには無かった。
「……これ」
ベッドの上に一枚の書置きが残されていた。
『イリアへ
今日は私たちのすごいところ見せてあげるから、宿で待ってて
ヒルメ・エルン・リンネ』
私はその意味を理解した瞬間、弾かれたように飛び出した。
「いたわよ」
「大きいですね」
「……どうせ見た目だけ」
三人の勇者は魔族領域に足を踏み入れていた。魔法の素となる魔素が強いことから、出現する魔物も格段に強くなっている。
少女たちはそれぞれに自動回復の魔法をかけ、普段イリアがやっている戦法を取ろうとしていた。
目標は前方、一つ目の黒鬼。
「行くわよっ!」
ヒルメの掛け声と共に少女たちは躍り出る。それぞれの手には村で買った護身用のナイフ。
例え力で及ばずとも、回復に任せてイリアの様に攻撃を仕掛ければ勝機があるはず。
そう意気込んで踏み出した一歩は、それ以上進むことはなかった。
『グオアアアアアアアアアアアァァァァァァァッッッッッッ!!』
「ひっ」
「きゃっ」
「……っ」
黒鬼の咆哮。敵対する者を威圧するための先制の一手。
気勢を削がれた勇者たちはその場で足を竦ませてしまう。
「え。うそっ、なにこれ……っ!」
「魔法がっ」
「封じ、られた……?」
三人の身体から燐光は消え去っていた。魔法を使えない。
その事実が途端に心臓を鷲掴みにした。
「『妖精の祝福』っ! なんでっ!」
「じょ、状態異常、魔封じです!」
「さっきの、咆哮……」
黒鬼が放ったロアは威嚇に加え、バッドステータスを付与するためのもの。回復職である彼女たちの中には状態異常を防ぐ魔法を覚えている者もいた。しかし、対策を怠ったため足元を掬われた。
時すでに遅く、三人とも魔法を発動させることが出来なかった。
この場に残るのは膂力凄まじい怪物と、非力な女の子。
「や、やだっ……」
誰の悲鳴だっただろうか。腰の抜けてしまった三人は身を寄せ合って抱き合い、泣きじゃくるしかない。
こんなはずじゃなかったのに。
せめて、最期に最愛の人の顔を見たい。
三人の思いが一致したとき────銀色の少女は現れた。
ゆらめく闘気。怒気によって身体から流れ出す魔力の奔流が陽炎となって立ち上る。
腰まで届く銀髪はゆらゆらと揺らめき、黒鬼と対峙する背中は少女たちが冒険の間ずっと見てきた頼もしいそれだった。
「この子たちに指一本でも触れてみろ────」
ドンッ、と星杖を大地に突き立てる。
黒鬼を相手に鬼気迫る表情を見せた少女は告げる。
「────お前を地の果てまで追って壊しつくしてやる」
刹那、抑えられていた魔力が暴風となって吹き荒れる。
イリアの、勇者としての本気。
後のことを顧みない全力。
「グオォォ」
黒鬼は一歩、二歩と怯んだようにたたらをふむ。
じり、じり、と後退し、やがて魔物は見えなくなる。その間、イリアは仁王立ちで睨み続けた。
イリアは一息つくと、魔力の放出を止める。その場には弛緩した空気が流れ始めた。
「まったく……」
イリアは振り返り、嗚咽を漏らす幼女たちに歩み寄る。
大手を広げて三人纏めて抱きしめたイリアは安堵と共に滂沱の涙を流す。
四人の少女の泣き声が、いつまでも木霊していた。
宿に戻る頃、日はすっかり地平線の向こう側だった。
恐怖が抜けきらない幼女三人組を甘やかし、深夜。ようやく安定した状態になったため、私は洗いざらい話してもらうことにした。
そして、頭を抱えた。私の知らないところで話が進みすぎだ。
この子たちに好かれている?
親愛ではなく情愛で?
エルン。リンネ。ヒルメ。彼女たちの瞳を見つめると、皆期待に満ちた視線を返してくる。
参った。本当に参ってしまった。
「あのね、気持ちは凄く嬉しいんだけど……」
「「「……っ」」」
私がこの子たちと付き合えるだろうか。誰か一人を選ぶだけでも一苦労なのに、増してや年齢が年齢ときた。
今の私には重すぎる案件だ。
────だから、私は一番卑怯な返事をした。
「もしも、貴女が十年後も私のことを好きでいてくれるなら。そのときはお付き合いしましょう。だから今は────ごめんね」
私は空気を読んで、そっと部屋をあとにする。
宿を出ると、冷たい夜風が身体を突き抜けた。
「はあ、今はあの子たちの温もりが愛おしいよ」
散歩で時間を潰してから部屋に戻ると、涙の痕を残した三人の少女が固まって眠っていた。
罪な女になってしまったな、と私も泣きそうになるのを堪えて床に就いた。
◆
「それじゃあ、準備はいい?」
「任せなさいっ!」
「完璧です!」
「問題ない」
元気な返事を聞きながら、私は微笑む。
先日の件から一月。即ち、王都を経ってから三月が経過した。
戦争をするにせよ魔王を討つにせよ、これ以上の引き延ばしは危険と判断。
魔族領の境界付近でできるだけ戦力を鍛えたため、準備に抜かりはない。
私と幼女たちがギクシャクしていたのは僅か一日で、彼女たちの切り替えは素晴らしく早かった。
『私たち、諦めてませんから』
そんな言葉がかけられるとは思ってもみなかったため、随分と間抜けな顔を晒してしまったに違いない。
私は強かな彼女たちに負けていられないと喝を入れなおす。
「さあ、泣いても笑っても最後だよ。気合入れていこう」
魔族領は不気味なほどに静かだった。奥へ奥へ進むほど魔物は姿を消し、魔人も見かけない。
一面が荒廃した土地である魔族領は気を抜いていると自分たちの位置を見失いそうになる────が
「魔族領でも花は咲くんだね」
虹色に輝く私の身体。後ろを振り返ると、美しく白い花道が出来上がっていた。相変わらず私、いや、私たちは人間を辞めているらしい。
一泊、二泊……二週間ほど歩き続けただろうか。厚い雲に覆われて昼夜がイマイチ判然としないため時間の感覚も狂い始める。
それでも後ろをついてきてくれる少女たちは一言も文句を口に出さない。
そして、とうとう私たちは魔族領の街────魔王国にたどり着いた。
『いらっしゃいませ、勇者様!』
街の入口、門扉には人語でそのような文字が書かれていた。ん?
「この度はご足労いただき、誠に痛み入る次第」
「は、はあ……」
私たちが街へ入ると竜人や魚人に出迎えられる。そのまま街のメインストリートを闊歩していき、辿り着いたのは立派な城だった。
これは疑うべくもなくアレだろう。魔王が住むところ。
厚い歓待を受けながら城内に通される。念のため幼女たちを私の傍まで張り付かせておき、警戒は怠らない。
兵と思わしき魔人の敬礼をやり過ごし、とうとう玉座にまで通されてしまった。
眼前に座るのは黒衣を纏った骸骨だった。魔王の復活から三か月、受肉は完了していないらしい。
「そなたらが今代の勇者一行か」
「はい」
「話は兼ねがね聞いている。どうか楽にしてくれ」
魔王はゆっくりと立ち上がると、こちらに歩み寄る。
いよいよ戦闘が始まるのかと星杖を構えるが、魔王はゆっくりと手を振るだけだった。
「こちらに戦意は無い。今日は取引を持ち掛けようと思ってな」
「……取引?」
「魔族領の惨状は見ただろう。土は枯れ、空は厚く塞がり、湖は乾いている。我々の土地は死に体だ」
魔王はゆっくりとその場に膝を付く。他国の王であろうと、国のトップが頭を下げようとしていることに私たちは瞠目した。
「人族と魔族は代々、領地を奪い合うために争ってきた。だが、もはや私たちには攻め入るだけの兵糧どころか、民草の日々の食糧を得るだけで精いっぱいなのだ。国の窮地に我も召喚されたが、この通り頭を下げるくらいのことしか出来ぬ。この地から出ていくこともできず、我々は死を待つのみ」
魔王の頭が項垂れる。
「勇者よ、どうかそなたらの奇跡の豊穣で我々を救ってはくれぬだろうか」
「奇跡の豊穣……あっ」
私は徐に後ろを振り返る。今も継続的に自動回復をかけ続けているため、私たちが通ってきた道────魔王城の赤絨毯から可憐な花が姿を見せていた。
ふと視線を上げると、玉座の間に並んで膝を付く兵の中に見覚えのある顔があった。
一つ目の黒鬼。
彼は魔物ではなく魔人だった。魔王軍が限りある資源を削って派遣した精鋭だったのだろう。私と目が合うと目礼で返された。
私は魔王に視線を戻す。
「そなたらには到底信用できぬであろう。虫が良い話だということも分かっている。だが、どうか、どうか罪なき同胞を救うと思って────」
「いいですよ」
私は魔王が頭を下げきる前に了承する。
拍子抜けしたように魔王が固まった。
「私たちがこの世界を慰安して回ればいいということでしょう?」
「か、簡単に言うが────」
「分かっています。土地を豊かにして回る労力、私たちの力を利用したい人族側の制裁、暗殺を企む賊との戦い……どれも、戦争よりはマシだから」
私は、腰に抱き着いて嬉しそうに顔をすり寄せてくる少女たちの感触を確かめながら慈しむように呟く。
魔王は攻め入るだけの兵糧すら無いと言ったが、いざとなれば死を覚悟して人族の領域に侵攻を始める筈だ。それが戦争なのだから。
そんなことになるくらいなら、勇者として救って見せようではないか。人も魔人も。
『闘うことだけが戦争ではありませんよ』
私たちの闘いはここからようやく始まるのだ。
「どうしたの、皆うれしそうな顔をして」
「だって、イリアともっと一緒にいられるってことでしょ!」
「私たちの旅は続くんですよね!」
「一生ついていく……!」
本当にこの子たちは良い子で可愛いなぁ。状況が分かっているのかは後で意思確認が必要だけど。
もしも彼女たちに危険が及ぶようなことがあれば命を賭してでも守る。それが、私の戦争。
だって私は、このパーティの年長者なのだから。
この子たちの笑顔がある限り、私は前に出て戦い続けるだろう。
攻撃手段に乏しい回復職だけどね。
◆
神話として語り継がれた四人の女性がいる。
枯れ果てた大地に恵みを与え、世界から病を消した【黄金の女神 エルン】
立ち込める暗雲を晴らし、気候を操った【紅の女神 ヒルメ】
腐敗した水を浄化し、大河を作り上げた【漆黒の女神 リンネ】
そして、その三人を妻に娶り、魔族と人族の親睦に貢献し、世界に恒久的な平和をもたらした【白銀の女神 イリア】
彼女たちの実在を示す古文書には、女神たちの仲睦まじい姿が描かれているという。
不死性を得て永遠の命を手に入れた彼女たちは、今も私たちのことを見守ってくださっているのだろう。
◆
「ここも、随分変わったわね。荒れ果てた土地だったなんて信じられない」
「本当ですね。人と魔人が共栄するなんて考えられませんでした」
「うん……ハッピーエンド」
そよ風の吹き抜ける麦畑。
三人の美女が懐かしそうに目を細める。
「ほら、立ち止まらないで。今の街がどうなってるのか早く見に行きたいの!」
「生意気な妻だわ」
「私の妻です」
「……三人の共有財産」
先を行く銀髪の女性が振り向いた。
そのあどけない笑顔は太陽の様に暖かく、どこか慈しむような優しさを湛えていた。