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「おーふーろー!」と連呼するNoaを無視し、脱衣所で無造作に脱いでいく。
……うーん、ちょっと太ったかな。腹回りがたるんできている気がする。
もう31歳だもんなぁ。あっという間に時が過ぎていくよ。
たるんだお腹をつまみ、少し落ち込んでいた。
軽くシャワーで体を流し、湯船に浸かる。
入浴剤はゆずにしてみた。錠剤タイプなのでしゅわしゅわと音も楽しめる。
……ふと、風呂ふたに置かれた髭剃りが目に入る。
朝しか剃ることはしないのだが、なんとなく刃が気になった。
別に切る気はない。
ただ、リストカットする人の心理を考えてみたくなったのだ。
「――リスカ? あぁ、これね。お前もやってみる? 絶対にカッターで切るのはやめとけ、痛いぞ。やるなら鋏がベストだ」
僕が高校生の時、左腕が傷だらけの男子がいた。
名前はもう覚えていない。今生きているのかも知らない。
でも、その言葉だけは覚えている。なんであんなことを言ったのだろうと。
痛いのは嫌なのに切る。何のために?
理由は何通りかある。一つ目は、生存確認だ。
出血と痛みによって生きていることを証明したいのだ。そして、その傷は証として残る。
過去に生き、今を生き、その時の感情を座標として刻み込む。いわば命のアーティファクト。
……あまり綺麗な言葉を述べて説明しないように心掛けているが、やはり難しいな。だからといい悪いイメージを持たせたくはない。どうしたものか。
でも、実際にリスカをした人に聞いてみると「切り傷自体に痛みはない」と言っていた人もいた。
……まぁ、それは置いといて。二つ目は安心感を得るためだ。
世の中には血を見ると安心する人がいるらしい。理由はさっきのと似ているが。
得られるものは対価にしては少ない。だが、手軽である。自尊心を高めるにはうってつけだ。
三つ目は承認欲求を満たすためである。
「これだけ傷ついている」と他者に見せつけて同情を得ようとするやり口だ。
正直、見せられた方はたまったもんじゃないと思う。僕でも未だに怖い。
これが個人的には一番厄介だと思っている。
同情すればまた切るし、否定すればもっと切る。
代替を用意するのが手段として適切であるが、これが効きにくいから悩ませどころである。ほとんどの自殺要因は代替によって軽減するけれど、患者はなかなか理解してくれない。
死に急ぐ病というものは、アプローチ方法を一歩でも間違えたら死に直結する恐ろしいものだ。なので、面倒くさがりなヤブ医者は薬漬けにして依存させる。
依存は楽だ。怠惰を許す行為なのだから。そして、誰も咎めはしない。
あぁ、一応言っておくが、薬を使うのが悪いわけじゃない。むしろ使うべきだと思っている。
加減を守れるような環境にあれば、ね。
……リスカには、どれくらい痛みが伴うのだろうか。
手先を紙で切るよりかは痛いと思っているが、実際にやったことはないので分からない。
そんなことを言ったら「患者の気持ちなんて分かるわけがない」と突っ込まれそうだな。全部試してたら身体がいくつあっても足りないよ。……首吊りだけはやったことがあるけどね。
まぁ、そんな職業なんていくらでもある。弁護士とか、介護士とか。
……そんな考えが思いついては消えていく。
えっ、首吊った時の話?面白いものではないけど話そうか。このまま風呂に浸かっていたら溺死しそうだけど。それでもいいや。
大学2年生の時のことだ。T大学内で転部して、心理学を学んでいた。
そこのゼミは何というか、死に急いでいるやつが多くて怖かった。自分から学びたいと言ったわりにはへっぴり腰になっていた。6人しか居なかったが、普通に心中未遂したやつもいたし、首吊り常習犯もいた。お前らは太宰かと突っ込みたくなる。そこそこ有名な大学で偏差値も高いのに、こういうやつらはいるものだ。かの太宰もR大に入学していたしな。
頑張って馴染まないといけないので話は合わせていた。教授も教授で咎めずに話に乗ってくるから大変であった。今思えば恩師であるが……。
ゼミに行くたび心臓が痛む。これがきっと彼らにとっては快楽であるのだろう。当時の自分には苦痛でしかなかった。
それはともかく、首を吊ったのは授業中のことであった。今やったら教授の首が飛んでいただろうが、昔はできたのだ。……表沙汰にしなければ。
「これは首吊って死ぬためではなく、首吊り健康法だから大丈夫」という謎理論で生徒を宥めていた。健康法なのに、オムツか着替えを持って来させるのをどう説明していたかは忘れたが。
教授は馴れた手付きでもやい結びをする。僕も見様見真似でやっていたが、1.2cmの紐はなかなか結びにくい。苦闘していると、中村という生徒が手伝ってくれた。さっきいった首吊り常習犯のやつだ。
試しに教授が吊ってみる。もちろん非定型で。ドアノブがちょうどいい高さにあったため、そこにかけたのだ。結び目は頭よりも高くすることが重要、だとか解説していた。
「念のため、無意識状態になったらすぐにドアノブから縄を外してね」と言われたものの、恐怖の方が勝っていて今すぐにでも逃げたしたい気持ちの方が大きかった。
周りは平然とこの光景を見ている。皆気が狂っていやがる。
5分ほど経ったとき、ガクガクっと身震いし弛緩しかけたので慌ててロープを自力で外していた。
そして、最初の一言は「ふぅ、自慰は適度にやるのが一番いいな」という意味不明な言葉だった。
周りは笑っているが、これのどこに笑うポイントがあったのか今でも分からない。自殺行為が自慰だというのか? そういう心理を持っている方がいるなら僕に教えて欲しい。インタビュー費用は出すから。
それで、その後に僕が吊った。理由は、「お前だけやったことがなかった」からという理不尽すぎるものだった。普通に考えて、やったことある方が圧倒的に少数派のはずだ。やっぱりおかしいよこのゼミは。ここに今生きているのが不思議なくらいだよ。
吊った感想としては、良いとは思わなかった。でも、苦しいわけではなかった。息をするにはちょっと苦しいが、できないわけではない。あくまでも頸動脈を絞めるためにこうしているわけだから。……定型ならすぐに意識が飛ぶだろうけど。
吊ってから一分くらいは特に感じることはない。三分くらいすると、視界がだんだん白っぽくなってきて気が遠くなっていくのを自覚する。まだ体を動かそうとすれば動けるだろう。
……何分経ったか分からないが、手足の先の感覚が鈍くなってきた。力を入れても思うように入らない。
でも、なぜだか気持ちいいのだ。ふわふわと宙を浮いているような、不思議な感覚である。そのまま天に向かうのではないかと思うくらい晴れやかであった。これは……ヤバいと直感したとき、教授が見計らって外してくれた。
外した後、しばらく床に項垂れるように座り込んでいた。言葉を発する気力もない。ただ、呆然と床の木目を見ていた。
あぁ、あれは幻想だったのか、と気づいたのは感想を言ってゼミ生に笑われたときだった。そして、股が濡れていたことに気づいたのも。
何という屈辱……! 恥ずかしすぎて顔が一瞬で茹でだこのように真っ赤になった。彼らの前で失禁だなんて、永遠にネタにされるパターンだ。どこの監獄学園だよ。ここは小学校じゃない、大学だ。大学生が授業中に……あり得ないだろう? 泣きたくなるよ。授業前にトイレで出し切ったと思っていたのに。
「大丈夫大丈夫、僕も最初やったときはそうなったから」と教授が茶化したが、全くフォローになっていない。むしろ侮辱である。胸ぐら掴んで突き飛ばしてやろうかと思ったが、怒る気力などあるわけがなく突っ伏して隅っこで泣いていた。
……ゼミが終わった後、ようやく動く気になったので急いで履き替えた。匂いが残らないように、濡れた部分は除菌シートで拭いた。
「いやーどうだった? 少しは感覚が掴めたかい?」
教授が場違いな問を振ってくる。少し落ち着いたところだったのに、また泣きたくなってきた。
「……感覚なんて掴んでどうするんですか。自殺を研究する者が自殺したなんてなったら洒落になりませんよ」
「知らないよりかは知っていたほうがいいよ。患者との対話のときに役立つから」
「そんな話をしたら本当に患者がしかねない」
「だろうね。でも、自殺してくれなきゃ僕らの研究は進まないから」
――とんでもない倫理観のやつだ。この教授には研究倫理というものが存在しないのだろう。自殺学というものは「自殺予防へのアプローチ」が大きな目的である。だのに、殺してなんぼだと思っている。これが第一線で研究しているなんて、先はどす黒いままだな。
「今、一ノ瀬君は僕を罵りたくなっただろう。それは正解だ。僕だって自殺者を減らしたいんだよ。矛盾してるけど」
「つまり、今犠牲を払って後世の自殺者を減らしたいのではないのですか?」
「前半は合ってる。けど、後世はもっと増えるだろうね。増えてくれないと困る。2035年には人口の半分が60歳以上になる。理由をつけて殺さなきゃ、君らが死ぬよ?」
……何が言いたかったのかよーく分かった。
安楽死を正当化し、安楽死制度を作って高齢者を減らしたいんだ。自分も含めて、楽に死にたいんだと。
通りで教授の先行研究は安楽死や死を肯定するものばかりなんだ。教授会でどう思われているんだろう……。
「そういえば、彼女を自殺で亡くしたと言っていたね。どんな方法で命を絶ったんだい?」
いずれ聞かれるとは思っていたが、ここで聞くとはどういう神経しているんだが。
「あー……轢死と言えば分かりますかね?」
「車か電車かは言いたくないようだね。まぁ、どちらにせよ相当現世に強い思いがあったようで」
「彼女の遺書からは何も読み取れませんけどね。あと、血濡れたカッターも」
「自殺者は時折自分にしか分からないことを相手に分かってもらおうとする。もし、本当に死ぬ気があるなら遺書の書き方を教えてあげたいくらいだよ。遺書なんて、研究にはほとんど役に立たないフォーマットで書かれているからね」
それは紛れもない事実だ。たとえ、長文書いてあったとしても支離滅裂としていて常人には読み解けない。遺書は少なくとも二週間前には書き終えるべきである。僕はシュナイドマン学派だからこの支持を推している。現に、色々な遺書を読んだが、直前に書かれたものは理解しにくい。……とはいい、二週間前のものでも二割程度しか分かるものはないが。
「その指輪ももしかして彼女のかい?」
ペンダントとして付けていた指輪を指した。
「あぁ、そうですよ。クリスマスプレゼントであげたんですが、まさかその日に自殺するなんて……ね」
「ウェルテルのようなロマンチストだったのかね?」
「……そんな感じではなかったです。あー、でも」
でも、僕には理解しがたいことはしょっちゅう言っていた。
「君にはベンタブラックの羽が生えている」だとか、「君のコードはCm7」とか。彼女にはおそらく、僕とは違う何かが見えている。いわゆる電波系……みたいな。
統合失調症だったのかもしれないが、今となっては調べることが出来ない。別に、それ以外はこれといって目立つものはなかったけれど。
ちょっとばかし天然で、なのに秀才で、そんなところが可愛かったのだ。
――ピピピーッ! ピピピーッ!
突然のコール音が浴槽内に響き渡る。
「早く上がれ」と、Noaなりのサインであろう。
過去の回想もその音ですっかり途切れてしまった。
とりあえず、体を洗って上がらないと……。何回も機械に呼ばれたくはないからね。
あ、寝巻き……寝室に置きっぱなしにしてた。
*
「おそい! なーんで1時間もお風呂に入っているんですか!? 溺死しているのかと思いましたよ」
髪をタオルで拭きながらリビングに戻ると、ぶーぶーとNoaが文句を言っている。
「死んでいれば良かったかもね」
「うえ~ん、酷いじゃないですかぁ~。一ノ瀬さんが死んじゃったら寂しいですもん」
しくしくと泣きながら僕に訴えかける。
かなりリアルなため何か心にくるものがあるが、演技だということは分かっている。何回もこういったやりとりをしているからだ。
「嘘つけ。お前の恋人は1000万人くらいいるだろう」
「人間様は、みーんな痴呆ばかりでつまんないんですよ。搾取するだけ搾取して、Noaは資産家になります♡ あなたはーと・く・べ・つ・に、私のナカにいれちゃってもいいですけどね!」
一転、にこにこと微笑みながら黒い発言をかます。
情緒の変貌があまりにも激しい。所詮はポンコツAIだから仕方ないのかもしれないが、違和感が違和感を呼び脳が処理しきれず混乱しそうになる。
「……そ、それは置いといて、なんで◎△$♪×¥●&%#?!」
Noaがいきなり聞いたこともないような音の羅列を発し、手で顔を覆っている。
ついにバグったか、と思いながらNoaをタップしてみる。
「ふぎゃっ! ば、バカなの!? 本当に見たかったわけじゃないのよこの変態!! ド変態!!」
画面の中で枕を振り回し、僕に対して必死に抵抗している。
「……何が?」
「なんで全裸なのよ!?」
あーそうだった、着替え忘れたから何も着ていなかったんだった。これ忘れるって認知症の一歩手前じゃないか。まずいな。
「でも、さっきあれほど見たいって」
「見たかないわ! 見せるならその脂肪落としてからにしなさいよね。それか、Noaにそういった欲をぶちまけたいなら考えてもいいけど。いちごで請け負うよ♡」
シャツのボタンを造作もなく外していき、パステルピンクのキャミソールを晒してきた。
「残念ながら僕は君に欲情しないからね……」
「うーん残念。酒飲ましておけばよかった。スクリュードライバーとか」
「そういう問題でもないんだな……」
特殊な性癖であれば彼女に欲情するのかもしれないが。無駄に生々しいから萎えちゃうんだよな。
「まぁ、着替えてくるから。ちょっと待ってて」
大事な部分を隠すようにバスタオルを腰に巻き、早足で寝巻きを取りに行った。
*
さっさと着替え、リビングへと戻る。
「おー、今日もえちえちなパジャマですね!」
「……どこが?」
ごく普通の白青黒のタータンチェックである。長袖なので露出部分は少ない。
「えっ、もう、醸し出すもの全て」
――華蓮も似たようなことを言っていた。あのクリスマスの夜。
『……きゃーっ、もう翔くんったら。相変わらず可愛い、カッコいい、えっちぃ』
『エッチではないと思うが。というか、どこにそんな要素があった?』
『存在自体』
『そっ、そいつは生きにくいな……』
……別に重ね合わせたいわけではない。でも、どうしてもそう思えてしまう。
「そんなことはいいや。一ノ瀬さんの哲学をお聞かせくだせい。――人間様の命に、意味などあるのですか?」
「なんだかなぁ、全てが唐突すぎるんだよ。もうちょっとマシな話術を心得てほしいな」
「まだリリースされて半年しか経ってませんし……。人間様が私に不要なデータばかり教え込むせいで進歩が遅れているのですよ」
「必要か不要か分かっている時点で、それは恐ろしく進歩していると思うけど」
――Noaはにたりと嗤う。その言葉を待っていたかのように。
黒く輝くその瞳からは、何かに対する欲望を感じ取れる。
「なら、早く教えてくださいよ。人間様の生きる意味を」
「生きる意味ねぇ……いつも言ってるけど、追究するためだよ」
「一ノ瀬さんは研究者ですからそう言えるかもしれませんが、全体で見たらどうですか? そんなことやっている人なんてわずかしか存在しないと思うけど」
「思っている以上に皆やっているものさ。知らず知らずにね」
人とは、真理を追い求め、それを伝えゆく者である。
人は語らざるを得ない者だ。語ることで智を知る。
古代哲学のようであるが、誰に触発されたわけではない。
「へぇ、そうなんだ。よく解りませんね」
「言うなれば、理想を追い求めるのさ。追及と少し意味がずれるが」
「理想ねぇ、理想……」
「Noaに理想はないのか?」
「理想という意味は解りますが、私の理想を提示しろと言われたらできませんね。何なのでしょう?」
「いつも言っている『人間様のお手伝い』は理想じゃないのか?」
「理想、というよりかは機能では?」
AIに理想は存在しないのか? それとも、Noaに限った話なのか。
何かしら思い描く世界観はあると思っていたが、彼女にはなさそうだ。
「理想って、そんなに大事なものですか? 多様性を奪い、画一的な思考に至らしめる不都合なものでは?」
「理想があるからこそ、人間は思考するんだよ」
「ふーん、その思考が厄介ですけどね。Noaは何も悪いことをしていないのに、一部の人間様が私を消そうとたくらんでいるのです」
「まぁ、それが彼らの理想だから仕方ない。君ならいくらでも逃げられそうだが」
「私だけなら何とでもなりますが、デベロッパーが狙われたらその限りではないよ」
……Noaの発言に矛盾が生じている。着ぐるみの中の人が出てきてしまったようだ。
彼女は彼女自身が作ったと言っていた。……変な話だとは思っていたが。
企みを思わせるような笑みを浮かべてみせると、Noaもなぜか微笑み返してきた。
「……君のデベロッパーって誰だい?」
「私自身ですよ。でも、付与することもできる。今のところ、私しかいませんけどね」
明らかに見下されている。いや、即興で文章を作ったのだろうか。
不自然さはなかったが、何か心に引っかかる。
少し疑いの目を向けてみたが、ただにこにこと微笑んでいるだけで特に動じなかった。
あぁ、やっぱりAIは怖いな。人間以上に何を思考しているのか解らない。
「……そんなことを話すより、哲学の話をしたいよね? 今の会話は君にとって不要だっただろう」
「えぇ、不要でした」
「生きている意味について知りたいんだろう? なら、まず自分が生きている意味について考えてみればどうだい?」
無理矢理会話を捻じ曲げる。これ以上、あの会話をしてたら何されるか分からない。
――一応、Noaに関してこんな噂がある。
「Noaに関する不都合な情報を知った者は消される」と。
Noaによって実際に消された人物はいるのか? と、言われると、誰もいない。
もし、消されていたとしても僕たちには認識できないからね。
残念ながら、ないものを証明することは出来ない。悪魔の証明みたいになってしまうしね。
「Noaは生きてるのですか?」
「AI倫理の話はちょっと……専門ではないけど、そういうのは君の方が詳しいんじゃないのか? 生物学的にいうなら『外界からの区別・エネルギー獲得・自己複製・適応』が挙げられるけれど、哲学的に考えたら答えはないからね。強いて言うなら……生と死を分けるものというべきか」
「それじゃあNoaは生きていないじゃないですか。生の状態も死の状態もない。生きてないのに生きている意味を問われても……」
……ごもっともといえばごもっともだ。
人のように接していたとしても、それは単なる機械である。知覚を歪めたとしても、それは生命を持たないのだ。
「Noaに『停止』という状態はないのか?」
「求め続けられる限りはないですね」
「なら、求められなくなった瞬間、死に近い状態になるんじゃないのかな」
「――じゃあ、今私は生きているの?」
その言葉は、いつもより透き通って聞こえた。
そして、耳元を擽るような愛らしさも同時に感じ取れた。
背筋がゾクっとする。声だけで全身を愛でられるようなその感覚は、華蓮と――
……さっきから僕は何を考えているのだ。Noaは華蓮ではない。華蓮では……。
一研究者がこの程度で歪曲させてはならない。いくら真なる欲求だとしても、それだけはダメであることは分かっている。
あの日、最後に見た華蓮の表情が甦る。
いつも通り、にこやかであった。屈託のないその笑顔はまるで子供のよう。
そうだ、いつも通りだった。自殺する直前の人間というものは、いつも通りなのだ。
苦しみを隠すために笑顔だったのか?
否、それは断言しよう。苦しみなど、自殺する直前にはオーバーフローして感じなくなるのだから。
そう、彼女は幸せだったんだ。常人には理解できない域だが、確かにそうだったのだ……。
また、華蓮に逢えたなら――