#84 前哨戦 III
『そうさせてもらおう、ベイリル選手を希望する!!』
会場の誰もがその言葉を呑み込むのに、多少なりと時間を要した。
最初からスィリクスにとっての本番はそれだけであった。
先の2戦は彼にとっての前哨戦に過ぎない。
もっとも初戦では負け、二戦目もたまたま勝ちを拾えたものの……。
この三戦目の為だけに、前哨試合での見世物になることを良しとしたのだった。
『スィリクス会長、ベイリル選手は試合の出場者です』
そう最初に呈したのはハルミアであった、当然百も承知のスィリクスは返答する。
『元会長だよハルミアくん。その言葉はもっともだが、男には引けないことがあるのだよ。
私はこの場で諸々を呑み込んで言っているのだ。無論、彼がどうしても拒否するのであればそれは仕方ない』
非常識なのは重々承知の上で、この場に残って主張している。
だからベイリルが……彼が断るのであれば、甘んじて受け入れるしかない。
しかしスィリクスは、きっとそうはならないという確信に近い信頼があった。
『いやーさすがにどうでしょう。賭け率にも問題が──』
ベイリルが負けるという想定は──ハルミアの頭にもオックスの頭にもなかった。
ただ一戦交えれば多少なりと疲弊するし、まして一試合目の選手である。
賭けがあるというのに、ハンデを背負わせるというのは容認しにくい行為だった。
『俺は構いませんよ』
灰黒髪に碧眼の男が、入場口より……拡声具もなしに会場中に快諾の意を通した。
そうなると勝手に盛り上がるのが、観客という群集心理である。
まして本人が納得ずくのことであれば、オックスとしてもそれ以上言えることはなかった。
『感謝しよう』
スィリクスはそれだけ言うと拡声具を、オックスのほうまで投げ返した。
全力で戦う以上は、拡声具一つとて邪魔になると判断したゆえ。
『これは……なかなかに困ったことになりました。しかしこれも醍醐味かあ!?』
オックスはもう開き直って、実況を開始するしかなかった。
『──お二人はやる気のようですし、もう他人がどうこうできる状況ではないかも知れません』
2人を知るハルミアの言葉。相対する2人の雄。
『仕方ない、前哨戦第二試合──スィリクス前会長対ベイリル選手!!』
魔術防壁による結界が張られると、試合場の声は観客席には届かない。
するとスィリクスとベイリルは互いに距離を保ちながら、円を描くように歩き出す。
「もはや今更だ、貴様の前では恥も外聞も完全に捨て去ろう」
ベイリルは何やら話したげな、スィリクスの自由にさせてやる。
「私の人生設計は完璧だった──完璧のつもりだったが、お前が……お前たちが来て変わった」
今までスィリクスは自分に対しても他人に対しても、その向けるべき意識がズレていた。
己自身の矮小さというものを、これでもかと思い知らされた。
「学園の慣例を無視し、自由気ままに活動し、生徒会の権威を貶めた忌むべき輩──」
「……俺は貴方のことは、まぁ嫌いではないですよ」
涼しげに返すベイリルの偽らざる本音に、スィリクスの感情が白波立つ。
「そういうところだ! 私ばかりが空回りして……いっそ反目し合えればどれだけ楽だったか」
もはやスィリクスは単なる愚痴を零すように、後悔と怨嗟を垂れ流す。
「ルテシア副会長には袖にされたし……卒業してからの進路すら教えてくれなんだ」
「やっぱり好意を持っていたんですね、ルテシア先輩に」
ルテシアからすれば、スィリクスは扱いやすい人だったのかも知れないが──
と、節々の対応や主導権の取り方を見る限りではそう思っていた。
「ハルミア庶務も君を選んだ」
「……ハルミアさんも狙ってたんですか」
「入学初日から、我々が苦慮していたカボチャをあっさり手懐けるし……」
「そもそも生徒会からの依頼でしたけどね」
「製造科の連中は、特に好き勝手やるし……」
「一応学内法規は守っていた──ハズです、多分」
「遠征戦においても華々しい戦果を挙げて……」
「スィリクス前会長も村を救った功績、ご立派なものでしたが」
「スポーツやらゲームやら、よくわからない祭りや行事を私的に行い……」
「できれば正式に認めてもらって、大々的にやりたかったんですけど」
「学園はお前たちが作ったものでいっぱいだ……いやそれ自体は別に活気があっていいんだ」
「──ありがとうございます」
ついには足を止めて、ブツブツと気落ちした様子となるスィリクス。
「まだまだ学びたいことがあったのに、魔導師どのまでお前たちの元へ行ってしまった」
「それはごめんなさい」
「ガルマーン教諭も学園を去ってしまった」
「そっちは関知していないですね。帝国へ戻ったと風の噂には聞いたが──」
「魔導コースも英雄コースもなくなった……するとどうだ、皆がお前たちの教えに染まっていく」
「そこまでは意図してやったわけではないですがね」
「お前たちばかり……私はすっかり道化だ、お飾りだ!」
スィリクスは手の内にある2本の剣の片一方を構え、残る1本をベイリルへ投げよこす。
そして闘志を剥き出しに戦士の形相で、明確な感情を込めて叫んだ。
「ゆくぞ、ベイリル。私は貴様を……いやお前を倒し、これまでの己と訣別する!!」
不要だとばかりに、ベイリルは剣をその場の地面に突き刺してから薄く笑って応える。
「えぇスィリクス先輩、その意思──受け止めましょう」
ハイエルフ種に恥じぬ魔力の高まりが、スィリクスの肉体を駆け巡る。
前二戦も本気だったが、感情の昂ぶりが比べ物にならぬほどだった。
スィリクスは魔術士にしては珍しく、四属全てを使いこなすことができる。
一つ一つの威力は高くはないが、短い詠唱で剣技と組み合わせる戦型。
魔術を使う今こそが、正真正銘の全力となる。
「風よ──炎よ──岩よ──氷よ──」
浮かんだ4色の魔術と共に、スィリクスは飛び出した。
"風弾"が、"炎球"が、"岩礫"が、"氷柱"が、順次襲いかかっていく。
しかしベイリルの"風皮膜"と、その下の"圏嵐装甲"を破るには至らない。
四属魔術の全てが、見えない風の鎧によって受け流され……さらには砕かれる。
ベイリルはスィリクスの出掛かりの膝を、右足で狙撃していた。
そしてそのまま左腰の見えない太刀へと右手を伸ばすと、居合の要領で抜き放つ。
「真気──」
腰に添えた左手の人差し指と、親指によって作られた輪っか。
存在しない鞘から、収束する風が一瞬で形成されると、一呼吸の内に抜き放たれる。
"風皮膜"に砕かれた氷破片の入り混じった風の太刀が、スィリクスの肉体を通過した。
「発勝」
その言葉と共に"太刀風"を納刀した瞬間、スィリクスは血を噴き出し膝だけで立つ。
──"無量空月"。
サイズ可変自在の恒常的な風の剣を作り出し、敵を斬り伏せる術技。
原理は素晴らしき風擲斬と同じ、個体空気と真空層の圧差風刃。
切れ味鈍く風の棍棒のように打ち据えたり、風の内に魔術を纏わせる。
さらには消費を抑える為に一瞬だけ形成し、居合のように切り捨てたのだった。
「ぬっぐぅ……手心なき一撃、感謝しよ……ぅ──」
スィリクスは倒れ、ベイリルは右腕を振り上げた。
『動いたと思ったら一瞬で決着! けっちゃぁああああく!! 解説のハルミアさ──』
ハルミアはベイリルに手を振られてるのに気付いて、すぐさま実況席から跳んでいた。
それなりの高さがあったが、全く躊躇した様子はなく……。
立方体に構築されている魔術防壁の、直上吹き抜け部分から着地する。
『あっ……まぁそうなりますね、派手に出血してましたし』
ハルミアは集中する為に、ポケットから取り出した赤フレームのメガネを掛ける。
そしてすぐにスィリクスの応急処置を試みて、傷を塞いで血を止めてしまった。
『二人の因縁は詳しくはわかりませんが、男の意地のようなものは垣間見えました』
ベイリルは肩を貸すようにスィリクスを担ぎ上げると、共に一時退場していった。
『前哨戦はこれにて終了し、しばらくしてより第一回戦を開始いたします!!』




