#05-1 奴隷
「──痛ッ、……?? ここは……」
目覚めてから最初に味わったのは──軋むような全身の痛み、次に感じたのは鉄の味であった。
霞む瞳の焦点が合ってくると、淡いロウソクの光と鉄格子が見えた。
悪臭もあるかも知れない、が……すでに鼻がバカになっているのか、何も思うところはない。
耳を澄ませずとも聞こえてくるのは、呻き声や叫び。あるいは怨嗟や懇願の言葉ばかりであった。
「あぁ……クソっ」
そう毒づくことしか今の俺にはできなかった。如何ともし難いほどの無力さが全身を打つ。
薄暗いそこには小さい箱型の檻がいくつも並べ立てられていて、その内の一つに俺はいるのだった。
(あのまま炎に焼かれずには済んだのか……)
地獄から生き延びたことに喜びを見出すべきか、それとも置かれた状況を嘆くべきか。
俗に言う"人買い"や"奴隷商"と言った連中に、その身柄を拾われていたのは明らかだった。
身寄りのないハーフエルフが、奴隷などに身をやつしたのであれば選択肢など無いも同然。
(知らぬ誰かに買われるか、買い手がつかず口減らしされるか、あるいは労働者送りにでもされるか……)
奴隷文化と言ってもそのシステムや待遇といったものは、時代や国家によって様相はガラリと変わる。
しかし少なくとも……現状の管理具合を見るに、まともなものは期待できそうもなかった。
◇
粗末な飯に、最低限の排泄。
同じ風景ばかりを眺め、昼夜もわからず、同じような人間の声をBGMに寝起きする日々。
せめて幼馴染のフラウとラディーアがどうなったか、もしかして同じような目に遭ってないかと食事係に尋ねてもみた……。
しかしながら、奴隷を売買するような連中は取り付く島もない。
ただ反応を見る限りでは……恐らくは奴隷としては拾われてはいないように思えた。
であれば、あの炎と血に塗れた【故郷】で生きている可能性は……。
仮に運よく死を免れていたとしても、それから生きていける確率は──
もはや俺は、それ以上の思考を止めるしかなかった。
◇
ときおり大人が現れては、観察するように見て回っていった。
ウィンドウの中の商品を、吟味して買うようなそれ。
さながらペットショップの犬猫のような感覚に陥った。
人を人として見ていない、そんな瞳に晒される心地など滅多に味わえまい。
屈辱ではあったが……それ以上に生き抜くことに必死にならざるを得なかった。
なるべく人の良さそうな人間を見ては──時に媚びへつらう態度を見せた。
俺の持つ知識をどうにか利用できないかとアピールをしようとするものの、どれもが空振りに終わってしまう。
こんな小さな子供がのたまったところで、ただの狂言にしかならないのは自明。
さらにハーフエルフの男というのは、実のところ需要が相当薄いようだった。
純エルフ種の見目麗しさには到底及ばないし、亜人の労働力としても期待できない。
なにせ力仕事であれば鬼人やドワーフなどがいるし、一度主従関係を理解させれば従順な獣人種の使い勝手もない。
半人には特化した部分がなく使いにくいのだ。それでいて長命ゆえの扱いにくさまで残る。
(精々が男娼として使えるくらいだろうか……)
だが奴隷を買いに来る連中を観察するに、そういった客層にはあまり縁がないようだった。
好事家が飼う魔物の遊び相手や、餌にされるとかロクでもない想像ばかりが膨らんでいく。
そうして日を負うごとに汚れは酷くなっていき、買い手も真っ先に敬遠していくようになるのは──ある意味、幸いなのかどうか。
◇
時間が経過するほどに精神は疲弊しきり、心まで摩耗する。
(最終的には鉱山労働かなんかにでも安く買い叩かれて、労災死亡コース一直線かな──)
無力にして無気力。もはや「何もかもどうでもいい」という心地に陥っていた。
長命種だからってナメていたと言えば……はたしてそうなのかも知れない。
不老であっても不死ではない──そんな一つの命題のようであった。
いくら寿命が長かろうと、死ぬ時は死ぬ。
あの炎と血の地獄も生き抜いただけではなく、たまたま死ななかったというだけ。
前後不覚な状態の中で、幽体離脱でもしているような感覚を覚える。
(このまま死ぬのも……悪くはない、か)
幸いにも肉体も精神も麻痺してきているのか苦痛はない。どうせ俺は転生した身だ。
前世ではきっと一度死んでいたのだろうから、ほんのちょっと夢を見られただけでも──
そうして脳裏に浮かんできたのは……母ヴェリリアの愛情深い眼差しと、幼馴染フラウの無垢な笑顔、ラディーアの変化のわかりにくい態度。
大切な人の行方。襲われた真相。あの"仮面の男"と背後関係への復讐。異世界への興味。強さへの憧憬と渇望。
執着と諦念の狭間で揺られながら、俺は人の気配を感じてふと顔を上げる。
目の前には顔に布をぐるぐるに巻いて覆い隠した、一切素性知れぬ怪しげな人物がなにやら手に道具を持ってこちらへ向けていた。
「ふむ……言葉は理解るか?」
「……あぁ、誰だ──」
俺は反射的に返事をする。くぐもった声だったが、恐らくは男だろう。
「よし。オイ!! ちょっと!!」
「へぇ、まいどどうも」
「コレをもらおう」
「あいはい。一応確認しときますが、後になっても文句は受け付けませんぜ」
「二言はない。ただし少しイロを付けておくから、身ギレイにして、水と食事もしっかり取らせておいてくれ」
(……?? 俺を……買おうと、して──るのか)
うすぼんやりとした意識で、買い手らしき男を見ても何もわからなかった。
思考が回らないまま……ただただ茫然自失といった目を向ける。
「旦那、こんなんでいいのなら他にもオススメが──」
「いやこの子供だけでいい。昼にもう一度来るからそれまでに頼むぞ」
巻き布の男はわずかに威圧の込められた言葉を残し、その場を立って去ってしまった。
それが救いとなるのか、それとも新たな苦難となるのか──俺の頭はもう限界を迎えていたのだった。
2022/6/26時点で、新たに書き直したもので更新しています。
それに伴い話数表記を少し変えています。