#73 戦余韻 I
「徹底抗戦だ! 死守するぞ!!」
スィリクスの命令が飛ぶ。村への援軍は間に合った。
拙速ではあるが、可及的速やかに行動したおかげで猶予もあった。
30人ほどの内10人は専属冒険者と共に避難誘導。
残る20人はスィリクスと共に、防衛線にて魔物と戦う。
人命のみを優先するのであれば、即時退避が至上である。
しかし村そのものは――時として命と同義となる。
人の心とは……その土地に根ざしたものなのだ。
そこを離れるということは、身を切られる苦痛となんら変わりない。
そういった機微をスィリクスは理解していた。
だからこそギリギリまでは粘って戦おうという判断を下した。
(恩を仇のようにして返すなど、私にはできん)
前回の遠征戦において、若きスィリクスは不覚を取った。
その時にこの村の人々が良くしてくれたことは、決して忘れていない。
あの経験があったからこそ、今の自分を形成しているのだと理解している。
エルフ至上を是としつつも、多種族も確と導いていかねばならないのだと。
しかし防衛戦はスィリクスの危惧とは裏腹に、呆気なく終結してしまった。
抵抗が少なく、崩れるようにあっさりと倒せていってしまったのだ。
自身の成長とは別にして、かつての遠征戦の折に感じた脅威は全く感じなかった。
不可解な点は数多く残るが、それでも村と民が無事であることに安堵した。
村への防備に生徒らを残しつつスィリクスは、ガルマーンとトロルの戦域へと馬を走らせる。
しかし到着するよりも前に、戻ってくるガルマーンの姿があった。
「ガルマーン教師! トロルは退けたのですか!」
「あぁ殺しきれた、そちらは問題ないか?」
「こちらは無事終結を見ました、村の人々は全員無事。我々の戦果です」
「そうか、村はお前たちに任せていいか?」
「では私も本陣地へ――」
「いやまだ何が起こるかわからない、オマエはここで指揮を執ったほうがいい」
スィリクスはしばし黙して考えた後に、決断を下す。
「確かに村の安全を最優先するのであれば……」
意思を確認したガルマーンは頷いて、主戦場の方角へと全力で走り出す。
走りながらガルマーンは実感する。
トロルとの闘争は久々に昔の自分を思い出せた。
死闘ではあったが、それだけに得られ――取り戻せたものも大きい。
自分の命を、死との境界線上に置く感覚。久しく、そして懐かしい。
もしもまだトロルが残っているのであれば、生徒を守護る。
消耗しているこの身だろうと、いくらでも擲つ。
それが教師としての――大人としての責任。
この戦場において自身が為せる最大限の義務であるのだと。
◇
言い訳になってしまうが、万全であれば勝てたと思っている。
ジェーンに格好つけて"アタシに任せて先に行け"などと言った手前……。
我ながら醜態とも言えた。今にして考えれば、敗北要因は色々あった。
飛行型キマイラは厄介だった、空から一方的に攻撃してくる。
対空攻撃手段に乏しいが、取り付けばなんとかなるだろうと楽観視していた。
戦場を駆けずり回りっ放しで、疲労と消耗によるペース配分をしくじった。
それでも出した言葉を引っ込めるわけにはいかず、食い下がり続けた。
そうしてキマイラは一瞬だけ空中でよろけたかと思うと、どっかに行ってしまった。
その後に変な走り方で、急に目の前で止まったのはベイリルだった。
(っんの野郎……)
聞けばアタシが苦戦したキマイラを、あっさりとぶっ殺したらしく……
ついでとして、まんまと助けられてしまった形になる。
しかも左翼のトロルまで駆逐した上で、ジェーンを探しに来ていた。
方向を教えるとベイリルは、回復用ポーションが必要か聞いてきた。
怪我自体はそこまで深刻でもないし、丁重に断ってやった。
ベイリルは心配と激励の言葉だけ残して、すぐにいなくなってしまう。
左翼できちんと戦果を挙げながらも、さらにベイリルは中央を援護しに来た。
無尽蔵の体力・魔力というわけではなかろうが、それでもやはり実力差を痛感した。
(わかっていたことさ……)
ジェーンにベイリル、そしてフラウも。
まだアイツらには勝てない、なんてことは織り込み済みである。
これもいい勉強だ。生きてりゃあ、まだまだ鍛錬できるんだから御の字だ。
死にかけてから、何かを得ることは人生の内に何度かあった。
遠目にも見えた――あのわけわからん"災害のような魔術"だって超えて見せる。
「なにをニヤけてるの? キャシー」
「別に……ニヤけてねえよ」
ルビディアに肩を貸してもらいながらも、森の中をせっせこ歩き続ける。
「照れ隠しは別にいいけどサ、やっぱり飛んでかない?」
「みっともない姿は晒したくねぇ、イヤなら先に帰っていいよ」
帰還するにしても自らの足で――それが己の最後の意地である。
「イヤじゃないよ? それにこれは借りを返してるんだからさ」
「そうさ、アタシがいなきゃ大地に激突してたんだ。こんくらいのワガママ付き合え」
「へいへ~い、ヘリオはみっともなく抱えられたのに強情だねぇ」
荒っぽい気性は多少なりと似た部分はあるものの、キャシーははっきりと告げる。
「一緒にすんな」
◇
「以上で報告を終えます」
「でござる」
クロアーネとスズの報告を聞いて、モライヴはひどく解放された心地になる。
「ありがとうございました、お二方。斥候・連絡部隊みなさんの情報があってこその戦果です」
「それでは、私は本来の業務へと戻らせていただきます」
「えぇ以後の糧食のもよろしくお願いします」
「拙者は誰かさんをからかってくるでござる」
「……ほどほどに」
中央テントに一人残ったモライヴは、大きく一息吐いた。
まだまだやることは山のようにあるだろうが、それでも急場は凌ぎ切った。
(今回は……とても良い経験になった――)
地図を眺めながら、戦況の推移を頭の中で再現しながら独りごちる。
否、それだけではない。今の己の置かれた立場も、全て考えた上で。
フリーマギエンスという組織と、その展望までも見据えて……。
己の半生と、今後歩むべき未来への方策も兼ねて、超長期戦略的に――
深く、ゆっくりと……思考の海へ潜行する。
「あいつらの誰かの好きにさせるわけには、いかないからな」
そう遠く――遥か遠くを見つめるように、モライヴは決意を静かに口にした。
◇
「ははは、やったぜ。やってやったさぁ」
リンは後方陣地の衛生テントでそうのたまい、ハルミアは律儀に尋ねる。
「なにがです?」
「誰にも文句を言わせないほど、完璧な補助を少々」
ルテシアは合流してきたガルマーンと話している。
ニアは村への臨時配給も含めた、糧秣の再計算で手が離せない。
結果として同じ部員同士、ハルミアがリンの雑談に付き合わされる結果となった。
「いやーわたしって上に立つ側だと思ってたんだけどさぁ……」
「そうですね、王国の公爵家ですもんね」
ハルミアとしても実際、悪い気はしなかった。
怪我人が多くいれば別だが、想定よりも遥かに少なく済んだ。
ダークエルフという素性のおかげで、昔は身の振り方を慎重に選んでいた。
しかし今はフリーマギエンスという枠が、多様な人と繋がりをくれていた。
「そうなんですよぉ、でも案外副官のほうが性に合ってるのかも」
「ふふっ、そういう感覚は大事だと思いますよ」
「それってもしかしてハルミア先輩の経験談です?」
「さぁどうでしょう」
フリーマギエンスで活動をしている内に、より確かとなっていった実感。
それは己の人生の指針を、より強くしてくれる支えにもなる。
「でも、うん。そうだなぁ……今回は考えさせられたあ」
「私としても課題が多くなってきました――」
実際的な戦場における医療の重要性。
今回は重傷者が少なかったものの、自分の力不足と限界は測ることができた。
今しばらくは学生の身分として、やれることをやっていく程度で良い。
しかしいずれはまた別のやり方で学んでいく必要も……出てくるやも知れない。
世界をこの目で見て、赴く先々で人を救う――
長い人生の内、そんな生き方をする時期があるのも悪くはない。




