#68 人成獣 I
森の中にポツンと、木々が禿げた広場のようなものが存在した。
元あった木々は、根本近くから叩き折られている。
それらは端の一角へ乱雑に、山のように積まれていた。
「あなたが首謀者ですね」
氷で武装したジェーンは、歩いて近付きながら広場中央――
大木数本によって作られた丸太束の上に座る"人物"へと告げる。
「ん~? 誰だっけ、キミ?」
それはパッと見では……人間の女性のようであった。
少なくとも言葉を交わすことができるだけの相手。
「初対面ですが――」
「はは~……そうか。ここまで辿り着くなんて、こんなにも早く来るなんてビックリだ」
青白い肌にボロい麻のローブを着ていて、ボサッとした黒髪が腰元を超えて伸び切っている。
広めの目元に鳶色の三白眼は、心底興味深そうにこちらを見つめていた。
「一応お尋ねしますが、魔物の支配を解いてくれませんか?」
「……興味深いなあ、実に興味深い」
ジェーンは自身にとって、対応しやすい位置に立ちつつ次の言葉を待つ。
「よくわかったものだあねえ、勘にしては些か良すぎる……どこで知った?」
チリチリと殺気立った女の声音に、ジェーンは臆さず答える。
「ゴブリンとオーク、トロルまで組織だって動いていれば、自然と想像がつくと思いますが」
「まだ学生の割に優秀だなあ、それとも誰か入れ知恵してる奴でもいるのかなあ?」
目を細めつつジェーンは女の言葉を反芻した。
こちらが学園生であるということを知られている……。
支配している魔物から情報を得られたりできるのか。
学園生の遠征戦そのものが織り込み済みで、こんな事態を引き起こしたのか。
「ま……なんでもいいかあ。丁度いいからゴブリンがどう動いてたか教えてくれるう?」
積まれた大木の上から飛び降りた女は、首を傾けつつこちら覗き込む。
「ワタシが命じたのは、"死んでも戦え"だったんだけどお……ちゃんとしてたあ?」
「っ……」
ジェーンは思わず言葉に詰まってしまった。
「あんな下等魔物でも最低限の知恵はあるわけで、生物は本能的に死を恐れるわけだしい。
一体どこまで操れるのか、どこまでその意思を無視できるのか知るのは最優先じゃんねえ?」
何故こんなにも平然と――目の前の女の思考が理解できない。
未知であることが恐ろしいと感じてしまう。
「殺されるほどの痛みをもってして、戦い続けられるのか見てみたかったんだよねえ、あと耐久性」
今まで出会ったことのない、人格それ自体に畏怖を抱かせる人種。
「当然、試す数が多いほうが信頼性も増すわけだけどお……ねえ聞いてるう?」
「――最後通告です、魔物の支配を解いてください」
少し逡巡した後にジェーンはそう告げる。
すると女はにまーっと不気味に笑顔を浮かべた。
「そうだよお、そうだよねえ。キミから見ればワタシは敵だもんねえ、しょうがない」
女は少しガッカリした様子を見せてから、パンと一度だけ手を打ち合わせる。
「うん、なかなか意思もそうだし。せっかくだから操って聞き出してみるのもいいなあ」
左利きであるジェーンは右半身を前に、重心を低く中段に氷の槍先を真っ直ぐ向ける。
「人族相手にはまだそんなに試してないんだけどお、いい結果を残してくれることを期待するよ」
敵は人災。この女を殺して、魔物の支配が解けるかはわからない。
だがそれ以上の追加の命令がないのならば、少なくともさらなる混乱は防げる。
ジェーンは"氷面滑走"ではなく全身の筋肉を爆発させて、大地を蹴り抜く。
一直線に、最短で、敵前まで――そこから枝分かれする無数の槍の軌道。
殺すことを全く厭わない、あらゆる急所を穿たんとする神速の槍撃――
敵を眼前まで捉え、迫っていた――
はずだったが……気付けば遠く、女との距離が大きく離れていた。
敵が高速で移動したわけではない……。
自分が遠くぶっ飛ばされたのだと、一拍遅れてから気付く。
体に鈍い痛みが走り、氷槍と氷鎧は砕け散っていた。
木を背に座り込む形で、目が僅かに明滅し霞む。
映るシルエットはさきほどまでと違い、女の左腕は異様なまでに"肥大化"していた。
("あれ"で……殴られた?)
それはトロルのそれとひどく似ていた。不釣り合いなほどの筋肉の"巨腕"。
さらにズルズルといくつもの節が連結された、虫のような尾が背中側から生えている。
「慣れてないからつい力が入り過ぎちゃったけど、まだ生きていてよかったよかった」
ジェーンは氷槍をもう一度作り、杖がわりにして必死に立ち上がる。
しかしカウンターの形で、まともに喰らった衝撃は全く抜ける気配はない。
「いいねえ、肉体も頑健ならやれる幅も増えるというものだあ」
氷の結合が不十分で今にも槍は折れそうだったが、敵は容赦なく距離を詰めてくる。
それでもジェーンは意志まで折ることは決してなかった。
「人型のキマイラ……ッ」
「そのとおり~その驚いてくれる表情、ワタシが一番好きなやつ」
どうにかして目前の害意から逃げる道を見つけようと頭を巡らす。
しかし思考がどうにも上手く回ろうとはしてくれなかった。
「っ……ぐぅ……」
視界に留まるのは、女の着るローブの一部に少しだけ染まった血の色。
殴り飛ばされたが、それでも僅かに槍刃によって削ることができていた。
なけなしの集中力を絞り出しながら、ジェーンは魔術を放つ。
「汝が一部、自身を仇なす刃たれ――"凍血氷柱"」
キマイラ女のトロル左巨腕とは逆の、人間のままの右肩部の滲んだ血が凝固していく。
それは血液で形成された小さな槍となって、再生しつつある傷口から内部へ侵入した。
――魔力とは個人に貯留した時点で、基本的にその人にだけしか使えないものとなる。
シールフ・アルグロス曰く"色のようなものが付く"らしい。
よって通常は魔力が流れる肉体、その内部に対して直接的な干渉などは行えない。
触れる端から熱を奪ったりすることはできても、心臓を直接潰すなどは不可能だ。
しかし一度外部へと、漏出してしまったものであれば……その限りではない。
吹き出続ける血を、順次凍結させながら抉っていき、その肩から内臓深くまでを貫いた。
傷口と流血あらば、連鎖的に刺し貫いていく水属魔術――
ジェーンの気質からすれば……大いに使用を憚られる魔術。
だが相手が相手である為に、もはやそれを使うことに躊躇いはなかった。
「おっ? おおっ??」
現状を把握してないような声をあげながら、キマイラ女は肩口を見やる。
大きすぎる左腕では上手く届かないとみるや、蟲の尾をつかって引き抜くとそれを頬張った。
「味を見ておこう……うん、まっ美味くはないなあ」
バリボリと失った血を補充するかのように、己の血氷を噛み砕きながら呑み込む。
普通の人間であれば致死足り得る攻撃も、全く意に介した様子がなかった。
「昔の吸血種ってこんなの常食してたとか、酔狂だあね」
キマイラ女は歩みを再開しつつ、急速再生させた右手をぐるぐると回す。
傷口はおろか内臓にも、もはや傷らしい傷は残ってないのかも知れない。
見た目はまだ人型を残していようと、実体は完全な化物であった。
「一矢報いても無駄、逃げるのも無理、さあてどうするう?」
ジリジリと下がりながら、魔術を詠唱しようとするが……もはやイメージが確立できない。
心臓の鼓動と共によくわからない魔力のうねりは感じるが、それだけだ。
痛みとダメージは深く刻まれ、ジェーンを縛り付けていた。
「いやいやどうしようもないっかあ」
ゆっくりと目を瞑って、ジェーンは覚悟を決める。
これは教訓である。見通しが甘かったことへの戒めとして。
たとえこのまま捕まったとしても、きっとみんなが助けに来てくれると信じる。
支配されようとも抗ってやる。尋問だろうと拷問だろうと耐えて見せる。
なにがなんでも生き延びてやるのだと――
「助けなんてこないんだから諦めなあ?」
その瞬間だった。一陣の風と共に、声が響き通る。
「いるさっ、ここに一人な!!」




