#66 中央戦 I
「隊列! 構ぇえ!」
戦列を組んだ兵術科の生徒達が、統一された動きによって迎撃の態勢を取る。
最前列に盾を構えて、次に槍を突き出し、少し離れた3列目には魔術部隊。
さらに離れた最後列の弓隊へ、ジェーンは命令を響かせる。
「弓つがえ、引け! そのまま……――」
数十人の弦が引き絞られる。
確実に近づいて来るゴブリンとオークの混成軍。
生徒の多くが初めての実戦なれど、しっかりと形に成っていた。
(ふぅー……――)
心の中で深呼吸をしながら、ジェーンは昂ぶった気を鎮める。
魔術を使わないゴブリンら魔物の相手であれば、こうした原始的な戦術で事足りる。
まだまだ練度の足りぬ生徒で戦争する場合、最も安定する形になるのである。
本来なら地属魔術士らの手によって、防壁・塹壕・地形罠なり……。
迎撃に適した、防衛用陣地の構築をしたいところだった。
しかしそれほどの実力があるのは、魔術科ないし後軍の上級生ばかりである。
前軍のみにおいては、後方の補給・衛生拠点への防備に当てるだけで精一杯。
唯一苦もなくやってのけるリーティアも、自身の魔術具調整で忙しそうにしている。
それに左翼に少数精鋭で割り振った以上は、妹に余計な魔力を消耗させるわけにもいかない。
なんにせよ与えられた手札で勝負するしかない。
幸いにも自身を含めてジョーカーは潤沢、エースも備えている。
不穏ではあるが、さらなる不測がない限り負ける要素など……ない。
「放て!!」
充分に引き込んだところで矢の雨が戦場へと降り注ぐ。
そこでようやく異変に皆が気付き始める。
――矢が刺さったまま、魔物は一匹も倒れることなく進み続けていた。
無数の矢に曝されて、ハリネズミのようになったゴブリンも歩を止めることがない。
矢を抜くようなこともしないまま、ただただ真っ直ぐ向かってくる。
それはげに恐ろしき想像を、いくつも掻き立てた。
(何が起こってるの……?)
大きな動揺が軍全体に走る。ともすれば群集心理が、悪い方向へ働きかねない。
悪いことは重なるというのか、この後に及んで特大の不確定要素が出てくるなんて……。
「……魔術部隊詠唱! 順次放出!! 弓つがえ引け!」
今はまだ、継続的に命令を出し続けねば――
ひとたび恐慌状態に陥れば……軍は崩壊してしまうだろうと。
放物線を描くように4属の魔術が飛んだ。
これには流石に行動不能となるゴブリンもいくつか見える。
倒せない相手ではないということは確かである、それは軍の士気にも影響する。
「二射、放て!!」
魔術が止んだところに、二度目の矢雨が飛ぶ。
全く怯む気配のない敵軍は、いよいよもって眼前へと迫りつつあった。
「接敵! 槍上げえ! 弓隊白兵用意!」
ぶわっと槍が空へと向かうように振り上げられる。
間断なく声を張り続け、士気を一定のまま保たせる。
「盾逸らし!! 槍叩け!!」
振り上げられた長槍が、前衛と盾の隙間に通しつつ……敵陣へと勢いよく振り下ろされる。
鈍い音と共にゴブリンらの肉体はいくらかがひしゃげ、動きが止まる。
「盾受け! 槍迎え!! 魔術詠唱開始!!」
盾は再び前方へと向けられ、敵軍を押し止める。
しかし槍衾を気に留めることなく、ゴブリン達は進み続ける。
「前進一!! 魔術放て!」
前衛の戦列が一歩だけ進むと、盾と衝突する音が聞こえる。
敵中衛が魔術で迎え撃たれ、原型が破壊されつつも攻撃し続けるゴブリン達。
「ひっ……」
敵を視界に捉えている槍兵の一部から声が上がる。
行動不能になったゴブリンを踏み潰し、押しのけるように進むオーク。
その振るわれる棍棒は、盾部隊であっても何度も受け止めきれるものでもない。
殺しても……死なない。あるいは死にながら、生きている。
動かないのも散見されるが、それ以上に多すぎる。
恐怖が伝染する――戦列の一部が崩壊すれば、恐慌によって瞬く間に瓦解するだろう。
まだ入学して1年か2年そこら生徒ら、しかも初陣。あまりにも荷が重かった。
こうなればもはや打つ手は一つしかないと、判断を下す。
左翼と同じ――圧倒的な単一戦力による敵軍の駆逐。
その瞬間であった。空気を引き裂くような音響が鳴り渡る。
赤い影がオークの首を飛ばし、最前衛へ踊り出でていた。
それはジェーンの決断と同時であり、ジェーンの命令よりも先に動いていた。
「てめェら、ちったぁ気合入れろぉ!!」
キャシーが空気を震わすような叱咤を飛ばし、軍全体が改めて引き締まる。
「槍隊、後退五!! 盾隊、後退三!! 」
命令を発しながらジェーンは、馬の背でしゃがむような姿勢を取る。
なんとか整然さは保ったまま後退する兵術科の生徒を眺めながら、自身も詠唱を開始する。
「氷晶よ、我が意に倣い形を成せ――」
ピキピキと凝結した氷が槍となり、円形放射状に十本ほど頭上に展開する。
続いてジェーンの左手にも氷槍が握られ、右手には丸盾が形作られた。
さらに鎧・籠手・具足と肉体の主要箇所を氷が覆っていき、"武装氷晶"は完成する。
「元カボチャどもォ!! やれンなあ!?」
「やれます!」
「っっ――うっす! 姐さん!」
「しゃっあああ!!」
キャシーの叫びに、兵術科の中の生徒が何人か呼応する。
その熱気にあてられるように、周囲の生徒の恐慌も薄まっていく。
逆に敵には恐怖が全くない。本来あるはずの感情が全く感じられない。
こういう既存の戦術よりも、手っ取り早く撃滅するが適確なのはもはや明らかであった。
馬から軽やかに跳躍したジェーンは前衛の盾隊を飛び越え、着地地点のゴブリンを蹴散らす。
ジェーンは一息をついてから、ゆったりと……それでいて力強く歌い出した。
それは"歌唱"という形をとった、明確な魔術の詠唱。
戦場に響き渡る調べに合わせるように、放射状に展開していた氷槍が個々に舞い踊る。
それは戦場らしからぬ、一つの舞台劇を見せているようであった。
味方を巻き込まぬよう繊細に、しかして鋭く敵を屠っていく。
斬り、貫き、砕き、縫いつける。続けることで見えてくる。
魔物の動きの差――どこを破壊すれば、完全に動かなくなるのかということが。
その歌と、その強さと、その美しさに……味方の戦意も戻り、士気も上がっていく。
鼓舞であり、激励であり、応援であり――戦うことへの煽動。
かつてベイリルが言っていたことがある――"戦争なんかくだらない、歌を聴け"、と。
歌が……文化こそが、種族を超越した橋渡しをすることもあるのだと。
音とは何も戦場における指示だけに使うものではないのだと。
足裏を氷で常時コーティングしながら、滑走するように戦場を舞うジェーン。
女性特有の柔軟性と可動域の幅を活かした動きは、全身をバネのように連動させる。
円を描くような緩急無尽の攻勢は、止まることなく敵を崩し破壊せしめる。
さらにキャシーが目についた討ち漏らしを、見る端から仕留めていく。
死ににくいが意思がなく、動きの鈍い敵混成軍の第一波は、ほどなくして殲滅された。
◇
「各小隊長は集合! 他はその場で休息!」
ジェーンはそう命令を発し、魔物の死体を眺めながら戦闘の感触を思い返す。
("生ける屍体"……ね、多分間違いない)
幼少期よりベイリルに語って聞かされた、多様なオトギ噺の数々。
ヘリオは冒険活劇が好きだった。リーティアはSFが好きだった。
そしてジェーンは……ホラーやサスペンスに妙に心がそそられたものだった。
ゆえに戦っていて気付いた。その挙動はまさに、ゾンビそのものなのではないかと。
考えを整理しつつ、集まった小隊長達へジェーンは次の指示を出す。
「第二波の攻防において、私はトロル討伐へ向かいます。よって各小隊長へ指揮権を移譲します。
各員が分隊規模で適時抗戦し、魔物を討伐してください。皆さんの判断で撤退して構いません」
第一波を退けた時点で、完全撤退のリスクも大幅に減った。
しかし軍には今勢いがある。後軍の合流を待たず、敵を減らせれることができれば――
それだけ村への救援部隊を増やすことも可能となる。
「幸いにも魔物の動きは緩慢で御し易いです。ただし頭を潰すことだけ徹底してください。
それと噛まれたり、口腔や傷口から返り血を浴びることだけはないよう、心してください」
「それはどういうことでしょうか?」
不可解な命令に質問が飛ぶが、理解させられるほど説明するほどの暇はない。
「詳しくは長くなるので割愛します。後軍が合流したら、後軍指揮官の判断に従ってください」
いまいち不明瞭なことが多かろうと、それ以上の疑問の差し挟みはなかった。
それもひとえに、ジェーンの人柄と実績によるものに他ならない。
穏和で分け隔てなく、誰とでも接してきた。
誰彼構わず世話を焼いて、皆を引っ張ってきた。
種族差が顕著に出る成長期に、ただの人族でありながらも努力によって補ってきた。
誰もが知っている。誰もが認めている。彼女こそが指揮官に相応しいことを――
皆が皆たった今……陣頭に立って歌い、舞い、槍を振るう姿に魅せられた。
だから信じられる。命令があれば死ねる、とまでは言わない。
しかし彼女の判断によって、多少身を斬られることになっても構わないし厭わない。
誰あろうジェーンが最も――全身全霊を犠牲にしようとしているのだから。




