#64 右翼戦 I
その戦場は赤く染まり――さらには歪んでいた。
焼け焦げゆく無数の死体の発せられる熱――陽炎によってである。
右翼戦場には最低限の秩序しかなかった。
分を弁えて実行可能な範囲でもって、己の人事を尽くす。
それが冒険者本来の気質と言わんばかりに。
しかしてその意気によって、互いを邪魔することは殆どない。
動きに統一性は全く見られない、にも拘わらず意思に関しては皆が同一であった。
ただ各々がその最低限を胸に留め置くだけで、ある種の規律が保たれている。
「呆気ないですわね、それにしても本当に燃やせば大丈夫ですの?」
「実際に今のところ大丈夫だろ。"ゾンビ"は頭吹き飛ばすか、燃やしちまうに限る」
第一波の戦闘を終えて一休みしながら、ヘリオはパラスの問いに答えた。
カドマイアは燃え尽きた死体を観察しながら、質問を投げかける。
「結局このゾンビというのはなんなんです?」
「ベイリルが昔したオトギ噺に出てきた魔物だ。生ける屍。強弱ピンキリ。伝染って危険だってな」
「確かに我が以前戦ったゴブリンは、徒党を組んで囲ったりしてきたものだが……」
グナーシャは不動のままそう口にし、第二波を眺めている。
「はぇ~ベイリルさんって何者なんですの?」
「……さぁな」
ヘリオはそうはぐらかしながら、軽く流した。
幼少の頃から一緒に育ってきたが、全てを知っているわけではない。
こことは違う地球という異世界を夢で見て覗くことができる、それゆえに色々知っている。
年下のくせにまるで父親のようでもある弟。まだ秘密を持っているのはわかる。
とはいえ隠し事を無理やり聞き出したいとは思わない。
ただいつかベイリルと本当の意味で肩を並べ、本人の口から言わせてやりたかった。
「お嬢もフリーマギエンスに入ればいいんですよ、いつまでも意固地になってないで」
やれやれと肩を竦めながら、カドマイアは主人であるパラスを煽る。
「っな!? 意固地などではありませんわ。ただわたくしは、何か一つのものに迎合し傾倒することを――」
「……その割には我らを経由して、もう殆ど染まっているようにも見受けられるが」
「それはそれです! 一線を引くことに意味があるんですの!」
ヘリオ、グナーシャ、ルビディア、パラス、カドマイア、スズの6人パーティ。
冒険科で学ぶようになってより長く続いているが、未だにパラスだけは加入していない。
平然と活動に混ざってきたりする割には、完全に感化することを良ししないのだった。
「そろそろくっちゃべってるのも終わりだ、大物喰いの時間がきたぜェ」
意志薄弱なゴブリンとオークの第二波の群れの奥、一匹そびえる青白い巨体。
トロルを見据えながらヘリオは、ボキボキと拳を鳴らした。
冒険科の面々がそれぞれ臨戦態勢に入る中で、ヘリオは我先に駆け出した。
「ンドゥオッッゴルルァラアァァ!!」
――"暴炎熱狂"。
追従する7つの炎を、順次足裏で爆燃させて速度を高めていく。
推進剤にした炎は足元からヘリオの体を包み、最後の鬼火をもって全身に纏う。
次の鬼火が自動充填されるより先に、ヘリオは敵陣をへと――その身をぶっ込んでいく。
進行上のゴブリンやオークは炎に巻かれながら轢殺され、一直線にトロルまで突き抜けた。
右逆手に持った"長巻"を右腕に添えるように、最前方で両腕を交差させる。
最高速を維持したまま、ヘリオの炎身はトロルの肉体へと衝突した。
地を削りながら10メートル近く後退させ、熱エネルギーと運動エネルギー喰らわせる。
トロルの肉体は再生しながらヘリオを標的と見定め、高圧胃酸カッターを放った。
「ッアあ!」
ヘリオは身をよじって躱すが、僅かに飛び散った胃酸によって軽鎧は溶解し鼻につく。
巨大な一ツ瞳はさらにヘリオを追って、二発目の胃酸が広範囲に放たれた。
既に新たな鬼火を5つ収束させていた刃を、ヘリオはすくい上げるように地面へと突き刺す。
「猛焔――泉牙ァア!!」
刀身から地中に伝わった炎は、鋭い牙のように噴き出てトロルを貫く。
ヘリオ自身は後退しながら、残る2つの鬼火で"炎壁"を展開し胃酸を蒸発させた。
大きく間合を取って後、再充填された7つの鬼火がジリジリと音を立て揺らめく。
それはヘリオの今の心情を、如実に表しているようであった。
「っべぇ……ここまで硬ェ上に治るとか、反則だろ」
トロルは立ち止まったまま、焼けた細胞も難なく再生させていく。
相性が悪いのを差し引いても、彼我の戦力分析が足りなかったかも知れない。
「ほう……珍しく苦戦しているようだな」
「うるせぇよ、今考えてる」
道中のゴブリンの首を飛ばしながら、一足先に追いついてきたグナーシャもトロルを睨む。
パラスとカドマイアは、まだ後方でもたついているようであった。
「単純火力だけなら最強のお前がきついのであれば……我では無理か」
「だろうな、まっ倒さずとも足止めすりゃ十分らしいが」
ジェーンが最高戦力の一人だとオレをここに充てた以上、引くわけにはいかない。
「呼ばれず飛び出て、スズちゃん参上ぅ!」
スタリと着地しながら、神出鬼没の極東忍者が現れ出でる。
「よう使いっ走り」
トロルを倒しきれぬ苛立ちと焦燥を、ほんの僅かに込めて皮肉る。
「うはは、言うでござるねぇ。ベイリル殿から言付けでござるよ」
スズは一笑に付すと、再生を終えて進み出すトロルを一瞥し、視線を戻して話し始める。
「ゴブリンやオークらは"生ける屍体"らしいでござる」
「知ってる」
誰あろうベイリル本人に、子供の頃に語って聞かされた話の一つである。
囁霊だの、ゾンビだの、妖怪だの、呪い人形だの……。
克服するまでえらく時間が掛かってしまったものだ。だからこそすぐにわかった。
「なぬっ左様でござるか。原因は"キセイチュウ"らしいでござる、間接攻撃が吉だそうな」
「寄生虫だあ? 虫、か……まあ直接攻撃だろうと気ィつけりゃいいってことだな」
ヘリオは幼い頃に、ベイリルに語って聞かされたことを思い出しつつ照らし合わせる。
「それとトロルは跡形もなく消し炭にすればいいとのこと」
「簡単に言ってくれるぜ」
恐らくやれないことはない。ただし残る魔力をすべて使い切ってしまうだろう。
無論その時点で仕事は果たしたわけで、残るは任せて撤退してもいいのだが……。
「おうスズ、ベイリルはもうトロル倒したのか?」
「ベイリル殿はそう言ってたでござる。今頃は中央戦線でござろうな」
心の中でヘリオは舌打った、ベイリルが余力を残してトロルを倒していることに。
ベイリルは常識の枠に当てはまらないとはいえ、それでも風属を基本としている。
魔術の通念として、火属こそが単純火力においては最強とされている。
炎がもたらす印象は非常に強く――それが魔術にも大きく影響されるのだ。
アイツが言ったことだ、本人はきっと跡形もなく片付けてやったのだろう。
ベイリルより出遅れている……しかも討伐をやってのければ余力などなくなる。
「それと操っている大元がいるらしいでござい」
「大元……?」
改めて考えれば当然だった。ゴブリンにオークが混じっていて、トロルまでいる。
軍団を形成しているのだから、その中心に長がいるのは自然な成り行き。
「最後に――『無理はしなくていい』だそうでござるよ?」
「ぁア"?」
ヘリオはそのまま伝えているだけに過ぎないスズを、恫喝するように凄む。
とはいえスズもその手のことは既に慣れっこなので、いまさら何も思わないようであった。
「あークソッたく……よう」
毒づきながらも――口元には笑みが浮かんでいた。
わかりやすい挑発。オレを焚き付ける為だけのあからさまな言葉。
オレがやれるということを信じて、ミエミエにオレの炎を煽ってやがる。
それにまんまと乗せられてしまうオレも、結局単純でお見通しなのだ。
一歩一歩、着実に踏みしめるように足を前へと運ぶ。
ベイリルはまだ先を行っている。
しかし比肩してやろうじゃないか、超えてやろうじゃないか。
(オレだけの道を――自ら作り歩んで、なァ)




