#59 左翼戦 II
皆が準備万端で主戦場となるべき荒野に立ったところで、俺はリーティア達へと告げる。
「まぁリーティアが特にはりきってるところ悪いが、ここは俺がやる」
「え~……別にいいよ、ベイリル兄ぃ」
聞き分けの良いリーティアの前で、俺は軍勢を捉えつつ領域を見定める。
「何をする気なんだ?」
「まぁ見てろって、ゼノも大人しくな。はァー……──」
俺は精神を集中させ、ゆっくりと肺から息を絞り出し……呼吸を止める。
"酸素濃度低下"によって形成された死域へと、ゴブリンやオークが気付くことなく踏み込んでいく。
そして──
「……なあおい、一体何が起こるんだベイリル」
死域へ続々なだれ込むゴブリンとオーク……しかし素通りしてこちらへと抜けて迫ってきていた。
「んぶっはぁ……ふぅ、あれ? おっかしいぞ」
息が切れて肺に酸素を供給しつつ、俺は首を傾げる。
魔術が発動している感覚はある以上、領域内の酸素が低下しているのは確実。
呼吸をする生物相手には無類にして、初見殺しの必殺魔術のつもり──だった。
「おぉぉおおおい! なにがおかしいんだ!? 普通にこっち来てんだけど大丈夫か?」
慌てふためくゼノを背後に、俺は首を傾げてなが腕を組む。
(ゴブリンやオークには効かないのか……?)
人間とは体の作りが違うとはいえ、人型で肺呼吸には違いない。
ここは効率よく一網打尽にして温存でもしようと思ったが、まだまだ検証が必要なようだった。
「すまん、やっぱ各自で迎撃頼む。ふゥー……」
俺は息吹による"風皮膜"を纏いながら指を鳴らし、連続で"素晴らしき風擲斬"を放った。
「あいは~い、じゃっ暴れちゃお」
「そうこなくっちゃ! アマルゲルくんの試運転できるーーー」
「よくわからんけど、了解っす」
「いやいや思わせぶりなの一体なんだったんだよ!?」
フラウ、リーティア、ティータ、ゼノ。
四者四様の返事と共に、たった5人の左翼軍は真正面からぶつかり合う。
"魔力加速器操法"でさらなる身体強化が為された、半人半吸血種の肉体で無造作に敵を打ち砕くフラウ。
変幻自在の流動液体合金アマルゲルとやらで、試運転も兼ねて四方八方屠っていくリーティア。
両手に持つ2振りの斧とドワーフの膂力、さらに柄元から伸びる鎖で射程を伸ばし叩き切るティータ。
いちいち叫びながらリアクションしつつも、的確に敵の攻撃を躱しながら剣術で戦うゼノ。
敵の数は多いものの着実に減っていき、第一波はあっという間に全滅してしまった。
「弱すぎてあんまりアマルゲルくんのデータにならなかったなー」
「いやー充分スゴイっすよ、リーティアの魔術具は自分には真似できんっす」
リーティアはアマルゲルを、ふよふよと動かしながら不満を漏らす。
ティータは双斧を振って地面にめり込ませ、ついた血を豪快に拭い取っていた。
「ぜっ……はぁ……ぐぅ……、おまえら少しは……おれの、援護してくれよ……」
「本当に危なかったら助けたよ。というか、かすり傷一つないじゃないか」
肩で息をするゼノに、俺は純粋な称賛を感じていた。
動き自体は危なっかしくも見えたのに、その実危なげなく乗り切っている。
「あのさー、なんかこいつらおかしくない?」
フラウが周囲を見渡しながら、そう口にして全員が疑問符を浮かべる。
「あーしは昔戦ったことあるけど、ゴブリンって連係はちゃんとしてくるんだよね。オークも混じった謎の軍を作る割には、まったくそんな気配なく意思疎通もしてなかった──」
あれから強くなったことを差っ引いても、動きの緩慢さのほうが目立っていたと。
珍しく不穏な表情を浮かべるフラウに、俺も眉を顰める。
──その瞬間だった。
「ゼノッ!」
俺は反射的に指を鳴らし、"風擲刃"をゼノの後方へと放つ。
いつの間にか立ち上がっていた、死に損ないのゴブリンの首が一瞬で飛ぶ。
「うぉああ!? 心臓止まるっつの……って、ん~?」
「ゼノー、油断や慢心まで援護しきれないっすよーーー」
ゼノは寸断されたゴブリンを眺め、ティータの言葉が耳を抜けていってるようだった。
先程までの慌てぶりとは一転して、研究者らしい真剣な目つき。
「いやおれ、トドメだけはきっちり刺していったハズなんだが──」
殺したつもりで殺されるほど、無様なものはないからと念入りに。
しかしそれは確かに、ゼノ自身が心臓に剣を突き立てたゴブリンに違いなかった。
さらによくよく観察してみると、出血が少なく……転がった首がまだ動いていた。
「……へっ?」
ゼノの間の抜けた声につられるように──周囲の死体がいくつも動き、起き上がり始める。
5人の誰もが経験したことがない怪異が、今眼前で展開されているのであった。
「下がれッ!」
俺は反射的に叫び、4人は反応してすぐに後退する。
"その光景"を直接見るのは、俺としても前世も含め、初めての経験である。
しかし画面越しにあっては何度も見たことあるし、なんなら倒して回ったこともあった。
「誰も噛まれてないな?」
俺の確認に全員が怪訝な表情のまま頷く。ひとまずは安心──と思いたい。
「血液と唾液に気をつけろ、一応呼吸もしないよう遠間から頭を狙え」
「知ってるんすか、物知りおじ……兄貴」
「うむ、オトギ噺で知っている。あれは生物学的に死んでいるのに動き回る"生ける屍体"だ」
酸素濃度を減らしても効果がなかったのも、呼吸それ自体をしていなかったからだ。
ゴブリン同士で連係をしないで弱いというのも、思考能力が欠如しているからなのだ。
集団にオークが混じっている理由も、感染して操られていることで合点がいく。
「ほへ~、あれが噂のゾンビかー」
「知っているのか、リーちゃん」
「うむ、昔ベイリル兄ぃによく脅かされた。そういうの繰り返したせいで、ヘリオはこの手のものが苦手になった」
フラウとリーティアは、俺とティータのやり取りを真似して繰り返す。
結果としてヘリオにもとばっちりがいったが、本人の耳に入らなければまぁよかろう。
(さてどうするか……)
もし人間にも感染するなら、すぐにでも中央と右翼へも知らせなければならない。
感染爆発でも起これば戦線瓦解どころか全滅。
下手すれば最悪、その感染力で世界が滅ぶかも知れないほどヤバイかも知れない。
「ティーちゃんの斧は大丈夫?」
「あっ……あ~大丈夫っぽいす、一応地面で拭ったんで」
フラウはその答えを聞くと、空に向かって広げた右手の平を振り下ろす。
その瞬間"見えない力場"によって、屍体群は圧し潰されて地面もめり込んでしまっていた。
「フラウ義姉ぇすっごー」
「まじやばいフラウちゃん、桁が違うっす」
「っあ……まぁいいか」
「ん、ベイリル、あーしなんかマズった?」
漏れてしまった呟きにフラウは反応するが、俺は「いや──」と頭を振る。
一匹生け捕ってサンプルとして、ハルミアに精査してもらおうと思っていた。
「ちょっとここで待っててくれ」
俺は潰されていても手掛かりはないかと、"重力"の解かれた屍体へと一人で近付く。
"風皮膜"で血液が付着することもなく、空気感染も内側の空気で呼吸するので問題ない。
もはや原型を留めぬほどの、血風呂のような光景。
にわかにこみ上げてくる嘔吐感を、必死に我慢しながら観察する。
それが果たして、"ウィルス"や"細菌"を根源とするものか。
それともハリガネムシのような、"寄生虫"によるものなのか。
もしくは冬虫夏草などに類する、"真菌"などで発症するものか。
あるいは単に魔術の一つとして、"屍霊術"みたいなもので操ったりしている可能性は。
エメラルドゴキブリバチのような、"脳の作用の一部を喪失"させる類のものだろうか。
単純にそういう、"生物種の一形態"として存在していたりするだけなのか。
考えられそうな原因を頭の中で羅列しながら、目を凝らして探っていく。
十数年来の記憶がスラスラ出てくるのも、ハーフエルフの肉体と魔力。
そして"読心の魔導"シールフとの日々で、記憶の整理をし続けたことによる部分が大きい。
──するとドロドロの屍体群の中に、何やら蠢く影が見えた。
それは10センチメートルほどの、細長い黒芋虫のようだった。
「寄生虫、だな」
俺は拾い上げて綺麗な地面に置いて、その様子を眺める。
寄生虫が原因なら、血液や空気で即時感染という危険はないだろう。
最初に散逸的に遭遇し、キャシーとリンらが倒したという魔物群。
スズの所感では"逃げているようだ"──と言っていたらしい。
それはきっとその通りなのだろう、きっと"ゾンビ化"した同種を恐れて逃げ出してきたのだ。
そいつらがゾンビ発症してないということは、感染経路は限られたものになると思われる。
しばらくニョロニョロと動いていた芋虫が、ゆっくりと動かなくなっていく。
外気に晒されると死ぬのか、あるいは休眠にでも入ったのか──
(ただゴブリンやオークが組織だった動きをしているということは……)
──目的までは定かではないものの、少なくとも大元が存在するだろう。
寄生虫を媒介にし、予めプログラムを植え付けるように特定行動を実行させるよう仕向けた存在。
もしくは寄生虫を端末代わりに、簡素な命令を与えるようなことが可能な存在。
ゼノがさらっと言っていた、トロルが四体もいること自体がおかしいこと。
まして軍勢としてやってくるなどいう異常事態に加え、飛行型キマイラの存在。
いよいよもってきな臭くなってきた事実。
そして同時に言い知れぬ好奇心が、鎌首をもたげてくるのが……我ながら非常に考えモノであった。




