#56 遠征戦 II
ボッ──という鈍い音と共に、毛のない緑色の肌に耳殻が生えたゴブリンの頭が宙を舞う。
個体差はあれど、成人男性の概ね三分の二ほどにも満たぬほどしかない大きさ。
石斧や棍棒のような原始的な武器を持っていようと、まったく脅威にはならない。
「チッ、歯応えがねぇなあ」
電気を帯びた神速の横薙ぎ一蹴。
キャシーはゴブリンを歯牙にも掛けることなく、既に3体ほど葬っていた。
他の生徒達もそれぞれの戦い方で屠っていく。
「油断はダメだよ」
遠間からゴブリンを一匹倒したリンは、リンは弓に次の矢をつがえた。
"消えない白炎"の矢は、ゆっくりと死体を燃やし尽くしながら異臭を漂わせる。
「臭ェぞ、リン」
「わたしじゃないよ、ゴブリンだよ」
元より体臭が酷いのがゴブリンであるが、それとはまた別種の匂いがあった。
「お前の火属魔術の所為じゃねぇか」
「四色の中で一番消耗が少ないのを選ぶのは当然さ、短期決戦じゃないんだから」
肩を竦めるリンに、キャシーは横目で新たな敵を捉える。
「あのオークはアタシの獲物な」
濃い茶肌色に顔の三分の一ほどは占めそうな大きな鼻。
猪のような牙を口より生やしたオーク種が、闊歩して近づいて来ていた。
2メートルを超える肉体に脂肪と毛に覆われた肉体は、ゴブリンとは比較にならない強度である。
「わたしは闘争好きじゃないからそれは別にいいけど、やっぱりなんか……なんだろう」
「あー……半狂乱で、何かから逃げてきてるような感じってんだろ」
直観でキャシーは言ってみただけだったのだが、それはリンも思うところだった。
「そうそう、あまりこっちと戦うって感じじゃないんだよ」
「つっても細かけぇこと考えるのは、アタシの領分じゃあ……ねえっ!」
キャシーはそう叫ぶと飛び出していき、オークの真正面になるように立った。
オークは逃げたかろうが、目前に現れた外敵を排除せねばそれ以上進めない。
勢いのままにオークは、刃がボロボロの大斧を縦に振るう。
キャシーは余裕の表情のまま右へ少しだけ躱し、両手をオークの腹へ叩き込んだ。
そこからさらに電撃を浴びせ掛けるも、オークの分厚い皮膚と脂肪にはまともに通らなかった。
「出力が、足んねっかあ──」
フリーマギエンスに加入させられてから、電気について学んだ。
話半分程度だったが、それでも性質を本能的に理解し扱う術を得ることができた。
とはいえまだまだ練度不足は否めなかった。
オークへ火力を効率的に通す為に、キャシーは腰のベルトに下げた"それ"に手を突っ込んだ。
それは手首ほどまでを覆う金属製の"鉄爪籠手"。
ただし指先の部分が、鋭利に尖って強化されている。
手を保護する為の防具ではない──敵を引き裂き、貫く為の武器であった。
「蒸れるから好きじゃねェんだけどな」
そう不満を漏らしながら、両拳を握りガチッガチッと突き合わせ音を鳴らす。
オークの二の撃、三の撃を回避しながら、もう一度キャシーは両手を腹へ叩き込んだ。
皮膚から脂肪の下まで通したガントレットから、再度電撃をお見舞いする。
たちまちオークは小刻みに痙攣を起こしながら、内部から黒焦げにされていった。
「キャシーも臭いよ?」
「アタシじゃねえよ! それにオークはまだ食える匂いだろ!」
「いやぁわたしは無理かな、箱入り娘なんで」
「よく言うぜ、恵まれた自由人が──痛っおー……」
強い電撃を使えば自分にもフィードバックがある、それもまた制御しきれぬ副作用。
「自分もきついなら、普通に頭狙えばいいのに。実戦と訓練の区別はちゃんとしなきゃ」
リンは弓と矢を背にしまいながら、後ろ腰のショートソードを右手で抜き放つ。
勢いのままに逆手から順手へ持ち替えつつ、剣は"紫色の炎"に包まれた。
「はっ! そんなこといちいち言われるまでもねえ」
いつの間にか新たに迫り来ていたオークの横振りの棍棒。
それを"質量を持った紫炎"の剣でリンが受け止める。
さらにリンの肩をキャシーが土台がわりに左手を掛けつつ、後ろ回し蹴りを放った。
「──さってと、あらかた片付いたか?」
「そうだね、ぶっ殺したね」
頭蓋が粉砕され地に倒れたオークの横で、二人は会話を再開する。
「楽でいいよなオマエの魔術は」
キャシーは籠手をベルトに戻しつつ、消える紫炎を見ながらリンへ当てつけがましく言う。
「フォルス家が代々改良を加えてきた、自慢の魔術ですから」
リン・フォルスはショートソードを収めると、これ見よとばかりに右腕を振る。
魔術紋様を肉体に刻み、特定の魔術を引き出す術法。
優秀な魔術士を輩出し続ける、王国公爵家の秘伝。
「血統があってもさらに適性があるし、施術はきついんだよ。キャシーこそわたしは羨ましいよ」
「アタシの何が?」
「その豊満な肉体美──」
「ッたく、からかうんじゃねぇ」
「母と姉二人を見る限り、有望なハズなんだけどなあ。実はわたし落とし子かな?」
「かもな」
「っおーい、肯定するとこじゃないだろー」
軽口を叩きながら、2人とも状況を見渡す。
兵術科でも精鋭を集めた前衛部隊、目立った怪我人はいないようだった。
「さてさてどうしようか、わたしは情報を伝える為だけにきたハズだったんだが」
「結局オマエも戦うのが好きなんだろ」
「戦うのは好きじゃないよ、わたしはいたぶるのが好きなだけ」
「余計性質が悪ィわ」
──その時だった。
空気がざわつくような感覚に襲われて、キャシーは反射的に顔を上へ向けた。
つられて空を見上げたリンが、状況に声をあげる。
「はっ? えぇ!?」
「クッソがあ!」
それは墜落してくる羽の生えた人間であった。
キャシーは落下地点を瞬間的に見定め駆け出し、リンもわずかに遅れてそれに続く。
思い切り跳躍し鳥人族の女を受け止めつつ、キャシーは地面を豪快に削りながら着地した。
「っはぁ……はァ……あ? こいつって──」
「ルビディア先輩!? 大丈夫ですか!?」
キャシーとリンにとっても、フリーマギエンスの部員同士交として流がある人物だった。
見知った人がボロボロになり、下手をすれば命の危険だという事実に二人は戦慄を覚える。
「うっ、くぅ……後輩ちゃん? あぁ……ありがとう、早く……しないと──」
「ルビディア先輩、何があったんですか?」
「おいリン、重傷だぞ!」
珍しくキャシーが嗜める状況だったが、それでもリンは強く意思を込めて口にする。
「わかってるけど、尋常じゃない状況だよ。軍副長としては──」
「いいよ……まだだいじょーぶ、斥候拠点に誰かを……」
声を絞り出す様子は痛々しく、すぐにでも治療を受けさせねばと思わせた。
それでもルビディアは己の責任と使命感からか、ぎゅっとキャシーの服を掴んで続ける。
「とにかく……知らせて、すぐに引き上げさせて……わたしにもわから、な──」
そこでぷっつりと意識を失った。危険な状態なのは間違いない。
キャシーはルビディアの体をリンに預けると、首をコキコキと鳴らす。
「アタシが直接報告に行ってくるわ、そっちは頼むぞ」
「適材適所……か。場所わかってる?」
「あぁ、地図は大体頭入ってる」
「そういうのは覚えいいんだよねえキャシー」
「茶化すな」
「無理・無茶・無謀だけはしないように、これは副長からの厳命である」
パチパチと電気が流れる音と共に、細長い猫っ毛が獅子のようなボリュームを持つ。
「わかってるよ」
四つ足を地につけ、加速の体勢を取ると同時にキャシーは飛び出した。
(面白くなってきたかぁ?)
キャシーは大地を蹴り進みながら、不穏な予感に気分が高鳴っていく。
上等上等。問題上等、困難上等、波乱上等。全て真正面からすり潰して糧にする。
「そうじゃなきゃアイツらには追いつけないからな──」
不謹慎だと思いつつも、キャシーは浮かぶ笑みを止めることはなかったのだった。




