#55 遠征戦 I
行軍は驚くほど順調と言えた。既に行程の半分ほどは消化している。
昨夜の野営でも特に問題は起こらず、3日目の朝も滞りなく進む。
それもひとえに軍団長の私ではなく、モライヴとニアの功績がことのほか大きかった。
ニア・ディミウム"補給統括官"が指揮する、過不足ない的確な各種行軍用品と糧秣の見通し。
モライヴ作戦参謀の緻密な地理選定と、軍容全体を適切に管理するそつのなさ。
特にニアはフリーマギエンス所属とはいえ、兵術科ではなく製造科である。
元政経科で実家が商業家系なのを差し引いても、彼女は得難い手腕を持っていた。
それもこれも彼女なりの努力の結果であり、私も大いに見習わなくてはならない。
「いよぅ、それは何を考えている顔かな? ジェーン姉さん」
「ん……ベイリル? お姉ちゃん呼びなんて珍しい」
一陣の柔らかな風と共に現れた"弟"は、いつの間にか隣へとついて歩いていた。
私は軍馬に乗って一段高いところから、ベイリルへ問い掛ける。
「ごめんね、上からで……後ろ乗る?」
「いやこのままでいいよ、指揮官たるもの偉そうにしてなきゃな」
「よっす、ベイリル」
少し前方にいたリンが、私達に気付いて馬の速度を落としてこちらへと並ぶ。
「おーリン。ジェーンと違ってお前は調子崩れんな」
「そう見せるのが一流ってもんでしょう」
「なるほどなー、公爵家の放蕩三女は肝が据わってて結構」
「演技だってんだろー、わたしだって乙女だよ? 人並に緊張してるんだなこれが」
「そういうお前の得な性格は本気で凄いと思ってるよ。いずれ個人的に頼みたいこともある」
「えっそう? なになに?」
「ひみつ、まぁ多分向いてると思うから楽しみにしといてくれ」
馬の上から身を乗り出して来るリンを、ベイリルは意味ありげに一笑だけして流す。
「ところでベイリルは、お姉ちゃんに顔を見せに来てくれただけ?」
「それもあるが、まぁ陣中見舞いってやつかな」
そう言うとベイリルは、小さな木の実のようなものを私に投げてよこす。
「なにこれ?」
「リーティアが作ったお守りらしい、なんかあったら割ってくれだと」
「これを割るの……?」
手の中のそれをよくよく見ると、小さく綺麗な模様が散りばめられていた。
装飾品としても使えそうなそれは、部屋で丁寧に保管しておきたいくらいだった。
「地味に凝ってるから壊しにくいよな、カラクリも教えてくれなかったし」
「リーティアは顔見せにきてくれないの? ヘリオはしょうがないにしても」
「ヘリオはお年頃だからな。リーティアは色々調整中らしくて、集中してるから無理っぽいわ。落ち着いたら顔出すよう言っとくが、どうだろうな……まっその分戦場では活躍してくれると思うぞ」
「そんなことより、ベイリルみたいに会いに来てくれればいいのに……もう」
「仮にも指揮官が戦働きを、"そんなこと"とは……言う姉だこと」
「寂しがりやなジェーンは愛いのう」
「まったく二人とも──」
からかってくるベイリルとリンを嗜めようとしたその瞬間であった。
「お話し中、失礼するでござる」
「わっ!? もう……」
「──お前な」
「ひぇっ心臓に悪っる!」
音もなく3人の輪の中に入ってきたニンジャに、私は思わず間の抜けた声を上げる。
「スズちゃん」
「はいスズちゃんでござい。火急の報せなれば手短に──接敵でござる」
スズは冒険科の所属だが、その身軽さと俊足を活かし連絡員をやってもらっていた。
手紙を足に括り付けて飛ばす"使いツバメ"は、基本的に拠点間で訓練を施さないと使えない。
通信魔術の使い手などは稀有であり、正確な位置情報が必要で距離も短いものである。
鳥人族ならば素早い連絡を可能とするものの、彼らは上空からの索敵の要。
そも空を飛べると言っても、無制限にできるわけではなく消耗は少なくない。
さらに自由に飛行するには熟練がいるし、基本的には地上連絡──足・音・狼煙・光など──を主軸としている。
ドラゴンやグリフォン級であれば多少の積載は見込めるものの、やはり航続距離には難があり、手懐けることがそもそも難しい。
「遭遇戦ってこと? 予定より大分はやいね。ジェーン軍団長、どうする?」
改まって役職名を付けて呼ぶリンに、私は頭の中で戦略図を浮かべた。
順当にいくのであれば通常まだ野戦などにはならない予定である。
集まっている正確な場所を特定し、奇襲を掛けて痛撃を与えるのが本来の戦略構想。
前回の遠征戦では危うげな場面というのもあったらしいが、圧倒的優位から戦闘を展開するのが常である。
「うん……不測があっても先陣隊のキャシーたちが対応するはずだけど──」
ベイリルは口をつぐんだまま、助言などは差し挟んでこない。
今の会話は軍議のそれと同質であり、何の権限もないベイリルは立場をしっかり弁えているようだった。
本音を言えば考えを仰ぎたいところだったが、そこをなあなあにはできない。
「しかしそれがどうも様子がおかしくて、統一性がないそうでござる」
「スズちゃん、数は?」
「確認できただけで三十匹ほど」
「斥候にしては多すぎるし、想定されていた総数と行動規模からすると少なすぎる……」
「倒すには散逸的なほうが楽だけど、なーんか腑に落ちないねえ」
事前情報との食い違いが、鎌首をもたげるように影を落としていく。
「その中にオークが数匹混じっているというのがまた妙な話で──」
「オークが混じる……?」
互いに半協力体制を敷くことはあっても、ゴブリンはゴブリンで、オークはオークで集団を作るのが常識である。
あくまで方向性が同じというだけで、ゴブリンとオークの混成集団というのは習性からしてもありえない。
「左様。あまりに異なことゆえ、報告した次第でござる」
「仔細把握しました。リン副長、キャシー前衛長に伝え、共に迎撃にあたってください」
「了解。キャシー前衛長に情報を伝え、共に迎撃にあたります」
私が真面目な表情でそう伝えると、先程までと打って変わってリンも真剣味を帯びてる。
命令を復唱したリンは馬を走らせて、すぐに前線の方へと向かった。
「他に情報はありますか?」
「私見で言わせてもらえば、どこかへ向かっているというよりは……まるで何かから逃げているような感じでござった」
「なるほど、ありがとうございます。スズさんは引き続き、連絡役をお願いします」
「ういうい承知したでござる、ではまた」
スズはそう言うと、行軍の隙間を縫うようにあっという間に姿を消してしまった。
「俺も持ち場に戻るよジェーン、何かあったらいつでも言ってくれ」
「ありがとう、ベイリルも気をつけてね」
ベイリルはフッと笑って手を上げると、スズ同様するする抜けて見えなくなってしまう。
(心配性って笑われるかな……)
胸騒ぎというほどでもないが、一つ一つの噛み合わせが気持ち悪い。
軍を預かっている重圧だけでなく、茫漠とした不安がつっかえるようであった。
当て推量は危険なれど、それ以上に危険なのは深刻さを見誤ることである。
それでも揺らぐわけにはいかない、私はみんなの命を預かる立場にあるのだから──




