#03-2 邂逅
時間はゆっくりとだが、しかし確実に過ぎていった。
異世界の暦は、8日で一"週"とし、10週間で一"季"となり、5季一"年"とし、400日で巡っていく。
エルフ種と言っても、肉体の成長は他の種族とさほど変わらない。
ハーフエルフの俺も一定の年齢までは普通に育ち、ある程度に達したら非常に緩慢になっていく。
子供の頃にはまったく意識しなかった、成長期の肉体というものを……この際はじっくりと堪能していた。
「応ッ羅ァ! 弩ッ勢! 憤ッ破! 疾ッ──知恵捨ォ!!」
俺は肺イッパイに溜めた空気を、叫びながら気合と共に吐き出しつつ……奮う、揮う、振るう。
母ヴェリリアから習った重心の移動と骨肉の動き方の中で、拳足を織り交ぜつつ、堅い木の幹を叩き続ける。
「ねぇ~ベイリル、まだぁ? そろそろあそぼーよー」
「長い。時間の無駄」
俺は幼馴染と、ちょくちょく顔を出すようになった鬼人族の少女ラディーアらの野次を、脳の隅っこに追いやりつつ思考を回す。
(転生の強み──それは一度積み上げたものを、もう一度0やり直せることにある)
生まれ変わる、生まれ直す。幼少期から一分の隙さえ生じさせず、完璧に積み上げることさえ不可能とは言えない。
知識と経験を備えた状態で、基礎の部分から理論立てて再構築。完全な自分を作ることも、決して夢想ではないのだ。
さらには備えた知識の量だけ、本来なら学ぶべき部分をスキップして上乗せできる。
「あと無意味。動かない木なんかいくら叩いても」
「あーしらと練習すればいーのに~」
「いやお前らと闘っても力押しされて散々っぱら負けるし……」
俺は若干ふてくされるような感じで、その場にあぐらをかいて座り込んだ。
種族差というものを如実に理解らされるのだ。
ハーフエルフも別に弱いわけではないはずだが、ハーフヴァンパイアや鬼人族の膂力と瞬発力には敵わない。
「もーーーラディーアぁ、あーしとあそぼー」
「いいよ。しょうがない」
(転生しなくても、英才教育を施せば基礎から積み上げることができるが……)
例えば一流のスポーツ選手、数々のスタープレイヤー。五輪メダリストやプロゴルファーに名人棋士。ピアニストやバレエダンサーなど。
いずれも親が幼少期から教育するからこそ、才能を伸ばして大成している例が多い。
特に高額の道具や設備使用、トレーナーを付けるなど、金銭が掛かることを前提とする職業であれば、先立つものが無いとスタートラインにも立てやしない。
それは学習についても同じであり、塾通いをしている人間と、放任主義で努力をしてこなかった人間では、将来において明確な差が生まれる。
天賦の才覚によって成り上がる例外も極一部には存在するというだけで、学習そのものだけでなく効率や方法論、積み上げる努力の量が違う。
フラウやラディーアは、俺に付き合う形で無自覚のまま教育されて強度を上げているのだった。
(まっ実際には異世界転生で元の肉体とは違うから、幾分勝手が違うものの──はたして俺はいつか二人に追いつけるもんかね)
先人が積算してきた別天地の知識、培われてきた経験は有効に活用できる。
充分な栄養と睡眠。適切な筋トレに心肺強化、柔軟や部位鍛錬。五感、リズム感、平衡感覚の鋭敏化。精神修養と"魔力"知覚。
決してオーバーワークをすることなく、日常の中に自然なルーチンワークとして取り込む。
そうした基本骨子を崩さず、少しずつ発展・応用していけばいいはずなのだ。
「はぁー……ただ、流石にちょっと飽きてきたな」
いったん俺は休憩しつつクールダウンしながら、フラウとラディーアの手合わせから視線を外し、ボケーっと"片割れ星"の浮かぶ青空を仰いだ。
明確な目標というものがないと、正直なところ頑張る気力も失せていく。前世からの俺の悪癖とも言えよう。
もちろん目的だって無くは無い。
せっかく異世界に来たのだから、ファンタジー世界を巡って観光してみたい。魔物などを相手に無双したい。
そう漠然と思い描いても、実際にそれをやろうと考えた時に……はたして本当にここまでしてやりたいことなのだろうかと。
(現代知識を活かして何かを成そうにもなぁ──)
考えはするが……それを異世界の言語で表現し、ましてや実行に移せるほどの専門的な知識も不断の行動力も足りていない。
異世界であろうと特別ではなく、一介の人間に過ぎない。
自発的に継続していくには、転生した俺の精神は悪い意味で成熟しすぎていた。
ただただ面倒だと思ってしまうほどに。
(おーあー……? っと、スィリクス発見)
俺は一季ちょっと前に一戦交えたハイエルフの少年を、戻した視界の端に捉える。
右手には完治しなかったのか──火傷痕が若干残っていて、あの一件以来絡んでくるようなことはなかった。
親同士で何らかの話し合いがあったのだろうかとは思われるが……。
どうやら一人で歩いているあちらさんも、こっちの視線に敏感に気付いたようで、遠くこれ見よがしに唾を吐き捨てて去っていく。
「魔術も全然覚えられんし、寿命は長いしなぁ」
俺の小さな呟きは風に流れる。そもそも長命種なのだから、焦る必要なんてないのではないか。
生き急いでるというほどではないものの、やることがないからと言って詰め込み過ぎてる気がしないでもない。
「ふむ、魔術を使いたいか」
「──!?」
唐突に掛けられた声の主へと俺は振り返る。音も気配を微塵にも感じずビックリした。
そこには深く黒い真っ直ぐな長髪を腰元まで流し、灰色の瞳をした優しげな笑顔。
「えっと……あぁどうも、聞こえてた?」
「バッチリのう。しかし腐り始めるには、おんしはまだまだ若すぎじゃろうて。さっ、ほら──」
俺は差し出された少女の──じんわりと温かい──右手を取って、立ち上がる。
背丈は小柄、と言っても子供の俺からすると少し見上げるくらい。ただ大人から見れば、利発そうな黒髪の少女くらいにしか見えないだろう。
言葉には独特の訛りがあり、"長寿病"の老人連中のような古臭……古風な喋り方だった。
「あっ! お姉さん、だれだれ~? やっほ~~~」
フラウとラディーアはこちらに気付くいたようで、互いの手を止めてやって来る。
「ふぅむ……名前はいっぱいあるのう、今はただの子供好きのお姉ちゃんでよいぞ」
「変なのーーー」
「強そう。強い?」
黒髪のお姉さんはラディーアの唐突で単純な問いかけに、ニヤリと口角を上げる。
「人並には、な」
俺はどことない胸の熱さを感じる。まるで空間ごと抱擁されているかのような不思議な感覚だった。
とりあえず敵意は感じない、そして同年代という雰囲気でもなかった。
「お姉さん、ひょっとして凄腕の魔術士? もしよかったら──」
「ぬっははは! おんしはそんなに魔術を使いたいんかの?」
「あ……突然ごめんなさい」
俺は何か実践的なことを学べないかと、なぜだか初対面であるにも関わらず、彼女に対してつい踏み込んでしまう。
「構わん構わん、若い時分で研鑽に励むのは良き心がけよ」
亜人特区ゆえに大っぴらには差別こそされてないが、それでもハーフなどに対する排他主義はこの集落にも少なからず残る。
いざ実践的な魔術を学ぼうとなると──相応の練度を持った魔術士の師事を得るのは難しく……小さな子供ではなおのこと難しかった。
「そうさのぉ……一概には言えんが儂の場合──現象それ自体の想像ではなく、行使する己を確立しておる」
「魔術そのものではなく自分──ですか?」
「これはなにも魔術に限ったことではない。ほんの少しだけで良いのじゃ、己に勝る自分自身自身を、常に心と瞳に映すことが肝要。
一瞬で良い、半歩で良い。昨日より今日、今日より明日。最適にして最高の自分を──追い求め、追いつき、追い抜くことを思い描け。
いつでも今この刹那の自分こそが全盛期であることに、疑いを持つことなかれ。さすればちっぽけな限界など消え失せてしまうというものよ」
彼女の語るサマは自負と自信にして自尊心。驕りであり我儘であり……強烈な思い込み。
もちろんそんなことが簡単にできれば苦労はない。しかし実際にやってのけるという、これ以上ないほどのポジティブシンキング。
それこそが現実すら超越するものを生み出す原動力と成り得るのか。それが魔術であり魔導であり──魔法なのだろうか。
「……ありがとうございます、参考にしてみます」
「はぇ~……?」
「むずかしい。でもなにごとも挑戦」
「なぁに、人間は誰しも──"来るべき刻"に至るというものよ。だからそれまで生ある限り尽くせ、若人たち」
黒髪の少女は立ち上がり遠くを見つめた。俺とフラウとラディーアの頭を順番に撫でて、別れを告げる。
「では少し急ぐ用事があるでな、またいつか会おう──ベイリル」
俺の名前を呼んだ黒髪のお姉さんは、俺達の間をすり抜けて歩き出したと思ったその瞬間――
影も形も、まるで白昼夢のように消え失せてしまっていたのだった。