#48 幼馴染 I
医術科棟から寮自室へ戻ると、わずかに青みがかった銀髪に紫色の瞳をしたフラウに出迎えられた。
「おかえり、遅かったね~」
「ん、ただいま。 ハルミアさんと少し野暮用をな」
部屋は隣同士であるものの、基本的には別である──が、しれっと幼馴染が入り浸るのにはもう慣れたものだった。
「さてはハルっちとの仲が進んだ?」
「さてなぁ、今日は医療関係で突っ込んだ話をしただけだし──」
そう口にしながら俺は、周囲の大気を屈折させて光を捻じ曲げつつ、服を脱ぎ捨てる。
続いて魔術による風と水を使って、全身を一通り洗い始める。濡れた布などで拭くだけでもいいのだが、繊細な魔術操作も日々努力である。
「へぇ~、がんばってんねぇ。そいえば"使いツバメ"で届いた手紙があったから机の上に置いといたよー」
「ありがとうよ。もう週末か」
「なんのなんの~」
強風乾燥してから寝巻き用のチュニックを着た俺は、"歪光迷彩"を解除し、手紙を手に取りつつベッドに腰掛けてから開く。
それはゲイル・オーラムから送られるシップスクラーク商会の進捗報告書であり、俺が直接的に目を通す必要があるものだった。
「大変そだね~」
「まっもう一つのライフワークみたいなもんだし。気苦労も多いが面白いよ」
文明回華の為の下地作りは、わかってはいたが途方もない。
今しばらくは勝手知ったる俺自身でないと、具体的な方針を指し示していかなければならなかった。
「ふーん……あーしはハルっちみたいな知識も、ナイアブみたいな才能も、リーちゃんみたいな技術もないからなーーー」
「エコライフを信条とする割に珍しいな」
「たまにはね~」
「……まぁ、いずれ手伝ってもらうよ。フラウとキャシーの魔術はとても有用だ、ただ今はまだ使いにくいってだけだ」
「そっかぁ~、あーしも役に立てるんだ」
「無理に仕事や役割を強いるつもりがないことは覚えといてくれよ。嫌なことはイヤって言ってくれていいからな」
「うん、わかってる~」
するとトスッとフラウは俺の隣に座り、体を預けてくる。
「読むのに邪魔?」
「いや別に、むしろ……昔みたいで落ち着くしな」
フラウはあの"炎と血の惨劇"の日──両親の手によって、無事に逃げることができた。
そして……同時に両親の死を、目の当たりにしまったと聞かされた。
そこからたった一人の少女が過酷な環境の中で生き延びたことは、容易に語り尽くせないもので……。
親を喪失い、家を焼かれ、苗字を捨て、身一つで放り出された。
そんな彼女の中に唯一残されていたのは──"俺という存在"だったらしい。
かつて送ったエメラルドの原石と共に、心の内に俺を住まわせて精神を保った。
俺が幼少期に教え語った話や理論を、修羅場の渦中で実践し、死線の中で身に付けた。
魔術を使うたびに俺を思い出し、俺が生きていると信じ、俺に再会する一念で頑張ってきたという健気さ。
きっと幼い少女の心を支えるには、そういう単純なものしかなかったのだろう。
依存し病んでしまってもおかしくないほどの状況で──それでも今、こうして普通にしていられるのは生来の気質ゆえなのか。
まがりなりにもジェーン、ヘリオ、リーティアという家族と共に……。
カルト教団の管理の下とはいえ、順風満帆に過ごせた俺とは大きく異なる。
「そういえば聞いてなかったな――」
「なにがぁ~?
「フラウはどうしてこの学苑に来たのかってな」
奇跡や運命と断じて、ロマンチックにそう信じてもいい。確かに学ぼうと思ったなら、門戸の広いこの学苑に来る確率は低くはない。
しかし偶然の再会にしては……いささか都合が良いような気がしないでもなかった。
「ん~? 親切な人に薦められたんだよ」
「親切な人?」
「うん、わたしはご存知、半人半吸血種だからさ。まー色々苦労もしてたわけよ」
少しだけ真面目なトーンで語り出すフラウ。
ハーフヴァンパイアという出自は、彼女を救い──そして彼女を苦しめた。
社会的に忌避されながらも、生まれによる優れた資質によって生き延びれたということ。
ヴァンパイア種は分類するとなると、魔族という形になる。
元々が魔領で生まれたのもそうだが、その特性も一因である。
かつて純粋なヴァンパイア種は、実際に魔力を糧として得る為に血を吸っていた。
暴走を鎮め、循環させる為という話だが、結果として"吸血種"として呼ばれるようになった。
時代を経るにつれて魔力補充には非効率。血肉を貪る抵抗感に加えて、味も不味い。
疾病リスクなどもあり、魔力を操作が安定するにつれ廃れていったという。
とはいえ名称としては今もなお残り、人間社会で見れば多くが鼻つまみ者として扱われる。
それはハーフであっても同様であり、エルフとも少し違う形に変化した耳と犬歯によって察せられてしまう。
さらにエルフ種やヴァンパイア種は、種族傾向として単純に優れている。
基本的に見目麗しく、ヴァンパイアは特に肉体が頑健な部類であり、感覚器官も器用貧乏ながら鋭い。
とは言えそこまでであれば獣人種や他の亜人種でも並ぶ者、超える者はいくらでもいる。
しかしそこに魔力適性が乗っかり、何よりも長命であることが明暗を分ける。
魔力とは肉体強化の源泉であり、魔術行使における多大な要素。
さらには人の10倍も研鑽できる時間を得られるということ。
実際には3倍も生きれば、飽いて精神的に衰えることが多いそうだが──
それでも妬心から疎まれることは、決して少なくないのである。
生徒会長のスィリクスが、エルフを上位に置く社会を作ろうとしているのも……。
そういった反発心や反動の一面が、多分に含まれているように思える。
「――でもねぇ、やっぱり助けてくれる人もいた。その人が学苑で学ぶといいって、路銀と推薦文までくれた」
「金に……推薦文? となると学苑の卒業生とかか」
学苑のOBやOGかなにかだろうかと思うと、フラウは何か思い出すように首を傾げる。
「う~ん、でもどっかで会った気もするんだよね。長い黒髪になんか古臭い喋り方で──」
「灰色の瞳で小柄か? つっても当時としては俺たちよりも大きいが」
「あーそうだったかな? ってことはベイリルも知ってるんだ。昔住んでた人だっけ」
「いやフラっと放浪して、声を掛けてくれただけの人だ」
「そっかぁ、あーしのことも覚えててくれたのかな~。お金はくれるって言ってたけど、いつか返さないと」
「そうだな……そん時は俺もお礼を言うよ、大事な幼馴染を助けてくれてありがとうってな」
フラウは学苑に入学し、中央校舎で一般教養を学び……そこで一度燃え尽きてしまった。
昔からマイペースなところはあったが、今の輪を掛けて緩い人格とライフスタイルもその裏返しなのかも知れない。
「"ラディーア"はどうしてるかな……」
ふともう一人の鬼人族の幼馴染の名を、フラウは呟いた。
「一応は商会に手配して、現在進行形で探してもらってはいる。まぁ大概あいつも好戦的だったし、しぶとく生きてるさ」
「うん……きっと、ラディーアなら絶対に生きてるよね――」
するとフラウの体が強張っているのが伝わってくる。
「どうした? 寒いか?」
「ううん、怖くなっちゃっただけ。今さ、あーしはすっごい幸せ。ベイリルと再会できて、キャシーやナイアブや他の皆もいて、ハルっちも優しいし、リーちゃんもかわいいし」
震える声に俺は手紙をピッと机まで投げ、フラウの肩を抱いてやる。
「……もう、二度と、大事なものを失いたくない──」
「大丈夫だ、お前が望む限り俺はもうどこにもいかない」
幼かった少女は……まだ若々しくも、とても美しくなった。
季日は妹のような存在を、一人の女の子として見るのには充分な時間を与えた。
精神年齢に差があるとはいえ、既に十数年もこの転生した体と付き合ってることを思えばもはや些末な話であった。
精神が肉体に影響を与えると同時に、肉体もまた精神へと作用する。
若く感受性豊かな脳と、子供を演じ続けたことによる変化と慣れ。
年月を重ねるにつれて遠く追いやられていく記憶と思い出は、徐々に風化していく。
「フラウ……お前が良ければだが、"証"を示そうか」
そう言って俺はフラウと一緒にベッドへと寝転がり、互いの吐息が掛かる距離で見つめ合う。
「それってぇ――つまりそういうこと?」
「あぁ、そのつもりだ」
毎夜のように部屋へと通ってくる、再会した可愛い幼馴染。
今まで手を出さなかったのは、俺が純粋な人族でなかったからに他ならない。
ハーフエルフだったがゆえに性欲を持て余すようなことはなく、今まで我慢することができていた。
同時に純粋なエルフ種であったなら……繁殖能力も性欲も低いので、こうして一歩を踏み出すこともなかっただろう。
(睡眠欲と食欲に並ぶ三大欲求の一つが欠落しているなんて、人生に張り合いが無さすぎるからな)
エロもまた文化を大いに発展させてきた要素である。それを享受できないなど不幸としか言えないだろう。
半人半妖精種として生まれたことは、俺にとって最高の幸運だったのかも知れない。
「んっとさぁ、ハルっちはいいの?」
「学苑生活という青春模様を楽しんでいるだけで、俺の相棒は昔からフラウ一人のつもりだが」
「そっか……そっかぁ――」
にへらと笑うフラウに対し、俺は愛おしさが溢れてくると同時に、離ればなれになっていた間の埋め合わせをしてやりたいと心の底から思わせた。
俺がジェーンとヘリオとリーティアに注いだ愛情の──ほんの少しずつでも今から与えてあげたいと。
「言っとくけど、はじめてだよ?」
「……俺もだよ」
「なんか変な沈黙があったけど?」
「俺だって緊張する」
自分の心臓の鼓動が速くなっていくのを、俺は直に聞いていた。
それと同時に、フラウの鼓動が速くなってるのも感じ取れるほどの密着状態。
「ちなみに拒否権はあるからな」
「えっしないの? ここまできて? ベイリルって意外とへたれ?」
「ばか。大事にしたい気持ちもあるんだよ、察しろフラウ」
「気楽にいこうよ、あーしたちらしくさ~」
「それも……あぁ、そうだな」
徐々に距離が詰まっていき……遂には口唇と口唇が触れ合う。
柔らかく、暖かく、懐かしさ以外の匂いが脳髄を貫くようで──全身でお互いを感じ合いながら、肌色の面積を広げていく。
そうして俺はフラウの上になるように体を入れ替えた。
「つらかったら言えよ」
「ん、痛みは慣れてるけど……そこは素直に甘えるね~」
ゆっくりと俺は迎え入れられる。
フラウは俺の体を一層強く抱きしめ、俺も気遣うように優しく抱き寄せた。




