#45 芸術科
「スゴイわねぇ……」
ナイアブは邪魔しないように"その光景"を傍から眺めつつ、素直な感想を述べる。
そこには二人の少女と一人の少年が、ただひたすらに"没頭している姿"があった。
かつての学苑生活に思いを馳せながら、ワタシはまた新たに始まった学苑生活に実感する。
新入生の少年──ベイリルが唐突に現れ、それまでの世界を根こそぎぶっ壊した。
最初は生徒会に使われているのかと思ったが、ベイリルにはまったく異なる大いなる目標があった。
そうして気付けばワタシはあっという間に落伍者の立場から脱却し、新たな思想部活"自由な魔導科学"の一員となっていた。
それは一陣の風どころか、もはや暴風と言える大きな変化から──既に一季が巡ろうとしていた。
(随分と長い休憩──遠回りになっちゃったけど……)
ワタシは芸術を選ばない。
彫刻も好きだし、劇場に通って己の空想を執筆したり、吟遊詩人の真似事もしていた時期もある。
貴族の着る服や装飾にも興味があって調べたし、化粧なんかも自分自身で実践している。
ただし一番好きなものは? と、問われれば……それはやはり"絵画"になるのだろう。
幼き日に見たとある"一枚の絵画"──ワタシをこの無限の世界へと引き込んでくれた作品。
その大胆な色使いは今でも鮮明に、脳裏に浮かべることができる。
そうして色の再現と、新たな色の模索していった結果、毒物を学ぶ必要があって医術科にも所属していた。
──しかして、そこで頭打ちになってしまった。
心から欲する色を産み出せず、己の腕を試すことすらできない無力感。
変に凝り性な性格も相まって、他の芸術へと逃げることもできぬまま……いつしか情熱すらもガリガリと削られていった。
ベイリルが語って聞かせてくる師匠──"魔導師リーベからの教え"というものは、未だかつてない衝撃をもたらした。
絵に対するまったく違うアプローチの数々。彫刻の新たな形。壮大な物語と媒体、演技の変化。
音楽の大いなる可能性。時代を変遷し巡る服飾。化粧の域を逸脱した特殊メイク。
知識の一端によって刺激され、自らも新たなインスピレーションとやらが次々と溢れ出してくる。
生きた実感というものを思い出させてくれた。
「──珍しいですね、芸術科の元英才さん」
そういきなり話しかけてきたのは、暗い黄色の髪をうなじあたりで結った……ワタシのよく知る女性だった。
つり目気味のきつそうな顔立ちは、凛としていて充実した気を帯びている。
「元、ね──そう言うアナタも、政経科の秀才だったでしょうに……ねぇ"ニア"ちゃん?」
「あそこではもう必要分、学んだだけ。落ちぶれたあなたとは違う」
"ニア・ディミウム"──彼女は専門部に通う同季入学生であった為に、何かと顔を合わせることがあった。
お互いに優秀とされる者同士、出会う機会も増え……そして一時は男女の関係にもなったのは甘酸っぱい思い出である。
イロイロと噛み合わないことが増えて、関係解消されてからは疎遠であったものの、フリーマギエンスという輪を通じて再会した。
その時は挨拶すら交わさなかったが、こうして今……隣に立って話す機会に恵まれたのだった。
「医学科もなにもかも中途半端に投げ出して……反吐が出るわ」
「……あそこでは、大して学べなかったからね」
慇懃無礼な態度で吐かれる毒舌を、ワタシは一度飲み込んでから受け流す。
努力家である彼女には、さぞあの時期の自分は見ていて不快なものだったに違いない。
とはいえあの時はまだ若かった──などと達観するほど傲慢でもない。
「今度は製造科にでも入るつもり?」
ニアは一度露にしてしまった苛立ちを、理性で押し込んでから問うのが見て取れる。
まるで未練の立ち消えているにも関わらず、怒りを覚えるなど無駄な労力であるとばかりに。
「違うわ……今はもう芸術科に戻ってるし──ただカノジョらに学ぶことがあると思ってね。まずは心のキャンバスに、焼き付けるように描き留めているところよ」
ワタシは改めて集中している三人を見る。門外漢でも凄いと思わせる、その一挙手一投足。
並々ならぬ集中力と、ほのかに笑みを浮かべ……熱狂した情動を、そのまま映し出したかのような──
かつて芸術分野において、天才と持て囃された頃の自分と、何事も楽しんでいこうとする同じ姿勢があった。
魔術具を主軸に多方面で自在な思考をもたらし真に至る、狐人族の少女"リーティア"。
フリーマギエンスが保有している数々の発想を設計しておこす、帝国人の青年"ゼノ"。
図面からその中身を実際の形に完成させてしまう、ドワーフ族の少女"ティータ"。
三人はお互いを高め合うように才を伸ばし、凡人には理解できぬ領域へ既に歩を進めている。
そう……彼女らは今の常識から考えれば、異物とも言える考え方を持つ。
それゆえに製造科でも半ば爪弾き扱いされていた。
そんなところも──昔の自分を少し見ているようだった。
「で、ニアちゃん。アナタはここで何を?」
「わたしはわたしで……収拾がつくよう、取りまとめ役と段取りの為に足を運んだだけです」
平たく言えば雑用──とはさすがに口にはしない。
彼女が自分と同じように、学ぼうと努力していることは理解している。
フリーマギエンスで得られる知識は、"異質"としか表現し得ないものだ。ニアが惹かれるのも無理はない。
今までに積み重ねられてきた固定観念をぶち壊し、既成概念を一新させるような話ばかり。
まだ短い間にも実際に数多く知識の正しさを証明し、限定的にそれらをフリーマギエンス員に教えている。
ワタシもその知識を手広く享受するようになったものの、自分の中でしっかり消化し血肉とするにはまだまだ時間が必要であった。
「そのわかった風な顔やめてくれる? わたしはあなたと違うのよ」
抑えきれず昔の口調に戻りながら、ニアは忌々しさを隠すこと無く睨み付けてくる。
そんな些細な感情の振れすらも、ワタシにとっては嬉しいことだった。
「"ディミウム"家の名を世界に轟かすんでしょ」
「そうよ、誰かさんみたく立ち止まっている暇はないの」
ニア・ディミウムには──才能がない。
それは自他共に周知の事実であり、それゆえに秀才という評価に留まる。
彼女を支えているのは不撓不屈不断の努力だった。
驕りも怠りもない、純然たる積算をする他にやりようがない。
だからと言って才ある者に悪態を吐くことはあっても、自らと比して羨んだり妬んだりすることはない。
才人から何を己の糧とすべきかと、まず第一に考えることができる。
非才の身でありながら折れず、曲がらず、輝かんとする彼女に、ナイアブはかつてどうしようもなく惹かれたものだった。
「道草を食べた分は……がむしゃらに走って追いつくことにするわ」
「好きにすればいい、わたしの関知するところじゃない」
それ以降の会話はなかった、ただ不思議と悪い雰囲気でもないのだった。




