#41 魔導師 I
魔術科の初日を終えた夜半──俺の寮部屋に面識のない人物がいきなり訪ねてきた。
「……夜分遅く申し訳ありませんが、はじめまして」
「あっはい、どうも」
招き入れた女性──濃紫色の長いコートで全身を包み、同じ色の帽子を目深にかぶった──特に知らない初顔だった。
「私は"シールフ・アルグロス"です」
「ベイリルと申します、はじめまして──」
わずかに黒ずんだような銀色の後ろ髪を、太い三つ編みに結って伸ばした女性。
背丈は大きくも小さくもなく、スタイルも良くもなく悪くもなく。
顔もごくごく平凡と言った感じで……ただ薄い黄色の瞳には好奇がほのかに窺えた。
こちらの観察するような視線に気付くと、シールフと名乗った女性は帽子を視線を隠す。
「して、ご用向きのほどは?」
「その……積もる話になるかも」
俺はシールフを部屋へ上げると、とりあえず事前にストックしておいたクロアーネ特製の菓子とお茶でもてなすことにする。
彼女は遠慮する様子なくパクついたところで、口を手で抑えるように目を丸くした。
「んっ……美味しい! それなりに長く生きてるつもりですが初めての味です」
「作ってくれた人に伝えておきます。実はこれ──」
「"貴方の故郷の味"ですか」
俺は言葉を先に彼女に言われて、一瞬詰まってしまう。
「……えぇ、そうです。その味を再現してもらおうと思って、まだ途上ですが」
言いながら俺も同じものを口に入れる。
「──ベイリルさん、ご出身をお聞きしても?」
「帝国の亜人特区です。育ちとしては連邦西部のが長いですけどね」
するとシールフは少しだけ、含みを持つような表情を見せて何度かうなずく。
俺はさしあたっての不可解さと意図を探るべく、世間話を延長することにする。
「シールフ殿はどこの生まれですか?」
「私は【王国】の出です」
「へぇ……大陸の東側に位置し、魔術が最も盛んと言われる大国ですよね」
シールフはどこか懐かしんでいるような笑みを浮かべながら、カップの中身をすすり──俺はもう少しばかり踏み込む。
「失礼ですがシールフ殿はお若くは見えるものの……講師の方で間違いありませんか?」
「たしかに講義も受け持ってはいますが、同時に私は誰よりもここに長くいる、歴とした学苑生です」
そう言うとシールフはかぶっていた帽子を裏返すと──内側には校章が貼り付けられていた。
同時に"その色"は──10年生である黒い校章よりもさらに深い。光すら呑み込むような"闇黒色"であった。
「まさか……それって学苑七不思議の一つ──?」
「ついでに学苑長の代理も務めています」
昼間、新たに友となってオックスから噂の一つとして聞いていた、"500季留年の闇黒校章"すなわち実に100年以上の在籍期間を誇る生徒。
生徒でありながら講師であり、さらには学苑長の代理を担うほどの信頼と実績を兼ね備えているということだ。
「失礼しました、この学苑で二番目? に、偉い人だったとは……」
「お気になさらず。ちなみに学苑長は今現在いないどころか、何十年と帰ってきてないので……権限を最も有しているのは私です」
(それってどこかで既にもう──)
「生憎あの人が死んでいることは私には想像がつきません。身分を隠して"自分が正しいと思うこと"をして回るのが趣味で世界中を駆けずっているので、長命種のあなたならその内出会えるかも?」
「はぁ……」
(自分が正しいと思うこと、か」
本来の意味での確信犯ほど厄介なモノはないと俺は頭によぎった。
宗教にしてもそうだが……それが絶対のモノだと疑わない人間は、自覚している悪人よりも往々にして性質が悪い。
「心配はいりません。この学苑を見ればわかるでしょう?」
「まさか学苑長って、創立者でもあるんですか!?」
シールフは静かに頷き、俺はその人物像について馳せる。
貧する生徒への支援も割に手厚く、国家や種族を問わない自由な学苑。
であれば一般的な観点で善人であること、また近代的な思想を持っていることは確かであろう。
機会に恵まれれば是非とも会ってみたいところだった。
「しかしまぁ……学苑長は随分と長生きなんですね」
そう言ったところで、俺ははたと疑問が浮かんだ。
(長生き──シールフ《かのじょ》に、最低でも100年在籍なんだよな……人族なのに?)
パッと見ても、1000年生きると言われるエルフ種の耳やヴァンパイア種の牙もなく、寿命が存在しないとされる神族の輝く金瞳もない。
他にも100年を越えて生きる種族もいるが、俺の知る限りで長命種にあたるような特徴がシールフには見られなかった。
(魔力操作に長じた者の多くは心身が充実し、活性を得られる為に若々しいことが少なくないらしいが……それにしたって限度があるぞ)
そう俺が考えていると、シールフが察して口を開く。
「私は神族の先祖返り、なので体感ではまったく老いてないわけじゃないですが……寿命に関しては私自身よくわかっていません」
「……へっ?」
「それとこの瞳、陽光に照らせばわずかですが金色に輝きます。ことわっておきますが、私の家系は代々人族で、若かった頃も純然たる人だったのであしからず」
俺は間の抜けた声を発しつつ、シールフは淡々とペースを崩さず説明してくれた。
(なるほど……いわゆる"隔世遺伝"ってやつか、神族でもそんなケースがあるんだな──)
遺伝的形質が実子に直接出るのではなく、離れた孫々に発現する隔世遺伝。
(獣人種や一般的な亜人種などは、わかりやすく先祖の遺伝が受け継がれることがままあるが……)
人と獣人の子供では概ね半々くらいの確率で、人族か獣人種かで生まれてくる。
また両親が人族であっても祖父母のいずれかが獣人種だと、子が獣人種になる可能性があるのだとか。
一方で亜人種でもエルフやヴァンパイアは、"魔力抱擁"の特性かあるいは遺伝的なものか……確実にハーフとして産まれるらしい。
(シールフの場合は──"神族大隔世"、とでも言うべきか)
神族──魔族も人族も亜人も獣人も、あらゆる人型種の祖先であり、かつて大陸を支配した種族。
しかし時代を重ね凋落し、今は儚げな存在とすら思われている。
エルフやヴァンパイアと違い、決して繁殖能力も低くはないのだが……しかして神族は自ずから数を増やすことを恐れ、大陸最北端の"神領"にほとんど引きこもっているという。
それは果たして、"魔力災害"とも呼ばれる魔力の"暴走"と"枯渇"が、数を増やしすぎたことによる反動であるからだと──まことしやかに語られ、にわかに信じられていると唱える人間もいる。
そんな何世代離れているかもわからない神族の遺伝的形質が、遠い子孫に突然発現したのが目の前の大先輩である。
(しかも母体から誕生する際にではなく、成長過程で唐突にとは)
現存する人型種族がすべて神族由来である以上、誰もがその可能性を持っているということなのだろうか。
「──では、もう一つの疑問。なぜ私がこうして足を運んだのか……ベイリルなら、既に察しがつき始めているのでは?」
「……」
俺の感じている違和感──何度かまるで"思考を先んじられた"ような錯覚──それをズバリ彼女に指摘された気がした。
幻覚・催眠・認識改変、いやこの際はもっと単純に……。
(右ストレートでぶっ飛ばす──真っ直ぐいってぶっ飛ばす──)
心の中だけで強く念じる。するとシールフの眉が少しだけ歪む。
「実際にやる気がないのはわかりますが、あまり気分の良いものではないですね」
(まじかよ、本当に心を読めるのか──)
「得心してもらったようでなにより」
そこではたと俺は察し得る。
なぜシールフが俺に会いにきたのか、この出会いが何をもたらすのか。
「……私は日中、水門の様子と並行して製造科と魔術科の"試し"を遠く観察していました。学苑長代理として怪しい者がいれば対処するのが、面倒でも仕事の内なので」
「そこで俺が引っかかったわけですか」
しかしそれは不穏分子としてではないだろう。
不埒なことを考えていても、それはあくまで学苑生活に則した健全なものである。
(あぁそうだ、俺の心が読めたなら──気にならないわけがないんだ)
「ええその通り。自らの"魔導"に絶対の自信があってなお、本当に読み取れているのか……にわかには信じがたかった。だからこうして確認の為にノコノコとやって来て──狂人でないことも私にはわかる」
(魔導──!? 魔導師、ということは……)
「はい、学苑で唯一の魔導師──受け持つ講義というのもすなわち魔導」
「"読心"……魔術の領域を越えた異能、納得しました」
物理的な現象を引き起こすのではなく、相手に対して直接作用させる"読心の魔導師"。
俺は初めて出会う、己の遥か及ばぬ領域にいる大人物に対し、畏敬の念を感じざるを得ないのだった。




