#508 東西帝国
総督室に居ながら既に総督としての立場はなく。執務用の椅子でなく壁際のソファに座っている人物が口を開く。
「久しぶりじゃのう、モーリッツ殿下」
「フリーダ総督──直接会うのは……サイジック領と付随した諸々を協議した時以来でしたか」
インメル領会戦の後、アレクシスと共にシップスクラーク財団の総帥に扮したベイリルらと会合。
サイジック領の為に少しばかり口添えをした時のことを、モーリッツは思い出す。
「これ以上ない土産ですね、キャシー。いろんな意味で」
「だろ? 暴れられた時の保険の為に、しょうがないから同席すっけど……別にアタシんことは気にしなくていいから。小難しい話は眠くなる」
そう言うとキャシーは空いている豪奢な総督用の椅子に深く座って机の上へと足を投げ出し、モーリッツはフリーダの対面へと座った。
「確かにあたしゃ、そん小娘に負けた身よ。死に花ぁ咲かせても良かったが……生かされた以上、身の振り方は自分で決めようかと思ってな」
「……なるほど。つまり僕は今、試されているというわけですね。総督自ら見極め、次代の品定めをしようと」
「そんなところかいね。おんし次第であたしゃは協力もするし、潔く処刑されても構わんし、なんなら王族殺しの汚名を被ってもいい」
「ババァ、最後のはアタシがさせねえって」
ふわぁっとあくびを1つしながらキャシーは付け加えるように言い、モーリッツ・レーヴェンタールはゆっくりと閉じた目を開いて真っすぐ見据える。
「説き伏せてみせましょうか。ついぞ交戦は無かったので……これが東帝国を樹立するにあたって新帝王としての、最初の仕事です」
◇
「──チッ、"赤竜"が自ら【竜騎士特区】を防衛とはよ……こればっかりは仕方ねえ」
合流した近衛騎士であるハンスからの報告を受けて、ヴァルター・レーヴェンタールは舌打った。
帝都へ向かう最中に、あらゆる方面へアンテナを張って情報を収集・統合し、頭の中でどう動いていくべきかを定めていく。
「迷宮最奥で相対した"黄竜"も、まったくの本気ではなかったですからね。あれの同種を相手にすることは、一軍をもってしても犠牲のみで終わるでしょう」
「わかってら。しかしそうなると南部の統治はやはり難しい、か──」
安定するまではどうしたって浮き足立ってしまう。
ただでさえ錯綜する状況下において、無理な支配はかならず歪みを生む。
「改めて確認するが、西部総督府のほうは問題ないんだな?」
「本来の予定とはかなり軌道修正することになりましたが、兼ねてより継承戦の為に地固めしていたのでそちらは滞りなく」
「ご苦労。もっとも休んでる暇はないがな、帝都着いたらすぐ"黒幇"を使って動いてもらうことになる」
「心得ています」
今回の皇国侵攻それ自体が、ヴァルターが自ら企図した戦争である。
前段階としてワーム迷宮を攻略し、制覇特典を使って"折れぬ鋼の"を誘導して戦帝を陥れる。
同時に中央で偽のクーデターを引き起こし、子飼いの組織──"黒幇"を使ってさらなる混乱を誘発させる。
そして戦帝から前線指揮を引き継いだヴァルター自身が、大義名分をもって一軍を率い、中央を制圧する自作自演のはずであった。
(……それが、こうも狂わされるとは心底腹が立つ)
その為に必要な下準備は、水面下で着々と進めていた。
侵攻戦が始まる頃には西部総督は半ば抱き込んだ状態であり、属する地方領主にも根回しを済ませていた。
基本的な形そのものはほとんど変わっていないが、もたらされる結果──すなわち中央を掌握したあとの支配領土が大きく変わってしまうことになる。
東側はモーリッツかあるいはアレクシス。南部は竜騎士特区と東部を挟んだ位置にある為、無理に勢力圏に加えるのは危うい。
そして北部については現状、どう転ぶかはまったくの未知数。
(ベイリル・モーガニト──この借りは必ず返してやる)
まるで人の心を読み、未来を予知するような男が支援したモーリッツが決起したことで、最低でも帝国を東西2つに割ることは確定。
南部についても、あるいは赤竜が動くことも織り込み済みだったように思えてくる。
何事も思惑通りに進むことが難しいことは承知の上だったが、入念に準備をしていたはずなのに先手を許し、頭から押さえ付けられた敗北感は拭えない。
「──ところで我が妹はお付きではないのですか?」
「あぁ、アイツはちょっと迎えにやった。やるはずだった仕事は、他に割り振ってあるから気にしなくていい」
「そうでしたか、北部についてはいかがお考えでしょう」
「……さてな。長姉と長兄がどう動いてくるかによる。二人で喰い合ってくれりゃ楽、なんだがな」
北部には帝国元帥にして北部総督である"帝国の剣"オイゲン・バウアーがいる。
帝国最強はアレクシスに違いないが、一般的な認知の上では戦帝バルドゥルかオイゲンのどちらかと言われるほどの強度を誇る。
(同じ元帥でも"帝国の盾"オラーフ・ノイエンドルフと違って、気性が荒すぎる)
たとえ大義と名分があったとしても、衝突する可能性は決して低くないと言える。
帝国軍属でありながら伊達や酔狂で戦争という娯楽に興じる、戦帝と同じタイプの輩である。
「なんにしても、だ。基礎さえしっかりさせときゃ砂上の楼閣にはならねェ。まずは目の前の帝都に集中ってこったな」
「承知しました」
一足飛びに成果を求めるのではなく、着実に一歩ずつ踏みしめる──それこそが"王道"であるがゆえに。




