#498 盤面 II
──サイジック領都ゲアッセブルク、情報部室──
「あーーー現場に出たい~~~」
群青色の髪を二つ結びにした、ツバメの翼をもつ"風聞一過"テューレが机に向かいながらうめく。
「──部長、こちらの精査を至急によろしくとのことです」
「容赦ないね、少しくらい突っ込んでくれても……」
「統合作戦参謀長カプランさまからですので、最速最優先でお願いします」
「はーいはい」
室内は今までに無いくらい慌ただしく、誰しもが余裕なく動き回っていた。
もはや諦観の心地で、テューレは慣れてきた事務仕事をこなしていく。
自分を評価してくれるのはありがたいし、元々出世欲もあって財団入りしたから不満はない。
それでも現場仕事というのが恋しくもなるというものだった。
(まー情報戦こそが生命線だものーーー仕方ない、がんばろう)
己の判断一つで、多くの人命と戦況を左右し、未来を決定付けていく責任と重圧──だからこそ"やりがい"がある。
情報そのものが持つ価値を、世界で最も評価し、活用する場所こそがココなのだから。
「部長! 印刷機が故障したらしいので、こちらの技術開発局への支援要請状に署名願います」
「はいよー」
ササッと名前を書くと、部下はそれをすぐに持っていった。
優秀な各人が、段取りをきちんと理解しているからこそ、トラブルがあっても滞りなく処理できている。
(全開運転ですからねー、想定内そーてーないー)
各地の一般大衆へと号外新聞バラ撒くことで、現在の情報を流布させると共に世論を操作する。
今後の信用にも関わってくることなので虚偽は最小限に、真実となる予定の情報を先行して誘導する。
広がる情報はほどなくして土地の領主にも届き、思考を狭めた状態で選択を押し付ける。
(わたし自らが筆をとった会心の記事──楽しみですねー)
頭が回るものならば気付くことができる情勢や、技術についても散りばめてある。
戦争が終結する頃には、帝国外からも様々なアプローチがあることだろう。
「おつかれさま、テューレ」
「……クロアーネさん!? おぉありがたくいただきますー」
現在の情報部の前身となった諜報部隊の先輩──いつの間にか隣にいたクロアーネより差し入れられたコーヒーをすする。
「いそがしそうね」
「もしかして手伝ってくださったりー?」
「そのつもり。……ベイリルから頼まちゃったから、ね」
「心強いですー。なんなら全部まかせちゃいたいくらいでー」
「それはさすがに無理でしょうね。私も現役ではないし、今の情報部の土台はあなたが作ったものでしょう」
「ですかねー」
クロアーネは既に一線を退いていて、料理のほうに精力を注いでいる。
それでも今この場において、ブランクを差し引いてもありがたい戦力であった。
「そこに積んである資料のすり合わせ、頼まれてくれますかー?」
「えぇ、了解。それと今後食事については期待してもらっていいから──その間は少し席を外させてもらうけど」
「おおーーー? それは最高に楽しみですねー」
モチベーションが高まったところで、テューレは飲み干したカップを鳴らすのだった。
◇
5000人規模の種々雑多な者達が、整然と並んで進軍する。
「──バルゥ総督、一つよろしいでしょうか」
「なんだ、ポーラ……いや副官」
騎獣民族、大族長たるバリスの子──猫人族のポーラは真剣な面持ちで、バルゥへと尋ねる。
「わざわざ軍を分けてよかったのでしょうか」
「不安か?」
「いえ、わたしの理解の及ばぬことは承知しています。ただ今後の参考になればと……」
「殊勝な心掛けだ」
サイジック陸軍は5000近い本隊がカエジウス特区を通り抜け、それ以外に2000人規模で3つの大隊を分けて進軍している。
「斥候・先遣も兼ねているが……それ以上に有機的な接続──戦略・戦術の実験も兼ねている」
現在バルゥ陸軍総督が率いる軍隊は地上を行きながら、上空に飛空島を一基擁し、そこからさらに熱気球を浮かべる機動拠点としている。
"分進合撃"を軸として、軍事機密となるわずかしか作られていない"魔線通信"による指揮官同士の試験運用。
さらに新しい兵器類も陸・空で分けて運搬し、航空戦力による迅速な斥候・索敵・観測。
常に他部隊の状況把握に務めつつ、状況に応じた展開を可能としながら進軍しているのだった。
「本隊であるオレたちは宣伝部隊の意味合いも強い。各地方の間諜らへと真偽を織り交ぜた情報を流しつつ、これ見よがしの戦力を見せつけて行進する」
日和見している多くの地方領主、さらにはいつ裏を掻かれるとも知れぬ不穏分子を、こちら側へと傾ける。
圧倒的な武力と、公正な秩序。未知の恐怖を刷り込みつつ、未来への期待を植え付ける。
「無血で交渉を進める為の示威武力といったところだな」
早くに迎合した者は手厚く。遅きに失した者は相応の。抵抗を示した領地はいずれ制圧し、植民地化すら視野に入れる。
各地の支援を糾合しながら、無辜の難民を無制限にサイジックへと受け入れつつ、自領の強化を図っていく。
相手にするのは単なる継承権を持つ血族達ではなく、帝国そのものと属し構築されている領主や体制そのものなのである。
「もっとも……実際に戦ったとて負けるつもりはないが」
「もちろんです」
「一戦くらいはこちらとしても交戦えておきたいところだ、そうしないと真価が見えんし見せられん」
実戦という練兵を積んでこそ、本当に使える兵士というものが見えてくる。
新兵や元傭兵や元冒険者なども入り混じった軍団である為、経験を重ねて生き抜いたという実績こそ、今後の戦争計画における実働を計るのに重要となる。
「……よくわからない兵器も、前線で使ってこそですか」
「歴史が大きく変わるらしいからな、世界の将来の為にも出し惜しみはしないらしい」
「世界──」
「すべてを開示するわけではないが、広く技術を知ってもらうことに意義があるのだそうだ」
ポーラはほんの2年ほど前まで、騎獣民族という枠組みの中で生きてきた。
騎獣民族は世界中を巡っているし、"洗礼"の前には外の世界で過ごす試練もある──それでも根底には騎獣民族であることの誇りと価値観があった。
しかしインメル領会戦を機に多くの人生が、大きく変わってしまった。
先進的な人類社会において生きることに、新たに学ぶことで、短い期間にもかかわらずかつての自分はもはや存在しない。
それがはたして良いことなのか、悪いことなのかは、未だポーラには判断がつかないものの……それでも否応なく世界は広がっていくのだと。
「なんにせよ眼前の戦争に集中しないとな。この主力軍はこれから膨れ上がっていくだろう……一部を逆路の確保に当てつつ、統率を取ることはなかなかに憂鬱というものだ」
「全力で補佐します、バルゥ総督」
「ああポーラ、よろしく頼んだ」




