#496 東部総督府
──ディーツァ帝国、東部総督府──
「一体何が起こっているというのだ……」
黒髪黒瞳を持つ長身の男──東部総督補佐アレクシス・レーヴェンタールは、頭を働かせるものの……まるでついていけそうになかった。
王城襲撃。帝都で起きた爆発事件。さらには鎮圧。誘拐された宰相。赤竜山の噴火と竜騎士の命令無視。帝国元帥による緊急軍令。
継承戦の開始。既に何人か亡き者とされた血族。北方総督府と、駐屯する元帥の不穏な動き。中央の統制から離れた、各地方都市が独立するという風聞。
帝王の死。行方知れずの上級大将。西部連邦と結んだ東部総督府の蜂起。西部総督府の反乱。帝王が皇国の中枢まで侵攻。西方戦線の崩壊と、皇国からの逆侵攻。
王国からの二正面侵攻。共和国と帝国首脳部と交わされた謎の密約。魔族特区の裏切り。断絶壁を越えてきた魔領軍の襲来。静観する南部総督。
獣人特区と亜人特区の解放運動。嵐に荒れ狂うワーム海。帝国の所属船をも略奪し始めた海賊連中。雲間に映った巨大な影。
「ほんに厄介よのう……」
東部総督フリーダ・ユーバシャールは──壁に貼られていく獣皮紙を眺めながら──1度だけ溜息を吐いた。
途絶えない"使いツバメ"の報。
時に矛盾し、錯綜し続ける情報によって混沌の坩堝と化していく軍議の場。
いったい何が真実で、いったい何が虚偽なのか……何一つ判断がつかない状況。
「クソッ、こんな……どこから手を付ければいいのか」
「アレクシスや、見誤るでない。真に注意するべきは、あたしゃらを陥れようとしている者の影よ」
「どういうことです」
疑問符を浮かべるアレクシスに、フリーダはゆっくりと諭すような口調で続ける。
「いくら東部総督府に情報が集まりやすくしてあるっちゅーても限度があろうて。あまりにも噂の域を出ないモンが多すぎる……それこそが企図したものの狙い──」
「確かに……東部総督府が連邦と手を結んで蜂起などありえない。つまり──ああ、そうか。意図的にコチラへ流している輩がいると?」
「そん通り。虚実を織り交ぜ、煙に巻きながら、明確に仕掛けておる者がいる──そこが最も厄介なことよ」
議場に集まっている十数人、その全員に動揺と緊張が走る。
フリーダは事の深刻さを理解し、余計で無駄なことを省くべく結論を述べる。
「ゆえに今必要なのは、最悪を想定することよ……既に後手となっている今、最も御しにくいことに対して備える」
「最悪──」
「じゃがそん前にアレクシス、おんしはどうしたい?」
「は?」
「平時であれば口にするのも不敬なことなれど、今この場では無用。仮に戦帝陛下が崩御し、継承戦が始まっていたとしたら──アレクシスや、帝王になる気はあるんかえ?」
突然の問いに対し、アレクシスは真剣な面持ちで睨むようにフリーダを見つめる。
「──ある、と答えたなら……総督はどうされるおつもりか」
「通常の継承戦であれば立場上、肩入れするつもりはないが……こうなってはおんしを擁立し、必要とあらば帝国の秩序を回復するという選択肢もあるということじゃ」
それほど差し迫った事態ということが、否応なしに議場全体を満たす。
「私、は──」
アレクシスの言葉が詰まる。
そうして悩んでいる間すらも惜しいとばかりに、フリーダは補佐にして王位継承者の返事を待たず現状について話を再開する。
「氾濫している情報群が、他の総督府や貴族あるいは他国にまで──どれほど広まっているのかはわからん。地位に固執し、冷静な判断ができなくなって疑心に駆られ、軽挙な妄動に走る者もおるかも知れん」
この場において最も偉く、誰よりも聡明な総督の言葉を邪魔する者はいない。
「あたしゃの思う最悪は──帝国そのものが無くなること。それに比べれば総督府の一つや二つ潰れて、領土が削られたところで問題にはならんが……」
フリーダの確かな能力と人望によって、東部総督府はどこよりも強固な体制を持っていると言えた。
「いずれにせよ強き帝国には、強き旗頭が必要……そういう意味で、ここにいるアレクシスは誰よりも適任ではあろうな」
だからもしも彼女がアレクシスに付くと言うのであれば、東部総督府は軍権を含めてほぼ丸ごとに近い形で、自らの助力となってくれることをアレクシス自身も理解していた。
「しかし私は……戦争を好みません」
「それでも闘るんが、王族に生まれた義務にして責任。レーヴェンタールの名を持つ者の宿命よ」
フリーダのみならず、議場にいる全員の視線がアレクシスへと集中する。
「では総軍を挙げて、帝都を支配でもすればいいわけですか?」
「──さて、な」
「……は? 総督には何か策や考えがあるのでは?」
「あいにくと、あたしゃは"全てを見通す瞳"なんぞは持ち合わせてはおらんでな。ここまで滅茶苦茶にされた盤上を読み切るなど不可能よ」
「焚き付けておいて、いささかそれは無責任ではないですか総督」
「そういきり立つでないアレクシス。保守的に言うのであれば……もしも全てが虚報であった時に、後戻りができないことは頭に入れておくべきことじゃろう。能動的に動いたとして、どれだけの罠があるかもわからん」
確度ある情報の収集を待っていては、さらなる後手に回ってしまう。
しかし動けば動くほど、ドツボに嵌まりかねない危険を大きく孕んでいるのが現状。
「ならば……私はどうすればいいのです?」
「おんしにいくら武力があろうと、身は一つ。さらに戦嫌いの気性も鑑みた上で、侵攻戦も合わんじゃろう」
「ええ、戦争とは最後の手段であるべきです」
「うむ。正直なところ、あたしゃの好みではないが……基本は防備を固めるしかあるまいて」
「専守、防衛──」
「東部は中央に次いで肥沃で、備蓄は十二分にある。他の継承者が中央を掌握しても東部は東部として独立することができよう。仮に皇国に西部から中央にかけて侵略され帝都を陥とされたとしても、東部を新たに帝国の中心として据えられる」
「戦争も、最小限にすることができる……」
「アレクシスの強度も、限られた狭い範囲でなら問題なく活かせられようて。つまり補給線を確保しつつの、内線持久戦となろうな……ただ海だけはどうにかせんといかんかいね」
グッと己の手を握り締めるのをアレクシスは見つめる。
魔力をいくらでも吸収して即転化できる自分なら、一週間くらいでも不眠不休で戦い続けることも可能。
「どうやら決意は固まったかい」
「必要とあらば、この身を捧げよう。それが戦争を──帝国を守ることに繋がるのであるのなら」
「うむ。まあどのみち待ちの一手を強制されとるような状況じゃが、そう簡単に事は立ちゆかんこと──ちっと教えちゃろうかいのう、ぬしゃあら!!」
『おうぉぉォオオ!!』
フリーダの怒号のような声に、議場にいる全員の心が一つに応する。
アレクシスは実際に見た事はないが、かつて武官と文官の両面において諸外国に鳴らした姿が、そこにあるような気がしたのだった。




