#481 帝都潜入 II
俺は以前にも一度訪れた、旧友の部屋の前へと到着する。
『モライヴ、ベイリルだ。大事な話があるから、扉を開けてくれ』
俺は扉の前に重武装の近衛騎士がいるのを無視して、魔術で声だけを部屋の中へと届けた。
ほどなくして扉が開けられたところで、俺は2人の間をすり抜けて中へと入る。
「もういいぞ」
「──!? いつの間に……いや、そういえば姿を消す魔術が得意だったね」
一瞬だけ驚いたモライヴは、すぐに得心すると近衛騎士に一声掛けて扉を閉める。
「ベイリル、君が来たということは……何か動きがあったということかい?」
「いやこれから動きがある。というよりは先手を取って動かす」
俺はあらかじめ、したためておいた封書を一通モライヴへと渡した。
「これは……」
モライヴは俺の言葉に肯定も否定もせず、まずは文書に目を通して情報の精査を優先する。
「お前の積み上げてきた策はヴァルターによくよく知られている。それを利用されるばかりか、逆撃を喰らって命を落とすことになる」
「……ははっ、随分と率直に言ってくれるね」
「アイツは長姉エルネスタと長兄ランプレヒトへの対処は当然のこと。戦帝を封じ込める手段もきっちり用意し、アレクシスを倒す為の矛も研いでいる」」
実際にはベイリルという駒があっての立ち回りではあったものの、俺がいなくても状況へ持ち込む次善策を用意していないわけがない。
「つまりヴァルターは、僕より何枚も上手だったか……」
「残念だが、そうだ。だから俺達が──シップスクラーク財団がある」
さらに付け加えれば、ヴァルターすらも仲介人の策謀によって殺されてしまう。
しかし未来は既に変わりつつあり、それを理想的な軌道へと乗せていく。
「ベイリル……君たちは本腰を入れて僕の支援をしてくれるわけだ」
「当然だ。お互いの立場上、信頼のみならず目的や利益の合致も含めてだがな」
「しかしこれは──随分と大胆な構想と言わざるを得ないね」
会話しながらも一通りの戦略を把握したモライヴは、少しばかり懐疑的な表情を浮かべる。
「今は、これでいい。制覇にも色々なやり方がある、武力だけが全てじゃない。それに……競合もいた方が文化は豊かになる」
「わかった、ひとまずは乗らせてもらうよ。ただ一つだけ譲れないものが──」
「大切な妹さんだろ、理解している」
「さすが、お見通しか」
モライヴの最大の動機こそ、妹であることは重々承知の上である。
「まぁな。それで王都から脱出するにあたって、俺が"もう一つの仕事"を片付けたらわかりやすく騒ぎを起こすから、それに乗じてくれ」
「であればその間に僕も、仲間たちへ緊急時行動が発令するよう符丁を出しておこう」
モライヴにはモライヴの、王位簒奪劇を起こすにあたって築き上げてきた人間関係、政戦模様がある。
彼の信用面においても単純な戦力としても、頼りになる勢力である。
「西の尖塔まで来てくれれば、二人とお付きの近衛くらいは問題なく乗っけられる。エルンストという名の竜騎士が一騎、城の上空で待機しているからな」
「いや僕は僕で、緊急時の退避ルートはいくつか用意してあるから大丈夫だ。しかしそれにしても……まさか竜騎士を味方に?」
「ここずっと根回しばっかしているから慣れたもんだ。竜とは縁深いもんで」
"第三視点"として、あっちらこっちら奔走してきた。
撒いてきた種子は、芽吹き、強く根を張り、やがて蕾となり、いつしか大輪の華を咲かせる。
そうして実った果実の味を耽溺し、残った種がまた新たに広がり成長していく──その循環こそ"文明回華"。
「武力・文化・思想・外交、フリーマギエンスとシップスクラーク財団の底力をとくと見よってな。独壇場の始まりだ」
◇
外壁から様子を窺い、木窓を開けて侵入した部屋には1人のエルフが机に向かっていた。
「夜分お忙しそうにしているところ、失礼します」
「……モーガニト伯ね」
「おっと──はじめましてと言おうと思ったのですが、ご存知でしたか」
こちらを一瞥だけした女性は、突然の侵入者にも動じることなくまた机の書類を整理し始める。
「なぜ来たのか、尋ねないのですか?」
「……なぜ来たの?」
「貴方の身柄を攫いに来ました」
「そう」
それは単純に興味が希薄で、感情の起伏に乏しく──典型的な"長寿病"の症状を呈しているようだった。
「帝国宰相ヴァナディス殿、貴方は赤竜フラッドとローレンツ……そして"燃ゆる足跡"アルヴァインらと共に帝国を創り上げた建国の偉人」
「……」
「そして"闊歩する大森林"とまで呼ばれた木属魔導を用いて森を作り、時に草木を灰にして、帝国領土を肥沃な大地へと変えていった」
それは国家にとって、人々にとって一体どれほどの恩恵であったか──計算することなど不可能なほど途方もない。
「落ち着いてからは文官として、拡大を続ける帝国をその長命を活かして支え続けた──貴方にとってまさしく帝国は、"愛する我が子"そのものなのでしょう」
「こど、も……」
「そんな帝国を蝕まんとする害虫がいると言ったら、どうします?」
「そんな……ことは、させない」
ヴァナディスの双瞳に──わずかばかりではあるが──はじめて明確な意志の炎が灯るのを見る。
それこそが長寿病にあって彼女が、帝国に対して身命を賭し続ける目的であり理由なのだろう。
「で、あれば。我々と一緒に行きましょう、うちには貴方への"特効薬"もありますし」
長寿病とは経験の蓄積による無感動がもたらす情緒の欠如であるならば、文化という"刺激"こそが最大の薬となる。
「そして我々で新しい形の大帝国を築き直すのです」
「……?」
「帝国内は継承戦によって、間もなく内戦状態へと移行します。そして戦帝はそれを良しとして、大規模な戦争へと至るのは自明。そしてその隙間を狙って、アンブラティ結社という虫が寄生する──」
「アンブラティ──名前だけは、耳にしたことがある」
「20年くらい前に帝都で発生した子供の連続失踪事件、そして我がモーガニト領アイヘルと周辺集落で起きた"炎と血の惨劇"も彼らの手によるものです」
「あなたは……復讐の為、調べ上げたのね」
一時的に思考が明瞭になってきているのか、ヴァナディスの言葉には確かな感情が込められていた。
「戦帝によって帝国は良くも悪くも、急速に拡大し過ぎてしまった。それによってもたらされた歪みは、ヴァナディス殿が最も感じ入るところでしょう」
ヴァナディスはその言葉に──少しだけ遠くを眺めるように──虚空を見つめてから目をつぶる。
「継承戦において、いずれかの陣営に肩入れしないことは重々承知しています。しかしかつてのローレンツに最も近いのはモーリッツ・レーヴェンタール殿下です」
「モーリッツ、なるほど……あなたは彼と協同しているの。それにしても……貴方はまるで見てきたことのように言うのね」
その言葉に俺はニッと歯を見せて笑う。
「実際に視ていましたからね」




