#02-3 小さな勝利
一瞬にして膨張したように強風が、まだまだ成長途上の体躯を襲った。
俺は地に足ついた状態から弾き飛ばされて、着地する際になんとか受け身を取りつつ着地する。
フラウは半人半吸血種の力任せに地面を掴んで削られるように後退した。
「ふっふふ、ふふふふックククククク……ますます欲しくなったよ、手段を選ばずとも!!」
鼻血をダラダラ垂れ流しながら、それでも格好を付けるスィリクス。
「──いやっちょ、おわッ!?」
叫び声がした方へ視線を向けると、強風に巻き込まれて拘束の解けた鬼人族の少女が取り巻きの一人を失神に追い込んでいた。
さらにもう一人も無造作に服を掴まれて、そのまま地面へと叩き付けられる。
「しまった……いやもういい、仕方ない。二人の弔いだ、君たち三人まとめて私に跪かせよう」
「お供はまだ死んでないだろ。それに"魔術"とは大人気なくないか?」
魔術──ご多分の例に漏れず、ファンタジー御用達の術理。
最初に"魔法"が存在し、衰退した後に"魔術"が生まれ、発展した"魔導"という三種類の形が、"魔力"によって成り立っている。
魔法を使う者は魔法使と呼ばれ、法則そのものを意のままに書き換え、新たに創り上げる全能。
魔導を扱う者を魔導師と呼ばれ、己の渇望を絶対の律とし、現実へと導き、世界に押し付ける権能。
魔術を操る者は魔術士と呼ばれ、現実でも起こりうる物理現象を、自らの内から外へと発露・放出させる異能。
(……と、モノの本には書いてあったが)
俺はフェイントに使って地面に落ちたままの本を見る。
母が誰かから譲り受けたという、魔術のことも書かれた歴史書を兼ねている学術書。
異世界の文化水準としては製本自体も非常に珍しく、共通語の勉強にも役立っている我が家にたった一冊しかない貴重な蔵書であった。
「力ある者に言葉は無力。だが今すぐに忠誠を誓うのであれば、矛は納めるとしよう」
「えっと、ラディーアちゃん? 協力しないか?」
「イヤ。ことわる」
「……さいですか」
半ば予想していた答えであった。とはいえ彼女は闘る気満々なようなので、こっちで勝手に併せようと思ったのだが……。
「でも。あれがえらそうにしてるのはもっとイヤ」
その一点において意思統一が為されたことに、俺の口角も思わず上がってしまう。
「そうこなくっちゃ」
不思議だった。単なる子供の喧嘩、それも不利な闘争であるにも関わらず……なぜだか滾る。
一方でスィリクスはこちらの共同戦線にも特に気にも留めてはいないようで、鼻血を拭って呼吸を整えていた。
「素晴らしい度胸と勇気、もしくは……無謀か蛮勇か。風よ、炎よ――」
スィリクスの左手に風が渦巻き、右手には炎が燃えている。
(……まじかよ、ただの魔術士じゃなく二色使いか)
この世界の魔術は、いわゆる四元論たる"火・水・空・地"の4属性を基本として体系化されている。
氷や雷や光といった魔術も存在するが、基本四色に比べれば使い手は少ない。
さらには散漫にならないよう1つの属性を集中して伸ばすものであり、いくつも使い分ける者はそれだけ才能があるという証左である。
(まぁこれ見よがしに手札を晒した時点で、まだまだ甘チャンな印象は否めないが)
もちろん三色あるいは四色目すらも警戒こそしておくものの……これまでのやり取りで、良くも悪くも素直なタイプだと思える。
こちらに魔術という手札がそもそも無い以上、スィリクスの隙に付け込むしか勝ち筋はない。
「私の父上は優秀な治癒術士、だから多少の火傷や打撲くらいならば安心したまえ」
「しね」
吐き捨てるように返したラディーアは駆け出すと、ただただ真正面から突っこんでいく。
連係などあったものではなく、最初から期待もしてはいない。
ただ自ら囮であり捨て石となってくれるのであれば、あとはこちらが勝手に合わせるだけだ。
「フラウ、投げ飛ばしてくれ!」
「わっかっっったぁッーーーー!!」
純粋な鬼人族のラディーアには劣るものの、半人半吸血種たるフラウのパワーで俺の小さな体躯が空中へ躍り出る。
スィリクスが左右に溜めた風と炎の二択──併せてくる可能性、いずれも覚悟を決めた。
「ふっハァッ!!」
スィリクスの左手から風の塊が飛ぶ──文字通り、飛んだ。
俺の体は空高く舞い上がり、ラディーアの突貫を余裕で押し返すに足る威力。
(あぁ……気持ちいいな──)
落ちたらタダでは済まない上空から、俺は地べたまでを俯瞰しつつ……この際は、浮遊感を存分に楽しむ。
ラディーアはフラウによって無事キャッチされていて、俺は大気を感じながら空中でわずかに姿勢制御をする。
「どッ……オご!?」
俺の肉体が強風を喰らって空へ吹き飛んだ瞬間、俺の存在もスィリクスの意識外へと飛んでいた。
スィリクスがまず注視すべきは、突撃せずに控えていたフラウであり、好戦意志が旺盛なままのラディーアである。
ゆえに──落下しながら首を刈り取りにきた俺を、無造作に喰らってしまったのだった。
宙からラリアットをぶちかますように、右腕をスィリクスの首元へと引っ掛け、落下の速度を緩和しながら二人もろとも地面に倒れ込む。
「痛ッ……」
衝撃で反射的に言ってしまうが、アドレナリンかエンドルフィンか、何かしらの脳内麻薬が出ているのか痛くはなかった。
どのみち無傷でぶっ倒せると思っちゃいない。なんにせよ悪くない、心身が高揚してハイになってしまっているのだろう。
そんな感情は別に、冷静に状況を分析している自分が同居していることに少なからず驚きもあった。
「うぐ……ぐっ……かッは──」
俺は背後からスィリクスの首に腕を絡めた体勢のまま、お互いに倒れ込んだ状態で頸動脈を絞め上げた。
しかしスリーパー・ホールドによって脳への血流が阻害されて落ちる前に、スィリクスの残された右手の炎が動く──
「ベイリルゥ!!」
フラウの声が聞こえたと同時に、スィリクスの右手が炎と共に弾けていた。
揺らぐ視界で捉えたのは……火傷を負って力なく落ちた右手と、その先で地面に転がるエメラルド原石。
「っふゥー……」
俺はスィリクスが失神して全身の力が抜けたのを確認して、すぐに腕を緩めた。
一応ちゃんと息があるかを確認してから、軽く心臓を踏みつけて活を入れつつ、原石を拾い上げた。
「助かった、ありがとうフラウ」
「どーいたしまして」
特に劇的な勝利を分かち合うわけでもなく、ただ自然体のままに。
俺はフラウにエメラルド原石を改めて手渡し、落ちている本を足で蹴り上げて背中に縛り直した。
「ねえ。ちょっと」
「なんだい?」
「名前。おしえて」
ラディーアの思わぬ言葉に、俺とフラウは少し見合わせてから揃って笑みと共に自己紹介をする。
「俺はベイリル」
「あーしはフラウ、よろしく~」
てっきり歩み寄ってきてくれたのかと思ったが、一緒に差し伸ばした手が握り返されることはなく……。
「べつに。ただ聞いただけ」
「そっか、それじゃ……また今度」
「またね~」
ぶっきらぼうな拒絶に対し、俺とフラウは以心伝心で返し──今度は特に否定の言葉はなかったのだった。