#454 大魔技師
新たに建国された【帝国】と、【王国】と【皇国】の強力な三国が支配圏を伸ばしていく中で――
文化圏外の領土で発生した都市国家群が繋がって【連邦】が作り上げられた。
しかしこれは程なく紆余曲折を経て、【エイマルク東連邦】と【アールシアン西連邦】に分かたれる。
そこで俺は新たにタイミングを見計らって、"ある一人"の人物と接触する為にアイトエルの肉体を借り受けた──
東連邦の大自然の中に建てられた、一軒の小さくない山小屋。
そこに住んでいる白髪の老人は、自らのアトリエの中で大量の絵画に囲まれながら、キャンバスに向かって筆をとっている途中であった。
「こんにちは」
「……おーおー訪問者とは珍しい、しかしここは道に迷ったとて簡単に辿り着く場所ではない。一体どのようなご用件で?」
「──貴方が残した偉業。その足跡を本人の口からお聞きしたく参上しました、"大魔技師"殿」
既に年老いて、亡くなるのもそう遠くない──未来にほとんど影響することのない刻を俺は選んだ。
「……わたしが誰なのかわかった上で、わたしにわざわざ会いにきて、わたしのことを知りたい、と仰るのか」
「"後世の歴史"において大魔技師は、その功績に対して非常に謎の多い人物ですので」
魔術具文明という、一大文化を創りだした偉人。
7人の高弟を各国に派遣し、その製法と必要な言語や度量衡なども広めた。
他にも服飾や食文化といった一部にもそれらしいのが残っている。
言うなれば"文明回華"を志す俺の先達にして、また地盤を踏み固めておいてくれた人物である。
また個人的後のアンブラティ結社の首魁、亡霊となる魔王具"命脈の指環"そのものに命を与えた存在でもあった。
「妙な言い回しをなさるようだが……どなたか尋ねしてもよろしいか」
「私はベイリル、貴方と同じ転生者です」
俺はアイトエルの声で自己紹介をすると、しばしの静寂がアトリエ内を包み込み……ゆっくりと大魔技師は口を開く。
「そうか……"転生"、墓場まで持っていくつもりだった秘密をベイリルは同じ立場から察し得たと」
「よろしければ是非お聞かせください。貴方が紡いできた人生を──同郷の者として記憶しておきます」
「同郷、会うのは初めてだ。しかし、そうか……であれば──わたし以外に、わたしの生きた二つの人生を聞いてもらうのも、悪くはない」
大魔技師は手に持っていた顔の前にジッと見つめる。
「わたしは元々、フランスで生まれた女流画家だった」
「女性……──」
眼前の人物は老婆ではなく、どう見ても男である。
自身は言うに及ばず、ヴァルターもスミレも性別は前世と共通だった。
しかし転生と言うのであれば当然性別が変わる可能性もある。想定の範囲内ではあるが実際に想像がつきにくい。
「今はもう男の肉体、男性の価値観のほうに慣れてしまっているが……なんにしても男女両方の人生を歩めたことは、わたしにとって有意義なことと言えた」
「芸術家として、ですか」
俺はナイアブのことを思い出す。
彼もまた己の芸術の為に、世の酸いも甘いも知り尽くす為に、男女両方の魅力を内にも外にも見出した。
「……もっとも、芸術家としての大成は元世界でも異世界でも望めなかったが」
スッと持っていた筆を置くと、大魔技師は達観と諦観の入り混じった溜息を一つ吐いた。
「由緒ある家に生まれ、幼き時分に魅了された絵画に没頭し、己の手で身を立てる為に家を出た──しかし現実を思い知らされ、何一つ叶わず生家へと戻り、海を越えたイギリスの家へ嫁がされるのも、もはや拒否できなかった。
以降は本気で筆を取ることもきぬまま、流行り病によって世に別れを告げ、今度は男として新たな世界、新たな生を受けていた。わたしは心底から喜んだ、神によって与えられた機会なのだと……今度こそ芸術家として名を成さしめんとした──」
ゆっくりと目を瞑る大魔技師に、俺はただただ耳を傾ける。
「そう、思っていたものの実際に待っていたのは、少なくともわたしが生まれた場所は……飢餓や病気に戦乱がまみれ、日々の生活すらも脅かされる皮肉だった」
「異世界では魔物の存在だけを切り取っても、一筋縄ではいきませんから……致し方ないことです」
そこに加えて人同士の争いもあり、"地図なき時代"によって完膚無きまでに破壊もされている。
文化でもテクノロジーでも思想でも、成熟させるというのは……噛み合わせもあって簡単なことではない。
「でもわたしは諦められなかった……今度こそ自らの生きた証を残したかった」
「それが──魔術具ということですか」
「魔術は絵を描くことに似ている──自らの内側にあるキャンバスへと、魔力という絵の具を使って自由に想像し、己の心象風景を映し出すかのように創造し発露する。
しかしそのままでは自己完結し、すぐに忘れ去られてしまう……だから私はそれを物質的な形として残すため、なけなしの技術と前世で得ていた知識と発想を用いた。
魔術方陣といった失われつつあった技術を筆頭に、多様なエッセンスを取り入れ、噛み砕き、咀嚼し、煮詰め、練り上げ、再構成。ついには製法そのものを創り上げた」
魔術刻印は文字であり紋様でもある。
象形文字のように字そのものに絵の意が込められて、それを時に幾何学的に表現したりもする。
大魔技師の技術とは、個々人が小規模派閥などバラバラだった製作方法に対し、一定の方向性と法則による理論を設けるものだった。
(そうだ……例えば最初に印象派として名を馳せた画家が、後続の画家達に大いなる影響を与え、どういう風に描いていくかそのプロセスを確立させたような)
「わたしの新たな形での作品は愛された。わたしにはもったいない弟子たちもできた」
「七人の高弟──」
「皆、わたしよりもよっぽど才能に満ちていて嫉妬したものだ」
「大魔技師殿をして、ですか」
「無論。わたしの功績の多くは、弟子たちあってこそ成さしめた」
世界中に魔術具を広め、その後もそれぞれ異なる偉業を成さしめた7人の男女。
魔術具文明はもちろんのこと──さらに高弟の手によって、異世界文明は大きく引き上げられたと言ってよい。
とはいえ大魔技師の謙遜も多分に含まれているのに違いなく、しかしてまた違った才能を各人が持ち得ていたのだろう。
隣の芝生が青く見えるように――人は自分に無く、他人が持っているものを……とかく羨んでしまうものである。
「大魔技師殿と違い、私に至ってはほとんど頼りっぱなしでした。人材を集めることや環境作り、あるいは武力といった自分にできることは頑張ってきたつもりですがね」
適材適所。持ち味を活かす。
社会とは細かく見れば、全てが数え切れない専門職によって成り立っているがゆえに。
「おかげで大魔技師殿、貴方を越える"大魔導科学者"も抱えられましたよ」
「それは興味深い──わたしばかりが身の上を話すのではなく、ベイリルの話も詳しく聞かせてはもらえないか」
「私のですが……先に断っておきますが──」
「つまらん話かな?」
「いえ、最高に面白い話ですよ」
俺がニィ……と笑うと、大魔技師もつられて笑みを浮かべた。
「ただ割愛しても長くなる上に、俄かには信じ難い話に溢れているということです」
「信じよう、それがたとえ嘘だったとしても……なんらかのインスピレーションが得られればと思う」
「であれば語りましょう」
◇
──かいつまみつつも、俺は日が暮れるまで語り尽くした。
それは同時に肉体を借り受けているアイトエルにも、改めて詳しく語ったということに他ならない。
やがて二人でワインを空けて、星明りが差し込む夜のアトリエで転生者同士──余韻に浸っていた。
「実に有意義な時間だった、いやあなたのほうがよっぽど年上なのでしたな」
「今さらお気になさらず。こちらこそ……あるいは誰かに聞いてもらいたかったのかも知れません」
改めて自らの拠って立つべき、芯となる部分というものを自覚できた心地であった。
「大切な繋がりです。せっかくですから、わたしの生涯最期の作品を受け取ってもらいたい。同郷であるあなたに……心より贈りたい」
「光栄です、大魔技師殿。文化芸術の振興は私の望むところでもありますから。なんならこの場にあるすべての作品を寄贈していただいても──」
「はははっ……拙作もありますから、それはさすがにご勘弁を」
大魔技師は残りのワインをグッと飲み干すと、満足気な表情を浮かべる。
「未来の時代まで、この場所で完璧な保存状態にしておきます。ただできれば……大魔技師のネームバリューは最初、使わないでいてくれるとありがたい」
「了解しました。ひとまずは色眼鏡なしの正当な評価がされるよう図らいます」
アイトエルの肉体が頑健すぎてまったく酔えないものの、俺もワインを空にした。
「楽しい時間でした、ベイリルさん。わたしの中で唯一残っていた孤独も埋まりました、ありがとう」
「こちらこそ。謹んで大魔技師とお高弟さんたちが築いた地盤の上に、文化を華開かせていただきます」




