#445 初代神王
「アスタートは、少女が一人だけ……と言っていたのだが」
今現在、この世界でもっとも高き位置にいる男──ヒト種を率いて竜族に戦争を吹っ掛けた男が口を開く。
(まさかの初代神王となるケイルヴと鉢合わせるとはな、神話の時代ってのは半端ないわ)
ケイルヴ・ハイロード。
黄昏色らしい魔力は第三視点の状態では見ることができない。
またジェーンの直系の先祖という話もあって、その瞳は魔力色を見られるそうだが……。
なんにせよ第三視点としての時間遡行──これくらいでいちいち驚愕していては、存在しないこの身が保たないかも知れない。
「見ない顔だな」
「やっほー」
「……」
イシュトは相手が知らないのをいいことに、竜とヒトとの遺恨どころか、まるで何事もなかったかのように声を掛ける。
一方でブランケルは表情には出していないものの、怒りと憎悪が滲み出ているようだった。
『アイトエル、もう一度体を借りるぞ。それとヒト族陣営でどういう振る舞いをしていたか読み取るから、俺に伝わるように思い出してくれ』
(うぅ……わかった、おねがい)
ケイルヴはアイトエルの方へ、その疑わしき視線を向けてくる。
同時に俺は想起されたアイトエルの記憶情報から、どう話を組み立てていくか考えを巡らす。
「そっちの貴様がアスタートが言っていた少女で間違いないな……? どこかで見たような気がするが、誰だったかな」
状況から察するに、アスタートは自分が消えた後のこと……1人ぼっちになったアイトエルの処遇をケイルヴに任せていたと思われた。
アイトエルの記憶からすると、その扱いはぞんざいなものの──俺が魔空でアイトエルのことを頼まれたことを思っても……。
「私はアスタート様のお付きをしておりましたアイトエルと申します」
「……それなら、どこかで見たことがあったかも知れんな」
「ケイルヴ様がどのようなご用向きで、私をお探しになられたのか主人からは伺っておりませんが……」
アスタートはアイトエルを憎からず思っていたことがわかった。
そしてアカシッククラウドへ出発する前にも気を回し、あのケイルヴに頼むほどの大切な存在であったことは疑いがない。
「そうだろうな、アスタートはそういう奴だ。そしてどうやら既に世話もいらないと見える……が、そっちの白いのと黒いの。名前と所属を言うがいい」
「ケイルヴ様、この御二人は私の個人的な知り合いで──」
「黙れ、遮るな。我が聞いているのだ、すぐに答えよ」
居丈高で高圧的、それも不思議はない。
いずれ神族を名乗り、その初代神王となる男なのだから。
「でも──」
どうにか抗弁しようとするも、殺意がみなぎる眼光でアイトエルの体が射竦められて呼吸が止まる。
いかに頂竜の血があれど、まだまだ脆弱なアイトエルの肉体にはきついものがあった。
「もういい、下がっていろアイトエル」
すると黒竜ブランケルが、アイトエルとケイルヴの間に庇うように立つ。
「そうだねぇ、もう仲間だもん。守ると決めたからね。そのかわり困ったことがあれば、いつかわたしたちも助けてもらうからさ。頼り頼られ~」
(っ……!!)
『ほらな? こういう竜達なんだよ、アイトエル」
イシュトさんは言うに及ばず、白竜が愛した黒竜にしても。
「答えない上に、何のマネか。……貴様ら、何者だ? 何様のつもりだ」
「ヒトではなく──竜様だと言ったら?」
「いやっ、ちょ……ブランケルさん!?」
隠す気もない黒竜に、さすがに俺はリアクションを取らざるを得なかった。
「竜、だと? 何を言っている」
「ケイルヴ──ヒト種の首魁。ならばおれのことも、少しくらいは覚えがあるはずだ」
ズズズッと両手に闇黒を纏わせて威嚇する。
「バカな……ありえない」
「目の前の現実を認識できないほど、おまえたちは劣等だったのか?」
ケイルヴはギリッと歯噛みすると、直後に真顔になって口角を上げる。
「……どうやら、本当に本物か──アスタートのヤツめ、この我をまんまと陥れたというわけか」
「誰のことを言っているのかは知らんが、おれたちは争うつもりはない」
言いながらブランケルは一度纏った両手の闇黒をあえて消して見せ、敵意がないことを示す。
「なに? 貴様ふざけているのか、黒竜ッ!! 小賢しくも人間の姿を真似ておいて──ッ」
ケイルヴの周囲を包み込むような膨大な魔力の高まりを感じ、パキパキと空気が音を立て始めるが……ブランケルは至って平然としたまま答える。
「因縁も恨みもある。だが"おれたち"は、その一切を忘れると決めたからこそこちらに残ったのだ」
「そーそー。"わたしたち"はあなたたちの治世にも文句は言わないし、ちょっかいも出さずにヒッソリと生きてくつもり。お互いに干渉しない、それでいーじゃん?」
「そうか白いほうは……白竜か。揃いも揃ってふざけたことを」
「もう一度言うけど本気だよ? ヒトは竜に勝った、そっちも恨みはあるだろうけどさ。これ以上争っても良いことなんか一つもないよ」
諭すような白黒の言葉であったが、ケイルヴの魔力は研ぎ澄まされていくだけで収める様子を見せない。
(歴史としてはどうなるんだこれ……俺はどう立ち回るべきなんだ)
逆説的に考えれば俺がどのように行動したとしても、その結果が後の歴史として成り立って未来の俺が存在しているはずなのだが……。
だからといって軽率な行動をすべきでもない。
どこかで過去を改変する以上は、必ず何らかの形で結果が現れるのだから。
「人間の姿でどこかに潜伏し続ける。そのような暴挙を許すと思うのか、獣が」
「あっははは! あんまりわからずやだとさぁ……ケイルヴくん、つぶすよ?」
(いや、イシュトさん怖っ……!?)
一瞬にして空気が凍るような威圧感。あのイシュトさんが怒るなんて初めて見た。
そりゃ付き合いとしては短いのだが、まったく想像がつかなかっただけにギャップが凄い。
「降り掛かる火の粉であれば、払わねばならん」
「そういうこと」
しかしいかに七色竜の二柱掛かりとはいえ、おそらくは当代最強クラスの魔法使であろうケイルヴと戦ったら辺りはどうなってしまうのか。
(それにまだ力の使い方に、慣れてないって言ってなかったか──)
人の姿のまま"現象化の秘法"を含めた全力を使いこなせていたのは、俺が会った頃のイシュトさんだけだ。
それ以外の六柱は、基本的に竜の状態と比較して使える力が限られているし、今のイシュトさんがどこまで使いこなせるかはわからない。
互いに牽制し合うように、沈黙したまま事態が膠着する。
(どうするの……? ねぇどうするの!?)
『落ち着け、俺も考えてる──』
最悪の場合は、やり直しができる。しかし消耗を考えればなるべくしたくはない。
(俺だって、遊んできたわけじゃない)
100年の昏睡を差し引いても、実に300年以上……今この場にいる誰よりも研鑽を積んできている。
数え切れないほどの生物の肉体から発せられるありとあらゆる情報を、心理と感情すらも"天眼"で読み取ってきた。
そうだからこそ、いつだってつぶさに観察してきたからこそ理解ることがある──
「ふゥ……──」
アイトエルは導き出した一手を信じて、息吹を行う。
俺自身の肉体であったなら、それで"風皮膜"を纏っているところだが……アイトエルの肉体はただ弛緩するだけだった。




